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【再度】思い出してホローリくる家族との思い出part4

1 :おさかなくわえた名無しさん:02/12/03 16:45 ID:pQw2gNha
こんな良いスレがなくなるのはいやなので・・・

思い出したら涙がホロリとこぼれてしまう、
そんな家族とのステキな思い出、ぜひ聞かせてください。
思い出に大小はありませんので、いろんなお話を宜しくお願いします。

前スレ
part1
http://life.2ch.net/test/read.cgi/kankon/996065986/
part2
http://life.2ch.net/test/read.cgi/kankon/1007046017/
part3
http://life2.2ch.net/test/read.cgi/kankon/1035197420/

2 :おさかなくわえた名無しさん:02/12/03 16:56 ID:hqH0z+Ub


3 :おさかなくわえた名無しさん:02/12/03 18:37 ID:DNAAGDgu
その事を7000件に宣伝します!
http://accessplus.jp/staff/in.cgi?id=3987

4 :おさかなくわえた名無しさん:02/12/04 22:20 ID:6VPiRCaD
落ちませんように

5 :おさかなくわえた名無しさん:02/12/05 09:33 ID:Iatyan/+
ねたが出尽くしたか?

6 :6:02/12/05 19:58 ID:gwACxe4w
微妙に趣旨とは違う気もするけど自分の話でも
私は自分が物心付かない頃から両親の離婚で母親の実家で
暮らしていた。母親が父親代わりというか、働いてお金入れる。
祖母が母親代わりに面倒見るという環境。
兄の虐待のお陰で思いやりとか愛情とかとは無縁と思われた
子供時代だった。心に芽生えたのは憎しみだけ。そして
その憎しみはすべて母親に注いだ。
自分だけのせいかはわからないが母親の心は壊れた。
子供心に自分の限界を感じ父親の元へ逃げた。
そして愛情のない父親からもまた逃げた。
遠く離れた土地まで逃げてきた。

私も大人になり、母親への憎しみは消えていた。
手のひらを返したように急に優しくしたり電話をしたりはできないが
これから自分が結婚して子供でもできたら相談がてら電話したり
多分いい関係に持っていけるだろうと思っていた。


7 :6:02/12/05 20:11 ID:gwACxe4w
地元を離れて2年たったある日、仕事から一人暮らしの部屋に帰ったら
留守電のランプが点滅していた。
留守電なんてほんとに滅多に入ることはないのに
なんだろう?無言かな?と思いながら再生ボタンを押して
着替えようとしていた。二件も入っていた。

母親が死んだ。

すぐには理解できなくてタバコに火をつけた。
最初に思ったことは「自殺」
そして自分が今何をすればいいのかすぐにはわからなかった。
結局パニくって色んなとこに電話して、最終の飛行機に乗った。
すでに葬儀場に行っていた母親のもとに着いたのは12時を回るところ。
私が家を出る前後から欝気味だったので親戚一同自殺だと
思ったらしい。まだ40代だし。ひとり、近くに住んでいた祖母を除いて。




8 :6:02/12/05 20:38 ID:gwACxe4w
詳細は着いてから聞いた。ガンだったらしいが
それが初めてわかったのは死体検案。
部屋で血だらけになって一人冷たくなっていたとのこと。
日程的に、翌日の昼間は空き時間があるので母親の部屋を見に行った。
一人暮らしだったので数日間放置はどうかとも思い。
ほんとうに血だらけだった。
荷物の片付けも葬儀が終わったらしなくてはならないので
どんなものがあるのか見ていた。
自分が生まれたときの母子手帳や足形、そして小さいメモ帳があった。
しばらく削ってないだろうと思われる太い鉛筆の字で
平成○○年 ○○才 (兄) ○○才 (私) ○○才
 ・
 ・
 ・
 ・
延々と母親が百ぅん才まで書かれていた。まだ出来ても居ないのに
孫の年まで数えていた。死体検案書よりなによりそれは母親が
自殺じゃなかったことを証明していた。




9 :おさかなくわえた名無しさん:02/12/05 22:51 ID:IsQ7vPW3
>6さん
そうだね。子供の将来を想って、そこに一緒にいる
自分を想像してたお母さんが自殺するわけないよね。
これから仲良くなろうとしてたのに・・・残念だったけど
あなたの今の思いはきっとお母さんに届いてると想うよ。

10 :おさかなくわえた名無しさん:02/12/06 18:31 ID:h5Zb6Sz5


11 :おさかなくわえた名無しさん:02/12/06 18:55 ID:evbQvOEB
 

12 :おさかなくわえた名無しさん:02/12/06 21:27 ID:v30oVfrO
母が他界した頃から大学へ行かなくなった弟。
留年に次ぐ留年。何度か登校の意志を問い質しても
あいまいな返事しか返ってこない。
それでもグレてるわけでなし、バイトもしてるらしい
ので心配しつつも様子を見ていた。

ある日他家へ嫁いだ姉が珍しく私を食事に誘った。
世間話だったが、メインはやもめになった父の心配と
弟の事だった。
食事をしながら私は最近の自分の事を愚痴まじりに
話した。
私「最近眠れなくてさぁ」
姉「なんで」
私「いや、**(弟)の口臭がひどくてさ、言っても
  わかってくれないし…」
姉「…そーなの」
私「うん。このまま口臭のひどいの直さないで社会
  に出ていけるのかとかいろいろ考えたら眠れなく
  なっちゃって…ハハハ…」
姉の返事がないので、ふと皿から目をあげて姉を見ると
日頃気が強くてうんざりするほどの人が、ボロボロ涙を
流してた。一瞬びっくりしたけど、つられてこっちも泣いて
しまった。

ふつうの静かなレストランで女二人が向かい合って泣きながら
食事をしてました。
口には出さないけどお互い相当心配してんだよな、と思って
切なくなった。ましてや父の気持ちはどうだったか…。

ちなみに、その後弟はヒッキー街道爆走中(w 
もう笑うしかない。

13 :おさかなくわえた名無しさん:02/12/08 21:19 ID:LKjkGBlZ


14 :おさかなくわえた名無しさん:02/12/09 16:51 ID:BCdKUW/u
age

15 :おさかなくわえた名無しさん:02/12/09 23:11 ID:aI/GN83T
 

16 :16:02/12/10 02:25 ID:wAunvgUz
私の母は料理上手でした。
そんな母が毎朝作ってくれる豆腐とワカメの入ったみそ汁が、大好きでした。
おかわりをせがむ私に母は「そんなにみそ汁ばっかり飲んでどーするの」と
笑いながら叱りました。

けれど中学生になって反抗期に入ると、親の作ったものを食べるのが嫌になってきて
朝はトーストやコーンフレークで済ますようになりました。
そうすると母は毎日みそ汁の具を大根やら油揚げやらいろいろ替えてみて
「今日はね、サツマイモのみそ汁なのよ、いいでしょ?」「今日のみそ汁はね・・・」
と私に話し掛けてきました。
ずっと無視していましたが、ある日、母があまりにしつこく言い続けるので、
あんたの作ったみそ汁なんていらない、ほっといてよ、と怒鳴ったら
母は引きつった悲しそうな顔をしました。

17 :16:02/12/10 02:28 ID:wAunvgUz
それ以来、母は私にみそ汁を勧めてこなくなりました。
けれど必ず父と母、それと私の3人分のみそ汁を作っていたらしく、
冷蔵庫の中に一人分のみそ汁がタッパーに入っているのを毎日目にしました。

そんな日が2年半位続いた頃、母が交通事故で亡くなりました。
葬儀も何もかも終えて冷蔵庫を見ると、例のタッパーが入っていました。
鍋に移しかえて温めて飲みました。
嗚咽が止まらなかった。


本当にごめんね、ごめんねお母さん。
あれからいろんなみそ汁を飲んだけれど、
やっぱりお母さんの作った豆腐とワカメのみそ汁が、一番おいしいよ。

18 :おさかなくわえた名無しさん:02/12/12 12:43 ID:gNnKVcWs
小学校の頃。朝の全校集会で教頭が先日ナイフを持った男が他の小学校の生徒を
襲ったらしいので帰り道には気をつけろというようなことを言った。
当時他の生徒の通学路とは大分外れた所に住んでいたため
一人で帰らねばいけなかった私は怖くなり放課後自宅に電話して
母親に学校まで迎えに来てくれるよう頼んだ。
最初母は「でも今お友達皆いるよー?」と渋った。
どうやら私の仲の良かった別の学校の友達を呼んで遊ばせようとしていてくれたらしい。
が怖くて帰れない!と私がしつこく言うと結局迎えに来てくれた。
私を迎えに行くため家を空けるので友達には帰ってもらったらしく
母が準備したと思われる菓子やらなんやらだけが残っていた。
その日の晩に、今日の着たら良いと思って買っておいたんだよ、
と新しい服やリボンを見せられてすごく悪いことしたなーと思った・・・。





19 :おさかなくわえた名無しさん:02/12/13 12:07 ID:kf9E/pmK
ステキな思い出ではないんだが・・・

俺は3食のうち朝飯をよく食べる奴で
パンとか1日で3つも食べる日とかもあった。
で、ある日母親が10個くらい一気にパンを買ってきて
意味がわからなかったから「こんなに食べれるわけないじゃん」とか言ったら
「○○よくパン食べるから買ってきたんだけど・・」みたいな事言ってて
マァ金ももったいないしって思いながら2日にわけてパン全部食べた。
その4日後に母親が死んだ。
父親に聞いたところ病気で余命宣告されてたらしいのだが俺ら子供には
黙っていたらしい。不器用な母親の最後の心遣いだったのかなあのパンは。


20 :おさかなくわえた名無しさん:02/12/13 18:41 ID:42tVjjAG
もう買っといてあげられないから日持ちする程度までの買いだめ
しといてくれたのかな?

21 :おさかなくわえた名無しさん:02/12/13 21:35 ID:xDbsSXxk
小学生の頃、おかーさんが大好きで
会社から帰ってくるおかーさんを、駅まで迎えに行くことにした。
会社に電話して「改札で待ってる。30分待っても来なかったら
私、家に帰っちゃうからね」と、早く帰ってきて欲しさに脅しっぽく言った。

しかし、いつまでたってもおかーさんは来ない。
段々心細くなり、不安になってきて泣きそうになってきた。
1時間ぐらいまった頃、後ろから母が声をかけてきた。
会社の人が車で家まで送ってくれたそーだ。私の事は30分たてば勝手に帰ると思ったらしい。
おかーさんの「ごめんね」の一言に
もしかして、事故にあったかのか…死んでしまったらどうしようという
不安に思っていた気持ちが噴き出して、大声で号泣してしまった。
家に着くまで、おかーさんはずっとあやまっていた。

22 :おさかなくわえた名無しさん:02/12/13 22:29 ID:Y+u1qvX6
ひとりっ子には辛いスレだな。

23 :おさかなくわえた名無しさん:02/12/14 05:55 ID:IiQ9wJsQ
小学生の頃、喘息持ちで殆ど毎晩の様に発作が起きてた自分。
夜中に発作が起きて、気が付くと必ず母が背中をさすってくれていた。
今はもう喘息は治ったけれど、あの頃のことは多分一生忘れません。
お母さん有難う。今更口に出すのも照れくさいから、ここで書きます。

24 :おさかなくわえた名無しさん:02/12/15 17:18 ID:61HdY/NZ
>>23
http://life2.2ch.net/test/read.cgi/baby/1026508434/l50
↑ここ(特に226とか)読んでみてください。
母の愛は偉大なのです。

25 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

26 :おさかなくわえた名無しさん:02/12/16 16:22 ID:x0vjFGPw
私は運動(体育)が苦手で、幼稚園〜小学校の運動会の50m走などでは
いつもビリか下から2番目の順位で、1位になれたことがありませんでした。
うちの両親は「みんなはできるのにどうしてお前だけできないんだ!」とか
「1位になってみなさいよ、気持ちいいよ〜」などと言ってきましたがおばあちゃんだけは違いました。
5位になって私がおばあちゃんに「また5位になっちゃったよ・・・」と言うとおばちゃんは
「別に1位じゃなくてもいいんだよ、何位だって自分ががんばればいいの」
と言ってくれました。
逆に言うと親じゃないからそういう無責任なことが言えるんだと思う
人もいると思いますが、私にはとても嬉しい言葉でした。
高校受験の時、成績が悪くて希望通りの高校に入れないとわかった時にもおばあちゃんは
「どんな学校だってがんばって勉強すればいいんだよ、いい学校に入って大学出たからって
自分が幸せになるとは限らない、自分がいいと思った道をすすみなさい」
と言ってくれてとても気が楽になり、楽しい高校生活を送ることができました。
おばあちゃんの言葉でどんなに安心できたか。
1番にならなくても、何事も最後まで努力してやりとげるということを教えてくれました。
おばあちゃんありがとう、将来結婚して子供ができたら同じことを言ってあげようと思います。

27 :おさかなくわえた名無しさん:02/12/16 18:14 ID:9ur3OcM0
>>26
ばぁちゃんにホローリ
自分も子供できたらそういう風に育てたい。

28 :おさかなくわえた名無しさん:02/12/17 05:06 ID:acJjC54T
保守アゲ

29 :おさかなくわえた名無しさん:02/12/17 07:15 ID:A6NPmhrm
皆いいね。実母は11年前私を残し家を出ていきました。
住んでる所分かったから手紙で会いたいって言っても無視されました。
もう11年会ってません。自分の子にこんな思いは絶対させたくない。

30 :おさかなくわえた名無しさん:02/12/17 14:43 ID:u+NnOiSX
高校生の時、香港に旅行に行った父がお土産にと
とても可愛いチャイナドレスを買ってきてくれた。
でもサイズが子供用(130CM位…)でどう考えても入らない。

「お父さんこれサイズ全然違うやん!」と文句を言ったら
「○○(私の名前)の服買うの何年振りかで、わからんかったんや…ごめんな…」
と誤らせてしまった。母と兄は大笑いだったけど私はぷんぷん怒ってしまって
「お父さんのバカー!」と言っていた。

あとで、父と一緒に旅行に行っていた母が
「お父さんな、私も知らんうちにコッソリ買ってたらしいねん。○○喜ぶかなーと思って」
と聞いて、怒って悪かったなあ…と思った。ごめんお父さん。

お父さんはそれからも旅行のたびに、変な指輪とか怪しい鞄を買ってきてくれる。
変だなーと思いながらも今は「有り難う^^」って言うようにしている。

最近、結婚して子供が出来たので父も母も凄く喜んでくれました。
親孝行するね、お父さんお母さん。

余りホロリじゃなくてごめんなさい。

31 :おさかなくわえた名無しさん:02/12/17 15:38 ID:f6gT/SY8
>>30
泣けました.゚.(ノД`).゚.ウェーン!
うちの父も普段は私たち娘に厳しいのに、旅行に行くと
私たちを喜ばせようと、大量のおみやげを買ってきます。
それのどれもが父に似合わずかわいいものばかりで、
どんな風に選んだのかなと考えると涙がでます。

32 :おさかなくわえた名無しさん:02/12/17 15:55 ID:A6NPmhrm
>30
ホロリ(゜ーÅ)
ウチのお父んもだよ
普段人の話なんか聞きやしないくせに
旅行に行ったら精一杯考えてくれたんだろうな
っていう様な可愛いものを買ってきてくれる。
ハローキティのキーホルダーだったり、コンパクトミラーだったりするんだけど
正直「気持ちが嬉しい」って、こういう気持ちかなと思う(w

全部大事に使わせてもらってるよ

33 :おさかなくわえた名無しさん:02/12/17 20:53 ID:Zs98AGsw
へっ、くだらんな。












みんなに幸あれ!!!
。・゚・(ノД`)・゚・。


34 :おさかなくわえた名無しさん:02/12/18 10:56 ID:nkZxB/RZ
友達が二十歳を過ぎたのと、最近おなかの調子が良くないと言うのでガン検診を受けました。
私もしょっちゅう下痢したりしているため友達に勧められて私も同じガン検診を申し込みました。
家に検診前の通知が届き開封しようとしたところ、父が病院名の書かれた封筒を見てびっくり!
「お前・・・これ・・・どうしたんだ!?」
私は友達もやったからという理由で気軽に申し込んでしまったんですが、
ガン検診と聞いて無言になった父。
それから外に出て行ってしまい、見ると車の中で目を真っ赤にして涙を流していました。
驚かせてごめんなさい。

35 :おさかなくわえた名無しさん:02/12/18 11:22 ID:e1iubbWm
スレ違いなんだけど・・・。
親にされたことで私が体を壊して会社を何ヶ月も
休んだりして、すごく憎く思ってる。
けど、それとは別に毎日おいしいご飯を作ってくれたこと
とかを思うと、そんな風に思う自分がすごく間違ってて、
親不孝をしているように感じる。
このスレ見てて、親の愛情というものを垣間見たんだけど、
やっぱり自分んとことは違う。
今も憎しみはあるけど、いつか普通に話せるときがくるといいなと思う。

スレ違い本当にスマソ。

36 ::02/12/18 12:04 ID:qOzD55cP
>>35
あぁ…なんとなくわかるよ。親って、時にはすごく許せない感情になって
「もう二度と口も聞かない・関わりたくないあんなヤツ」て心底思う時もあれば、
怪我とか病気になったときはめちゃくちゃ不安になったり「親孝行しなきゃなぁ、迷惑かけちゃいけないな」と
本気で思う時もある。そんなもんだよね。いつも常に親孝行したいとも思ってるわけじゃないし、けど常に憎んだり
してない。でも親に何かしてあげたいって気持ちは常に頭のどこかにはある…みたいな。
>>35さんのご両親も、35さんに対して愛情があるから、35さんにしたことを反省

37 ::02/12/18 12:11 ID:M4EHx12T
していて、少しでも幸せにしてあげたいと思ってるから、おいしいご飯作ったりしてくれて
るんじゃないかな。家族関係で、溝ができると、なかなか修復できるものではないよね。
心を閉ざすことなく、両親のしてくれたことに素直に感謝している35さんはエライと思うよ。
これからも、親子でお互いに努力して、いい関係が築けるといいね!

38 :35:02/12/18 12:56 ID:e1iubbWm
>>36-37

ありがとう。
それだけしか言えないけど・・・。
嬉しかった。

39 :おさかなくわえた名無しさん:02/12/18 22:17 ID:VWTk9+FK
働いていた母はよくナポリタンとミートソース、カツ丼を作り置きしてくれてた。
レストランみたいな味じゃなくて、まさに家庭で作るトマトケチャップいっぱいの
ナポリタンがおいしかった。
結婚してから母のナポリタンとミートソース、かつ丼を作ろうとやってみたけど、
どうにも同じ味が出せない。
そうこうするうちに母は60歳という若さで脳卒中を起こし、自宅での生活が困難なため
施設へ入所。
・・・作り方を思い出せない母。もうあの味は食べられないんだな。

40 :おさかなくわえた名無しさん:02/12/19 01:14 ID:XjEvhIUE

今度は貴方の料理を「母の味」として子供に伝える番です。がんがれ!

41 :おさかなくわえた名無しさん:02/12/19 14:42 ID:DxHv9nX4
思い出話にホローリ
そのあとのレスを読んで、ますますジーン…

42 :おさかなくわえた名無しさん:02/12/19 15:33 ID:W8dhf851
大した話じゃないけど。。

子供の頃、母にくっついて近所のスーパーに買い物に行くのが好きだった。
小学生くらいになると、荷物を母と手分けして持って帰るようになった。
子供の私には、パンやお菓子といった軽いものしか入っていない袋を渡し、
牛乳やビンの入った重い袋を提げる母。
その習慣は私が大人になってもずっと変わらなかった。
そして私は結婚して、母のようにスーパーに買い物に行くようになった。
先日、実家に帰ったときに母と久しぶりに買い物に行った。
母は昔と同じように、軽い袋を私に持たせようとした。
私は「私だって今は毎日これくらいの荷物持ってるんだから」と笑って、
重いほうの袋を持った。
「ああ、そういえばそうだねー」と母はちょっと寂しそうに笑った。
この人の前じゃ、私はいつまでも子供なんだな。
今までありがとうお母さん。もう楽していいんだからね。

43 :おさかなくわえた名無しさん:02/12/19 22:09 ID:a0Z0261R
>>42 ぅわわわわぁん!(ノДノ)
親っていつも子供のことが心配でしょうがないんだよね…
ありがたいことだね。親孝行がんがれ!

44 :おさかなくわえた名無しさん:02/12/20 04:26 ID:TEno1HlB
うちのおばあちゃんも、おじさん(長男)が夜中まで帰って来ないと
心配してうち(父は次男)におじさんが来てないか電話してきてたよ。
父は電話の度に「子供じゃあるまいし、どっかで飲み潰れてんだろうから平気だよ!」と怒りました。
おばあちゃんが老衰で亡くなった次の年、おじさんも後を追うように末期ガンで亡くなりました。
おばあちゃんは離婚して一人になったおじさんのことを心配して迎えにきたのかなと思いました。

45 :おさかなくわえた名無しさん:02/12/20 04:41 ID:o3zYmwx6
小さい頃外出のときに俺がグズったら、母ちゃんは「もう知らんわ」とか
言って怒りながらズンズカと一人で先に歩いて行ってしまうんだけど
結局立ち止まって「しゃーないなぁ、ほれ」って後ろに手を差し出してきた。
んで俺は泣きながらも母ちゃんの手をつかんでた。
あのとき、なんか分からないけどすごい嬉しかったなぁと、今思い出した。

46 :おさかなくわえた名無しさん:02/12/20 05:03 ID:Sc8Ty0Uh

その時の嬉しさを愛にして貴方の子供に与えてください。

47 :おさかなくわえた名無しさん:02/12/20 11:24 ID:R9uHramc
昨夜このスレに初めて気がつき、徹夜して過去スレまで読んじまったぜ。
地区所〜、良スレだ〜。

48 :おさかなくわえた名無しさん:02/12/20 19:06 ID:GegpbsT4
他の人たちとは違って小ネタでスマン。
俺はガキの頃、母親が作る鶏の唐揚げが大好きだった。
あっという間にオレの分を平らげてしまうと、そっと母親が
自分の分を「お母さんには多すぎるから。」って、オレにくれた。

久し振りに思い出したよ。
今度帰った時には何かプレゼントするからね。。・゚・(ノД`)・゚・。

49 :おさかなくわえた名無しさん:02/12/21 01:21 ID:0+agLwio
母の愛ですな…ホロリ
今度は>>48タソが唐揚げを作ってあげるのだ!

50 :おさかなくわえた名無しさん:02/12/21 01:48 ID:CDkq2ISu
ここに書きたいんだけど、みんなみたいに文章力が無いからダメだ〜。

51 :おさかなくわえた名無しさん:02/12/21 20:12 ID:eSkE3T8i
大丈夫。勇気を出して書いてみよ〜

52 :おさかなくわえた名無しさん:02/12/22 13:24 ID:vu/GfhY3
数年前のことです。
母が急に「今日(宅配)ピザでもとろうか?」と言ってきました。
私は宅配の食べ物が好きですが母は「そんな物ばっかり!」といつもは嫌っているのにおかしいなと思いました。
私は疑問に思いながらも母が注文してくれたピザをおいしく食べていると母が
「今日ね3000円が戻ってきたの、何のお金だかわかる?お母さんアンタが生まれる前から
女の子が生まれたら自分専用のミシンを持たせてあげようと思って
あるミシン会社の将来ミシンが買える企画にお金を積み立てていたんだけど
積立金がいっぱいになるまでにその会社が倒産しちゃってね、そのことずっと
忘れてたんだけど今日何十年も経ってその積立金の一部が現金書留で届いたの。
小学校の頃ミシンほしがってたでしょう?買ってあげられなくてごめんね」
涙が止まりませんでした。
私は小学生の頃みんなが普通の卓上ミシンを持っていたのに、うちには母が
嫁入り道具として持ってきた机と一体型の大きい古いミシンしかなく、
「なんでうちには普通のミシンがないの!?こんなボロボロのミシンじゃ縫えないよ!」
と母に怒ったことがありました、でも母は「もう少し待ってくれない?」と言うばかりでした。
それはたぶんミシンの積立金をしていたからなのでしょう。
母は毎月毎月少しずつ私のためにお金を貯めていてくれたのです。
これからは親孝行したいと思います(涙

53 :おさかなくわえた名無しさん:02/12/22 17:14 ID:hrpsXqdD
>>52
うちの実家にも、机と一体型のミシンがありました。
(多分、今でもあると思う。)
新学期前など、それで掃除で使う雑巾など縫ってもらったなぁ。


54 :おさかなくわえた名無しさん:02/12/23 00:49 ID:MuwzDMaK
 

55 :おさかなくわえた名無しさん:02/12/23 03:53 ID:rj8gFd4J
みんないい話やな〜

56 :おさかなくわえた名無しさん:02/12/23 07:44 ID:7X56fp/Z
私が小学4年生から別居→中学2年生で離婚した両親。
現在私は父の子供。
高校を通いたかった私立にいれてもらい、鬱病になり中退。
そして17歳の誕生日をすぎてから一人暮らしを始めました。
部屋も借りれなくて親名義でお父さんが家賃を払ってくれているから、
心配させたくなくて水商売してました。
そんな私にも結婚したい相手がみつかって、二人で挨拶に行った時。
照れながら「こんな娘でよかったら」と言ってくれたお父さん。
自分の様な辛い思いをさせたくないっておばあちゃんから聞いたよ。
この前実家に帰った時も「お母さんのこと恨んでか?」って、
悲しそうな顔で心配してくれたね。
そんなことないよ。
今まで色々迷惑かけたけど、幸せな家庭を作ります。
ありがとう。
お父さんの娘でよかったです。

長文スマソ。
スレ見てたらどうしても書きたくなりました。

57 :おさかなくわえた名無しさん:02/12/23 10:18 ID:eDg6XAJX
お父さんもきっと、娘さんが貴方で良かったと思ってるよ。
良かったね、幸せになりなよ。

58 :おさかなくわえた名無しさん:02/12/24 11:45 ID:59EF6CdR
今日はクリスマス・イブなわけだが。

6〜7歳の頃、このクリスマス・イブに両親と俺と弟で夕食食ってると
突然、家のチャイムが鳴った。
誰かが来たようでオヤジが俺と弟に見てこいと言って玄関先に行ったら
そこにはいっぱいのクリスマスプレゼントが置いてあった。
サンタが来た!!と俺と弟ははしゃいで、すぐに扉を開けて外を見た。
そしたら、その日はホワイトクリスマスで深々と雪が降り、積もってたけど、
サンタの足跡らしきものはなくて、
マジで空飛ぶソリに乗ったサンタがやってきたと思ってた。

あとから親に聞いた話だと、あらかじめ玄関先にプレゼントを置いといて、
母が台所に行った時、勝手口から玄関に回ってチャイムを押したよう。
今思えばあの時の両親の演出はお見事だった。

しかし、そんな幸せな生活も昔の話。
その両親も数年前に離婚。俺も今は一人暮らしで今日はバイト以外予定ないっす(泣


59 :おさかなくわえた名無しさん:02/12/24 12:08 ID:5sjSP8Uu
二度寝したら昔の夢を見てしまった。
姉が入院していて、お見舞いに行く母が私を誘い、買うものの相談をしてきた。
母と仲の悪い父も、口を聞かないけどそこにいて。
夢の中ではまだ私が姉が治るのを信じていて。きっと元気になると信じていて。
お見舞いに行く前に、夢から覚めた。
5年経ってなお、彼女の死を受け入れられない私がいる。夢ではそれが顕著に現れる。
両親も離婚しました。なにもかも、辛い思い出でしかない。

60 :おさかなくわえた名無しさん:02/12/24 23:08 ID:ZYiNwryF
>>58
母はチャイムを鳴らした後、俺が玄関に着く前にどこにいったのだろうか!?
地面に足跡はなく、周囲に隠れている気配はない!
幼少の俺は母の完全犯罪に感服した。


61 :名探偵コナソ:02/12/24 23:11 ID:ZYiNwryF
真実はいつも一つニダ!!

62 :おさかなくわえた名無しさん:02/12/25 03:59 ID:5eKIcD5v
小学校低学年だった頃、弟が中耳炎で入院。
母親は付き添いで一緒に入院。
春休みだったこともあって、私は遠方の母方の実家に預けられた。
そちらには従兄弟もいてはじめは楽しかった。でも、
私の住んでいるところより早く春休みの明ける地方だったため、
最期の方は日中殆どひとりで、早く帰りたいって思って過ごしてた。
やっと家に帰ってきて、母親の顔を見たら、胸がいっぱいになってしまって、
母が残しててくれた鳩サブレも喉を通らなかった。
涙こらえるのに一生懸命だったよ。いつも親戚の家に1人で行くのは平気だったのに・・・

数年後、再び弟の入院に付き添った母。
今度は、学校があったため父方の祖母が来てくれ、
父と私と祖母とで見舞いにいった。
弟と一緒にいた母は、やって来た私を連れて2人で外出した
(何をしたのかよく覚えてないけど・・・)

よく病気や怪我をする弟だったので、私に手が回らないこともあった。
気にしていたんだろうな・・・
でも母さん、愛情が偏ってたと感じたことなかったよ。ありがとね。
老後の世話は任しておくれ。

・・・でも今は、犬に愛情が偏っている気がする・・・まぁいいか、可愛いし。

63 :おさかなくわえた名無しさん:02/12/27 11:33 ID:WPJlke8j
あげなす

64 :おさかなくわえた名無しさん:02/12/29 00:23 ID:3Pjlr3tU
母の病気のとこで父が取り乱し、その収拾に苦労していた或る日。
ボケが少し入った父は、その日も病院や病院スタッフの根拠の無い悪口ばかり言ってた。
ずっとそんな日が続いていたからその日も私はうんざりしていた。
母の世話がとりあえず一段落したので父のいる実家から
遠く離れた私の自宅へ帰ろうと支度をしているとき、父が買い物から帰って来た。
「お腹空いてるだろ?」と私に差し出したのは茶色の紙袋に入った今川焼。
父に対してうんざりし怒っていた私は「もう帰るからいらない。じゃぁね。」と言って
駅へ向かった。
駅に着くとふと今川焼のお店が目につき(駅構内に店がある)
小さい頃、父が今川焼をよく買って来てくれたのを思い出した。
その場で父に電話をして「やっぱり新幹線の中でお腹空くだろうから食べるよ」と言うと、
「ちょっと待ってろ」と言い、すぐに車で駅まで持ってきてくれた。
何て言っていいか分からなくて「ありがとう。後で食べるね。」と言うと
「気をつけて帰るんだよ」と。
父と別れてから袋の中を見たら、6個入っていた。一緒に食べようと思ったのかな。
今川焼はちょっと冷めててぬるくなってた。
そして新幹線の中で冷えた今川焼を2個食べた。

65 :   :02/12/29 03:37 ID:Qcv2mshl
思い出っていうか、現在進行形の話です。

11月の末から平日はビジネスホテルに泊り込む日々が続いてます。
在来線で片道2時間程なので、週末には帰っていたのですが
先週末は仕事の都合で帰ることができませんでした。

今日、半月ぶりに家に帰ってきました。
晩御飯のお味噌汁は私の好物のツミレの味噌汁でした。
何が食べたい、と言ったわけじゃなかったのに
ちゃんと私の好物を覚えててくれたんだね。
お母さん、ありがとう。

そうやって考えたら、お味噌汁食べながら涙が出そうになりました。

66 :おさかなくわえた名無しさん:02/12/30 20:12 ID:LyL3MbmU
>>16>>17といい。
味噌汁話は泣かせるね〜。
これぞ母の味。



67 :おさかなくわえた名無しさん:02/12/30 21:55 ID:BMDbLLOg
年末ジャンボ宝くじの賞金一億円(がもしも当たった場合)の使い道をめぐり
大喧嘩になった平和な我が家

68 :おさかなくわえた名無しさん:02/12/31 05:17 ID:dtbZ02ec
小さい頃に母の運転する車の助手席に乗っていて事故にあった。
スピードがでていなかったのでケガはなかったが、シートベルトをしていなかったせいでシートから転がり落ちた。

今俺は23で母より20センチ以上背が高いが、いまだに母と車に乗っていると俺がシートから落ちないように手を出して支えようとする。

69 :おさかなくわえた名無しさん:03/01/01 20:33 ID:Buc7Qa6v
帰省あげ

70 :おさかなくわえた名無しさん:03/01/01 23:53 ID:iZol/rYA
両親の仲がものすごく悪かったから、母親にとって私は唯一の頼りでした。
ものすごく結婚したい彼氏がいたけど、実家が遠いから猛反対で結婚出来ませんでした。

その時はものすごく泣いたけど、その彼氏は私との別れ話を、結局受け入れたんだよね。
親を説得する事もせずに。

結婚して思うけど、ああいうときに努力してくれない人と結婚したら、やっぱり不幸だったと思う。
親に少し感謝。
でも・・・時々思い出すけど。その彼氏を。

71 :おさかなくわえた名無しさん:03/01/02 00:43 ID:5K+71Mim
>>70
親を説得するのは本当は彼ではなく、あなたでしょ。
あなたは彼に何か努力してしてあげてことがある?
人に頼ってばかりで
何て親不孝な子だよ・・・。

スレ違い。

去れ!

72 :おさかなくわえた名無しさん:03/01/03 11:37 ID:a3KSDsY0
禿堂

----------------------仕切りなおし--------------------------------------------

73 :おさかなくわえた名無しさん:03/01/03 11:52 ID:83VXR1dV
−−−−−−−−−−−−−−再開−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

74 :おさかなくわえた名無しさん:03/01/06 03:16 ID:KbMZSv7G
                           ・
                           ・
                           ・
                         停滞
                           ・
                           ・
                           ・
                           ・

75 :おさかなくわえた名無しさん:03/01/06 03:33 ID:+mhFlSXk
何かあったわけじゃないけど。
正月に実家帰ってた1週間。
親のありがたみ、痛い程感じた。
同じ思いの人、多いんじゃないかな。
いつか素敵な人と出会って、子供にもそう思ってもらえるような
家庭を築けますように。

76 :山崎渉:03/01/08 14:51 ID:tzLEl6bX
(^^)

77 :おさかなくわえた名無しさん:03/01/08 21:29 ID:hKLXo6CF
↑こいつは何なんだ?

78 :おさかなくわえた名無しさん:03/01/08 21:57 ID:ddzM/ExC
おばあちゃんが、いつも遊びに行くたびに一万円くれてたの。

おばあちゃん、ボケちゃったんだけど、ものすごいボケるちょっと前に、
家に遊びに行ったら、お財布を一生懸命出してきて、お財布の中の小銭を
かき集めて私に1000円分くらいのお金をくれたの。
おばあちゃん、ボケちゃったからおじいちゃんからお金を取り上げられてて、
全く自由になるお金は無かったんだよね。
それなのに、お財布に残ってる最後のお金を私にくれました。

無茶苦茶うれしかった。
もう5年位前になるけど、一円も使えずにそのままその小銭を持ってます。
まだ生きてるけど、もう私の事は全くわかりません。もっと遊びに行って
おけば良かったな。孫に遊びにきてもらいたくて、一生懸命お金で孫の気を
ひきたかったのだと思います。でも一万円は大金なのでいつも遠慮してたの。
でも、ポケットにねじこむように最終的にはくれてた。

でも、その小銭はなんかおばあちゃんの最後の意志のある贈り物の気がして、
すぐもらっちゃった。まだ80代なのにな。

79 :78:03/01/08 21:59 ID:ddzM/ExC
間違えて送っちゃった。
まだ80代なのにな。もう少し一緒にいろんな話をしたかったです。

80 :おさかなくわえた名無しさん:03/01/08 22:22 ID:lZJR3zys
正月に帰省して両親を回転寿司に連れてった。いままで帰省しても
地元のツレと遊んでばかりで、親にはかまってやることが無かった。

もう働いているのでお金には困ってないから「好きなもの食え」って
言っても、安い光り物しか食わないんだ。しかもちょっとしか食べない。
帰りに、久しぶりに昔すんでた家の近所を通りがかり、地元の神社へ。
20年ぶり位に親と初詣行ったよ。

帰宅してからも「今日のおすしは美味しかった」と何度も何度も言うお袋。
今までかまってやらなくてゴメンナ。ウルセーなんてもう言わない。
この先あと何回連れてけるかわからないけど、長生きしてくれ。

81 :おさかなくわえた名無しさん:03/01/08 23:55 ID:3oy/vRjd
>>80
年が明ける前に↓を貼っとけば良かったな・・・
ttp://cube1192.hp.infoseek.co.jp/kouhakukariba.html

7MBあるからナローな人はやめたほうがいいです。

82 :おさかなくわえた名無しさん:03/01/10 09:45 ID:o3Rmz5FL
????

83 :おさかなくわえた名無しさん:03/01/10 09:48 ID:oZ7pdPLH
>>80
「好きなもの食え」って言っても、安い光り物しか食わないんだ。

。・゚・(ノД`)・゚・。

84 :おさかなくわえた名無しさん:03/01/10 09:52 ID:dnffuLPb
親は子を思い、子は親を思ってる・・。

日本も捨てたものではないね。グッと来たよ。サンクス。

85 :おさかなくわえた名無しさん:03/01/11 17:43 ID:wPsRWx+7
 

86 :おさかなくわえた名無しさん:03/01/13 17:29 ID:+IcAeH35


87 :おさかなくわえた名無しさん:03/01/15 17:23 ID:yijhxF/2
全然ホローリではないのですが。

自分が小学五年生のときに両親が離婚しました。
離婚をするということを母から知らせられたときの
「おかあさんについてきて」という言葉が今でも忘れません。
現在は裕福とは言えませんが、母と姉と弟とそれなりに幸せにくらしています。
生活が苦しいのに専門学校に通う事を許してくれた母。
その学費も先月に完済しました。
今年こそは温泉にでも連れてってあげたいと思います。

おかあさんありがとう。

88 :おさかなくわえた名無しさん:03/01/15 23:37 ID:VMhYqdLm
ホッシュ

89 :おさかなくわえた名無しさん:03/01/17 15:07 ID:XiCPKAw4
 

90 :おさかなくわえた名無しさん:03/01/17 19:01 ID:FF0aRiYH
必死だな。
家族との思い出なんぞ、殺伐としてるべきなんだよ。

91 :おさかなくわえた名無しさん:03/01/19 10:46 ID:DLXAWLDR
そうか?

92 :おさかなくわえた名無しさん:03/01/19 15:51 ID:2ub21R6q
age

93 :おさかなくわえた名無しさん:03/01/19 16:47 ID:wSw4OCF6
>90
周囲にはそういう人もいるから、わからないわけではないけど・・・かわいそうに。

それと感動してしまったあかの他人の話だけど・・・

阪神大震災スレだったかな?
普段仲が悪かった母親が、あのものすごい揺れの中、必死で
覆い被さってくれた、という女性の話。
その女性が以来、「母のためになら死ねると思った」という話に
とても感動してしまった。いいなー

だってもう守ってあげられる母はいないんだもんw


94 :おさかなくわえた名無しさん:03/01/19 17:07 ID:keE8P4ES
。・゚・(ノд`)・゚・。
うちに帰りたくなってきたよぅ…

95 :おさかなくわえた名無しさん:03/01/20 21:24 ID:0uNK410j
子供ができた。母子手帳をもらった。
自分が風疹とか水疱瘡とか全部やったのか、あんまり記憶が無い。
母親はすでに他界。
私が赤ちゃんの頃の母子手帳を形見で持っているので
自分のと見比べながら心の中で対話した。
結局知りたかったことは書いてなかったけどね。

96 :おさかなくわえた名無しさん:03/01/20 21:59 ID:1vdH/X71
実家に子ども達を連れて遊びに行ったときのこと。
石焼芋屋さんが来たので、子ども達と私で走って買いに行きました。
その時実家の母は私たちが買っているすぐそばで庭仕事していました。
「Poro」の子ども服をふたりの子に着せていたのですが、石焼芋屋のおじさんが
目ざとくみつけ
「お〜すごい。Poro着てるな!」と言ったと思ったら、母がいきなり飛んできて
「ちょっと!ボロ着てるとは何事だ!」とおじさんにつかみかかったのです。
私が説明して事なきを得て最後はみんなで大笑いでしたが、石焼芋屋さなにで会うたび
今は亡き思い出します。
孫がボロ着てるなんて言われたと思って、我慢できなかったんでしょうね。


97 :おさかなくわえた名無しさん:03/01/20 22:01 ID:1vdH/X71
今は亡き母を思い出します。の誤りです。96

98 :おさかなくわえた名無しさん:03/01/21 01:02 ID:VoiZ6Ibn
私が中学生の頃、当時高校生だった兄が激しい反抗期に突入。
殴る蹴る、階段から突き落とす…で結構悲惨な日々を送っていた。
祖母が歩いて15分くらいのところに住んでいたんだけど、
心配性だし兄のことを凄く可愛がってたから祖母には言うまい、と母と決めていた。
(結構些細なことまで相談していて、何でも話せる祖母だった)
でも、暴力振るわれる私を見てるだけの母が耐えかねて(体力的に手出しできなかったので)
祖母に泣きながら話してしまった。その後私に会ったとき、
「今だけだから堪忍したってな。あの子も自分でどうしていいか分からないであんたに当たっちゃうんだから。
 ごめんね。ごめんね」
と泣きながら言われた。
私は隠していた事を勝手に話した母に腹が立ったし、祖母が兄のことを一生懸命庇うのも腹が立って
つっけんどんな返事しかしてあげなかった。

何年か経って、兄は反抗期が嘘のように穏やかな人に変身(w
それを見て気が緩んだかのように祖母が発病。
「お兄ちゃん、今ではすごく優しいんだよ。昨日は一緒に映画見に行った」
など、兄と仲良くしてる話をすると本当に嬉しそうだった。
で、ある日。
「○○ちゃん(兄)がだんだん落ち着いていって本当に安心したよ。
 あの頃、●●ちゃん(私)が心配で可哀想で、毎日眠れなかった。
 夜、寝ようとしても寝られないからあんたの家までそ〜っと行ってたんだよ。
 窓の電気が消えてたら『ああ、今日は●●ちゃんはいじめられてない』って安心できて、
 それを確かめて帰ったら不思議によく寝られたんだよ」
と話してくれた。
祖母がそんな事をしていたなんて全然知らなかった私は言葉に詰まってしまった。
祖母がどんなに私のことを心配してくれていたのか、兄の暴力に心を痛めていたのか、
その時の祖母の気持ちを考えると涙がとまらなかった。

おばあちゃん、今でも空から見てくれてる?
私たち、今も仲良くしてるよ。安心してね。


99 :おさかなくわえた名無しさん:03/01/21 01:09 ID:iEoS/wDj
>98
感動、というより前半部分の兄の暴力シーンの方が印象的。
つーかコワイよう・・・

過去のこととはいえ、そんなんでマジで仲良くできるのかぁ?

100 :おさかなくわえた名無しさん:03/01/21 01:11 ID:i1tGqU5A
オイこそが 100げとー

101 :98:03/01/21 01:15 ID:VoiZ6Ibn
>99
いや、やっぱり今でも思い出すと腹立つよ〜(w
でも、もともと穏やかで物静かな人で、明らかに「反抗期」って分かったからね。
反抗期っつっても1年弱で本当にぴたっと治まったし
物の怪でもついてたんでしょ、と割り切ってます。

102 :('A`):03/01/21 01:22 ID:CQTKeLcR
ショウユ カッテキテ....
J( 'ー,`)し       (`Д)イソガシンダヨ!
 ( )         ( )

 エキマデ ノセテッテ.....
J( 'ー,`)し       (`Д)イソガシンダヨ!
 ( )         ( )

 アサゴハン.....
J( 'ー,`)し       (`Д)イソガシンダヨ!
 ( )         ( )

 イヌノサンポ.....
J( 'ー,`)し       (`Д)イソガシンダヨ!
 ( )         ( )

__
 毒 |
 家 |
 墓 |  ∴  ('A`)カーチャン.....
──┐ ∀  << )


103 :おさかなくわえた名無しさん:03/01/21 01:45 ID:v1JLCzBe
入院中の父とは筆談しか出来ない状態だった。
ときどき私がすごく意地悪になっちゃって、「もう、こんな生活やだ!」とか、
「もう、入院なんてしないでよね!」なんて、最低のクズ人間になってた。
筆談で使ってたノートには、そんなケンカの跡も残ってる。
だんだんと父の筆跡は弱々しくなってって。
看取ってから何年も過ぎたけど、まだ時々、涙が止まらなくなる。 
世界で一番私を大事に思ってくれたのは父だったのに。 
やり直せるなら、父が苦しまずに安らかに往生できたなら、
私はあと1年で死んでもかまわない。

104 :おさかなくわえた名無しさん:03/01/21 02:06 ID:v1JLCzBe
スレ違い・・・スマソ 
全然ホローンとしない話じゃ。

105 :山崎渉:03/01/21 02:45 ID:2zhMxjvP
(^^;

106 :おさかなくわえた名無しさん:03/01/22 19:09 ID:er/UjGLB
さっき、ニュー速+で見つけてきた奴、多分コピペだろうけど
貼らせて下さい。

私が23歳の頃、就職1年目の冬、私の誕生日の日のこと。
職場の人たちが「誕生パーティーをしてあげる!」というので、家に、「今日は遅くなるよ。
ゴハンいらないから。」と電話を入れたら、父が「今日はみなさんに断って、早く帰ってきなさい。」
と言う。「だってもう会場とってもらったみたいだし、悪いから行く。」と私が言うと、いつもは
温厚な父が、「とにかく今日は帰ってきなさい、誕生日の用意もしてあるから。」とねばる。
「???」と思いながら、職場のみんなに詫びを入れて帰宅した。
家にはその春から肋膜炎で療養中の母と、電話に出た父。食卓にはスーパーで売ってるような
鶏肉のもも肉のローストしたみたいなやつとショートケーキ3つ。
「なんでわざわざ帰らせたの!私だってみんなの手前、申し訳なかったよ!」と言ってしまった。
父は何か言ったと思うが、覚えていない。母が、「ごめんね。明日でもよかったね。」と涙ぐんだ。
私は言い過ぎたな、と思った。でもあやまれず、もくもくと冷えた鶏肉とケーキを食べて部屋に戻った。
その2ヶ月後、母の容態が急変し入院した。仕事帰りに病院に行くと、父がいた。廊下の隅で、「実は
お母さんは春からガンの末期だとわかっていたんだよ。隠していてごめんね。」とつぶやいた。
呆然として家に帰ったあと、母の部屋の引き出しの日記を読んだ。あの誕生日の日のページに
「○子に迷惑をかけてしまった。」とあった。
ワーッと声を出して泣いた。何時間も「ごめんね。」といいながら泣いた。夜が明ける頃には
涙が出なくなった。すごい耳鳴りがした。
4,5日して母は死んだ。仕事をやめて、看病していた父も数年前に死んだ。
父が準備したささやかな誕生日パーティーをどうして感謝できなかったのか。
母にとっては最後だったのに、、、。
父も数年後に死んだ。こんな情けない自分でも、がんばって生きている。 



107 :おさかなくわえた名無しさん:03/01/22 21:39 ID:G8mlv5vS
> 106
http://members.tripod.co.jp/hiroshu29/log_horori.html
からのコピペだね。ちなみに前スレですのだ

108 :おさかなくわえた名無しさん:03/01/22 21:48 ID:1t1TA9RY
大学に入って一人暮らしを始めたんだけど、実家から米とか送ってくる
ダンボールの中には、祖母からの手紙がかならず入ってた。
便箋1枚の短い手紙なのに、「元気で」とか、「病気にならないように」
とかが、何回も何回も出てくる。
俺は小さい頃ぜんそくで、両親が友働きだったから、発作がでると、祖母に
病院に連れて行ってもらってたんだよね。
そんなに心配しなくても、もうぜんそくは治ってるよ、ぐらいにしか思ってなかった。

そんな祖母が急死したのは、もう5年も前になる。

祖母の葬式のあと、形見わけがあった。
俺がもらったのは、俺が消防んときに書いた絵だった。
おばあちゃん、長生きしてください。
そう書かれたへたくそな絵は、箪笥の中に、大切にしまわれていたんだそうだ。

「○○(俺の名前)に背負われて、病院に行くのが夢なの」
って言ってた、ばあちゃん。
死ぬ数ヶ月前に帰省したとき、何度も何度も同じことを言うから、
遊び半分で背負ってあげた。
びっくりするくらい、軽かった。

結局、病院に連れて行ってあげることもなかった。
なんで、もっとばあちゃんと一緒にいてあげなかったんだろうな。

109 :おさかなくわえた名無しさん:03/01/22 22:00 ID:0X9Dh4oD
上京している僕は年末に帰省した
いつものようにささいなことで父と喧嘩をし、口も聞かなかった
年末の冷え込みで風邪をこじらせていた父。正月明けまで病院は休館だったたので家で休んでいた
正月明け、僕は内地へ戻る日だった。その日、先に家を出る父が、一言「じゃあ、がんばってね」といい、出ていった
ぼくは相変わらずしらんぷりをした
それから一月後、父は肺炎で死んだ
いつの瞬間も、この父の言葉をたよりに僕は頑張って生きている。


110 :おさかなくわえた名無しさん:03/01/24 09:52 ID:5RuNOgGc
hyakusiki

111 :おさかなくわえた名無しさん:03/01/25 14:46 ID:CvGXbvWW


112 :おさかなくわえた名無しさん:03/01/25 23:13 ID:1Syj4R4e
気に入らない事があるとすぐに手を上げる母。
子供の頃、私にとって母親という存在は恐怖でしかなかった。
二つ違いの弟と一緒に、竹刀を持って追いかけ回してくる母から
必死で逃げた。
布団にホウキ、掃除機の柄、丸めたカレンダーやハンガーなど、
母の武器になりそうなものを二人で隠し
「これでもうおかあさんは私たちをぶたないね」と言いながら眠った。


大学生になり地元を離れた今、その時の母の気持ちは理解できる。
きっと母は子供とのコミュニケーションの仕方が分からなかったんだと思う。

幼い頃、母の両親(私からしたら祖父母)は離婚した。
母は父親についていったらしい。
まだ幼かった母は、母親の愛情を感じることなくそのまま大人になって
私たちを産んだ。
母親に育ててもらわなかったから、育て方が分からなかったんだね。
虐待じみたことをされていた時は、それはもう憎くてしょうがなかったけど、
あの頃は生まれたばかりの妹がいたんだよね。
聞き分けの無い私と弟と、生まれたばかりの妹と…
そんな状況になったら私だってどうしていいかわかんないもん。

電話口で寂しそうに「早くこっちに帰ってきなさい」って言ってくれるだけで
私は嬉しい。 



113 :おさかなくわえた名無しさん:03/01/25 23:23 ID:EC7ta9ih
このスレ、うぜーよ。

114 :おさかなくわえた名無しさん:03/01/25 23:55 ID:NjQA6ETQ
このスレ読んでいると家族大事にしなきゃって
再認識させられる。
もうお嫁に行って離れ離れになってるけど
お母さんや、おばあちゃんに手紙でも書こうかな。

115 :おさかなくわえた名無しさん:03/01/29 21:57 ID:tiLXvFvw


116 :おさかなくわえた名無しさん:03/02/02 15:38 ID:O9PjHklS
 

117 :おさかなくわえた名無しさん:03/02/03 00:09 ID:Gb3ei8jG
私が幼稚園ぐらいの時に、父の会社が倒産。
父の実家に移り住むとともに、今まであまり働いたことのない母も働き始めました。
もう、淋しくて淋しくて、車で帰ってくる母を通りで待ってたりしました。
今の私の年齢は当時の母と同じぐらいですが、母はなんて強くて明るかったんだろうと
感謝の気持ちでいっぱいです。

反対を押し切って上京して、もう4年経ちます。
この前職場でつらいことがあって、部屋を出て外の景色を眺めていたら
母の顔が浮かんできて、涙が止まらなくなっちゃいました。
なかなか席に戻れなくて大変でした。

118 :おさかなくわえた名無しさん:03/02/04 15:24 ID:T5TEsO8G
お母さんは大事に

119 :おさかなくわえた名無しさん:03/02/05 20:06 ID:ct7vAMae
うちのお父さんはちょっと変わってて感情表現が下手。
やけにはしゃいでべたべたするから、照れくさくて「来るな〜!」とかいっちゃう。
でもお父さんって私や弟が読んでる本やCDとか、一回好きって言うと、
それをシリーズで揃えてくれたりする。
仕事の帰りに一冊ずつ買ってきて、それを私たちが取りあいして読んでるのが、
嬉しいみたいだった。
うちは弟も私もお母さんっ子だし、寂しいんだろうな。
今は私は、大学にはいったから一人暮らし始めました。
お父さんが毎日電話かけてきて、
「もしも〜し、じゃ、母さんにかわるぞ」ってすぐ変わって、
「お父さんがかけるっていってきかないのよー用はないのに」ってお母さんが言う。
毎日そんな感じ。
でも、お父さんが別に何も買ってくれなくてもほんとは大好きなんだよー。
あーてれくさっ!!

120 :119:03/02/05 20:08 ID:ct7vAMae
なんか、お父さんの行動っていつもわかりやすいんだけど、
気づいたふりをして優しくしてあげるってのが照れくさくてできない。
気づかないふりしちゃう。
そんな私は電話口ではすごいふきげんそうにしてるけど、
実は家からの電話は元気のもと。

121 :おさかなくわえた名無しさん:03/02/05 20:13 ID:owu9Cv+k
ウザイ

122 :おさかなくわえた名無しさん:03/02/05 23:09 ID:zUQ8QOMr
父親が苦手、というか嫌いで正直口もききたくなかった。
なので顔を合わせても必要最低限のあいさつと会話しかしなかった。

ある日夜遅くなったので母親に車で迎えに来てもらおうと
電話をかけたらオヤジが出た。
「しもしも〜。しもしも〜。お父さんです〜」


わたし絶句。
しかし「しもしも〜」を続けるオヤジ。


パンチパーマのあんたが言うな・・・。と呆れ果てたが、
こういう風にしかコミュニケーション取れないんだ・・と
ふと自分が壁を作りすぎてたことに気付いて反省しますた。


まだまだ嫌いですが、なんとかやってます。
でももう「しもしも」ヤメレ。

123 :おさかなくわえた名無しさん:03/02/05 23:40 ID:t26Ph5pl
>>122
分かる。
母とは仲いいけど、父とは話すこともない。
反抗期に口きかなくなって、今に至ってるカモ・・・
たま〜にオヤジギャグ言ってたけど無視してたら本当に話さなくなった。
あの時はコミュニケーションとろうとしてたのかな。

新宿で火災があって死傷者がでたっていう事件のとき、朝っぱらから電話きたっけ。
「オイ、新宿行ってないよな?」
「行ってない」
「フーン。じゃあ」

話すことねー!長年の溝はうまらん!

124 :おさかなくわえた名無しさん:03/02/06 01:48 ID:QGWa/M7T
>>122-123
kansya no kimochi wo wasureruna.

125 :おさかなくわえた名無しさん:03/02/06 16:47 ID:8ab0bZeN
ここの>>119は今日輝いていたレススレで認定されたみたいよん・・・

126 :おさかなくわえた名無しさん:03/02/06 16:54 ID:wgqk8R7V
>>125
そんなスレあるの?どこ?

127 :おさかなくわえた名無しさん:03/02/06 16:55 ID:+hFUlt23
>126
ガイドライン板行ってみ

128 :おさかなくわえた名無しさん:03/02/06 17:04 ID:wgqk8R7V
>>127
見てきた。どーも。
痛いと思ったのは自分だけか。

129 :119:03/02/06 19:03 ID:j/zekjL9
。・゜・(ノД`)・゜・。
これなに??コピペのパクリ?なんかいやだよー
かなしいです。。。

81 名前:水先案名無い人 投稿日:03/02/05 23:46 ID:3bOCq1vF
19歳(推定)。
去年まで高校生だったけど、下手な感情表現とお母さん子で
二年で毎日電話。一度やってみなよ。
初回のみだけど、一回好きって言えばシリーズで(4000円くらい)貰える。
もらうだけもらってプレイせずに気付かないふりしちゃうこともできるし、電話口では
すごいふきげんそうにしてれば50パーセントで元気のもと。
お父さんが何も買ってくんなきゃあーてれくさっ!!。暇つぶしになる。
照れくさくて「来るな〜!」とか弟との取り合いとか色々あるのでマジでお勧め。



130 :おさかなくわえた名無しさん:03/02/06 20:59 ID:8h0pdtcB
両親が共働きだった事もあって、小さい頃は根っからのおばあちゃん子だった私。
毎日、学校から帰ると、その日の出来事をおばあちゃんに話し、
褒めてもらったり、助言をもらったりするのが私の日課だった。
私が10歳になる前におばあちゃんは死んだけど、
その時はおばあちゃんが死んだっていう実感が湧かなかった。

おばあちゃんの葬式から一ヶ月くらい経ったある日、私の描いた絵が市のコンクールに入選し、
朝礼で校長先生から表彰され、賞状をもらった。
私は褒めてもらいたくて、その日は駆け足で家に帰ったけど、
家についてから、いつも私を褒めてくれてた、おばあちゃんはもういない事を思い出した。
私は急に悲しくなって、
手にしていた賞状をくしゃくしゃに丸めて放り投げると、うずくまってわんわん泣いた。

131 :おさかなくわえた名無しさん:03/02/06 21:18 ID:LkitiTmK
勉ちゃん一言くらい喋ってもいいじゃねーか?

132 :おさかなくわえた名無しさん:03/02/06 21:18 ID:LkitiTmK
NICE誤爆!俺。

失礼しました。

133 :おさかなくわえた名無しさん:03/02/07 00:04 ID:cXjP8GNf
>>119
亀レスだけど気持ちすごく分かる。
うちの父、私が某バンドにはまってた時、「あんなもん何が良いんだ」と言ってさんざんけなしました。
でもそのバンドのCDが出る次の日、「知り合いから貰ってきた」って
初回限定で付いてるグッズを何度かくれました。
初めて貰ってきてくれた時は、「あ、それ昨日買った時に付いてたから持ってるよ」と言ってしまって、
ちょっとショボーン(´・ω・`)とさせてしまった。それ以降は持ってても貰うことにしました。

今は私も独り暮らし中。あんまり電話とかできなくてごめん。

134 :おさかなくわえた名無しさん:03/02/07 09:28 ID:VJQnA8vZ
>98
泣けた…(つд`)

135 :119:03/02/08 02:00 ID:O3792DMn
>>133
そんなことがあったんだ。ホローリ
私はそんなときも不機嫌そうに受け取ってしまいます。
でも大事にしてるのを見つかると照れくさいのでコソーリ大事にしてる。。。
昨日彼氏と別れちゃって、なんかとてもつらかったので実家に長電話してみたよ。
やっぱり家族と話してると癒されます。。。。・゚・(ノД`)・゚・。

136 :133:03/02/08 13:19 ID:UZmqYME7
>>135
私の場合、母に対してはすごくぶっきらぼうに接してしまうけど
父に対してはあまりそういうのがないです。
照れくさくて言えないことが沢山あるって点ではどっちも同じなんだけど。

家族と話すのはホントに癒される。会いたいけど今度の休みは帰るの無理そう。ショボーン


137 :おさかなくわえた名無しさん:03/02/08 16:56 ID:Tedd5/1j
ある日おばあちゃん家に泊まって夜更かしをしていたら、おじいちゃんが
2時頃に夜遊びから帰ってきて居間でテレビ見ていた私の横に座った。
そしてポツリと
「おじいちゃんもう体ボロボロやから3年も生きられへんねん…」
といった。ヤクザみたいに怖い顔のおじいちゃんが泣いていた。

それから4年…おじいちゃんは入退院を繰り返してます。
「お前が大学受かったらおじいちゃんも治るから」って言ったよね?
大学受かったよ!だから早く元気になってよ…

138 :おさかなくわえた名無しさん:03/02/08 20:55 ID:4WUVuhf2
>>437
。・゚・(ノд`)・゚・。ゲンキニナルトイイネ

うちのじいちゃん達ばあちゃん達も元気でいるかな。
今でも四人揃っていてくれて、幸せだよ。長生きしてね。

139 :138:03/02/08 20:57 ID:+9eGN8pU
>>437じゃなくて>>137でした(´・ω・`)

140 :おさかなくわえた名無しさん:03/02/09 21:41 ID:i+1K9BMf
岡山の二人の子も、生きてればこんな思い出できただろうにな……

141 :おさかなくわえた名無しさん:03/02/09 23:00 ID:QL9CyVd4
娘がインフルエンザから来る風邪で1週間入院した。私も一緒に付き添いだったん
だけど、パパの待ってる家に帰りたいって泣くの。すごく。

で、私も小さい時に入院して母親が付き添っていた事があるんだけど、母親が
「一度も帰りたいって言わなかったね。あなたは。」
っていつも言ってて、あたりまえじゃんってただ思ってた。
でも、よく考えると父親が母親をよく殴っていたので、母親を独占してるし
父親から守ってあげられるから、入院期間中に楽しかった思い出ばかりが
思い出されるんだよね。

今、家に帰りたいと言う自分の子供は、我が家がとても幸せな家庭だと思って
くれてるんだろうなって思うと、嬉しくて泣けてきた。
それと同時に、小さい頃の自分にもヨシヨシしてあげたくなった。
将来は幸せになれるんだからねって、昔の自分に言ってあげたい。

142 :おさかなくわえた名無しさん:03/02/09 23:04 ID:zTuF+qw5
小2の娘が私の実家の父と電話していた。
他愛のない話で、おじいちゃんと孫の会話。
側にいた私は風邪を引いていて時々咳き込んでたの。
電話で父が「誰が風邪を引いた?」と聞いたらしかった。
「あのね、おかあさんが風邪引いてるの。
 だけどね、このまえ○○(子供の名)が風邪引いてお熱出したでしょう?
 それでね、ずっとおかあさん看病してくれたしね、
 ずっとおんなじお布団で寝てたから、お母さんに移っちゃったの。
 おかあさんが悪いんじゃないんだよ。」
どうやら「子供に風邪を引かせたのか?」と心配した父はちょっと私に文句でも言おうとしたらしい。
だけど娘が一生懸命に私を庇おうとしてるのを聞いて
子供の前だけど泣きそうになった、あんまりうれしくて。
普段はわがままの甘えん坊の娘が、必死に私を庇う言葉はうれしかった。

結局娘から受け取った受話器から聞こえたのは
「はよう治しや」の父の声でした。

143 :おさかなくわえた名無しさん:03/02/10 05:57 ID:jxyUlSyX
>>141
今幸せでよかったねえ(ノд`)羨ましいよコンチキショウ

144 :おさかなくわえた名無しさん:03/02/10 15:59 ID:I2uZgAjq
>142
子は宝・・・本当に・・・

145 :おさかなくわえた名無しさん:03/02/11 02:07 ID:bQjlOMXZ
90歳を過ぎてもボケにはほど遠く、元気だった曽祖父は、
「150歳まで生きる!」とよく言っていました。
そして、特に可愛がってもらった私や従姉に、
「結婚する前に相手を連れておいで。いい男かどうか、おじいちゃんが見てあげるから。」
と言ってくれました。
元気だったから、それから1年も経たずに亡くなるなんて思って無かったよ。

私が結婚する時、旦那になる人を連れて、曽祖父の仏壇のある遠縁の親戚の家に行きました。
曽祖父の仏壇のある家は「祖母の実家」にあたる遠縁の家なので、
母も祖母も「わざわざ結婚の挨拶に行かなくてもいい。」と言ったけど、
どうしてもおじいちゃんに、私の旦那になる人を見せたかったんだ。
だって、おじいちゃんが見てくれる約束だったから。

ねえ、おじいちゃん。
私の旦那は、おじいちゃんから見ていい男ですか?

146 :おじいちゃん:03/02/11 02:22 ID:cNENer1D
>>145

イマイチじゃのぅ・・

147 :おさかなくわえた名無しさん:03/02/11 03:43 ID:e9luyq/9
ブサイク旦那age!

148 :おさかなくわえた名無しさん:03/02/11 09:28 ID:O5BjizjD
>>145
あなたが選んで人ならおじいちゃん喜んでくれてるよ〜!
良かったねぇ。

149 :おさかなくわえた名無しさん:03/02/11 22:10 ID:dUp7ig8U
>>146
じーさん そりゃねーぜ(藁

150 :おさかなくわえた名無しさん:03/02/11 22:31 ID:rWzLRCA7
小学校の社会の授業中、普段は生徒のいい兄貴っぽい担任が
急に憲法第9条を熱く語り始めたのです。人格が変わったように。
「俺は自衛隊が大っ嫌いだ!」と担任。
私の父は自衛隊だったので「私のお父さん自衛隊だよ」と言ってみたら
担任は「そうだ、俺はおまえのお父さんも大嫌いだ」と言いました。
その時私は平気な振りをしていましたが、家に帰り、泣きました。
帰宅した父に、「お父さん、なんで自衛隊なの?
自衛隊なんかやめてよ!お父さんのせいで先生に怒られた!」
と泣いて困らせました。父はその時、黙っていました。
それから10数年後、
私が彼氏(今の旦那)と結婚したくて紹介しようとしたら、
反対していた父。糞オヤジと思った。
でも数ヶ月たってから急に許しをもらった。
その時父は「俺は自衛隊なのにいいのか?」って。
彼氏の親が高校教師だってこと、前に話していたから、
私が彼の親に変な目で見られたら苦労すると考えていたもよう。
そんな父が先日心臓のバイパス手術をした。
生死をさまよっている間、あの時なぜ一言謝れなかったのかと
涙が止まらなかった。明日、謝ってみる。長分スマソ。

151 :おさかなくわえた名無しさん:03/02/12 08:34 ID:Qe6zzWkO
子供の頃は仲悪かった兄。
でもサンタさんの存在を、折れにばらさないでいてくれたという話を
母から聞いた時はチョト感動した。

152 :おさかなくわえた名無しさん:03/02/13 03:12 ID:MXuNLKbT
>>150
それはその担任の方がドキュ。
小学生に面と向かって親の悪口言うのが大人の(しかも
教師の)することか?許せん!
ガチガチの日教組原理主義者の被害に合っちゃったんだね。

お父さん、手術うまくいってよかったね。お大事に。


153 :おさかなくわえた名無しさん:03/02/14 17:34 ID:pmduS5mS
片づけをしていたら現像していないフィルムがころんと出てきたので
早速写真屋さんに持っていって現像してもらった。
見たら数年前のもので、子供がまだまだ幼い顔で、
ペットと転げまわってたり、わざとしかめ面してたり、そんな写真ばかり。
今は成長してちゃんと自分の周りにプライベートスペースをとる子供が
旦那に肩車してもらってたり、抱っこしてもらってたり
私とも手をつないで、ひっついてるの。
子供が帰宅して写真を見て、懐かしがって騒いでるのを聞くのは
幸福なことなんだろうね、多分。
今日は何か子供達の好物のおかずにしようかな。

154 :おさかなくわえた名無しさん:03/02/17 01:35 ID:Ggh3S1XI
age

155 :おさかなくわえた名無しさん:03/02/20 18:57 ID:n2q4zngk
思い出してトローリ

156 :おさかなくわえた名無しさん:03/02/20 19:49 ID:nWcIIq2d
同居していた祖父は子どもの頃とてもこわくて、厳しくてよく殴られた。
大学に入ってからは家を出てあまり寄りつかなかった。

三十路を越えて正月に帰省していたら
ちょっとボケの始まった祖父がやってきた。
また小言を言うのかと思っていたら、
「昔の部屋で寝るのか?あそこは寒いし一人では寂しいだろう。
もう一組布団を敷いてあげるからうちの部屋で寝なさい・・・」
と何度も言うのだった。

東京に戻る電車の中でちょっと泣いた。

157 :おさかなくわえた名無しさん:03/02/23 22:19 ID:7ZZfuDt6
「一生モノが欲しぃ」より転載
http://life2.2ch.net/test/read.cgi/kankon/1044882897/36
--------------------------------
36 :おさかなくわえた名無しさん :03/02/10 23:26 ID:2C78mh/g
小さい頃、祖父が大切にしていた方位磁針。
俺は大学受験に失敗。自暴自棄になりふらふらしていた。
そんな時、わしはもう遠くへ行く事はないからこれは必要ないが
お前は今道に迷っている。進むべき道を誤るな。
みたいなことを言ってその方位磁針をくれた。
今となっては形見なんだが、これが俺にとっての一生ものだと思う。


158 :おさかなくわえた名無しさん:03/02/26 12:28 ID:9mcCGQ19
お母さんの作ってくれた弁当スレも泣ける・・・・。

159 :おさかなくわえた名無しさん:03/03/01 12:07 ID:Y9FRMDv5
母親が死んだ夢を見た
アルバムをみてずっとぼろぼろぼろぼろ泣いている夢だった
もう4年も経ったのに

160 :おさかなくわえた名無しさん:03/03/01 21:14 ID:8exEsgeL
スレ違いかも。
私は小学低学年のとき好き嫌い(ほとんど食べず嫌い)がかなりあった。
また、マセガキだった私は祖母の部屋で夜9時からの2時間ドラマを見るのが大好きだった。
ある日《母ちゃんが死んでしまい、父子は淋しい食事を送る。
ある時母ちゃんの漬物を見つけ、ふたりで泣きながら取り合って食べる》というシーンを見た。
その時私は人がいつ死ぬかわからないこと、母が死んだら母の料理は食べられないことに気づき、好き嫌いは全部は治らなかったが食べず嫌いはほぼ治った。
日々の食事に感謝。

161 :160追加:03/03/01 21:43 ID:zI0vKQHt
オナニーしないと寝れない子だった私がその日ばかりは泣き疲れて就寝したよ。
あと、小4のときに陰湿なイジメのリーダーだったことがバレて学年中の問題になった時に涙を流しながら被害者宅に謝りに行ってくれた父母に感謝。
父とは諸事情で仲最悪だけど、母のためにも仲直りしようかと思った、このスレ見て。

162 :おさかなくわえた名無しさん:03/03/01 21:48 ID:KoJWAlhx
数年前、漏れが吉原で体験したこと。
入店して待合室に通されると、オバサンが数人の客と話をしていた。
スポーツ新聞を読みつつ聞き耳をたてていると、全盲の息子が筆下ろしをしたいと言うので
付き添いで来たらしい。
オバサン(以下母)は色々心配事を口にしていたが、話し相手の客数人は「大丈夫」「心配しなくていいよ」
となだめていた。
暫くたって奥から白杖持った青年と姫が待合室にやってきた。
革靴はピカピカで結構いい服をきている。この日のために揃えてあげたのだろう。
母はソファから飛び出して姫と軽く会釈したあと、「どうだった?いいこと出来た?」
青年「うん。よかったよ。このお姉さんのおかげで」
実は姫を指差すつもりが別の方向だったので、姫が素早く指した方向に移動。
母は顔をくしゃくしゃにして泣きながら「あんたよかったね〜!!」と背中を何度もさすっていた。
客も拍手したり「よかったなあ」と激励していて、今まで無口だった893風の客まで立ち上がって
青年の肩をポンポン叩きながら「あんたも一人前の男になったぞ」と祝福していた。
姫も感動して泣いていた。実に素晴らしい光景。
涙腺の弱い漏れは新聞で顔を隠しながら泣いた。

163 :おさかなくわえた名無しさん:03/03/01 22:02 ID:gX+5gu+j
>162
男は大変だなあとおもったけど
いい話だ。
姫もできた人だと思う。
漏れも拍手。パチパチ。

164 :おさかなくわえた名無しさん:03/03/01 22:38 ID:FbjCY2gy
>>162
何度も見飽きたコピペ貼るなよ…

165 :おさかなくわえた名無しさん:03/03/01 23:30 ID:v8GJQY0p
>>164
まぁまぁ、良い話のコピペなら良いじゃないか。
初めて読む人だって居るんだし、初見の人のためにも静かに見守ってあげようや。

166 :世直し一揆:03/03/02 20:37 ID:DfZO6nMj
 <血液型A型の一般的な特徴>(見せかけの優しさ・もっともらしさ(偽善)に騙され
るな!!)
●とにかく気が小さい(神経質、臆病、二言目には「世間」、了見が狭い)
●他人に異常に干渉し、しかも好戦的でファイト満々(キモイ、自己中心、硬直的でデリカシーがない)
●妙に気位が高く、自分が馬鹿にされると怒るくせに平気で他人を馬鹿にしようとする
(ただし、相手を表面的・形式的にしか判断できず(早合点・誤解の名人)、実際にはた
いてい、内面的・実質的に負けている)
●本音は、ものすごく幼稚で倫理意識が異常に低い(人にばれさえしなければOK!)
●「常識、常識」と口うるさいが、実はA型の常識はピントがズレまくっている(日本
の常識は世界の非常識)
●権力、強者(警察、暴走族…etc)に弱く、弱者には威張り散らす(強い者にはへつらい、弱い者に対してはいじめる)
●あら探しだけは名人級でウザイ(例え10の長所があってもほめることをせず、たった1つの短所を見つけてはけなす)
●基本的に悲観主義でマイナス思考に支配されているため性格がうっとうしい(根暗)
●単独では何もできない(群れでしか行動できないヘタレ)
●少数派の異質、異文化を排斥する(差別主義者、狭量)
●集団によるいじめのパイオニア&天才(陰湿&陰険)
●悪口、陰口が大好き(A型が3人寄れば他人の悪口、裏表が激しい)
●他人からどう見られているか、人の目を異常に気にする(「〜みたい」とよく言う、
世間体命)
●自分の感情をうまく表現できず、コミュニケーション能力に乏しい(同じことを何度
も言ってキモイ)
●表面上協調・意気投合しているようでも、腹は各自バラバラで融通が利かず、頑固(本当は個性・アク強い)
●人を信じられず、疑い深い(自分自身裏表が激しいため、他人に対してもそう思う)
●自ら好んでストイックな生活をしストレスを溜めておきながら、他人に猛烈に嫉妬
する(不合理な馬鹿)  
●執念深く、粘着でしつこい(「一生恨みます」タイプ)
●自分に甘く他人に厳しい(自分のことは棚に上げてまず他人を責める。包容力がなく冷酷)
●男は、女々しいあるいは女の腐ったみたいな考えのやつが多い(例:「俺のほうが男
前やのに、なんでや!(あの野郎の足を引っ張ってやる!!)」)

167 :おさかなくわえた名無しさん:03/03/02 22:30 ID:K0b99ZqG
ちなみに>>166のコピペは(゚A゚)イクナイ!

168 :おさかなくわえた名無しさん:03/03/06 04:06 ID:wPZlBU/t
高校生だった頃の話、学校の帰りに雨が降ってきてしまって母に駅まで迎えにきてもらったら
買物があるというのでコンビニ寄りました。
いろいろカゴに入れてレジに行って会計してもらってる最中に母が
「あらやだ!どうしよう」と言い出しました。
どうやら母は急いで出てきたため財布の中身を確認してなくて1,000円札と小銭しか持ってなかったんです。
買ったものは合計3,000円ちょっとでした。
レジ打ってた男性も、不機嫌そうに「足りないんですか…」と呆れた顔。
つづく

169 :つづき:03/03/06 04:08 ID:qgWhEYQU
ちょうど私が定期代のおつりを持っていたのでそれで払ったら帰りに母が
「ごめんね、恥かかせちゃったね…帰ったらお金返すからね」と涙目で言いました。
私はそんなこと気にしてなかったですが、母は早くに父親を亡くして母子家庭だったため
お金がないのは恥ずかしいことと思っていたようなんです。
家に帰って母は私に1万円もくれました。
いらないって言っても「いいから取っておいて」と渡してくれました。
今私は自営なんですが仕事で成功したら楽させてあげようと思います。

170 :おさかなくわえた名無しさん:03/03/06 05:07 ID:OB4a7ZPE
この前、捜し物をしてて母の鏡台の小さい引き出しを開けたら使用済みテレカや
アクセサリーや保証書、ロッカーの鍵などいろんな物が出てきました。
その中に数枚の電車の切符があるのを発見!
行き先は新橋だったり王子だったり、結構古いものでした。
きっと父が取っておいたのだろうと思って切符の日付を見たら全部の切符の日付が私の誕生日の日付でした。
父は私の誕生日の日付だった切符をわざわざ取っておいたんです。
今まで仲が悪かった(というか私の方が父を避けていた)んですが、これを見て父の気持ちが全部わかったような気がして
涙が止まりませんでした・・・

171 :おさかなくわえた名無しさん:03/03/06 10:19 ID:0oX6naQa
お父さんがお父さんになった記念日ですね

172 :おさかなくわえた名無しさん:03/03/06 12:36 ID:cTHmbIxJ
素晴らしい……ステキなダディ……。

173 :おさかなくわえた名無しさん:03/03/06 20:25 ID:Nv8KKF4J
.゚.(ノД`).゚.

174 :おさかなくわえた名無しさん:03/03/07 02:14 ID:jklq8WKF
>169
あなたのレスを読んで思い出しました。

我が家は私が大学生の頃火事になり、家が立つまでの間親戚の家に間借りさせてもらっていました。
うちは、両親と兄貴と僕。その家は両親と娘1人。
その家の人も僕らが遠慮しないで良いように随分気を使ってくれていました。
で、間借り開始後一ヶ月程した頃、僕が遅く帰って夕飯を食べていて、
母に「おかわり」と言ったら「ごめん、もうないの」と言われました。
その家とうちでは白米を炊く量が全然違ったため、うちの分を考慮して多めに炊いてくれていたけど
それでも足りなくなった(まあ、一杯は食べられたわけですが)んです。
だから僕が「じゃあ、いいよ」と言ってあてがわれていた部屋に戻った時に
片付けを終えた母が追いかけてきました。
顔を見ると泣いていて、ビックリしていると、
「ごめんね。あんた達(兄貴と僕の事)にご飯我慢させるような事だけはしたくなかったのに…」
と言ってまた泣いています。

日頃から子供と過ごすのが大好きな母でしたが、あの時ほど母の有難さを感じた事はありません。
自分の家が無くなった悲しさも。
僕もあなたと同じように、必ず母さんを楽させてあげよう、楽しい思いをたくさんさせてあげようと思いました。


母は、僕が就職するのを見届けて安心したように病気で亡くなりました。
「母さん、ずるいよ。孝行するチャンスくらい俺にもくれよ」と、向こうで会った時に言ってやるつもりです。

あなたは頑張って下さいね。

175 :おさかなくわえた名無しさん:03/03/07 02:26 ID:mymaecFT
>174
。(ノД`)゚.・。゜

私も家族大事にするよ。ママンいつも美味しい御飯有り難う。
いつも素直になれなくてごめんね(´・ω・`)

176 :おさかなくわえた名無しさん:03/03/07 02:53 ID:zJZM8mzy
おばあちゃんがずっと入院してたんだけど、俺は行かなきゃなと思いつつもあんまり見舞いに行かなかった。ある日の授業中いきなり先生に呼び出された。

177 :おさかなくわえた名無しさん:03/03/07 02:58 ID:5fbmk+BO
おばあちゃんが亡くなったから、帰る準備してとのことだ。やっと状況が受けとめることが出来た数時間後、俺は一人ベッドの上で「ごめん」を言い続けながら泣きまくった。

178 :おさかなくわえた名無しさん:03/03/07 03:00 ID:KhDr4cZY
俺が幼い時父に叱られたら必ず慰めてくれたおばあちゃん。ごめんな。本当にごめんな。

179 :おさかなくわえた名無しさん:03/03/08 01:14 ID:syDTh1iT
親孝行したい時には親はなし

この言葉胸に突き刺さるな・・・

180 :おさかなくわえた名無しさん:03/03/08 01:22 ID:lKsJllu2
この前のひな祭りにおじいちゃん家に遊びに行ったら、飾ってあった雛人形が
私が保育園で作った紙の雛人形だった。
今25才。
20年間もあんな下手な雛人形とっといてくれたのにびっくりして、うれしいやら恥ずかしいやら…。

181 :おさかなくわえた名無しさん:03/03/08 17:37 ID:rutbfGCi
普段はお菓子作りなどしないが、無農薬の夏みかんを買ったので
本を見ながらオレンジピール(砂糖で煮た皮を干し、グラニュー糖を
まぶしたお菓子)を作った。一口食べたらすごく懐かしい味がして
幼い頃母がよく作ってくれたことを思い出した。

幼い頃、和菓子も洋菓子も、おやつはいつも母の手作りだった。
独り暮らしをするようになって、相当ジャンクな食生活を送っていたが
三つ子の魂が蘇って今では素朴な味が好き。
甘くてほろ苦いオレンジピールの味を「懐かしい」と思える
バックボーンを作ってくれた母に感謝。

それを電話で話したら「そう言ってもらえて、こちらこそありがとう」と
言われた。ちょっとグッときたけど、笑ってごまかした。


182 :おさかなくわえた名無しさん:03/03/10 20:40 ID:W79FFGxw
ホローリじゃなくて、ズキズキする思い出なんだけど。
もう亡くなったお祖母ちゃんの話。

お祖母ちゃんの仲良しの茶飲み友達が亡くなった時「お祖母ちゃんが
気落とさないように」と家族で隠すことにした。
お祖母ちゃんは何も知らず「最近〜さん来ないね」と言ってた。
ところがある日、お祖母ちゃんとお母さんが喧嘩して、お祖母ちゃんが
「〜さんの所へ行って話聞いてもらう」と言い出し、激昂していた
お母さんが「とっくに亡くなったわよ!」とぶちまけてしまった。

お祖母ちゃんは呆然として「本当なの?」ときいた。
子供だった私はどうしていいかわからず黙ってた。
今でもあの時のこと思い出すと、なんでお祖母ちゃんのこと
慰めてあげられなかったのかと自分が情けなくなります。

183 :山崎渉:03/03/13 13:09 ID:JAYbjwiV
(^^)

184 :おさかなくわえた名無しさん:03/03/14 01:36 ID:or1Jdjjg
>183
お前を見ると、ホローリじゃなくてサツーイが湧くよ!

185 :おさかなくわえた名無しさん:03/03/17 00:39 ID:E1MJpZQh

・・と悪態つきつつ、しっかり保守ageしてくれる183の優しさにホローリ

186 :おさかなくわえた名無しさん:03/03/17 00:47 ID:qVj7Wa5Z
自動プログラムにレスして何か楽しいのか?

187 :おさかなくわえた名無しさん:03/03/17 02:00 ID:1+9bQXeF
小学生の頃、週に1度両親と姉と俺で焼肉食べに行ってたんだが、それがとても楽しみだった。
もうあんな日々は帰ってこない。

188 :おさかなくわえた名無しさん:03/03/17 10:19 ID:alvt3/6Z
小学生のとき。
2歳年下の弟が肺炎で病院へ。
「あと2時間遅かったら死んでいた」と医者に言われた。

今お互い三十を過ぎて、それぞれ家庭ももって、それほど裕福じゃないけど
幸福だなと思う。
けんかもたくさんしたが、本当に生きていて暮れてよかったと思う。
年に数回しか会わないけれど、会うたびにちょっとホローリしそうになる。

189 :おさかなくわえた名無しさん:03/03/17 21:19 ID:9Q7x5OaN
>185
俺は183でもないし、自動プログラムじゃねーぞ!

190 :おさかなくわえた名無しさん:03/03/18 10:56 ID:lvnjenkr
>>189
うんうん、みんなは解ってるから……レス番わかるようにして。184だよね?

191 :おさかなくわえた名無しさん:03/03/21 11:34 ID:R9iIzxtg
 

192 :おさかなくわえた名無しさん:03/03/25 12:58 ID:F0+xIPqC
>>182
慰めてあげるってよりすぐ教えてあげたほうがずっと良かったんじゃないかと

193 :おさかなくわえた名無しさん:03/03/27 08:25 ID:ka/nRL3n
age-

194 :おさかなくわえた名無しさん:03/03/29 17:58 ID:zDGFeNcH
結婚式に、両親と兄2人が歌を歌ってくれた。小田和正。

「あなたに会えて本当によかった 嬉しくて嬉しくて言葉にできない」

反抗期や何かが思い通りに行かない時、イライラをストレートにぶつけてしまった両親。
兄2人はブラコンな私が懐いていってもクールな対応しかしてくれなくて寂しい思いをしていた。

4人が照れくさそうに、でも一生懸命に歌ってくれる姿を見ていたら涙が止まらなかった。

もう6年経つけど、結婚式は私にとって、大好きな人と夫婦になれた日であると同時に
自分がどんなに素敵な家庭で育ってきたかを改めて思い出させてくれた日でもあります。


195 :おさかなくわえた名無しさん:03/03/29 18:37 ID:DV1GTk46
>>194
の小田和正の曲、なんかのCMの曲だよね。幸せそうな写真がその曲に
のせて「貴方の守りたい人は誰ですか」って写るやつ。
あのCM見てるだけでホローリくるんだけど我ながら涙モロすぎだー

196 :おさかなくわえた名無しさん:03/03/29 20:26 ID:AHZ2XeKY
>197
何かいいなあ。
凄く幸せなのが伝わって来るよ。

197 :おさかなくわえた名無しさん:03/03/30 10:55 ID:C8Z76auF
>196
漏れのこと?

198 :おさかなくわえた名無しさん:03/03/31 22:11 ID:osH3a01E
∧_∧   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ´・ω・) < 保守age ショボーン
( つ旦O   \____________
と_)_)

199 :おさかなくわえた名無しさん:03/03/31 23:35 ID:7kxMZst6
訳あって、私は兄を避けている。
このスレ読んでたらちょうど離れて暮らしてる父からメールがきた。
元気でやってるか、とか他愛ないことなんだが最後に
「お前の兄は、お前が思っているような奴じゃないよ
もっと話をしてやってくれ」
とあった。
兄は父にに恥をかかせた人だから、私はまだ許せないが
本人は許してるんだなと思った。
明日、兄に連絡をしてみようかと思う。
許せるかどうかはわからないが。

スレ違いかな…スマン。

200 :おさかなくわえた名無しさん:03/04/01 19:43 ID:JwC1I5Qs
オイこそが 200げとー  

201 :おさかなくわえた名無しさん:03/04/02 03:02 ID:hBsxNeQh
些細なことですが、今年の正月に帰省した時。
周りのみんなが席をはずし、75歳になった親父と二人きりになった。
ほろ酔い気分の親父はコタツの上の蜜柑を手に取ると、皮をむきなが
ら言った。

お前を初めて汽車に乗せたのは、脱穀機の部品を買いに町へ連れてっ
たときだった。駅で蜜柑を買ってくれとせがまれたが部品が思った
より高くて金がなかった。帰りの汽車の中で、向かいの席で蜜柑を食
ってる子供をじ一っと見ているお前がかわいそうでたまらなかった。

初めて聞いた。小さい頃の朧な記憶に、雪の降る町で親父に手を引か
れていたことや、遊具のあるデパートの屋上で遠くを見ていたことや、
セピア色の照明と蒸気機関車特有のにおいのする夜汽車がセットにな
ったのが有ったがそのときのことだったのか。
町といっても今では自家用車で30分もあればいけるし、地方都市だか
ら首都圏のはずれのちょっとしたターミナルにも及ばないけれど、
当時は一日がかりだったし、一人で行けたのはやっと高校生になって
からだった。

俺は親父に連れられて初めて汽車で町に行ったことが想い出に残り、
親父は蜜柑を買ってやれなかったことが想い出に残った。

惚け初めているのに、40年も昔の、こんな些細なことをまだ覚えて
いるのが親なんだ。

202 :おさかなくわえた名無しさん:03/04/02 11:30 ID:wTgvnyPj
お父さんは蜜柑を食べるたびに思い出してたのかな

203 :おさかなくわえた名無しさん:03/04/04 20:11 ID:5oYPBQsU
ある日、宅急便が届いた。差出人の所には母の名前が書かれていた。
母との思い出は・・・小さい頃から散々苦労させられた事ばかり。
受け取るのをためらったが、とりあえず受け取った。

品名を見てみると「いちご」とある。食べ物らしい。
母は昔から突然食べ物を送りつけてくるので嫌いだった。
また食べ物を勝手に送りつけてきたようだ、と思った。

『開けるのもうざったい・・・』と思いながら箱を開けると、中身は
いちご3箱、かぼちゃの煮つけ、ポテトサラダ、それと既製品の缶入りスープ。
どれも、昔の田舎での嫌な事を思い出させる品々ばかり。
腹が立ってどうしようもなくなり、全てそのままゴミ箱に叩き込んだ。

直後、母から電話が来た。
「もしもし、(母)ですが。今日付けで食べ物を送りました。
 ファックスを何度も送ろうと思ったのですが繋がりませんでした」
そういえば、しつこい勧誘電話を断ったとき、そのまま回線を抜いたままだった。
ちゃんと連絡をくれていたらしい・・・

「それでですね、 お 誕 生 日 だ っ た の で 何か送ろうと思って」
「いちご狩りに行ったときのいちごを送りました」
そういえばもうすぐ誕生日だった。すっかり忘れていた・・・



電話を切ってすぐ、食べ物を全て冷蔵庫に戻した。
自分の取った行動を恥ずかしく思った、誕生日2日前の夜の事でした・・・

204 :おさかなくわえた名無しさん:03/04/07 22:19 ID:fsl1VtMn
うわーん

205 :おさかなくわえた名無しさん:03/04/10 11:24 ID:JbVQgfge
子供の頃、家に帰る途中の車の中で寝た振りをしておんぶして貰うのが好きだった。

206 :おさかなくわえた名無しさん:03/04/10 11:35 ID:g9hJVX3b
>>205
ものすごく良くわかる。

父が仕事で遅くなる夜、母や姉たちと示し合わせて、居間で寝たふりをしていようということになった。
わたしたちは居間でテレビを見てたんだけど、玄関に父の気配がしたとたん、「それっ」と狸寝入りをはじめた。
居間に入ってきた父、「なんだ、寝ちゃったのか」と寂しそうな声。
たまらず、わたしが笑い声をあげてしまい、結局ばれてしまった。

そんなことを何回か繰り返して、そのたびに丁寧にだまされていた父。
布団まで運んでくれたり、上に毛布をかけてくれたり。
今思うと、あれは騙されたふりをしてくれてたのかなー。

207 :おさかなくわえた名無しさん:03/04/10 12:45 ID:8HBWzXCw
母が悪性リンパ腫で余命数ヶ月と言われて入院してた。(母は知らない)
当時中2だった私は週末ごとに病院に泊まり母に付き添ってた。
ある日病室で寝たきりの母の下の世話をしてたら
「ありがとう。○○さんは優しい子でよかった。
○○さんを産んで本当によかったわ..ねぇ」と病室にいた祖母に語りかけた。
夜中に起こされるとすっごい不機嫌な顔してた私なのに・・
母が私を身ごもってることに気づいたのは重度アル中の父親から
逃げ回ってたころ。離婚は決定的だったので産むのを反対する声も
あったと聞かされてた。
なので母の「産んでよかった」という言葉は私の中に潜んでた劣等感とか不信感を
溶かしてくれた。嬉しくてベッドの下に屈んで片付けてるふりをしながら
声を出さずに泣いた。母は間もなく亡くなったけどあの時の
「○○さんを産んでよかった」と言われた思い出はずーっと今でも心に残ってる。
あの言葉にいろんな時に助けられてる気がする。

208 :おさかなくわえた名無しさん:03/04/12 15:32 ID:SHjH5W2Q
>>207
うわーん

209 :おさかなくわえた名無しさん:03/04/15 11:03 ID:E7x1nYmx
 

210 :おさかなくわえた名無しさん:03/04/15 15:55 ID:I1GzJ1gt
このスレを見ていたら、いつもそっけなくて厳しかった
親父が俺の事で思い切り泣いた事を思い出した。

俺はあまり勉強もできず、ようやく入った三流大学でも完璧に落ち
こぼれてしまった。もう為す術もなく、自殺しようと連絡を絶って
あてもなく彷徨い歩いていると、どういう訳か親父が俺の事を探し
出して家に連れ戻した。

お袋は家の玄関で俺を一目見るなり号泣していたが、
親父は何も言わずに俺を連れて居間に入った。

居間で親父が開口一番「何で自殺なんか考えたのか」と問い詰めて
きた。俺が何も言えずうつむいていると、親父は突然涙をこぼし
ながら「大学の事で悩んでいたのなら、そんな大学は辞めても
いい。大学を卒業しなくても人生なんてどうにでもなる」と
言った。

普段「勉強しろ」しか言わない親父の意外な言葉に、私が呆気に
とられていると、親父は「いいか、どんな理由があっても親より
先に死んだら親孝行になんかならん。元気で生きてくれるのが
一番の親孝行なんだ」と言葉を詰まらせながら号泣した。

突然の親父の言葉と涙に、俺も堪えて
いたものが切れて号泣してしまった、

後にも先にも、親父の涙を見たのはこの一回きりだ。

211 :おさかなくわえた名無しさん:03/04/16 16:33 ID:XRIb+IFN
まだ学生だった頃、
アルバイト中の事故で、手の指を潰してしまった。

即入院となり、親も駆けつけた。
おそらく切断するしかないという診断だった。


それを聞いた父親が、こう言った。

「俺の指がくっつくんだったら、くれてやるのになぁ」

すごく無念そうだった。



あれから十年ちかく経ったころ、
初めてこの話を他の人にした。

話していて、涙が止まらなくなった。


今でもあの言葉を思い出すと、泣けてくる。
お父さん、お母さん、くだらんケガばかりしてスマン。

212 :某アーティストの日記から抜粋(一部修正あり):03/04/16 18:44 ID:kENK9k5N
10年前の春。名古屋の癌センターから見る桜も満開だった。
母親の胆嚢に第三期の癌が見つかったのがその年の1月。
検査が終わり、いよいよ摘出手術を受ける日のことだった。
14時間に及ぶ手術に耐え、手中治療室で意識を取り戻した母親の第一声は「やあ」だった。
手術は成功して母にはそれほど長くはない余命が保証された。
一般病棟に母が移った日に僕は東京に戻った。桜にはまだ散り残りの花がいくらかついていた。

12月、全身に癌が転移した母は再入院した。
「死ぬのは恐くないけど、あんたたちの子供が見られないのが残念だな。」と言ったあと、
私は死んだら、葉っぱや風や水のようなものになっていつもあんたたちのそばにいるよ。
というようなことを最期の言葉、といった感じで僕達に託した。
それは絶望に取り残されそうな遺族にとって、とても救いにあふれた言葉だった。
そして次の日、母は僕の手を握って僕の目を見据えたまま息を引き取った。
驚愕と悲しみとでパニックに陥りながらも、
ちょっとカッコよすぎるんじゃないのおふくろ、って感じている僕もいた。

妻(作詞家で歌手、一緒に活動している)は自分が出産する立場になった時、
母の最期の言葉を熟成させて「光の庭で」を書いた。
ちょっと、女同士で、カッコよすぎるんじゃないの、と、この時も僕は思った。

213 :おさかなくわえた名無しさん:03/04/16 20:53 ID:dLbyTBzx
私がリア厨だった時、風邪を引いて気持ち悪くて我慢できず洗面台にゲロをしてしまった。
でも母親は何も言わずに排水溝に指を突っ込んで溜まったゲロを流してくれた。
私は三人姉妹の長女で、正直言ってあんまり可愛がられていなかったと思ってたけど、
その時だけは「ああ、この人は私の母親なんだ」って実感した。
それからもう何年も過ぎたけど、あの時の事は忘れないよ、お母さん。


214 :おさかなくわえた名無しさん:03/04/17 01:47 ID:sMYGnU7i
癌で余命3ヶ月と宣告された母の看病をしていた時のこと。
いよいよ体も思うように動かせなくなって
病院の個室に入院し、ベッドのすぐ横に簡易トイレを置いていた。

ある日、いつもの様に簡易トイレで用を足すのを手伝った私に
「ごめんね、こんなことまでさせちゃって。」
と母が謝った。
「気にしないで、赤ちゃんの頃にオムツ替えてもらってたんだからさ。」
と私が言うと、
「・・・お前が子供を産むときには、私がトイレを手伝ってあげるからね。」
と母は笑って言った。
当時、母は自分が余命数ヶ月であることを知っていたが、
母子家庭だったため、まだ大学生の私と妹を残してはいけない、と
必死に生きようとがんばっていた。
「うん、まだ相手もいないけど、その時はお願いするよ。」
と笑って答えたが、母の病室を出て共同トイレで
簡易トイレを洗っている間中ずっと涙が止まらなかった。

そして、お医者さんの宣告どおり母は二ヵ月後に亡くなり、
あの時の母との約束はもう実現できなくなってしまった。
今でも夢に出てきては、病気に負けまいとがんばる母に
私はあなたの娘で本当に良かった、と伝えられなかったことが
とても心残りだ。









215 :山崎渉:03/04/17 10:05 ID:rvMpyEf5
(^^)

216 :おさかなくわえた名無しさん:03/04/17 10:55 ID:L7FT3b+8
>>212
吉良知彦ファン発見・・・私もこの日記にはちょいとうるうるしたよ。
『光の庭で』は大好きな曲だけによけいね。

217 :長くなったので…1:03/04/17 19:45 ID:5pv5U5AI
私には母親がいません。妹を産んで死んでしまったそうです。
写真も一枚もありません。

218 :長くなったので…2:03/04/17 19:51 ID:5pv5U5AI
先日、二十歳になった日の出来事です。
「一日でいいからうちに帰って来い」
東京に住む父にそういわれ、私は就職活動中なのにと思いながらしぶしぶ帰りました。
実家に着いたのは夜で、祖父母と妹はもう既に寝静まっていました。
父だけが起きていて、そのあとしばらく現状を話していたのですが、会話もとぎれ、さぁ寝ようという時、
いきなり父は一枚の写真を私の前に差し出しました。それは、父が若いころの写真。隣には綺麗な女の人が写ってる。
「お前と**(妹の名前)を産んでくれた母さんだ」
父はそういって、初めて本当のことを話してくれました。
母はあまり体が強い人ではなかったそうです。私を産むのですらやっとで、未熟児だった私よりずっと後に退院したこと。
妹が出来たとき家族中の反対を押し切って産むと決めたこと。
生まれたばかりの妹と、私を抱いて死んだこと。私達姉妹の名前は母さんの名前から取ったこと。
母さんが寂しくないようにと、私達の写真や父さんとの昔の思い出の写真を、全て棺に入れたこと。
だけどそれでは悲しくて、一枚だけ取っておいたこと。
セブンスターをいつものようにふかしながら、父はいつもより歳をとって見えました。
「お前達にお母さんがいなくて寂しい思いをさせたこと。コレが一番お前達に申し訳ないと思っている。すまなかった!」
父さんはそういって、私に泣きながら土下座をしました。写真の中の父と母の笑顔が、とてつもなく切なかった。
母がいない分、祖父と祖母に育ててもらうのが多くて、それが当たり前だと思っていたから寂しくなんて無かったのに。
土下座している父と一緒に、私も泣いてしまいました。
父は私達が二十歳(大人)になるまで、このことをずっと一人で抱えていたのだろうか。
そう思ったら、あまり体の大きくない父の背中が、切ないくらい大きく見えた。
母以外の女性に見向きもしない父を、誇らしいと思った。
お母さんがいないということ。だからお母さんの分まで愛情を注いでくれたこと。今ならすごくよく分かります。
お父さん。
ありがとう。
お母さん。
産んでくれてありがとう。
就職活動、頑張ります。

219 :おさかなくわえた名無しさん:03/04/17 20:32 ID:MdbDvlIQ
ホローリどころじゃないです。
就職活動、がんばってな。
でも、無理はしなくていいんだぞ。

220 :おさかなくわえた名無しさん:03/04/17 21:54 ID:5pv5U5AI
>>219さん
ありがとうございます。
遠い存在だと思っていた母が、履歴書の名前を書く度に
「こんなに近くにいたんだなぁ」と思えるようになりましたし、
私と一緒にいるような感じがして、すごく頼もしいんです。
この調子で内定を頂けるよう、就職活動頑張りたいと思います^^

221 :>218さん読んで!:03/04/18 01:38 ID:PeUf9DNk
558 名前:1/4 投稿日:03/04/12 02:59 ID:yXfW0hhy
この前妻に先立たれたんですよ、この前と言っても随分前だけどね。
で、生まれて初めて一人で乳児を育て始めたわけですわ。正直最初は乳児を育てるのって簡単だと思ってたのよ。みんな普通に育児してるからさ。
あのね、俺が間違ってた。あれは男一人でやるもんじゃない。女性だね、お母さんが愛情込めてやるものだよ。
最初に寝かせつける時さ、めちゃめちゃびびってお腹そろ〜ってさすって頭そろ〜っと撫でたのよ。
10秒くらいかけてさ。でなんか怖くなって手を止めちゃったのさ。
そしたら娘がさ「もっと撫でて!」って感じでぐずるの。
同じ過ちは2度繰り返さないのが俺よ。
だからお腹トントンしたのさ。えぇ、そりゃもうトントンしましたとも。全てを忘れてトントンしたよ。
ちょっと強すぎるんじゃないか、とか実はそろそろミルクやる時間だとかオムツも確かめないといけない事とか色々忘れてね。
だって娘が撫でろって言ったからね。
そしたらエライ事になった。
もうすごい号泣。すごい喧しさ。耳元でシンバル鳴らされたくらい。空港の隣に住んでる人でもきっと驚く。
それで横見たら娘がすごい勢いで俺の事見てんの。ホントごめんなさい。
正直「男なら女房の忘れ形見くらい一人で育てるぜ!」なんて見栄張らないで素直に娘と一緒に妻の後を追えばよかったと思ったよ。
心の底から一人で育てると決めた事を後悔して今後の事を不安に思ったね。
でも会社行って同僚に「赤ん坊の世話なんて簡単だな!専業主婦なんてただの暇人だよ。」とか言っちゃってんの。
ホント俺ってダメ人間。
誰か助けて下さい。


222 :>218さん読んで!:03/04/18 01:39 ID:PeUf9DNk
559 名前:2/4 投稿日:03/04/12 03:00 ID:yXfW0hhy
この前娘の尻に赤い染み見つけたんですよ、初めてね。
で、生まれて初めて娘の初潮に気付いたわけですわ。正直最初はそんなの簡単だと思ってたのよ。みんな普通に気付いてるからさ。
あのね、俺が間違ってた。あれは男親が処理するもんじゃない。女性だね、母親でなくてもいいからとにかく女性がやるものだよ。
最初に娘に知らせる時さ、めちゃめちゃ怯んで娘の肩そろ〜って叩いて「あのさ」って静かに囁いたのよ。
10秒くらいかけてさ。でなんか言いにくくなって下向いちゃったのさ。
そしたら娘が俺の視線に気付いてさ「もっと早く言ってよ!」とか怒るの。
同じ過ちは2度繰り返さないのが俺よ。
だから謝って生理用品買いに行ったのさ。えぇ、そりゃもう買いましたとも。全てを忘れて買ったよ。
俺は結構ごつい外見してる事とかレジのお姉さんが結構若くて綺麗な事とか夜用と昼用がある事とか色々忘れてね。
だって娘が家で恥ずかしがりながら俺を待ってたからね。
そしたらエライ事になった。
もうすごい血まみれのゴミ箱。すごい血まみれ。俺の方が貧血になるくらい。 赤ん坊一人の血の量くらいあるかもしれなかった。
それで横見たら娘がすごい勢いで俺の事睨んでるの。ホント頼むから紙に包んで捨てなさい。
正直「男ならなんでも対応できるぜ!」なんて見栄張らないで素直に職場の若い子とかに聞いておけばよかったと思ったよ。
心の底から一人でパニクった事を後悔したね。
でも会社出て友達に話した時に「娘もこれで一人前だな!欲情すんなよ」とか言われて顔で笑って腹で密かにむかついてんの。
ホント俺ってダメ人間。
これから思春期迎える娘、俺一人で平気なのかなぁ。


223 :>218さん読んで!:03/04/18 01:39 ID:PeUf9DNk
560 名前:3/4 投稿日:03/04/12 03:00 ID:yXfW0hhy
この前娘が大学受けたんですよ、初めてね。
で、生まれて初めて娘の合格発表を迎えたわけですわ。正直最初は合格発表見に行った娘の電話待つのなんて簡単だと思ってたのよ。みんな普通に待ってるからさ。
あのね、俺が間違ってた。あれは普通の親が待つもんじゃない。裏口入学者の親だね、合格確実な親だけが安心して待てるものだよ。
最初に受話器上げる時さ、めちゃめちゃびびって受話器そろ〜って握ってそのままそろ〜っと耳に当てたのよ。
10秒くらいかけてさ。でなんか怖くなって戻そうとしちゃったのさ。
そしたら電話の向こうで娘がさ「ちょっとお父さん聞いて!」とか言ってんの。
同じ過ちは2度繰り返さないのが俺よ。
だから「どうだった?」って聞いたのさ。えぇ、そりゃもう聞きましたとも。全てを忘れて聞いたよ。
高1の時から決めてた第一志望だとか強気な娘は滑り止め受けてないとか…受かってたら彼女は一人暮らしを始めると決まってる事とか色々忘れてね。
だって娘が聞けって言ったからね。
そしたらエライ事になった。
もうすごい合格。すごい「サクラサク」。満開過ぎて涙出てくるくらい。遠山の金さんなら肌色が見えなくなってる。
それで横見たら鏡の中の俺がすごい勢いで涙こらえてんの。ホントごめんなさい。
正直「いい父親なら娘との距離は適度にとるべきだぜ!」なんて見栄張らないで素直にもっともっといろんな話をしときゃよかったと思ったよ。
心の底から娘との会話が減っていた日頃の自分を恨んだね。
でも妻の実家言って義理の両親に「これで一段落ですよ!これからは少しは一人の人生楽しもうかな。」とか言っちゃってんの。
ホント俺ってダメ人間。
娘よ、たまには帰ってきて下さい。


224 :>218さん読んで!:03/04/18 01:39 ID:PeUf9DNk
561 名前:4/4 投稿日:03/04/12 03:01 ID:yXfW0hhy
この前娘の結婚式に出たんですよ、初めてね。
で、生まれて初めて娘と腕を組んでバージンロードを歩いたわけですわ。正直最初はバージンロード歩くのなんて簡単だと思ってたのよ。みんな普通に歩いてるからさ。
あのね、俺が間違ってた。あれは父親が歩くとこじゃない。新郎だね、どうせ連れてっちゃうなら最初から新郎が腕組んで歩けばいいんだよ。
最初に歩き始める時さ、めちゃめちゃびびって右足そろ〜って踏み出して左足そろ〜っと揃えたのよ。
10秒くらいかけてさ。でなんか不安になって娘の方見たのさ。
そしたら娘がさ「お父さんしっかりして!ロボットみたいだよ」とか言うの。
同じ過ちは2度繰り返さないのが俺よ。
だから堂々と歩いたのさ。えぇ、そりゃもう歩きましたとも。全てを忘れて歩いたよ。
娘のドレス姿が眩しすぎるとか今からでも回り右してやりたいとか時折励ますように娘が組んでる手に力を入れてくるとか色々忘れてね。
だって娘がしっかりしろって言ったからね。
そんで新郎のとこに辿り着いたらエライ事になった。
もうすごいキス。すごい突然頬にキス。しかも「私からの最後っ屁じゃ!」って囁きながら。何だよ、それ。俺を泣かせたいのか、笑わせたいのか、泣いてやるよ。
それで横見たら新郎がすごい神妙な顔で俺の事見てんの。ホント幸せにしないとぶっ殺す。
正直「男なら余裕持って娘を送り出すぜ!」なんて見栄張らないで素直に新郎を10発くらいぶん殴りゃよかったと思ったよ。
心の底から笑顔で送り出した事を後悔したね。
でも式場出て娘に「お前の世話も大変だったよ!これからしばらくはお母さんとの思い出に浸るぜ。」とか言っちゃってんの。
「お母さん」でいてくれた時間が短すぎて名前で呼んだ事の方が多かったな、翠。
僕はいつも君と一緒にあの子を育ててきたつもりだ。
もう何年かしたら胸を張って君に会いに行きます。誉めて下さい。


225 :>218さん読んで!:03/04/18 01:40 ID:PeUf9DNk
以上、
○○って難しい  のガイドライン2
http://that.2ch.net/test/read.cgi/gline/1039597069/

からでした。

226 :おさかなくわえた名無しさん:03/04/18 01:52 ID:uzB+D5TK
オイこそが 226事件げとー

227 :名無しさん:03/04/18 02:13 ID:MpSZ4CzJ
どーーもネタ臭いな。

>セブンスターをいつものようにふかしながら、父はいつもより歳をとって見えました。
小説家志望?でも、文章ダメ。


228 :おさかなくわえた名無しさん:03/04/18 03:50 ID:H2SruhwM
ずっとロムってばかりだったけど自分の事も書きたくなった。

高校生の時にいつも喧嘩ばかりしていた弟。
年が近いせいでお互い憎まれ口ばかりたたいていた。
でもある日ふと映画の話をすると実は同じ映画が好きだった事が
きっかけで、それからたまにたわいもない話をするようになった。
それまで弟に一度も誕生日プレゼントなんかあげたことなかったけど、
なんとなくバイトの帰りにシュークリームを沢山買ってあげたら
「おいしい、おいしい」と嬉しそうにひと箱平らげたのをみて
弟って可愛いなあと初めて「おねえちゃん」な気分を味わった。
少しくすぐったいような感じだったけど嬉しかった。

その一ヶ月後、弟は突然事故で死んだ。最期の顔も見てやれなかった。
喧嘩ばっかりしてお姉ちゃんとして何もしてやれなかった。
弟ももっと優しいお姉ちゃんが欲しかっただろう。
もっと色々な話がしたかった。一緒に映画とか行きたかった。
素直に弟のこと可愛がってあげればよかった。
あんたは賢い子だったね。大学もせっかく合格したのに行けなかったね。
あんたが死んでからお姉ちゃんはあんたの部屋に入る事ができません。
前みたいに「おねえちゃーん、もう部屋勝手に入ってくんなや」って言って欲しいのに。


229 :おさかなくわえた名無しさん:03/04/18 04:01 ID:CQlLrkmv
ぬう・・・

230 :おさかなくわえた名無しさん:03/04/18 04:06 ID:7xThh5hS
うぐぐぐぐぐぐ泣く

231 :おさかなくわえた名無しさん:03/04/18 06:41 ID:vha+4yv5
うちの親は私が小さいころから、とても厳しかった。
高校生になっても、友達と公園で花火することさえ許してくれなかった。
門限を破って、父親にボコボコに殴られたこともあった。
そんな親が嫌で、高校を卒業した後、一人暮らしを始め、親に会うことは
めったになかったが、成人式の日、母が手紙を持ってきた。

開けてみると、8枚の便箋にびっしり父からの手紙が書いてあった。
私が生まれる前に母が2度流産したこと、私が産まれるまで
どんなに不安だったか。事細かに色んな事が書いてあったけど
最後に「お父さんという名前をくれてありがとう。
これからは、仲良くやっていこうな。」

泣いた。


232 :おさかなくわえた名無しさん:03/04/18 10:26 ID:VL4alxgf
ホロリもっとage

233 :山崎渉:03/04/20 05:09 ID:NJtGMvPZ
   ∧_∧
  (  ^^ )< ぬるぽ(^^)

234 :プチ人間:03/04/20 19:38 ID:pM0XHANZ

<血液型A型の一般的な特徴>(見せかけのもっともらしさ(偽善)に騙されるな!!)
●とにかく神経質で気が小さい、了見が狭い(臆病、二言目には「世間」(「世間」と言っても、一部のA型を中心とした一部の人間の動向に過ぎない))
●他人に異常に干渉して自分たちの古いシキタリを押し付け、それから少しでも外れる奴に対しては好戦的でファイト満々な態度をとり、かなりキモイ(自己中心、硬直的でデリカシーがない)
●妙に気位が高く、自分が馬鹿にされるとカッと怒るくせに平気で他人を馬鹿にしようとする(ただし、相手を表面的・形式的にしか判断できず(早合点・誤解の名人)、実際にはたいてい、内面的・実質的に負けていることが多い)
●権力・強者には平身低頭だが、弱者に対しては八つ当たり等していじめる(強い者にはへつらい、弱い者に対してはいじめる(特に人が見ていない場合))
●あら探しだけは名人級でウザく、とにかく否定的(例え10の長所があっても褒めることをせず、たった1つの短所を見つけては貶す)
●基本的に悲観主義でマイナス思考に支配されているため性格が鬱陶しい(根暗)
●何でも「右へ習え」で、単独では何もできない(群れでしか行動できないヘタレ)
●少数派の異質・異文化を理解しようとせず、あるいは理解を示さず、排斥する(差別主義者、狭量、視野が狭い、多数派=正しい と信じて疑わない)
●集団によるいじめのリーダーとなり皆を先導する(陰湿かつ陰険で狡猾)
●他人の悪口・陰口を好むと同時に、自分は他人からどう見られているか、人の目を異常に気にする(自分がそうだから容易に他人を信用できない、ポーズだけで中身を伴っていない、世間体命)
●たとえ友達が多くても、いずれも浅い付き合いでしかなく、心の友達はおらず孤独(心の感度が低く、包容力がなく、冷酷だから)
●頭が硬く融通が利かないためストレスを溜め込みやすく、また短気で、地雷持ちが多い(不合理な馬鹿)
●たとえ後で自分の誤りに気づいても、素直に謝れず強引に筋を通し、こじつけの言い訳ばかりする(もう腹を切るしかない!)
●男は、女々しいあるいは女の腐ったみたいな考えのやつが多い(例:「俺のほうが男前やのに、なんでや!(あの野郎の足を引っ張ってやる!!)」)

235 :おさかなくわえた名無しさん:03/04/21 01:50 ID:wVq4V4By

| ‖           ノノノノ -__
|| ‖  ガッ        (゚∈゚ )  ─_____ ___
|∧ ∞从ノ      (ミ_ (⌒\ヽ _ ___
( (≡ ̄ ̄ ̄ ̄三\⌒ノ ノ )
|(つWつ  ̄ ̄\  ⌒彡)   ノ  =_
| \つ つ    \,___,ノノ
|  |  )        / / ≡=
|  |          / ノ      __________
|  | ↑       /ノ _─ (´⌒(´
   >>233       


236 :おさかなくわえた名無しさん:03/04/21 07:50 ID:r4Rxy43Z
クックルたん見たの久しぶり。ウレスィ

237 :おさかなくわえた名無しさん:03/04/22 22:09 ID:E1RZUanx
age

238 :おさかなくわえた名無しさん:03/04/23 03:50 ID:gEhMg55U
もっと聞かせてage

239 :おさかなくわえた名無しさん:03/04/25 23:24 ID:Vl9xIWnH
18の時留学することになって、旅立つ朝もともとよく喋る父がその日は妙に無口で
ただ一言「体に気をつけてお母さん悲しませる事だけはするなよ」
私は「うん、行ってきます」。父は「おう、俺は今から会社やから見送れん」
だけ言って私は駅に向って歩いていたら、
後ろから父が追い掛けてきて(多分その前ひっそり泣いてた)
真っ赤になった目で「水が変わって腹こわすとあかんで、ほれっこれ持ってけ」
って百草丸いくつか入れた袋を渡して「ほんじゃあな」って帰っていった。
その袋の中にはお金の入った封筒もありました。

240 :239:03/04/25 23:45 ID:hd7bA+3+
「このお金なに?」って聞いたら、
「お母さんお前の留学決まってから毎晩泣いとった。
留学を許してくれたのはお母さんやろ、
よっぽど考えて出した答えやと思うから
お母さんに留学許した事後悔してほしない、
この金が足しになって生活の事考えず勉強に打ち込めたら
お母さん喜ぶわ。
それと何か向うでええもん見つけたら送ってやってくれ、
どんな安いもんでもお母さん元気になるからな、頼むぞ」
って真っ赤な目で言って去っていきました。
夫婦間の絆みたいなもの感じますた。そんな夫婦に私もなりたいです。

241 :おさかなくわえた名無しさん:03/04/27 23:55 ID:rhFHu7lK
夫婦愛でもあり、それに隠した親子愛でもあるんだね。
自分に重ねて考えてしまったよ。

242 :おさかなくわえた名無しさん:03/04/28 13:51 ID:RXsjEQND
>239-240
いいお父さんだな。
まあうちの親父には負けるが。

243 :おさかなくわえた名無しさん:03/05/01 21:38 ID:oJaszlsd
俺のオカンもなかなか。

244 :おさかなくわえた名無しさん:03/05/02 23:14 ID:ISrn4pRC
うわーん‥

245 :おさかなくわえた名無しさん:03/05/02 23:19 ID:MkeIeSsm
うちのばあちゃんもイケる。

246 :おさかなくわえた名無しさん:03/05/03 00:42 ID:1AyfVx3j
私の父は、からかい口調で笑い飛ばしながら説教を言う人です。
例えば「御飯は洗剤で梳くんもんじゃないんだぞ?」とか
「こういう気配りがあってコミュニケーションが成立するんだ、お前知らないだろ、判ったか?」等。
なんというか、的外れな憶測で説教されてるだけで。
悪く言えば、初歩的な常識を、偉そうに笑いながら叱る。
母が「この子はそんな事しないわよ」なんて父にたしなめても判ってくれなくて。

私の結婚が決まった時。
父が桃の節句にイチゴをプレゼントしてくれました。
しかし私がイチゴを好きだったのは、はるか昔の幼稚園時代の話。
もう十何年も前から、酸っぱいので大嫌いな果物筆頭になってた。
「お父さんは今でも貴女の好物だと思って買ってきてくれたのよね」なんて母。

父の中では何時までも面倒を見なければならない小さな子供の私で。
兄とケーキのイチゴを奪い合う位、イチゴが大好きな子供で。
ろくに会話も無くこの十年間位過ごしてきて、誕生日プレゼントも無かったのに。
私の性格をあまり知らないと言わんばかりの説教で「父」であろうとする姿。

父の愛情より、「父」であろうとする男のエゴのようなモノを感じてしまって。
嫁いで居なくなる寂しさから、突然イチゴをプレゼントされたように思えて。
嬉しさより、そんなふうに思えた自分がどれだけ父とすれ違ってきたのかわかって
情けなくて哀しかった。

お父さん、ごめんなさい。

247 :おさかなくわえた名無しさん:03/05/06 14:20 ID:C3MrG0W6
哀しいほろりだね。

248 :おさかなくわえた名無しさん:03/05/07 04:00 ID:z3BX6nAo
保守

249 :おさかなくわえた名無しさん:03/05/07 04:39 ID:8CypTJxf
>>246
父親に対して怒りを感じて然るべき事だと思った

250 :おさかなくわえた名無しさん:03/05/07 08:28 ID:AiWGCWoN
そうか?

251 :おさかなくわえた名無しさん:03/05/07 19:05 ID:SzVQQ3n+
おっきいイチゴは甘いよ。

252 :おさかなくわえた名無しさん:03/05/08 03:01 ID:bUPQv0Oq
良スレあげ

253 :おさかなくわえた名無しさん:03/05/08 23:44 ID:RoX3sh5v
>>249
なんで?虐待されて育つやつも一杯いるんだし、何か贅沢な愚痴だなと
思う。
それより>>246の、北の国からの純君口調に笑ってしまった。

254 :おさかなくわえた名無しさん:03/05/09 08:34 ID:ceO47zyD
>253
同意。何だか自分に酔ってるようで、全くホロリとはしなかったな。
純君ぽくて私も笑った。他の話には泣かされるんだけど…。



255 :おさかなくわえた名無しさん:03/05/09 11:08 ID:5kFfLgCj
>253を読んでから>246を読んだら大笑いしてしまった。

256 :おさかなくわえた名無しさん:03/05/09 21:05 ID:7ySLXHv3
おじいちゃんっ子だった私。
初孫だった私をとても可愛がってくれた。
よく2人で色々な所に行った。他の家族に何も告げずに
出掛けることも多く、海に連れて行ってもらったときは
捜索願い寸前までいったらしい。
小さい頃の思い出はほとんどじいちゃんとのもの。

お酒が大好きで、私が20を過ぎたら一緒にお酒を飲みに行こうと
いつも言っていた。曾孫を見るまでは頑張るとも。

でも私が20になって一ヵ月後、帰らぬ人となった。
一年半の闘病の末に。

高校を過ぎたあたりから私はおじいちゃんを
少し鬱陶しく感じて、あまり遊びにいかなくなった。
入院、手術というときも、大したことはないと思っていた。
もう、話せなくなるなんてこれっぽっちも思ってなかった。

おじいちゃんゴメン、もっと話を聞いてあげればよかった。
お酒も一緒に飲みたかったよ。

駄文スマソ。
そろそろ命日、もう3年になるのか…

257 :おさかなくわえた名無しさん:03/05/11 06:01 ID:8Oy161n/
>>256 おじいちゃんは貴女の様なお孫さんがいて幸せだったと思いますよ ゚.*(つд`)*。・

258 :おさかなくわえた名無しさん:03/05/11 17:14 ID:GRdgTp7R
泣けるスレですね…。

一人暮らしをして3年、私は精神的に参ってた。
私は、そんなにお金に困ってもいないのに、水商売のバイトをはじめた。
勿論親には秘密で。
薬を飲まないと眠れなくなり、遂に母に電話で泣きついてしまった。
いつも強がっていた私が、はじめて「お母さん助けて」と、
わんわん泣いた。電話越しに母も泣いた。

数日後、父と母が観光と称して私に会いに来た。
私は、両親に合わす顔がないと思った。高校まではおおよそ順調に歩いてきた娘が、
男が原因で不眠症になり、学校も行かず、夜はお水のねえちゃんだなんて、
親の期待を裏切ってしまった罪悪感で一杯だった。特に父には会いたく無かった。

私はあれこれ言い訳をして、会うのを渋った。
結局母にだけ10数分間だけ会って、父に会いたく無い旨を告げた。あわせる顔が無いと。
母は悲しそうな顔をして、帰って行った。

その後母から来たメール。
「お父さんは何も知らないんだよ。お母さんあんたから聞いたこと何にも喋ってないから。
お父さんは、あんたに会うの本当に楽しみにしてたよ。バイトが忙しいって言っておいたけど…。
お父さんがっかりしてたよ‥。」

涙が止まらなかった。私は馬鹿だ。
自分でSOSを出して、それに応えてくれたのに、拒否してしまったなんて。
父も母も私に会って顔を見たかっただけなのに、勝手なこと考えて、私は馬鹿だ。
白髪の増えた父の悲しそうな顔が目に浮かんで、布団で泣いた。

お父さん、お母さん、ごめんなさい。こんな娘で。

長文スマン。大したこと無くてスマン。


259 :おさかなくわえた名無しさん:03/05/11 22:02 ID:VRDUUbZH
>>258
今も?
たまには実家帰ってみては

260 :256:03/05/11 23:50 ID:ZlGSLMUX
>257

ありがとうございます。救われました。

今日、母の日のお祝いで家族で外食した後
おばあちゃんと話していたら、少し前に夢におじいちゃんが出てきて、
「これからも幸せにしてやるからな」と言われたと
嬉しそうに話していました。
よく口ゲンカしていた祖父母でしたが、やはり絆といいますか
「夫婦ってすごいなぁ」とジーンとしてしまいました。



261 :おさかなくわえた名無しさん:03/05/12 02:23 ID:jUYGsXs9
>>258
じわじわ涙が…。あなたのとった行動は、もしかしたら
間違ってたのかもしれないけど、その時はきっと、仕方
なかったんだよ。心が張り詰めててさ…。
そんなに自分を責めるなよ〜。>>258さんに幸あれ。

262 :おさかなくわえた名無しさん:03/05/12 12:47 ID:f5BDwpKB
∧_∧   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ´・ω・) < 保守age ショボーン
( つ旦O   \____________
と_)_)


263 :おさかなくわえた名無しさん:03/05/12 20:29 ID:BGp1/dO0
∧_∧   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ´・ω・) < 保守age ショボーン
( つ旦O   \____________
と_)_)


264 :おさかなくわえた名無しさん:03/05/13 12:12 ID:mRDJLyyS
∧_∧   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ´・ω・) < 保守age ショボーン
( つ旦O   \____________
と_)_)


265 :おさかなくわえた名無しさん:03/05/15 12:31 ID:q15ZuzZG
∧_∧   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ´・ω・) < 保守age ショボーン
( つ旦O   \____________
と_)_)

266 :_:03/05/15 12:32 ID:U2LBeV3Y
  ∧_∧
 ( ・∀・)/< こんなのみつけたっち♪ 
http://www.hiroyuki.zansu.com/hankaku/jaz03.html
http://hiroyuki.zansu.com/hankaku/jaz10.html
http://www.hiroyuki.zansu.com/hankaku/jaz08.html
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267 :おさかなくわえた名無しさん:03/05/15 16:03 ID:1j2d3hMn
保全アゲしてるやつウザイ。何かネタを書け。

268 :おさかなくわえた名無しさん:03/05/15 23:18 ID:g5WX8JiL
みんなほどじゃないけど・・・
これは後々、私が中学生になってから母から聞いた話。

私がまだ幼稚園入るか入らないかのころ、3つ上の兄と
2人で留守番をする事に。母は「○○ちゃん(私)の面倒みてあげてね」
と兄に告げて外出。私は置いていかれて泣きじゃくって疲れて
玄関先で寝てしまったらしい。
両親が帰宅すると、バットを持った兄が玄関のドアの前で
バットを持って立っており、私を守ってくれていた。
でも両親が帰ってきた瞬間、兄も実は留守番が怖かったのと
両親が帰宅した安心感でウワァァンと泣きじゃくったらしい。

お兄ちゃんありがとう。

269 :おさかなくわえた名無しさん:03/05/15 23:56 ID:or+vojtt
祖母から普段ならあり得ない時間に電話があった。
「おじいちゃんが大変」。小さかった私は事態が飲み込めず、
とりあえず母、兄と共に実家へ。聞けば駅の階段を踏み外し
上から下まで転げ落ちたとのこと。
運ばれた病院でも小学生以下の子供は病室に入る事が出来ず、
でも「おじいちゃんが死んじゃうかもしれない」なんて意識も
当時の私には無く、ロビーで兄と一緒にはしゃいでいた。

そして祖父は彼の誕生日に亡くなった。ぴったり60年祖父は生きた。

祖父を大好きだった記憶はあるけど、具体的な思い出が
うかんでこない。  最近になってアルバムをひっくり返したら
死んだ祖父が私を抱っこして笑ってる写真が沢山みつかった。

祖父との思い出が鮮明に甦ってきて、ホロリとしてしまったよ。
何事にもキッチリした性格の祖父だったらしいけど、生きる時間まで
キッチリ60年間。なんだか胸が締め付けられる思いがする・・


270 :おさかなくわえた名無しさん:03/05/16 01:05 ID:Es/hGj6B
∧_∧   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ´・ω・) < 保守age ショボーン
( つ旦O   \____________
と_)_)

271 :おさかなくわえた名無しさん:03/05/16 01:29 ID:aoR+rYJh
去年、親に今から(夕方)ちょっと留守番お願いね!と言われた。
その時、隣に住んでる私の爺さん(87)も一緒にいたので、二人で留守番してた。
そろそろ隣の本家の夕食の時間になろうともいうのに、爺さんが帰らないので、
帰らないの?と聞いたら、おまえ一人じゃ危ないだろ。と言われた。
私は20代後半で、普段杖ついて歩いてる爺さんには負けないのになぁ、
反対だろうよ。なんて思いながら二人で留守番してた。
爺さんは去年の年末にいきなり亡くなっちゃったけど、
ずっと子供あつかいでした。
じいさんありがとう。

272 :おさかなくわえた名無しさん:03/05/17 09:15 ID:e13jq6dK
>268を読んで思い出したので、私もたいした話じゃないけど・・・

小学2年生の時にデブ男子にいじめられていた。
なんだか知らないけど難くせをつけてきて、私の持ち物を壊したりして。
(ずうずうしくなった今では、私のこと好きだったんだろ!と思うけど)
そんなある日、2つ上の兄が、デブ男子を呼び出してネチネチとっちめてくれたんです。
それ以来、デブ男子は私のことをいじめなくなりました。

それから大げんかしたこともあったけど、今でも兄に感謝してます。

273 :・・・:03/05/17 09:23 ID:BxstGdV7
家族とのホローリする思い出、ないな。
ただ、イトコの中で、祖父を知ってるのは私だけ。
祖父との思い出があるのも、私だけ。

274 :おさかなくわえた名無しさん:03/05/17 10:43 ID:88wtEDj5
就職して初めて一人暮らしをすることになったときすごく不安だった。
毎日緊張しながら働いて、帰ってきても話す相手もいない、TVを見ても
笑うことすらできなかった。
一週間ぐらいした時に母親から電話。『頑張ってる?』と。
それから毎日同じ時間に両親から電話がかかってくるようになった。
いつも元栓閉めろっていうのと施錠しろって同じことだったけど
とにかくその電話が待ち遠しかったし嬉しかった。

もう一つ。当時住んでいた所は近くにスーパーもなく、
車を持っていなかった私は買い物がとても大変だった。
ある日姉と電話していて何気なく『冷蔵庫空っぽで食べるものないよ〜』
と言った。
次の日仕事が終わって深夜に帰宅。何気に冷蔵庫を開けたら
食べ物でいっぱいになってた。姉が買い物をして入れてくれたのだった。
しかも私がいつも買うもの、好きなものばかり。
冷蔵庫開けっ放しで泣きました。




275 :おさかなくわえた名無しさん:03/05/17 10:47 ID:TLQa9ngK
うちは父が、入れ替わり立ち代り新しい女の人を連れてきては、
「お母さんと呼びなさい」という家でした。
同居していた祖父母と父の仲は最悪で、
父の怒声が上がったり、物や手が飛ぶことなどしょっちゅうでした。

小さな頃から人の顔色を伺う性格だった私は、
新しい女の人に精一杯無邪気に甘え、懐いている風を装ったり、
父に甘えて機嫌をとったり、とにかく争い事が起こらないように
一生懸命でした。


276 :275:03/05/17 10:48 ID:TLQa9ngK
「誰でもいいんか」「お父さんと、あの人と、お前とで暮らしたらどうや」
など、祖父に嫌味を言われたりしながら、言われていることが
わからない振りをしたりして…

ずっと「お兄ちゃんはズルイ」と思っていました。
兄はその場の雰囲気を読むこともせず父を怒らせ、
祖父に可愛がられていましたし…。


277 :275:03/05/17 10:48 ID:TLQa9ngK
どこかに出かける時も、
「僕は行かん」
(私も行きたくないけどわーい!って言ってるんだ!!)
新しい女の人が来ても、
「僕のお母さんは1人だけや」
(私もそう思ってるけど、言っちゃったら上手く行くものも
上手くいかんだろーが!
嫌って言っても来ちゃったものは仕方ないでしょーよ!!)

278 :275:03/05/17 10:49 ID:TLQa9ngK
でも、この前、義姉さんに聞いたんだ。
お兄ちゃんも私のことをズルイと思ってたんだって。
私は社交的だから、女だから、新しいお母さんともすぐ打ち解けられる。
なんのかんの言って、皆とうまくやって、可愛がられてた。
でも、自分はそうできなかったから、すごく寂しかったんだ、って。

ずっと、お互いにズルイって、思ってたんだね。
お互い、あの頃はツラかったんだよね、お兄ちゃん。

長文ゴメンナサイでした…

279 :おさかなくわえた名無しさん:03/05/17 20:13 ID:nBK6ONJ/
子供心の中にある一生懸命って、後で考えると切ないことってあるよね。

280 :おさかなくわえた名無しさん:03/05/18 23:29 ID:ss3W3GTM
まだ幼稚園に行っていない俺を引き取って、山間の小さな集落で
たった一人で育ててくれた祖母。
親元に戻った後も、何かと俺の心配をしてくれて、
気弱で成績のあまり良くない俺を、両親がガッカリしてる時も
「この子が泣き虫なのは、小さな時にさみしい思いしたから」
「この子は大器晩成だから、今は心配しなくてもいい」
なんて、いつもいつも俺を庇ってくれた。
俺が挫けそうになると、「大丈夫だから、大丈夫だから」
って励ましてくれた。
俺の就職が決まった時も、電話口で泣きながら喜んでくれた。
「よかったねぇ、あんなに泣いてばかりの子がねぇ…」
今の俺があるのは祖母のお陰です。
祖母から受けた恩はずっと忘れないよ。

でももうあんまり時間が残ってないんだよね…
何一つ恩返しが出来てなくて、本当にごめんなさい…

281 :おさかなくわえた名無しさん:03/05/19 04:39 ID:qiWdCSU6
>>280
まだ時間はあるよ!
いまやっとかないと絶対後悔する。
照れくさいとか子供みたいなこといってないで。
いろんな事情があってもいましか出来ないことなんだよ。

282 :おさかなくわえた名無しさん:03/05/19 05:02 ID:11qKSmf+
>>280
そうだよー!!!
「何一つ出来ない」なんて言ってないでさ、
電話一つかけるだけで、顔を見に行くだけで、
それだけでもいいじゃん!
(もうやってたらゴメソ)
絶対味方でいてくれる人なんて、とっても得がたい宝物だよ。
大事にしなきゃだめ。

283 :おさかなくわえた名無しさん:03/05/19 10:39 ID:KRVrdOMv
>>280
いいお婆ちゃんだー(;´д⊂ ホローリ
そのお婆ちゃんにしてあげられる一番の恩返しは、
あなたがお婆ちゃんの事をそんな風に思ってるって伝える事だと思うよ。
そんなに無条件に全面的に愛してくれる人がいるのを、
そんなにしっかり実感できてるあなたは本当に幸せな人だよね。
可愛い可愛い孫をそんなに幸せにしてあげられたんだって言うのが、
きっとお婆ちゃんの一番一番嬉しい事だと思うなあ〜

284 :おさかなくわえた名無しさん:03/05/19 21:02 ID:ETRbWLLW
>>281-283
どうもありがとう。
取り敢えず、何とかヒマ作ってお見舞いに行ってくるよ。
多分言葉じゃ上手く伝えられないだろうけど、
元気そうな顔は見せてくるよ。


285 :おさかなくわえた名無しさん:03/05/20 03:08 ID:0nBBHl1N
>>284 お婆ちゃんの育て方はきっと素晴らしかったんでしょうね  .*・゚(つд`)゚.*。

286 :おさかなくわえた名無しさん:03/05/21 00:35 ID:n/PnIZlD
家族の話じゃないんだが

昔飼っていた犬は元捨て犬で、いい加減大きくなってから飼い始めたこともあってか、
それとも人間不信からか、暫くの間は俺達に対しても唸り続けていた。

ただオヤジに対してだけは、拾ってくれた恩を感じているのか物凄く従順で、俺達が
餌をやろうとすると、時折歯を見せて威嚇する事もあるのに、オヤジが行くと背筋を
ビシッとして畏まり、「食べて良いんだよ」と言うまで絶対に口を付ける事はなかった。

まあそんな事もあったから、俺はあんまりそいつを可愛がらなかったんだが、ある日の夜、
オヤジと一緒に犬の散歩中、ふざけて自転車を運転していたら派手に転けてしまって、
頭をパックリとやってしまった。

予想外の出血にオヤジは動転し、俺の止血も忘れて人を呼びに行ってしまった。
俺はと言うと最初は大したこと無いと思っていたのだが、止まらずにボタボタと流れ落ちる
血を見てだんだんと不安になり、座り込んでベソをかいていた。

その時だ。信じられない事が起こった。
普段ならオヤジべったりの犬がオヤジについて行こうとせずに俺にピタッと寄り添い、
親父が帰ってくるまの間、俺の傍にずーっと立っていた。
それだけじゃない。病院に行く途中に引き剥がそうとしても、頑として俺の傍を離れようと
しなかったのだ。

ああ、コイツは俺の事を守ってくれてるんだなと思ったら、それまで可愛くないからと石を
ぶつけたり、目の前でわざと餌をぶちまけたりした事を思い出してわあわあと泣いた。



それから5年程経ってヤツは病気で死んだ。
毛布にくるみながら、お前の事は忘れないよと、またわあわあと泣いた。

287 :おさかなくわえた名無しさん:03/05/21 01:04 ID:7RzfD25B
>>286
えぇ話や…泣けたよ。動物ネタはくるね。
その後の5年間は可愛がってあげたんだよね?

288 :おさかなくわえた名無しさん:03/05/21 02:01 ID:ODtNPa1h
ペットも家族の一員だもんね。

289 :おさかなくわえた名無しさん:03/05/21 08:16 ID:NwVcaQ5R
>>286
素晴らしい犬だ・・・・
ちゃんと自分より上だってこと認識してたんだね。
いい話だ・・・・

290 :ティッシュを用意しろ:03/05/21 09:25 ID:AVJfvMng
http://pc2.2ch.net/test/read.cgi/win/1051588435/837-

291 :山崎渉:03/05/22 00:44 ID:7SuIRH5R
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―

292 :おさかなくわえた名無しさん:03/05/22 02:24 ID:JQzSgxzX
>>289
いや、自分の属する群の子供を守ろうとする本能だよ。
犬はボスを1人しか認めないけど、同じ群の子供は命を懸けても守る。
まぁどっちにしろ、良い話にゃ違いねぇずら。

293 :おさかなくわえた名無しさん:03/05/24 16:50 ID:DFuVmN00
age

294 :ブラコン・ファザコン:03/05/26 02:07 ID:v25AlJ5a
うちのおにいちゃんはとってもやさしい。
私が2歳くらいの頃、近くの祖父母の家に歩いて行くのに、1歳半上のおにいちゃんが私の手を引いて
もう壁にすれちゃうくらい、私を塀の方に押しつけて自分は車道側を歩いたそうな。
小さい頃の写真も、おにいちゃんに(おせっかいで?)みかんを口に押し込まれてる写真とか。

小学生の時には私が欲しいって言ったゴーグル買ってきてくれて、
色が気に入らないって拗ねたら、子供の足では片道30分かかるのに、
またお店に行って取り替えてきてくれた。
妹のわがまま放題を全部聞いてくれたやさしいおにいちゃんです。

高校から大学にかけて、反抗期で3年間近くも家では一言もしゃべらない時もあったけど、
それでもちゃんと妹の動向は知っていて、
友達に電話する時に「うちの妹は全国模試で1位だったんだ、すごいだろ」
って自慢してたのがなんだか嬉しかった。
自分は成績はそんなに良くなかったから、ずっと私に対するコンプレックスあっただろうに。

私が大学出て離れて暮らすようになってからも月1回はうちのマンションに来て、
その時にPCのインストールやネットワーク関係を全部おにいちゃんにやってもらってたけど、
おにいちゃんも長かった学生生活を終えて9月には就職。遠くに行ってしまう。
一家離散ってこのことかって寂しくなっちゃう。
お互い忙しいけど体に気をつけて頑張りましょう。
いい人見つけたらまず私に紹介してね。
でも私の目にかなう人じゃないとイヤだからね〜!

295 :おさかなくわえた名無しさん:03/05/26 02:25 ID:5ATlbd13
>>294
いいなぁー。私は長女なんだけど、
そんな優しいお兄ちゃん欲しかったよ〜(´・ω・`)
うらやましいです。

296 :おさかなくわえた名無しさん:03/05/26 15:44 ID:aNeHGLFH
妹が結婚して新婚旅行から帰ってきた日、新居に帰る前にお土産を持って
家にきた。2時間くらい土産話を聞き一緒にコーヒーを飲んだ後、父と母は
玄関先まで、帰る妹夫婦を見送った。妹夫婦の車のエンジン音が遠ざかって
いった後に母が発した切ない一言、
「あぁ…、行ってしまった…」
自室に戻り彼女とメッセで話してたオレは、聞こえてきた母の一言に涙が
出てきて止まらなかった。

297 :おさかなくわえた名無しさん:03/05/26 16:00 ID:GUMf9UeV
>>294
年近いのにそんなに仲いいんだ。
うちも年近いけど小さい頃は喧嘩ばっかりで本気で頃そうとしたこともあるよ。
大人になってからは仲よくなったしきょうだいがいてよかったと思うけど。

298 :おさかなくわえた名無しさん:03/05/26 18:40 ID:cVQtGYe2
10年間癌と闘って53歳の若さで死んだおふくろ。

俺よりショックだったのは父だった。

父はおふくろの闘病中から、酒に逃げていた。
父と二人暮しがはじまって、父は朝から晩まで酒を飲み
家のことはもちろん仕事もしなくなった。
僕は何も文句は言わなかったが、父子の会話は減っていった。
正直ほっておいた。
仕事もいかず家でずっと酒を飲み、2時間おきて2時間寝るという
生活をしている父に、母が亡くなって落ち込んでるからから・・
という気持ちと、母の入院時からどうしようもない親父だ・・もう
社会復帰できないだろうという気持ちがあったからだ。

母が死んで7ヶ月、親父が言った。「おかあさんの葬式いつやるんだ?」
お酒の飲みすぎか、頭がおかしくなっていた。一瞬の酔いではなかった。
3日後救急車で運んだ。アルコールと栄養失調、その他の影響もあった。
入院生活中肺炎になった。1ヶ月入院してほとんど人工呼吸器でボケも
入っていて会話ができなかったが、時々俺の言葉にうなずいている瞬間が
あった。いやわかってくれていたと思いたい。
母が泣くなって8ヶ月父も僕の目の前で息を引き取った。
なんでこうなるまでほっといたのか。罪の意識でいっぱいだ。
亡くなってから思い出す、力強かった、厳格な父。
本当に後悔でいっぱいだ。写真の父はやさしい顔をしている。
なぜこの顔を守ってやれなかったのか。

俺の心の支えは母と父の死に目にあえたこと。ただそれだけ。


299 :おさかなくわえた名無しさん:03/05/26 20:54 ID:HPocZGUr
 保守age

300 :おさかなくわえた名無しさん:03/05/26 21:04 ID:mAyutAqw
>294
全国模試で一位の人って文章力はお粗末なんですね

301 :おさかなくわえた名無しさん:03/05/26 21:10 ID:pB5mlCwj
こらこら

302 :おさかなくわえた名無しさん:03/05/27 00:09 ID:BolNGgZN
思い出とはちょっと違うのだけれど

去年の夏、私は7年半付き合っていた相手に振られた。
学生時代からずっと遠距離で
お互い結婚を真剣に考えていた時期もあった。でもダメだった。

去年の秋、姉が第一子(女)を産んだ。現在7ヶ月。
もうすぐハイハイをしそう。
機嫌のいい時は喃語トーク全開。
おっぱい大好きで、離乳食はちょっと苦手。
お母さん・お父さん大好きで、いなくなるとすぐに泣いちゃう。
ホントに可愛い。ホントに大事。
おばちゃんにできることがあったらなんでもするよ。
心底思う。

でも、時々悲しくなる。
私が望んだのもこんな光景だったのに。
決して大それたものを欲しがったわけではなかったのに。
私が長い間望んだものを何一つ得られなかったのに
どうしてねーちゃんだけ私の欲しがってたものを
みんなみんな掴んでいくんだろう。

ねーちゃんのことも、姪っ子のことも本当に大好きなのに、大切なのに。
自分の心の狭さに涙が出てくる。
自分のことが本当に大嫌い。ごめんなさい。ほんとうにごめんなさい。

303 :おさかなくわえた名無しさん:03/05/27 01:09 ID:C9bXTnhQ
結婚が決まって旦那の両親が私の実家にやってきた時のこと。
旦那の母が「大事なお嬢さんをいただくんですから」
というようなことを言った。
普通に聞き流していたんだけど、旦那と両親が帰ったあと、
母がちょっと複雑な表情をしてぽつっと言った。
「あげちゃうのはイヤだなぁ…」
母のそんな表情、見たことなかった。

育ててくれて、ありがとう。私はどこにいたってあなたの娘です。

304 :おさかなくわえた名無しさん:03/05/27 05:45 ID:M1t/jchb
>>300
まだ若いからでしょ。

305 :おさかなくわえた名無しさん:03/05/27 05:53 ID:M1t/jchb
>>302
元気だせ

306 :おさかなくわえた名無しさん:03/05/27 06:59 ID:ZNFYg4kb
>>303
「お母さん、お母さん」と呼んでくれたキミの幼い頃の姿がフラッシュバックする母……(想像
どんなに歳を取っても、どこにいたって母親は母親なんだなぁ……ぐっすし。

307 :おさかなくわえた名無しさん:03/05/27 10:38 ID:MtTs2oYs
中学から親元離れて進学した私を心配して、車で6時間くらいかかるところまで
しょっちゅう会いに来てくれていた両親。
子供にお小遣い渡すのが嬉しくて、わざわざ小銭を用意したのを内緒にして
「お父さん小銭が沢山あって邪魔だからおまえにあげるよ」と言って小銭をくれた父。
免許を持っているのは母だったから、母は私あいたさに6時間の道のりを休まずに運転する。

製造卸業で私が幼い頃は規模縮小して子供の時間に合わせられるようにしてくれていた両親。
子供が離れたところに進学して、二人して子供のいない時間が寂しすぎて規模をまた大きくした両親。
母が言っていた「このお店はおまえの学校分」「こっちのお店はおにいちゃんの学校分」そう思いながら仕事していると。

仕事をやめ、悠々自適の老後を過ごし始めた時に発覚した母の癌。特殊なもので治しようがなかった。
告知されて「でも二人の結婚式姿を見れただけ私幸せだった」と笑う母。
私が飛行機でお見舞いに行く日は、病室から見える飛行機を見て「ああ、あれにあの子が乗っているんだねぇ」と喜んでいたという母。
亡くなる時には集まった人たちに「ありがとう」といい、父に「お願いね」と言って安らかに死んでいった…。
亡骸を病室から運び、病室の引き出しにあるものを整理していたときに見つけたのは、私と兄の母子手帳。
それをたまに見ながら、幼い日の私達を思い出していたのだろうと思うと泣かずにはいられなかった。

父はまだ母の事を愛していて、どこへ行くのでも母の写真を胸にしまっている。
こんなにお互いを愛せた夫婦の子供でよかった。そして子供に惜しみない愛をくれる両親に育てられて、自分は本当に幸せだと思う。

308 :おさかなくわえた名無しさん:03/05/27 15:50 ID:SOC2D5md
>>308
・゚・(つД`)・゚・ 

309 :ゴメン シッパイ:03/05/27 15:55 ID:SOC2D5md
>>307
・゚・(つД`)・゚・ 

310 :おさかなくわえた名無しさん:03/05/27 20:12 ID:uKU6/Bur
涙チョチョ切れスレはここですか?

311 :おさかなくわえた名無しさん:03/05/27 21:02 ID:jau+1mn/
おじいちゃんが亡くなってはや4年。
一緒に住んでいた頃は思春期で、なんとなく避けていました。
おばあちゃんと仲が悪くて、私はおばあちゃんの味方ばかりしていた。
あまり居間にいることがなくなって、自分の部屋に閉じこもり気味になり、
だんだんボケてしまい、施設に入れ、そのまま亡くなった。
でも、今大人になっていかに寂しい思いをさせたか、本当に悔やんでいます。
中学の頃、おじいちゃんがお菓子を買ってきて私にだけこっそり食べさせてくれた。
そのお菓子にはまった私はお菓子を食べにおじいちゃんの部屋に毎日行ったけど、
ものの10分ほどで部屋を出て行った。
おじいちゃんにしたら唯一のコミュニケーションだったのに。
その上お菓子に飽きてまた寄りつかなくなっていった。
お菓子で釣らないと部屋によりつかないような孫だった私。
それでも私が喜ぶと思って毎日買ってきたおじいちゃん。
今、おじいちゃんとの一番の思い出がそのお菓子を二人で食べていた時間です。
そして亡くなった時、そのお菓子をお棺にいれたら、豆が破裂したらしく
火葬場の人に怒られました。
でも、天国で食べてくれたよね?
本当はもう一度、おじいちゃんの話を聞きながら一緒に食べたいよ。
もう、タバコが煙たいとか文句言わないから。

おばあちゃんも一週間前そっちにいったよ。天国では仲良くしてね。


312 :おさかなくわえた名無しさん:03/05/27 21:58 ID:URULkiYl
おばあちゃんが死んだ。
死に目に会えた。

今まで、お葬式の死体とかすごく怖かったんだけど、おばあちゃんは最後に
なでなでしてバイバイが出来たのが自分でもびっくりした。
なんかよくわからんけど、おばあちゃんに会いたいなぁ。もう一度。
遊びに行くと、必ず「お帰り」って言ってくれたんだよね。
ボケる前に、もっと顔を見せてあげればよかった。

色々な訪問販売にひっかかってたけど、販売員が話し相手になってくれるから
嬉しかったんだろうって、周りが言ってた。
寂しい思いをさせてごめんね。ばあちゃん。

313 :おさかなくわえた名無しさん:03/05/27 23:50 ID:Iay3U7/s
実家に帰りたくなるスレだ・・・・

314 :おさかなくわえた名無しさん:03/05/28 09:03 ID:JV88p1HC
もうお母さんが死んで10年近くなるのに、まだ思い出すと
ホロリでは済まない気持ちになる。
いつかはこんな気持ちも昇華して思い出になるのだろうか。
いまだに人の母親が羨ましい。
当時私よりも小さかった妹たちに申し訳がない。
高校生だった私にはなにも出来なくて反抗してばっかりだった。

いまはもう私も、お母さんが私を産んだ時と同じ年齢になってしまった。

母は、化粧をしたりお洒落をするのが好きで、掃除が嫌いでいいかげん
で料理も手抜きだった。
でも音楽が好きで古い洋楽を沢山聴かせてくれた。
漫画は買ってくれなかったけど本ならいくらでも買ってくれた。
高校生になったら新しい財布や流行のカバンを買ってくれた。
「たまには寄り道しなくちゃ」といってお金も持たせてくれた。
私がすこしずつ大人になっていってたのがうれしかったんだろうな。

そしてもっと大人になって色んな話をして二人で買い物に行ったり
旅行にいったりするはずだった。
でももうその頃にはすでに病気だったんだよね。
おじいちゃんとお母さんがなくなってばあちゃんも元気を無くして
旅立っていってしまったよ。
今は今いる家族をずっと大事に守っていこうと思っているよ。
お父さんも妹たちも私もなんとか頑張っています。

315 :山崎渉:03/05/28 15:22 ID:BZdip/w4
     ∧_∧
ピュ.ー (  ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  =〔~∪ ̄ ̄〕
  = ◎――◎                      山崎渉

316 :おさかなくわえた名無しさん:03/05/28 16:19 ID:N9uyTjK3
田舎のばあちゃん死んだときに色々整理してたんだけど
遊びに行ったときに描いたゴミみたいな落書き全部取ってあるんだよね

でも自分も孫が描いたと思ったらやっぱり取っておくんだろうな



317 :おさかなくわえた名無しさん:03/05/28 23:42 ID:zPlPScfB
兄弟の中で一番仲良しだった1つ上の兄貴。
その兄貴がガンで余命1年を宣告され、病院から出れない状態だった。
母と一緒に、県外の病院に入院してる兄貴に会いに行った時。
兄貴とあたしはいっぱいいっぱいはしゃぎながら、あれこれ話した。
本当はそんなに長時間会話する体力もなかったのに。
付き添いをずっとしてた兄貴の恋人は、
「妹さんのこと、いつも自慢げに楽しそうに話してたんだよ。
 こんなにいっぱい話して・・・会うの、すごく嬉しかったんだね」
そう言ってくれた。
兄貴はとても賢いひとだったので、自分の病気、余命のこと
すでに知ってて、2人きりのとき。
「自分はいなかったと思ってくれ」って言われた。

その時の震える兄貴の手を、声を、あたしは絶対忘れない。

辛い時、いつも最後の一瞬まで闘病した、尊敬する兄貴を思い出して、
自分に喝を入れてます。

318 :おさかなくわえた名無しさん:03/05/29 00:39 ID:vhLGMhQs
父が亡くなってもう何年も経ちます。
タバコと酒が大好きで毎日欠かさず吸って飲んでしていました。
ま私が生まれた頃は、その量も普通でまだまだ働き盛りの父でした。
妹も二人生まれて家族円満な感じでしたが、祖父の他界で少し状況が変わりだしました。
祖父が他界したショックからか、祖母の痴呆がひどくなってきたのです。
私達孫には意味不明な言葉を言い、母にはとんでもない内容の文句を、
そして実の息子である父にも、自分の勝手で色々ときつい事を言うようになりました。
そんな中、父の病気が発病しました。
もともと父はB型肝炎のキャリアでしたが、祖母からのストレスでタバコと酒の量が
増えたのも発病の原因だったかもしれません。
それからというもの祖母の行動は更にエスカレートしていきました。
少しでも帰りが遅いと、近所の飲み屋に電話して
「医者に酒を止められているのに私の息子を殺す気か!!」
と怒鳴り、飲み屋さんに嫌がられたこともあります。
そのせいでどんどん父の酒の量は増えていきました。
病気の悪化で入院するまでずっと酔っ払いのままでした。
その様を見て発狂する祖母。
時には鎌や鉈、包丁をもって脅すこともありました。
よく今まで生きてこれたなと思います。

入院してからは強い薬の所為でいつもトローンとした感じになっていた父。
お見舞いに行くと嬉しそうに食堂で何か奢ってくれました。自分はなんにも
病院が少し遠くにあったので通っている高校から近い私が付き添いで
何度か病院に泊まりました。
高校であった話を厭きもしないで聞いてくれました。
真夏でしたが夜中には冷房が切れるので、下敷きを団扇代わりにして父の横で寝ました。
今思うと一番そのときが一番マッタリと父と話をした時期でした。

319 :おさかなくわえた名無しさん:03/05/29 00:41 ID:vhLGMhQs
ある日の夜中、病室で慌しい気配で眼が覚めると叔父叔母が病室にいました。
「もう(容態が)危ないから」そんなことを言っていた気がします。
その後二人は家族や親戚に連絡を取りにいなくなりました。
少し寝ぼけていた私はまだ大丈夫だろうとぼけーっとしていました。
そして何気なく父を見るとさっきまでの肌の色と少し違いました。
そこで眠気は一気に覚め、うろたえました。
父が死んでいく。
そう思ったらこれからの私たちはどうしたらいいのか。
まだ生きる予定だろう。と意味の分からない考えでいっぱいになりました。
しばらくすると叔母と看護士達が来て人口呼吸と心臓マッサージをしだしました。
そして家族も到着して見取ります。
口々に父へ言葉をかけていきます。母と祖母叔母は泣きじゃくって悲しんでいるのに
逆に私は冷めていました。泣きもしません。
祖母に最後だから手を握っておやりと触った腕は生ぬるく変な感じでした。
妹達も少し涙目でしたが母達に比べたらかなり落ち着いていました。
親が死んだのになんて薄情なんだろうと心から思いました。

葬式の最中も泣く事はありませんでした。
全部おわって片付けられて親戚の人もいなくなった夜初めてお風呂の中で泣きました。
他の人に見られるのが恥ずかしいから我慢してました。緊張の糸って結構もつものだなと思いました。

薄情な娘でごめんなさい。結局親孝行なんてものできませんでしたね。
生きているときはタクシーみたいに使ってしまってゴメンナサイ。
ナイターみたかったのにバラエティー番組に無理やり変えてごめんなさい。
最後の場所にいたのが私でごめんなさい。
お父さんとしてはお母さんが良かったでしょうに。
しかし最後に何も言わないでいくなんてずるいです。遺言とかなんにもないし。

今年でもう私も成人式に出れる歳です。花嫁姿も見せられないですみません。
お父さんの子でよかったと思っています。
これからも見守っていてくれると嬉しいです。   以上。

320 :おさかなくわえた名無しさん:03/05/29 04:13 ID:uM8GJpNp
泣けりゅ…

321 :おさかなくわえた名無しさん:03/05/29 05:10 ID:W1gfSuoD
>319
緊張の糸はわかるよ。
あたしも、兄貴が生前作ってたHPに兄貴の死亡を報告した時、
真夜中にPCに向かって一人で泣いたもん。

最後何も言わないで…っていうのも。
だって、あたしが駆けつけた時には、もう昏睡状態でそのまま
眠るように亡くなったから。

波が引くような感じで。
ずるいよね。
とか書きながら、今泣いてますけど。

322 :おさかなくわえた名無しさん:03/05/29 06:23 ID:VkZGerKj
>319
でも、お父様とのまったり幸せな時間を持ててよかったね。
貴女の成人式の姿、花嫁姿もきっと見ていてくれるよ。
あー涙が止まらない。ちきしょー泣きながらレスすんの初めてだ。

323 :おさかなくわえた名無しさん:03/05/29 08:13 ID:gi8/+qi3
父親は怒ると恐い。
小学生の頃から父が休みの日は憂欝だった

反抗期。
ますます敬遠し会話が途絶えた。
別に父が怒る訳でもないけどこちらからはほぼ話し掛けなくなった

それから数年後、一人暮らしを始めると言い出した時、いつもは早く出てけが口癖な父が反対した。
その時の悲しそうな顔が忘れられない。
同居しててもほぼ会話が無いのに…

結局一人暮らしをした。
一人で暮らしてから数回実家に帰った
父が喜んでいた。
恥ずかしくて大した会話が出来なかったけど嬉しかった。

二年後、母から父が入院したと連絡があった。

胃がんだった



324 :おさかなくわえた名無しさん:03/05/29 08:17 ID:Qie77Zth
父は単なる胃潰瘍だと思って入院している

仕事どころではないので休んだ。
一日ずっと付き添って居たいけどガンって感付かれてはまずいので毎日一時間程度にした。

長く話していると涙が出そうになるので…。

五日後起き上がる事が出来なくなり、そのまた五日後意思の疎通が出来なくなった。

その一週間後亡くなった
入院して数日後、退院したら皆で旅行しようと嬉しそうに話していた父の言葉が忘れられない。

後で知った話しですが一人暮らしを初めてから毎日僕の事を心配してくれてたそうです。

お父さん、ごめんなさい
何一つ親孝行出来なかった…(泣

325 :おさかなくわえた名無しさん:03/05/29 14:27 ID:yOg1H7m7
このスレ読んでたら急に実家に帰りたくなったよ。
今年で俺も二十歳、なにか親孝行、しないといけないだろうな・・・。
親不孝な息子でごめんよ。お父さん、お母さん。
とにかくお願いだから、元気で長生きしてください。心からのお願いです。

326 :おさかなくわえた名無しさん:03/05/29 17:37 ID:zGmUXnfI
>325
父の日が近いから、面等向かって言うのは恥ずかしいだろうから
プレゼントとカードでその気持ちを伝えたらいいよ。
きっと凄く喜んでくれるよ。

327 :おさかなくわえた名無しさん:03/05/30 06:55 ID:cGcXL9Zh
おはようage

328 :家族...:03/05/30 08:47 ID:LgxLQoNp
4年付き合った彼女がいて、結婚もしようと言い合っていた。
ほんとに分かり合えて、自分同然だった。

彼女は生命線が短いのを物凄く気にしていた。たまにそれで爆発した。
「私は若いうちにきっと死ぬよ。」
「なんかわかるんだ」
と、大きな不安を感じる時はこうなってた。

もちろんそんな事俺は信じてなかったけど、10日に交通事故に遭った。
人生ってこんなもんか、って思ったよ。無力すぎた。自分が。

もう二週間以上経つのに涙が止まらない。自分がどうなりたい、なにをしたい
等の夢は持ってなかった。唯一、自分のようにはならないように、と幸せな家庭を
築く為だけにいままで生きてきた、し、その相手にめぐり会えた。

本当になにもできなくなってしまった。

あの時彼女の不安をもっとまともに聞いてあげておけば。
もっと言いたいことを言っておけば。
死ぬ前に病院に着いてやれれば。

文章表現が下手ですみません。

まさしく家族の一員だったんです。俺にとって。

どうやって生きてけばいいのか分からなくなってしまいました。
死にたいとも思わない。

目の前に起こるやらなければならない事をこなして、時間が解決してくれるのを
待つしかないんでしょうか。



329 :おさかなくわえた名無しさん:03/05/30 09:50 ID:DO03aU2o
辛かったね…。
辛いけど、彼女が死んだということを正面から受け止めて、自分は自分
でまた歩き出さなくちゃいけないと考えられるようになるといいね。


330 :おさかなくわえた名無しさん:03/05/30 11:13 ID:A5O1rzO4
そうだよ>>328はまだ生きてるんだから
まだ大事な人を亡くして2週間しか経ってないんだから
今はつらくて悲しくて苦しくても時間は過ぎるんだから
ご飯を食べて風呂に入ってトイレに行って寝て起きて
仕事に行かなきゃいけないのさ。

今は無理に乗り越えようとかましてや忘れようとか
考えなくていいと思うよ。

331 :おさかなくわえた名無しさん:03/05/30 11:13 ID:AWDpw6EB
もう何年も前の話。

俺が高1の冬だったかな。
親父が死んだ。病気がちで無職だった親父はその日久しぶりに飲みに行ってた。
仲のいい親戚のおじさんと二人だった。
いつもは無愛想でイライラしがちだった親父もその日は朝から上機嫌だった。
母さんも俺もそんな親父見て少し嬉しかったな。
他愛もないこと喋って、久々に朝飯は一緒に食べて。
でもそれが最後に一緒に食べた食事なった。

俺のバイト先に電話が鳴った。親戚のおじさんだった。
親父の具合が悪くなったのはその時点で分かってた。
また入院かな、とか考えながら母さんと兄貴と俺は病院へ行った。

親父の心臓は既に止まってて、ただ心臓マッサージをする機械(名前はよく知らない)だけがシュッコンシュッコンって音立てながら動いてた。
親父が点滴してたり人工呼吸器つけてる姿はよく見てたけど、あの時はほんとに見てて痛々しかった。
今でも目に焼きついてる。
「もう止めてください」って言った母さんの悲しそうな声も忘れない。

数日後、結婚記念日。
親父が母さんにプレゼントするために通販で頼んだペアの時計が届いた。
死んだ日の前に書かれた詩や日記が出てきた。
病気で家族を養っていけない自分自身の情けなさと、そのためにイライラして家族や祖母にあたったこと。
そんなことが親父自身の言葉で、弱弱しく書かれてた。

俺は親父の苦しみを理解してやれなかったことを悔いて泣いた。

今、できるなら親父の声が聞きたい。ダメな俺を励まして欲しいな。


長い上、読みにくい文章でごめんなさい。

332 :おさかなくわえた名無しさん:03/05/30 11:14 ID:e4HGfR5Y
どういう言葉をかければいいかわからない・・・
でも自分を責めないで。
あなたが苦しむのを彼女は望んでない。

333 :家族...:03/05/30 11:33 ID:LgxLQoNp
人一倍、死に敏感な人でした。死におけるシーン(映画、ドラマ)
全てに涙していた、絶対守って行こう、
こいつの感じる全ての不安から。て思ってましたよ

いつまでも慰め続けられるんですが...

もういないってのが耐えられないんです!!!まだ
いないのが耐えられないんです側にとかじゃなくて、この世に

もうどんな人とも親しくなれないくらい怖いです、失うのが

皆さん、返事ありがとうございます。


334 :おさかなくわえた名無しさん:03/05/30 14:00 ID:MEMtWHnP
>>333
時間は必要です。
忘れるなんて、できはしないからね。

あとね、泣いた方がいいよ。きっと
恥ずかしいことじゃない。必要なことなんだ。
つらい時は、ちょっとだけ立ち止まってもいいんです。
無理はしないで欲しい。がんばらなくてもいいんだ。
少しづつ、小さなとこから、できるようになろう。
俺は5年くらいかかったよ。
じゃあね。

335 :おさかなくわえた名無しさん:03/05/30 15:24 ID:8TdIRF5G
みんな頑張れよ〜(>_<)
悲しいなぁ…(T_T)

336 :おさかなくわえた名無しさん:03/05/30 22:14 ID:Oh1U0g62
皆さん、辛い気持ちお察しします゚.*(つд`)*。. でも無理して泣くの我慢したり、亡くなった方の事忘れようとしたりしなくても良いと思うよ その方の事を忘れずに想ってる事が何よりの供養になるんじゃないのかな?  う〜ん、うまく書けなくてごめんなさい。。。

337 :おさかなくわえた名無しさん:03/05/30 22:19 ID:ptId3wBk
わしは親がいない。
でも祖父母が育ててくれた。

親がいない人っていろいろあってひねくれちゃう事があるのよね
自分もそんな中の1人。
高校時代はバイク乗り回して悪い事ばかりしてた。
同じような友達がいっぱいできた。
なんかみんな小さい時に家族に問題があった人ばかりだった。
目の前で両親が殺し合いしていつのまにか自分が捨てられてたなんて人もいた。
そいつは小さいころから「○○な家族の所の子供」って目で見られていて
だれもひきとってくれなかったらしい。彼はそんな(大人)社会に反発するようになった。
そしたら今度は「不良」と呼ばれるようになった。
そんな人達はみんな中卒だから仕事は日雇い肉体労働くらいしかない。
そんな中1人の友達の彼女が妊娠したらしく、結婚する事になった。

むちゃむちゃ幸せな家庭にするよ。

そいう言いながら笑顔で履歴書を書く彼の姿にはなんとなく泣けてきた。


338 :おさかなくわえた名無しさん:03/05/30 23:01 ID:/PVUrLm2
328さん
私も4年前に彼を亡くしました。
あなたの気持ち、わかります。
時間は悲しみを和らげはしてくれるけれど
あなたはきっと彼女の事を忘れることはないでしょう。
私は彼の事を忘れることはできません。
でも336さんが言う通り、無理に忘れる事はないし、
思い出してたまに泣いて、それでいいのではないでしょうか。
ほんとは自分も未だに気持ちの整理はできてないです。
でも、悲しみが和らいでいくのは本当だから。
そのことにたまに自己嫌悪を覚えることもあるけど
私達は生きてるんだから・・。生きていくためには仕方ない事だから。
なに言いたいのかわからなくなってきました。
ごめんなさい。

339 :おさかなくわえた名無しさん:03/05/30 23:06 ID:x3rLIIjH
物書きだったうちの親父、俺が生まれてからは食う為に書くの辞めて毎日朝早く、夜遅く働いてた。
それでも家族に絶対いらいらした姿なんか見せなくって、いつも笑ってるのね。
俺が高校のとき、ガンでぶっ倒れて入院してからも、笑いながら「やっと物書く時間が出来たよ」とかいってた。
結局全然書けないで買ったままの原稿用紙が溜まっていたなぁ。

当時、俺自身、物書き目指してて、そーゆー親父の態度が許せなかった。
自分は物書きだって言ってたくせに俺が生まれてから「時間がない」の一言で仕事だけ。
一度も物を書いてるところなんて見たことがなかった。だから口ばっかで挫折した人間だと思ってた。
親父が死ぬちょっと前、病院で「俺はお前のようにならない」って言ったのも覚えている。
物書きを目指す以上、どんな苦境に立たされても俺は書きつづけるからなって心に誓ったね、世間知らずだったけど。

結局親父は一本も話を書かずに死んだんだけど、遺品整理をしてたとき、一冊の本が出てきた。
親父が唯一賞をもらった童話だった。どうせくだらないんだろうとおもって読んだ。
内容は狐の親子の話で、子供を人にさらわれた親が助けに行くという話だった。
その親の心境がすっげぇ綺麗に書かれてて、子供を大切に思う気持ちってのが伝わってきた。

親父にとって作家になる夢のほかに、子供を幸せににするのもきっと夢だったのかもしれない。
そう考えると急に涙が出てきたのを覚えてる。今でも思い出しては胸が痛む・・・・・・。

最近になって後悔してるのは、俺は親父に一度も自分の夢を打ち明けられなかったこと。
俺も作家になりたいと思ってるんだ、そう言えていたのなら、もっと早く親父の気持ちを知れたかも。
今は食っていくのが精一杯だけど、俺も自分の気持ち、書ける人間になりたいと思う。

こんな乱文書いてるようじゃまだ遠いけどな(w

340 :おさかなくわえた名無しさん:03/05/31 04:39 ID:riiPa4Q0
>>333
私も六年前に彼氏亡くしてる。恋人としては三年、親友としても六年の付き合いがありました。
正直、亡くなった直後の感情って、もう思い出せない。だから今の>>333の気持ちに近付く事は出来ないのだけれど…。
私の場合、その彼氏を亡くした後に、救ってくれた人がいた。
でもその人とも、六年で別れた。そん時もボロボロにはなったけれども、
大切な事を改めて伝える機会がないまま死別するより、
傷付け合いながらも伝えたい事は互いに伝えて、別れても相手は生きている、それだけで感謝出来たっけ。
何人も付き合ったけれども、肉親以上に分かり合い、
一生一緒にいるのだと互いに心の底から信じ合えて、
家族以上だった相手はその二人だけだ。
別れてから一年半近く経つが、それ以来、誰にも恋はしてない。出来ない。
けれど亡くなった彼氏と別れた彼氏を愛せた12年間は、未練とは別の形で死ぬまで残ると思う。
日々、楽しくも生きてる。>>333にも、そんな安らかな日々がいつか訪れる事を祈る。

341 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/01 08:57 ID:X2fO/pbi
age

342 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/02 04:24 ID:ZSSdvnie
学校でパンを焼く日、ちょうど風邪をひいて休んでしまった。
楽しみにしていたのに熱だして寝ている私にお母さんは
「一緒にパンを焼こう」と言ってくれた。

買い物に行った。強力粉やらベーキングパウダーやら色々
買った。いろんなパンを焼こうって、赤いシロップ漬けのさくらんぼや
チョコペンも買った。パンを作る日が楽しみになった。

それからまたちょっとして今度はお母さんが風邪をひいた。最初は
すぐに治ると思ってたのに、肺炎になって病院に入院することになった。
病室も普通の病室から別の所へ変わった。滅多にお母さんに会えなくなった。
おばあさんと兄ちゃんと毎日仏壇に向かって手を合わせたし、家の四隅に
塩を盛って酒をかけて回った。
あのときは「よくなるんだからこんなことしなくてもいいのに」と思っていた。

結局お母さんと一緒にパンを焼くことはなかった。
葬式の時は涙が出なかった。ただぽかんと座布団に座っていたようなきがする。

13年たった今も、私はパンを焼いたことがない。

343 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/02 05:13 ID:zsUZwUPi
みなさん、本当に泣かせて頂きました。こんな良スレがあるとは。
僕も、我慢できなくなって一つ。
僕が小学校に入学する前から、祖父は入院してました。
祖母が看護師(当時は看護婦)、病状も重かったから祖父は病院から外に出れなかったんです。
僕の小学校入学式が終わり、家でパーティーみたいな事をしていると、電報が一通届きました。
「ニュウガクオメデトウ。ガンバレイチネンセイ。」
と、一言。しかも、宛先の僕の苗字が一文字間違っていました。愛着がわいて嬉しかったです。
その時、祖父が車に乗って来てくれました。祖母と一緒に。
病院をこっそり抜け出して、僕の入学式の日に会いに来てくれました。
祖母が看護師だって言うのに、祖父は抜け出すと言って聞かなかったみたいです。
すごく嬉しかった。
僕は3歳のころから小児喘息にかかり、そのときも祖父は
「俺がタバコ吸ってたからだ。」
と、罪悪感にかられてたみたいで、僕の事を一番に思ってくれました。
かく言う祖父も喘息持ちで、同じ苦しみを味わわせたくなかった、と。
僕は祖父母にとっては初孫だったので、かわいがってもらいました。
僕が入学したその年の10月に祖父は亡くなりました。
続く↓

344 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/02 05:20 ID:zsUZwUPi
僕が小学3年になった時、
自分の宝物を原稿用紙に書いて発表する授業がありました。
もちろん僕は祖父からもらった電報についてかなりの量を書きました。
当時は電報を開けると「喜びの歌」が流れ、今ではもう流れないこと、
宛先の僕の苗字が間違っていたこと、
その電報が送られてくるとき、入院中の祖父も病院を抜け出して会いにきてくれたこと。
全てを書きました。
僕ももう20歳。まだ机には電報が残っています。
おじいちゃん、ありがとう。大切にします。
長文スイマセン。みなさんのを見ていたら自分にもこの板での居場所が欲しかったんです。
ありがとうございました。


345 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/02 11:21 ID:DXIG/5pQ
家族が亡くなる話が続いてるけど、生きてる父の話でもいいかな。
ひとつ上の姉が結婚した夜、一人暮らししてた自分のところに父が酒を
ぶら下げてやってきた。「いい結婚式だった」「○○(姉)は本当に
きれいだった」と言いながら、いつの間にか泣いていた父。
姉は本当に幸せそうに見えたし、披露宴は笑いが絶えない楽しいもので
なぜ父が泣くのかわからなかったよ。今はわかる。自分のときにも
父は泣いてくれるだろうか。そんなことをここ読みながら思いました。

346 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/02 12:43 ID:u1bRXKM7
中一の時にマウンテンバイクを買ってもらった。
その時は嬉しかったが、中三になった時あたりにマウンテンバイクがダサく、恥ずかしく思えるようになった。
新しい自転車も買ってもらえないので、俺は自転車を盗んだ。
確か軽く20台は盗ったと思う。

ある日、盗んだチャリで走ってたら、警察に見つかり追いかけられた。
だが、その時の俺は競輪選手なんか目じゃないくらい速く、あっと言う間に差がついた。

だが、そのチャリは脆かった。漕ぐのが速すぎてちぇーん外れる>大転倒>全身打って動けないの最悪コンボ。
そして捕まり、警察署に行ったんだけど、俺は大嘘ついて8〜9時間警察署で説教された。

家に帰ると親父がいた。殴られると思ってじっとしてたら、涙が出てきた。
すると親父は静かに「風呂入って来い。」

風呂から上がると親父はもう寝ていた。

ありがとう、親父。もう盗みなんかしないよ。

347 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/02 13:25 ID:5uUCYBF1
お酒とエコーの煙草、歌が大好きなじいちゃん。
小さい頃夏休みといえばいつもじいちゃん家だった。
小学校高学年ぐらいから、親や親戚などといるのが恥ずかしく思え
「じいちゃんちにはリンスがないから行かない」とか
訳のわからない、今思えば意地悪なことを言って
あまり家に行かなくなった。
高校卒業後東京に行きたいと言った私の味方をしてくれ、
周りを説得してくれたのはじいちゃんだった。

年に一度位帰省し、一度だけじいちゃんと焼酎を飲んだ。
普段は飲まないようなお茶で割った焼酎。
無理して飲んだ。
じいちゃんは一緒に飲んだことをすごく喜んでくれた。
ご機嫌で十八番の「みかんのはな」二人で歌った。
お酒には自信があったが
じいちゃん到底かなわず、先につぶれてしまった。

次の日、東京に戻る私に高菜づけを持ってくるからと
朝、電話があったのに、昼近くになってもこないじいちゃん。
そこに、じいちゃんと一緒に住んでいた従兄弟から電話があった。
「今、家が火事になってじいちゃんが・・・・」

私に早く高菜漬けを持っていこうと、天気の悪かったその日、
ストーブのある部屋で洗濯物を干したのが原因。

私さえ帰省していなければと、何度も何度も思った。

じいちゃんの最後の顔も見てあげられなかった。

348 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/02 13:33 ID:n2KvGjGA
家族がいないことを思い出すとホローリくるなぁ
孤独な人生に乾杯じゃなくて完敗

349 :347続き:03/06/02 13:41 ID:5uUCYBF1
火事で火傷を負い、葬式には出れなかったばあちゃん。
じいちゃんを止められなかったと自分を責めていた。
みんながそれぞれいろんな理由で自分を責めた。

お葬式の日、火葬場までの通り道にばあちゃんが入院していた病院があった。
霊柩車の後ろのバスに私達は乗っていた。
病院の前で包帯だらけで看護婦に付き添われたばあちゃんが
霊柩車を必死に追いかけ、
見えなくなるまで深く深く何度も頭を下げていた。
バスの中のみんなが今までで一番泣いていた。

あれから四年。
じいちゃん、曾孫ができたよ。
抱っこしてもらいたかったな。
でも、じいちゃんの変わりにばあちゃんがすごくかわいがってくれるよ。

不思議なことに私にも妹にも子供が生まれる前日
じいちゃんが夢に出てきた。
何も言わずにこにこ笑って肩をぽんぽんとたたいて何度もうなづいていた。
見守っててくれてるんだなと思った。
もうすぐ実家に子供を連れて帰省するからね。
エコーと焼酎もってくね。

子守唄に「みかんのはな」歌うといまだに涙が出る。

文章力なくってすいませんでした。


350 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/02 15:50 ID:a6JcSy4J
(´;ω;`)ウッ…

351 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/02 21:26 ID:pRkEzfCD
俺が中学生の頃、親父がアメリカに海外に長期出張になって、
でも親父は、普段から仕事人間でいつも10時過ぎに帰ってきていたから、
俺はまあそこまでこたえてなかった。
親父が出張にでかけたその日、俺が学校から帰ってきて母親に話しかけてると、
いつになくキツイことを母親に言われて、キレてしまった俺は二階の部屋に閉じこもって
しまった。しばらくして母親が泣き声で階段のまえから
「ごめんね、〇〇・・・ちょっと、理由があって・・・。」
おれはまだむかついてたけど
「うるせえよ!」と怒鳴ってしまった。
今考えれば、その日から親父が家に帰ってかなくなったんだよな。親父が帰って
くると、嬉しそうに料理を作りながらいろいろ話してて。
子供の前では気丈でしっかり者に見えた母親もやっぱり父親が支えてたんだと
思って、その時母を慰めてやれなかったこと、後悔してます。

352 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/03 00:01 ID:bPed5uQR
このスレ、涙が止まりません。鼻水も出っ放しです。

353 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/03 00:40 ID:6VwXJ9xQ
大学入試で滑り止め以外受からなかった。大学は行かせてもらえたが、ほぼ毎晩
独り暮らしのアパートに両親から交代で
「お前が受ける大学をいっちょまえに選ぼうとするから失敗するんだ。」
という電話が延々かかってきて、毎晩泣いて泣いて、それでも授業だけは
がんばって出たけど一年前期で授業2こ分の単位落としたら
「大学辞めてしまえ!」
「そんな大学でも1番になれば認めてやったのに!」
それでも親からせっかく金出してもらって行ってる大学だし、辛いなんて
言いたくなくて、帰省のたびにサークルがすごく楽しいって言ってた。
4年生で就職決まらなくて悩んでたとき、面接試験の関係で実家に帰ると、
親父はニヤニヤ笑いながら「サークルなんて役にたたんだろう。」と、
勝ち誇っていた。
あきれるよう偶然で就職が決まったとき本音か建前かは分からないが、人事は
『サークル活動が決め手だったよ。』と言ってくれた。親父にそれを言うと、
「だって、知らなかったから。」

パパン、こないだの正月「帰ってこないのか。」て電話で寂しそうにしてたね。
いつだったかは呆けたじいちゃんの「名無しはいい人がいるんだろうか。」て
心配したセリフ伝えてきたね。
だけどさ、あんたの側にいて惨めな思いするのもうごめんだよ。
どういう神経か、3年保育の幼稚園に4年間入れられて訳分からずに泣いてる娘に
「恥ずかしいわけないだろう。」て言ったの覚えてるよ。
頼むから今更愛情あるようなセリフで大嘘つくの止めてくれ。
パパン…追い詰められて惨めさに泣いている娘を馬鹿にするのが大好きなのは
分かった。でも、もうあんたに関わって傷付くのごめんだわ。

さよなら。



354 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/03 00:54 ID:QugZAewE
>353
長い間よくがんがったね。
自分の人生を自分の為に楽しんでくださいね。

355 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/03 01:28 ID:tAe9j96t
私が小学生の時、父親がガンで死んだ。その直後から毎日朝7時から晩12時まで
3箇所のパートを掛け持ちで働いてくれた母。
4人も兄弟いたからいつもいつも貧乏で、電気、水道がよく止まった。
そんな時、「なんでウチはいつも電気止まるん?」と母に聞いてた。母はいつも謝らなくてもいいのに
自分達に謝ってた。 電話止まった時、「友達から「電話かけたけど、お前のところいつも
お客様の都合により・・って電話つながらへんやん」って言われたわ。めっちゃ恥ずかしいやん。」
って文句言うてごめん。 働いてお金を稼ぐ事のしんどさを分かって無かったよ・・。
阪神大震災で生き埋めになったけど、運良く助かったのに「なんで死ねんかったんやろ」と、
母が言うた言葉が忘れられない。
60超えても、顔がしわ増えても、お母ちゃんはお母ちゃん。
親孝行まだ出来てないけどごめんね。


356 : :03/06/03 01:45 ID:6yEpLMzV
うちの組が県警の一斉で挙げられたとき、おれ家にいた。
おふくろさんと借家に二人暮しで朝早く県警がきて
パクられた。玄関で振り返るとおふくろさん「私は大丈夫だから」
って不安そうに言ってた。ああ、うちはおふくろさんと俺二人
きりだから俺がいないとおふくろさんひとりになってしまうんだ
なと思った。
今はトラックやってる。パチンコも控えてなんとかやってる。

357 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/03 07:32 ID:GtFXwH6u
>353はホローリじゃないのでスレ違いと思うが

358 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/03 08:03 ID:HZgT8/GD
>>286
>家族の話じゃないんだが

愛犬の話だろ?
立派な家族じゃないか。


359 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/03 08:05 ID:B+FSgC2t
>357
父からの仕打ちを考えると泣けてくる、って感じで353タンがホローリ。

360 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/03 09:46 ID:iRb9IJOB
ちょうど去年の今頃、私のおなかの中にもう一人が生きていました。
私の体が初めて一人だけのものではなかった。
でも私は大学生でした。
彼氏も学生で、というか正確には判ったのがわかれた後で親には言えず、私はこれから先やりたいことがたくさんあった。
私は子供をおろすことは仕方の無いことだと思っていた。
そんなことよりもおろすための手術代のほうが心配で、毎日悩んでいた。
そして、毎日ひどいつわりで、授業を抜け出すこともあった。
初めて産婦人科へ行ったとき、初めてあなたをみました。
先生が、『この動いているのが心臓です』といったとき、
もう心臓があるんだァと思った。
7週目だった。
先生に『産みますか?おろしますか?』と聞かれて、「おろします」といったら
『そうですか、それでは手術の日取りを・・・』といわれて、「あーこんなに呆気ないのか」
と思った。
初めて病院に行ってから10日後位が手術で、病院にいったら麻酔を打たれ、
あっという間に麻酔が効いて、次に目覚めたのは夢が終わったときだった。
病室は南向きでびっくりするくらい明るかったのを覚えている。
麻酔が切れ初めてすごいおなかが痛くて、ナースコールを4回もした。
また眠りについて目が覚めて、帰宅を許された。
たった1日のことですんでしまって呆気なかった。
それから2・3日何も考えずに生活していたけれど、ある日突然私は本当に酷い事を
したんだという意識に駆られた。
本当に本当に何で今まで何も感じなかったんだろう、なんで自分のエゴのために
あの子を殺すことが出来たんだろう!
けれどそう思うのはおそ過ぎでした。

今月末で、あの日から1ヶ月です。
それから私は2・3ヶ月に一度お寺へ行きます。
別にちゃんと供養してもらっているわけではなく、私の心の中で祈っているだけなのですが。
本当にごめんなさい。
けど、ずーっとずーっと私の罪の意識は残ったままで、あなたは私の永遠の宝物です。


361 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/03 11:08 ID:ky1tqDQD
僕の両親は、僕が小学二年の時に離婚、母は僕と、9歳離れた兄を引き取り
育ててくれた。その兄も、高校を出ると就職のため家を出て行ったので、
家では母と僕の2人っきりになった。

あれは僕が高校に入った頃。その高校では毎年恒例のマラソン大会があった。
僕はそのために新しいシューズがどうしても欲しくて、母にねだった。
「今履いている靴じゃ絶対走れないよ」とか何とか言って。
母は最初渋っていた。それもそうだ。毎日仕事しても、やっとの暮らしだったのに。
でも僕にはそんなこと、全然気がつかなかった。何で新しい靴買ってくれないんだよって。
そんな思いばかりだった。
結局母はお金を出してくれて、新しいシューズを買えた。家計のことを知らない僕でも
ちょっとまずかったかなぁ、と思ってた。

新しいシューズに慣れるために、それを履いて登校する毎日。ある日体調を崩して
保健室のベッドで横になってた。カーテンの引かれた向こう側から声が聞こえた。
保健室の先生がほかの先生と話してる。どうやら僕の新しいシューズを見て話している
ようだった。
「あの靴じゃ、完走できないわよ」
すごく悔しかった。せっかく母が出してくれたお金で買った靴なのに…。
その後の競歩大会は、母のために完走しました。

今でもこのときのことを思うと、子供だったとはいえ、母の苦労に気づかず、
母に申し訳なかったなと、涙が出ます。
ごめんね。これからは僕が楽させてあげる。

362 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/03 18:46 ID:7vpWB1UE
父は私がまだ2歳くらいの時に事故で亡くなってしまったので顔も声も知りません。
小学生低学年の頃、ふと仏壇の引き出しを見たら父の葬儀の写真、事故現場の花などが写ってる写真があり
葬儀中の母の顔が写ってる写真を見てとても悲しくなり1人で泣いてた事を思い出しました。

母方の祖父母と一緒に住んでましたがちょうど4年生頃に祖父母の家から出て母と姉妹だけで暮らしました。
ある日の夕食で何故か父が死んだ時の話になりました。もう昔のことなので内容はよく覚えてないのですが
父は仕事途中で事故に合って亡くなったと聞かされ、食卓が静かになったのは覚えてます。

それ以来、父のことを聞くのはタブーなのではとこどもながらに思い、ずっとずっと父の話を聞きませんでした。
私も大人になり、結婚し親になり、ふとしたきっかけで父のことを聞きました。
「こどもの頃はお父さんのことを聞いちゃいけないって思ってきけなかった。だからお父さんのこと
何もしらない。いろいろ聞かせて欲しい」
やりとりはメールでしたが、やっとお父さんの話ができた。

実家に帰った時、母が写真を一枚くれました。父にだっこをせがむ2歳くらいの私が一緒に写ってました。
今はその写真を肌身離さず持っています。
お父さん、これからも見守っててください。


363 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/03 23:29 ID:1guO/euh
号泣。私も頑張ります。

364 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/03 23:31 ID:vV1Dd7EV
明治最後の年に生まれたばーちゃん。

小学校の頃、ばーちゃんとその頃住んでた街を散歩したのを、いまだ鮮明に覚えてる。
なんか、ほわほわと楽しかった、学校のこととか友達のこととか話した気がする。
おもちゃ買って貰ったことも、何買って貰ったかまで覚えてる。

その後高校生や大学生になっても、盆暮れに帰省して顔見せたりしてたけど、
なぜかその思い出が一番印象的に浮かんでくる。

そんなばーちゃんも、みんなに囲まれて旅立ってもう10年近くたつけど、
今度の夏は嫁さん連れて挨拶にいくからね。

365 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/04 01:36 ID:kTIAd/D5
俺のおかんは俺が小学生の時に倒れ、2年後死にました
ショックからかそれ以来引き篭って居ました
2年前、親父はおかんが元気だった頃に書いていた俺の育成日記と記録ビデオを見せてくれました
日記には俺のうんちの硬さやその日どんな会話をしたか等を7冊に渡って書いていました。
最後の日付は97年の2月17日、倒れる前日でした。それまで毎日書き続けていたんです
その日、俺は学校で友達とケンカして泣いて帰ってきたそうです
おかんは「慎平、泣きたいんやったら泣いてもええよいっぱい泣きなさい。でも同じ涙は二度と流したらあかんで。
その涙を忘れずに強くなりなさい。強く生きなさい。お母さんあんたの泣いてる顔より笑ってる顔が好きケンカで負けても笑えるような男になりなさい」
と書き添えていました。
そのあと撮り溜めしていたビデオを見ましたが本当に俺を愛してくれていたんだなと思いました
見終えた後、涙が溢れて止まりませんでした。

お母ちゃんごめんな 俺また泣いてしもた、でももう泣けへんで 俺強くなる 笑って人生過ごしたる お母ちゃんが誇りに出来るような男になる だからもう心配せんといて

俺はそれから学校に行き、必死に皆に追いつくように勉強して、今年なんとか高校に受かりました。 楽しくやっていけそうです
スレの趣旨とはちと外れるかも知れませんが、大事な思い出なので書いておきます

366 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/04 02:02 ID:sMMqQS7T
全然ステキな思い出ではないけど・・・

二年前、漏れが20歳になった時の誕生日。
その日、初めて親父と一緒に居酒屋に酒を飲みにいこうということになった。
普段飲まない酒をがぶがぶ飲んで、
顔を真っ赤にしながら店中に響き渡る大声で
陽気に笑いながら話す父を見たのは久しぶりだった。
帰る頃にはすっかり酔っ払っていて、心配だったので姉に迎えにきてくれるように電話した。
家からわざわざ車で来るほどの距離ではないので、
歩いて来てくれた姉に付き添ってもらって帰路についた。

午前中の暑い夏の日差しとはうってかわって、夜はひんやりとした夜風が気持ち良かった。
親父は「今日は良かったなぁ」だとかそんなことを何度もぶつぶつ呟いていたと思う。
家まで後100メートルも無いところにある交差点、
ちょうど赤になった信号を恨めしく思いながら三人で青になるのを待った。
信号が青になり親父と付き添う姉が歩き始めた。
漏れは携帯の着信音が鳴ったので立ち止まって確認した。彼女からのメールだった。
携帯に目を落としていた漏れの耳に、鋭いブレーキ音と姉の短い悲鳴が聞こえた。
驚いて目を上げると、姉がしりもちをつき、そのすぐ目の前に白い車が停まっている。
あわてて親父の姿を探した。親父は数メートル先に横向けになって倒れていた。
その一瞬漏れは何が起きたのか分からなかった。

367 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/04 02:03 ID:sMMqQS7T
姉がばっと立ち上がって「携帯貸しなさい!」と半ば叫んで携帯を漏れからひったくった。
周りには人が集まってきて騒いでいる。
そんな中漏れは何もできずに立ったまま、倒れた親父の方をぼーっと見ていた。
姉は混乱しつつも救急車を呼んでいるようだった。今までにないくらい焦ったような口調で。

その時、白い車から若い男が出てきた。
(これは後に知ったことなのだが、男は22歳で先週車の免許を取ったばかりだったそうだ。)
漏れは何も考えずに出てきた男に掴みかかり顔面を何度も殴ってやった。
その時漏れが何を考えていたのかも何を言っていたのかも覚えていない。
そのまま倒れこんだ男の頭をさらに何度か力いっぱい蹴りつけた。
姉が泣きながら「やめなさい、やめて!」と言って漏れに掴みかかってきた。
周りで見ていた何人かも漏れを止めようとしたらしい。でも、その後の事はあまり覚えていない。
落ち着きを取り戻したのはパトカーの中だった。隣には姉も居た。
親父は、病院に着く前に救急車の中で息を引き取ったらしい。
親父をはねた車に乗っていた男は、損傷による右目視力低下、
口内裂傷、それと鼻の骨が折れたとか言ってたかな。
しばらく色々面倒なこともあったが、結局相手にこんな障害を与えた漏れの方は大したお咎め無しだった。
親父はぶつかる直前姉を突き飛ばしたため回避が遅れ、もろに衝突してしまったらしい。

なんか、思い出したら考えまとまらなくなってきた。後半文章まとまってなくてごめん

368 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/04 04:50 ID:vRzpiQ7D
俺のガキの頃、ものすごく貧乏だった。親父、アル中街道まっしぐら(笑)
辛かったけど、おふくろはものすごく俺にやさしくしてくれてさ。

俺が小学生の時、おふくろの知り合いの御夫婦が家にヒョッコリ遊びに来て
俺1人だけを外に連れ出したんだよね。 車で向かった先はレストラン。
「好きな物、何でも食べていいよ」って、俺に言うの。 どういうこと?
メニュー見たら、ビーフカレーが1200円もする。 んもう、アホかと。
そんな高いの、俺1人だけで気楽に食えるかよ。何でおふくろも誘わない?
俺、メニューの中で一番安い200円のクロワッサンを選んだ。そしたら
「それは付け合わせで食べるパンだから、他にも頼みなさいな」だってさ。
俺、意地はって、クロワッサンだけでいいって言ったんだ。
何かすごいムカついてきてさ俺。 こいつら俺に同情してんの?…なんて。
結局、クソ固いクロワッサンだけ、ムシャムシャほおばって食事は終了。
意地を張り通した事で、自分に酔いながらニヤけて帰宅したんだけどさ、
家に入ったとたん、おふくろが満面の笑顔で、俺に
「良かったねぇ、何を御馳走になったの? 美味しかったでしょ〜?」
なんて聞きやがる。 美味しかったワケないじゃん、固いクロワッサン。
「何をって… クロ…」 言い終わらないうちに、なぜか泣いちゃった俺。
おふくろに「何泣いてるのよ?」って笑われながら、頭をなでられた。

あれから20年。今でもクロワッサンが嫌い。 あのパン、キモイよ形が。
でも1200円のビーフカレーは、好きなだけ食えるようになった。

369 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/04 05:24 ID:xOHfan6G
>>366
>>368
おまいら切なすぎだぞ

370 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/04 07:46 ID:cYAQntdy
.*・゚(つд`)゚.*。涙が止まらないよ‥

371 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/04 15:36 ID:na2LQz9v
>>365
いい子。。・゚・(ノ∀`)・゚・。
お母さんの言葉、大事にしてね。
がんばってね。

372 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/04 17:43 ID:qEYeUMrP
コピペです。


生まれて27年、一度も母の顔を見たことがありません。
同じような人は一杯いると思うし、それを理由にグレたりもしませんでした。
祖父母が親代わりになって、とても良くしてくれたからだと思います。

24歳のお盆、実家に帰ったときなのですが、深夜に一人茶の間でテレビを見ていると
じいちゃんがもそもそ起きだし、通帳をポンとこたつの上に置き「やる」と一言。
見ると、身に覚えのない通帳なのですが、僕の名前が書いてありました。
中を見てみると100万近い預金、「何これ?」と聞くと「いいから、だまって持っていけ」。
僕が生まれた年から、1000円、2000円と少しずつ、少しずつですが、預金をしていました。
裕福な家庭とはお世辞にも言えない状況で、20数年間、僕のためにコツコツ貯めてくれてたと思うと、
それまで、身内の前で泣いたこと無かったのですが、そのときは涙が溢れ止まりませんでした、
そんなボロボロ泣いている僕をみて、頭を叩き「男が泣くな」と一言いって、寝床に戻っていきました。
その数ヶ月後にガンで他界するのですが、家族のダレも気づかずずーっとガンだということを黙っており、
逆算するとそのときはもうボロボロになっていて、病院の先生も「普通は立てないですよ」と
言っていました。今思うと、もう長くないことを悟っていたのだと思います。
倒れてからは病状がひどくて、自分の息子(オヤジ)の顔もわからなかったらしく、
じいちゃん子だった僕がショックを受けるからと、亡くなるまで知らされませんでした。
後から聞いたのですが、病院のベットで息を引き取る寸前まで、僕の名前を呼んでいたそうです。
言葉ではなく行動で示すその姿勢に男を感じ、
最後まで僕のことを心配していたじいちゃんにありがとうを。



373 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/04 17:50 ID:acPZnTK0
<<203 俺も自分の誕生日忘れてた、誕生日から四日過ぎて思い出した、親に誕生日祝って何て言えないし、なんか寂しいな。´Д`

374 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/04 18:05 ID:EseDyBWE
怒ってばっかりで口うるさい婆ちゃん。
写真を見たら、孫がハミゴにならないように手を添えたり
立ち位置もすごく気をつけているのが分かった。
地味な優しさに気が付かなくてごめんね。

375 : ◆xIJ1shvh3o :03/06/04 18:51 ID:Mt71+ZiF
お父さん。
あなたは5月31日、いい夢を見ながら肝硬変により、
58年もの歴史に幕を下ろしました。
しかし一番嘆き悲しんでいたのは、私の祖母でした。

私が印象に残っているのは、
お母さんがいなかったときにデパートへ連れていき、
ステーキを食べさせてくれたり、私を屋上遊園地で遊ばせたりしてくれました。
不定期でありながらも、私にとって重要なもの、お小遣いもいただいていました。
号泣している私をさらに説教させたりもしていました。

父親の急性に嘆き悲しんでいた祖母とのかかわりは、あまり印象深くないのですが、
ぐずっていた私を影でなぐさめてくれたり、
私のための人形を作ってもらったことです。
いつの時代も、しぶとくいきのこり、そして現在も長生きです。

深く感謝いたします...。

376 : ◆xIJ1shvh3o :03/06/04 18:54 ID:Mt71+ZiF
追伸
お父さんは、“優終の美”を飾りました。
誰もが病床内で見守っている最中のことです...。

377 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/04 19:21 ID:oim5dX92
ちょと上にいってしまったが
>>331
泣いてしまたよ

378 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/04 20:55 ID:7Ef28f55
>366
淡々とした文章なのに、読んでたら泣けてきた。・゚・(ノД`)・゚・。


379 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/04 21:33 ID:i0fA+BW1
大好きだったおばあちゃん。
僕ら十人の孫を、本当に、精一杯可愛がってくれたね。
小さい頃は、みんな近くにいられたけど、だんだん大きくなって、
近くにいることが出来なくなっちゃったね。
電話したら、元気か、ご飯食べてるか、お金あるか、って、
自分のこと以上に、僕等のことを気にかけてくれてたよね。
大きい病気になったあとも、そういう僕らに対する態度は、
変わらないでいてくれたよね。
それなのに、最後の最後に、会ってあげられなくてごめんね。
もっと、おばあちゃんのためのことを考えてあげればよかったね。
お葬式の時、久しぶりにみんなで集まって、昔の話をしました。
おばあちゃんがいてくれたおかげで、こうやって、
今でもみんなで、仲良く協力してやっていくことが出来ます。
おばあちゃんは、もう二度と一緒に喜んだり、哀しんだり出来なくなってしまったけれど、
僕らは今でも仲良しです、これからもきっとうまくやっていきます。
おばあちゃんがいなくなってずいぶんたってしまったけれど、
もし霊魂というものが本当にあるのなら、きっと、喜んでくれるよね、おばあちゃん。

380 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/05 02:12 ID:SNA7YoRb
皆ウルウルしながら書いてるんだろうなぁ…

思い出すよね…

生前の笑顔…。
(T_T)

381 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/05 02:14 ID:ZY0s6V+B
あなたが探してるのってこれだよね?でも眠れなくなるよ!
http://endou.kir.jp/betu/linkvp/linkvp.html
http://angelers.free-city.net/page003.html

382 :おさかなくわえた名無しさん :03/06/05 09:17 ID:KpZ7FJjl
父の借金のせいで貧困生活をしてた。でも母は私にそのカケラすら
感じさせることなく気丈で明るく「なんとかなる!」で頑張ってた。
反抗期、その母が泣き出すぐらい罵声をあびせかけたこともあった。
それでもいつもなんでも話を聞いてくれ、アドバイスをしてくれた。
父も人が変わったようにまじめに家族思いの父になったのも、母の
努力だったと思う。
昨年、私は結婚した。結婚式の時、私の旦那の策略で手紙を読むはめに
なり、恥ずかしい言葉ならべた手紙を読んだ。
毎日、「もう嫁にいっちゃうんだなぁ」としみじみ涙してた父。一人娘
だったから余計寂しかったみたいで結婚式は号泣だな、なんて言ってた父。
でも、その日父より母のほうが号泣してた。鼻真っ赤にして。
まだまだ新米主婦だけど、いつか母になった時は、母のような立派な母に
近づけるよう、がんばりたいと思いました。

383 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/05 17:40 ID:ddkybYBH
最近僕も泣いたことがあったので書いてみます。
僕の母は子どものことを第一に考え、それは車に乗っている時でも
はっきりと解るものでした。
僕が幼少の頃、母の運転する車に乗ることが多くありました。
母は運転があまり上手くはなく、急ブレーキを踏むことが多々ありましたが、
そんな時は必ず助手席に乗っている僕の肩の前に左手を伸ばしてきて自分は
つんのめりながらも私を支えてくれていました。
今は僕が母を助手席に乗せる機会の方が多くなっています。
つい先日、母を助手席に乗せて走っていた時、突然飛び出してきた車があった
ので僕は急ブレーキを踏んでしまったのですが、その時自然と僕は母の肩に左
手をかけ、母の身体を支えていました。
なんだか昔とは逆の立場になったのがおかしくて、笑いながら母を見ると
母は涙目になって驚いていました。
「私がそうやっていたの覚えてたの?」
「うん、覚えてる、けど今のはわざとじゃないよ。」
と言うと、母は泣き出してしまいました。
別に泣くようなことじゃないのになんだかこっちまで泣けてきて・・・。
変なところが似るんだね、母さん。
泣き虫なところまで似ちゃって・・・ホント困るよ。

384 :。・゚・(ノд`)・゚・。 :03/06/05 18:31 ID:0XkjQrBh
結婚したての頃、料理とか家事とか仕事も必死にがんばった。
がんばりすぎてノイローゼになり、胃痛と嘔吐繰り返して倒れた。
もうすぐ1年目って時。
ちょうど結婚記念日は私の誕生日でもあった。
夫は不器用ながらもぎこちない手でカレーを作り、買ってきたショートケーキ
にロウソクたててささやかながら祝った。
照れくさそうに「無理しなくていいから。これからもずっとずっと俺の妻で
いてもらいたいから」と言ってくれた。
もうすぐ2年目。今ではすっかり元気になり、「適当」という技も取得し、
改めて夫の妻になれてよかったと思った。
もうすぐ家族が増えるよ、パパ。もっともっといい家庭作ろうね。


385 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/06 11:01 ID:sYqmeyWv
(´・ω・`)

386 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/06 11:45 ID:qeOtD/y7
いつもふざけたは日記なんだけど、今日のはちょっぴり泣きました。

http://www.interq.or.jp/cool/akatuki/index.htm



387 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/06 12:00 ID:L6ycDPzR
>>384

俺、カレーもチャーハンもギョウザに豚の角煮も作るし、
掃除洗濯育児に糞尿の始末、仕事となんでもやるけど、
週一回三時間くらい、妻から懇々と説教食らってるよ。

この違いは何だ。

388 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/06 12:05 ID:vauI+V0B
>>387
それはさ、元々真面目なヤツがボランティアしても誰からも誉められないのに
元珍走がボランティアすると「美談だ」って取り上げられるようなモンだよ。

世の中そんなもんだよ(´・ω・`)ショボーン

389 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/06 12:15 ID:P9V1jZ3O
それは説教という名の愛だ
もし奥さんが先立ってしまったら
それすらもいい思い出になるのかもしれん

390 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/06 12:27 ID:ba4hby+O
こんな風に語られるような人間になりたいな・・

391 :387:03/06/06 12:39 ID:L6ycDPzR
>>389

気が狂わんばかりに理論崩壊した説教を5時間受けた後、
クルマで家を飛び出し、
止められない絶叫を押し殺す為に拳を口にねじ込んで、
涙と鼻水でぐしゃぐしゃになりながら市内を走りまわった事がありますが、
ほほう、
これも愛だったのですね。

392 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/06 12:42 ID:ba4hby+O
>>391 別れたら?


393 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/06 12:42 ID:vauI+V0B
>>391
病院に連れてけよ…

394 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/06 12:43 ID:P9V1jZ3O
>>391
ええ、愛です。
愛の対極は憎しみではなく「無関心」ですから。
5時間も休まずですか。愛のなせる業です。

気が動転してる時の無謀運転は愛ではありません。
常に殺人の可能性を積んで走っている事を忘れず、
冷静なドライバーであってください。

395 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/06 13:36 ID:PxoKlCgC
>>391
浮気したとかでもないの?

396 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/06 18:04 ID:PU7eOqV3
あげます

397 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/07 16:15 ID:6r16MlYq
>>391
ごめん。笑った。

398 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/08 00:21 ID:6YBs3k04
ちょっぴりスレ違い(´・ω・`)

399 :(´・ω・`):03/06/08 00:46 ID:+saRB3U8
思い出というか、昨日の昼間あったことなんだけど。
私が790円のユニクロのセールのTシャツを自分用にかったのね。
母もいいなーっていうのがあって、欲しかったみたいなの。
でも横浜でブランドのシガレットケースを自分用に買ったから、
それにいくら790円だとしてもTシャツも自分のために買うなんて
お父さんに悪いなって躊躇してるから、私が買ってあげたの。
そしたら涙ぐんで「ありがとう」って言われた。
些細なことでも、何かしてあげるだけで喜んでもらえるって、なんか幸せ
だね。

400 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/08 00:48 ID:wBauSSIK
おやじがガンで死んだ時、
普段ちょう無愛想なおふくろが、
今まで聴いたことのないトーンで泣いた。
驚きと同時におやじとおふくろの愛の深さを、
身にしみて感じ取れた。


401 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/08 02:32 ID:gmqItyxh
ティッシュがどんどんなくなってくよ・・・


402 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/08 05:09 ID:TZlPNnP2
>>401
ホントに。
鼻の下も痛い…

403 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/08 13:15 ID:OQPYobeI
ウワ〜〜ン!

404 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/08 13:25 ID:+zfGxVfp
母が息を引き取るときに
父が母の名前を呼んだ。お疲れ様という感じで。
ふだんは名前で呼ぶことはなかったので印象に残ってる。

405 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/08 13:36 ID:d6x3aURo
祖父が死んだ日に、
祖父の残したわずかながらの財産をめぐって、それまで仲の良かった
親戚同士がものすごい形相になって言い争いをしているのを見た。
祖母は何も言わずに、庭に咲いている祖父の大事にしていた盆栽を
眺めていた。
みんな自分の事しか考えていないと思った。やさしさなんて嘘だ。
少しでも自分よりうまくいっている人間を見れば、その人の状態がどうであれ
攻撃を繰り返す。それが人間だ。

406 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/08 13:48 ID:fbzUx7K2
親孝行は出来る時に、出来る範囲でやっておいたほうがいいよ。

407 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/08 13:50 ID:d6x3aURo
姉は学校での評価は底辺だったけど、
試験の成績自体は優秀で医学部を目指して浪人していた。
赤点だらけの学校の成績を知っていた親戚や従姉妹は、姉がいざ試験で高い得点を
出したが、惜しくも合格を逃したという事を知ると態度が急変。
徹底して姉を痛めつけだした。姉のコンプレックスである顔や身長の低さなどを
引き合いに出して笑い飛ばし貶し続けていた。両親はたいしたことではないと
思っていたらしいが、センター試験一週間前に姉の部屋に突然従姉妹が遊びに来て
「いい大学行って医者になったからって何になるの?女は顔が良くなきゃ結婚できない。」
みたいなことを言ったらしい。姉は精神病を発し試験ではボロボロになり今は病院通いで
何とか生きているけど、もう表情は一切ない。たまに叫びながら暴れたりしてる。
ああ、家族って恐ろしい。家族って恐ろしい。

408 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/08 13:55 ID:d6x3aURo
>>406
俺もそう思うよ。家族や親戚に会ったり電話で声を聞くだけでも、
俺らの兄弟従姉妹は吐き気をもよおしたり凶暴化したりするけれど、
それでも父の日にははじめてのバイト代で何か送りたいと思ってる。
定年退職して家のソファーの上でテレビ見てるだけの余生は送ってほしくないし、
何か、何でもいいから趣味をもってほしいな。

409 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/08 14:10 ID:d6x3aURo
家族なんて幻想に過ぎない。「マイナスの親」をもっている悲惨な環境にある人は
進学などをきっかけにそこから脱出し、自然と解決に向かうまでほっとけ。
ひきこもりやってる奴の原因の最大のうちの一つは家族に粘着キチガイがいることだ。
どんな人間でも失敗をするが、その失敗を死ぬまで覚えていて相手が抵抗しなくなるまで
言い続けるのが粘着キチガイだ。しかも粘着キチガイは遺伝するから家系内に一人や二人じゃ
すまされない場合がある。そうすると、家庭は生き地獄だ。

410 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/08 14:23 ID:d6x3aURo
>>401
あまりやると赤球が出るぞ。

411 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/08 14:46 ID:Rx4iMj8R
>>d6x3aURo

おまい自身が粘着キチガイみたいだが。
それにスレ違いだよ。

412 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/08 14:49 ID:d6x3aURo
>>411
「思い出して“ホローリくる”家族との思い出」なんだからいんじゃないの?
だめなの?

413 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/08 14:56 ID:d6x3aURo
みんな恐れているんだね、家族の本質を。


414 :K:03/06/08 23:08 ID:zaTBXpvP
わが家には10年以上前から飼っていた一匹のシベリアンハスキーがいた。
名前はパール。可愛い犬だった。
時々脱走して追いかけたことも数知れずだったけど、本当に家族の一員として
父も母も弟も私も可愛がっていた。
去年・・そのパールが病気にかかった。子宮の中に膿がたまる病気で、年をとった
雌犬はその病気になる確立が高いのだそうだ。わが家ではパールを動物病院に
預けた。そして3日後、パールは元気に帰ってきた。
「よかったねー!」家族中が喜びに満ちていて、本当に僕もよかったと思った。
そしてそれから半年余りがすぎたある日のこと。
夜ゲームをしていた僕と弟は、「キャンキャンキャン!」という尋常ではない
パールの鳴き声に驚き、小屋まで走っていった。するとパールが腰から崩れ落ちるようにして
這いつくばっていた・・。
家族はビックリして、夜でも来てくれる動物専門のレスキューを頼んだ。
そしてやってきた医者は注射を打って帰っていった。「とりあえず明日の朝まで
様子をみよう。」ということになり、寝ようとしたら、どうもパールの様子が変だ。
夜中の3時くらいまで鳴き続けていたのだ。そんな姿を見るのは初めてだったので、


415 :K:03/06/08 23:19 ID:zaTBXpvP
家族は動揺した。僕も「うるさいなあ・・たぶん薬が効いてきたら
静かになるだろう。」とその夜は眠りについた。しかし次の日の朝、
母の声で目がさめた。

「パールが・・亡くなったよ・・・・・!」

僕は驚いて飛び起き、パールのいる玄関まで走った。
パールは死んでいた・・。冷たくなって、目はどこか寂しげだった・・。
まるで「苦しかったよ・・。でももう楽になったから・・。」と訴えかけているようだった。
その場にいた弟、僕、母は泣いていた・・。
その後、パールを布で包み、動物の葬儀をしてくれる市の葬儀場まで
車で運んでいった。
車中、弟と僕は無言のままだった。会話をする元気もなかったのだ。
僕はずっと後悔していた。「あの時、僕がパールの側にいてやれば・・!」
きっとパールは苦しかったんだと思う。暗い玄関で誰にも看取られることなく
この世を去っていったパール・・。
帰ってからも後悔しっぱなしだった。「ごめんな・・パール・・。」と。
パールが亡くなってから1年。
今わが家には新しい家族、ウエルシュコーギーの「もこ」がいる。
パールの時のような事を繰り返さないためにも一杯遊んでやって、
思い出をたくさん作るつもりだ。
でもパールのことは死ぬまで忘れないよ。サイドボードに今でも
飾ってある写真は死ぬ1ヶ月前に撮影したパールの写真。
こないだ見たらなんだか心なしか穏やかな顔に見えた。

パール、思い出をありがとう。

416 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/09 02:45 ID:szXUrQjs
>415
ペットを飼うことは人間のエゴに過ぎないよ。
同じ過ちを繰り返したくないならペットを飼わなければいいのに。
人は同じ過ちを繰り返すよ。

417 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/09 12:39 ID:hsA38fas
>>416
それでも俺の家族は、捨てられている動物を見過ごしたり出来ない。
必ず拾って、必ず最後まで面倒見てやる。
捨てる側の人間のエゴをなんとかするのも人間のエゴかもしれない。
それでも、人間としてやらなくちゃいけないことだと思っている。

先日、拾ってきた犬が16歳で死んだ。その後、親が思いきり老け込んだ。
彼(犬)は家族にいろんなエネルギーをくれていたんだな、と思えた。

418 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/10 00:58 ID:n59AVbP3
>>416
そんな言い方しなくてもいいだろ?

419 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/10 01:31 ID:Qjm2nFNY
つい先週、風邪をひいて頭が痛くて夕飯を作って
子供に食べさせてから横になってました。
うちは旦那さまが3年前にガンで他界したので
世間で言う「母子家庭」なんだけど今は私の親と住んでいます。

親と一緒に4歳の息子はTVを見ていたんで、
1時間くらい横になっていようとしたら、息子がタオルを濡らして
もってきてくれました。
まだ力が無いから水もしっかり絞れないのに
自分が風邪の時にしてもらったことを覚えていたらしく
「これで風邪は治るからね。寝てなさいね」と
頭にのせてくれた。

水がジワ〜と流れそうなタオルだったけど、
その前に目から涙がジワ〜と流れた。

いつも仕事で忙しくて思いっきり遊んであげることができない事を
心の中で謝りました。
今度の休みは遊園地に行きます。

ありがとぅ>息子

420 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/10 01:32 ID:wy5pbi4u
衝撃!!!2ちゃん女子○学生(○5歳)セルフヌードライブ中継!!
http://popup5.tok2.com/home2/miholove/

421 :ユリ:03/06/10 01:41 ID:1eYYII4u
私のおじいちゃんは私が小3の時に塵肺(←病名?)で亡くなった。
じいちゃんは、私をとても可愛がってくれた。
じいちゃんにとっての初孫、というわけではなく
長男であるお父さんの長子だったからかな?

私は小さい頃から絵を描くのが好きで、小学校の時にコンクールで入賞し,賞状をもらって帰った。
入賞した絵は、私が家で下書きをしていた絵で、
じいちゃんは「ユリは上手じゃのぅ!」と褒めちぎってくれた。
その絵を塗り、コンクールに出し入賞した頃、もうじいちゃんは入院していた。
私は「この賞状をじいちゃんに見せるんだ!」
と夜お父さんとお母さんに病院に連れて行ってもらったけど、
看護婦さんがじいちゃんに会わせてくれない。
その時はじいちゃんの容態が急変し、凄く危なかったそうだ。そして

じいちゃんの心臓が、止まった・・・

422 :ユリ:03/06/10 01:42 ID:1eYYII4u
そんな事情なんて分からない私は
「何で?何で看護婦さんはそんなことをするの?
じいちゃんに会わせてよ!うわーん、じいちゃーん!じいちゃーん!」
と大声で泣き叫びながらお父さんたちに駐車場まで連れて行かれた。

その時、奇跡が起きた。
病室に私の泣き叫ぶ声が聞こえ、じいちゃんの心臓が動き出した。
これには医者もびっくりしたらしい。
後日この事を泣きながらばあちゃんが教えてくれた。
その時は「じいちゃんが死ななかったんだ!良かった!」と凄く嬉しかった。
自分がじいちゃんを救ったんだ!と思うと涙が出た。
じいちゃんは「ユリが泣きよる!まだ逝くわけにはいかない!」
と思ったらしい。

それから数年後。
その日はじいちゃんのお見舞いに持っていく花を折り紙で折っていた。
確かチューリップだったと思う。
台紙に花を貼り付け、「お母さん、じいちゃんとこお見舞いに行こ!」
と言いに行こうとしたら電話がかかった。お母さんが電話を取った。

じいちゃんが息を引き取ったらしい。


423 :ユリ:03/06/10 01:42 ID:1eYYII4u
呆然とした顔で母は受話器を置いた。私は
「病院行こう〜、じいちゃんにお花あげるんだ!」と言った。
母は「もう、そのお花もって行けれないんよ…じいちゃんな、死んじゃったって。」
と。涙が出た。嘘でしょ?そんなの嘘に決まってるよ!じいちゃんは死なない!

じいちゃん、無言の帰宅。初めて直面する身内の死だった。
棺の中のじいちゃんを見て私はわぁわぁ泣いた。
母が「そんなにユリが泣いたらじいちゃん安心して逝けないやろ?」と慰めてくれた。

それから10年近くたとうとしてる。
今は学校の事情で寮に住んでいてなかなか家には帰れないが
家に帰った時はちゃんと線香をあげている。
そして、いまだに身内の死が怖い。

424 :ユリ:03/06/10 01:50 ID:1eYYII4u
あぁぁ、ぜんぜんホローリじゃない(´Д`;)
しかも乱文…
逝ってきます・・・

425 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/10 03:13 ID:Gan9f8q4
217,218さん
今の私と、驚くほど境遇が似ています。私も今就職活動中。年も一つしか変わらないよ。
でも、一つ違うのは、うちの母は本当に最低な人で、妹産んですぐどっかの男とあたしたち連れて逃げたってこと。
でもさ、結局面倒見切れなくて、あたしたち姉妹は「養子」として父のところに戻ったらしい。
そんでまた逃げた。
逃げるだけならまだしも、金もせびってきた。おまけに、旦那と嫌がらせもしてきてたらしい。
おかげで近所の人に冷たい目で見られたし、私も苦労した。
だけど、うちの祖父祖母は私達の面倒見ながらご近所に積極的に出向いたり、
父も男手一つで私達を育ててくれた。
おかげで近所のおばちゃんとはすっかり仲がいいし、いい生活もしてもらってる。
立派な家も建ててくれた。でもそれって、本当に大変なことだと思う。
漠然としか分からないけど、やっぱり「大変だ」っていうのはよく分かる。
私はまだ19だし、人生の酸いも甘いも知らないガキなのもよく分かってる。
けど親元はなれて生活して、すごく親の大変さが少し分かった。偉大さも知ったよ、すごくね。
不良になってた妹も、今日その話を聞いて、改心すると決めてくれた。
まだ17の妹にこんな話は酷だろうな、と私はそっちで泣いたよ。可哀想でさ。
母親の代わりをしてくれている祖母は、この話を震えながら話してくれた。父は泣きながらだった。
祖父に限っては満足に体動かせないのに、あたし達を抱きしめてくれた。

就職し、社会人になる。
これがいまできる私の精一杯の親孝行だ。
だけど、大人になったら、絶対に私はこの家族を守れる女になりたいと思った。

218さん、貴方の言葉をお借りします。
お母さんがいないということ。だからお母さんの分まで愛情を注いでくれたこと。
今ならすごくよく分かります。
父ちゃん、ばぁちゃん、じいちゃん、私は貴方達に育てられて本当によかった。

乱文失礼しました。

426 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/10 08:40 ID:G1Zvrjew
>425
細かいことなんだけど、「祖父に限っては」って「祖父にいたっては」と
言いたかったのではないかと推測。
でもホローリしたぞ。ガンガレ。

427 :425:03/06/10 14:11 ID:Gan9f8q4
>426
そうでした・・・。ご指摘ありがとうです。


428 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/11 19:39 ID:iQb8n7TB
多分4〜5歳の頃だと思いますが、母親に『パンダのヌイグルミが欲しい』と
ねだった事がありました。
当時家は極貧状態で、当然ヌイグルミを買う金などありませんでした。
ところが、数日後母親が『パンダのヌイグルミだよ』と言って私にあるものを
手渡しました。
それは手作りのパンダのヌイグルミでした。
それも手・足・体・頭そして表裏全ての生地が違うパンダでした。
多分カーテンや古いスカートだったのでしょう。
中身も古いストッキングが詰まっていたと記憶しています。
更に顔はマジックで描いてあり、おおよそパンダとはかけ離れたものでした。
『こんなのパンダじゃない!』と母親に言うと、何とも言えない悲しい顔をし
て無言で台所へ行ってしまいました。
今思えば手作りのヌイグルミで我慢させなければならなかった母親はどれだけ
辛かったでしょう。
今でこそ人並みの暮らしができるようになり、父親は他界し母親と二人暮らし
ですが、30年以上たった今でも時々思い出して親孝行しなければと思います。


429 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/12 02:09 ID:ACAVbvDH
>>428
せつないよぅ…。

430 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/12 06:10 ID:qm2Aa0a8
<<416 君がそう考えるのは勝手だが、その様な発言をいちいち書き込まないでくれ スレ汚しスマソ

431 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/12 06:17 ID:a97oRAjV
>429 いいお坊ちゃんですね(泣)  ママ、頑張って!

432 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/12 12:44 ID:OtMxdARq
俺はばーちゃんが嫌いだ。

小さい頃からいつも可愛がってくれた、ばーちゃんが嫌いだ。

いつまでも元気で居てくれ、って子供の頃に約束したのに、1年前の2月終わりに逝ってしまったから、嫌いだ。

葬式の時の顔は本当に穏やかだった。まぁ、死に化粧とかもしてあったんだろうが。
その時は淡々とお骨拾いもやってたが、今になって思い出すと涙が出てくる。

最後に会ったのは、田舎の近くの療養所(骨を折った)だった。
すっごい嬉しがってくれたのを良く覚えてる。
いい、って言うのに、小遣い渡すんじゃねーよ。まじで。
こっちが気を使うだろうが。

ばーちゃんが危篤だと言う知らせを受けて、急いで家族で帰った。
家を5時に出て、8時に田舎についたら、6時頃に亡くなった、って聞いた。

俺は、俺に断りもせずに勝手に死んだばーちゃんが、本当に嫌いだ。

433 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/12 12:45 ID:C1bZ6Ll2
催涙ガス噴射 虎ファン暴動
http://www.sponichi.co.jp/baseball/kiji/2003/06/12/01.html

中日・阪神ファン興奮、異臭騒ぎも
http://www.mainichi.co.jp/news/journal/photojournal/today/12-08.html

ファンが小競り合い…ガス投げられ51人手当
http://www.sanspo.com/tigers/top/tig200306/tig2003061203.html

阪神戦で催涙ガス?51人手当て2人入院 [12日01:40]
http://www.nikkansports.com/ns/baseball/f-bb-tp0-030611-0033.html


434 :春風に吹かれて:03/06/12 23:46 ID:MZj3ImGg
私が子供の頃は生活が大変苦しかった。
父は社会になじめず失業を繰り返しそれゆえに母が生計を立てていた。
父は深夜まで酒を飲みながらため息ばかりをついていた・・・また時に泣いていた。
そんな父を私は頼りなく母に苦労ばかりかける最低の人間。子供心にそんなことを思っていたりもした。
私も今は社会にでて三年になるがあのときの夜中に父が泣いている理由が理解できたきがする・・

435 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/13 01:07 ID:DF6YBxLr
去年母が癌で死んだ、55歳だった
俺は看護師、姉も旦那も医療系
随分と淡々とした葬式だった

母の口癖は「あんたら私ら死んでも誰も悲しまんやろなー」だった
小さい頃から母はよくこういった
「あんたら父のような事務系は駄目、いつも残業残業」
「私子供の頃に心臓の手術してて看護婦さんにすごくお世話になってるし」
「私も心臓が良かったらそういう道に進みたかったけど無理やった」
「だからあんたらのどっちかはそういう道に進んで欲しい」
と言われ続け姉は検査の道へ
俺は見事に看護の道へ


親父が煙草吸いながらぼーっとしてる
お父さんなんか飲む?って聞いたら

436 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/13 01:40 ID:c1UpqyAD
十年以上前に祖母と田舎に帰った。
当時、私は田舎なんてつまらん、遊ぶ所も無いしする事も無いしって思ってた。
で、本当は2週間いる予定だったんだけど5日ぐらいで「帰る」って言った。
祖母は「そうかぁ。」とだけ言った。
私はやっと帰れる、帰ったら何しようかな?なんて思ってた。
で、田舎は小さな島なのでまずは小さな船に乗って大きな港まで行くことになった。
祖母はその小さな島の小さな港に見送りに来てくれた。
私は「んじゃ帰るね。」言い小さな船に乗って島を後にした。
船の中で、ふとその小さな港を見ると、祖母が立っていた。
足が悪いのに港の先まで来ていた。
こっちなんか見えるはずも無いのに、じっと立っていた。
小さな港で小さな祖母がずっと立っていた。

ちょっと泣いた。ひどい孫だなって思う。

437 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/13 03:57 ID:m6T6EOxN
>>435  続ききぼんぬ

438 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/13 04:46 ID:f2QR7Ijm
>>415=417
優しいあなたに心からありがとう。


439 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/14 08:28 ID:VO7NCuvH
感動の一言

440 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/14 15:42 ID:86hYCG2q
すいません ageさせてください

441 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/14 17:20 ID:nz+65O0v
>>400
俺のじいちゃんが死んだ時も、普段温厚でおっとりしてるおばあちゃんが
わめくように泣いてたのが印象に残ってる。

442 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/16 10:12 ID:1jE84w0O
私は幼い頃に祖母を無くした。
いや、詳しく言えば私が生まれる前に亡くなっていたらしい。
私が生まれる、四ヶ月前のこと・・・。
祖母は病気にかかって、あまり元気とはいえない状態だった。(その病気が何かは知らないが)
そんな中、新しく三人目の孫が生まれるという情報が入った。(漏れ)
祖母は大変喜んだ。祖母は、子供が大好きで、とても優しい人だったという。
しかし、ある日突然病気が発作し、亡くなってしまった。
その四ヵ月後に、私が生まれた。
今では会えない祖母だが、きっと天国で私を見守ってくれていると、自分の中で思った。

母から聞いた話ですが。

443 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/17 00:27 ID:XlbXerck
幼い頃、家が近かったせいもあって
母方のおじいちゃん、おばあちゃんにとても可愛がられて育ちました。
遊びに行くといつもおいしいものを食べさせてくれて、
欲しいおもちゃも買ってくれた。
お小遣いもいつも貰っていました。

小学校に上がる前に、親の都合で1時間ほど離れたところに引越しました。
それでも週末は必ず遊びに行っていたんです。
でも中学・高校と進むにつれ、だんだんと疎遠になっていきました。
友達と遊んだり、勉強したりするほうがそのときは大事だったから。

当時うちは貧しくて、お小遣いという習慣がない家だったので
欲しいものができたり、手持ちがなくなったりすると
祖父母の家に行って、お小遣いを貰ってたました。
ほとんどせびりに行ってただけ。
口には出さなかったけど、分かってたんだろうな・・・。

444 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/17 00:28 ID:XlbXerck
高3の夏、おじいちゃんが亡くなりました。
孫には優しかったけど、おばあちゃんや子供たちにはいつも毅然として
とても厳しい人でした。
悲しかったけど、なぜか涙は出なかったんです。
どっちかっていうと、喪失感のほうが大きくて。

おじいちゃんの生前は、あんなにグチを言っていたおばあちゃん。
おじいちゃんの介護からも開放されて、ようやく余生を楽しめる時が来たのに
なんとなく、おばあちゃんが一回り小さくなったような気がしたのは
気のせいだったのかな。

大学受験を控えたその年の冬、おばあちゃんの家に行きました。
その日はすごく寒い夜で。
いつものように、帰り際最寄駅までおばあちゃんが送ってくれることになりました。
玄関を出るときにおばあちゃんは「これ暖かいんだよ」って、
同居してたいとこの黒いダウンジャケットを羽織ったんです。
でも、ジャケットはちょっと太めのおばあちゃんの体には小さくて、
今にもはちきれそうで。
その格好がおかしくてつい笑ってしまいました。
おばあちゃんも照れて笑っていました。

その時に心に決めたんです。
「大学に入ってバイトしたら、一番最初に貰ったお金で
おばあちゃんにダウンジャケットを買ってあげよう」って。
季節はずれになっちゃうかもしれないけど、
その次の冬でも着られるようにって。

445 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/17 00:28 ID:XlbXerck
その数日後、年が明けて突然おばあちゃんが倒れたという知らせが入りました。
救急車で運ばれ意識不明のまま、呼吸器に繋がれ数日間。
まだ体は温かかったのに。
声をかけたら動いたと思ったのに。
結局、最後の言葉も交わさぬまま、おばあちゃんは逝ってしまいました。

最後まで、あたしの無茶な受験と体を心配してくれてたおばあちゃん。
無事に大学に合格したこと、伝えたかった・・・
大きなダウンジャケット、買ってあげたかった・・・
そして、少し大人になった自分と、同等に話をしてみたかった。

あたしの決心は今も果たされることのないまま。
わがままばかりでごめんなさい。
大切にしてあげられなくてごめんなさい。

あの日、改札で手を振ってくれた姿が、今も目に焼き付いてるよ。

446 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/17 00:48 ID:aFr21/Ue
思春期のときの大喧嘩以降、約10年間ほとんど口を聞かなかった兄貴が去年結婚して家を出た。結婚式で、遥か昔の俺との思い出を長々と語ってた。俺以外の人が聞いても絶対に分からない話を延々と。とても懐かしい気持ちになった。

447 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/18 18:39 ID:0AwJ27zq
俺の小さいころからの夢は、自分の初任給で親父とサシで飲むことだった。
そんな親父が亡くなったのは、俺が未だ大学3年の秋のことだった。
春先に彼女の悩みを聞いて家に帰ると、親父は風呂に入っていて鼻歌なんぞ歌ってた
すると母親がポツリと「胃がんで、半年だって」といった。理解できなかった。
いまふんふんと鼻歌を歌っている人間が、半年後に死ぬことが。
しかし、現実に親父は小さくなり(もともと身長は183cmもある大柄な人だった)
それが怖くて、入院後もあまり見舞いに行かなかった。
大学の夏休みも終わりに近づいたころ、家に一本の電話があった。
親父が危篤だと言う電話だった。いそいで病院にいったが、怖くて病室に入れなかった。
気が付くと、声を上げて泣いていた。人間からこんなに涙が出るものなのか?と思う
くらい涙が止まらなかった。
ひとしきり泣いたころ、病室に呼ばれた。
親父の傍らには、母親と未だ中学生の妹がいた。
その二人の手を親父が握り締めていたが、俺を見ると空いている手で、
お前は来なくていい。と言ったしぐさをした。
そのとき、ああ、親父は俺を一人の男として扱っているんだ、と素直に
そう思った。だからここで俺が泣いてたり、ぐずぐずしちゃいけないと。
あの瞬間、親父が俺を男にしてくれたんだと思う。

後日、親父が夢の中に出てきて、背中を丸めながら「ごめん」とあやっまってきた。

でもな、親父。
あやまることなんか何も無いよ。
あなたの息子として、この世に生まれてきて本当に良かったと思ってる。
俺の親父でありがとう。
あの世に行ったら、今度こそサシでの飲もう。

追伸:俺が入社試験のとき、来てくれましたね。
なくなってからも心配掛けてすみませんでした。
現在元気に会社員やってます。



448 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/18 18:40 ID:mgFdsN10
みてね、無修正だよ〜♪
http://www1.free-city.net/home/kotarou/page002.html

449 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/18 19:00 ID:IS2DDWGt
小さい頃は貧乏で自家用車がなかった。
夏になると2台の自転車で父は私を、母は弟を乗せて
遠くの海まで(フェリーに乗ったりして片道2時間位)
連れて行ってくれてたなー。とても楽しかった。

貧乏なりにたくさんの素敵な思い出を作ってくれた両親に感謝。


450 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/18 19:08 ID:rd8qt6rX
ハンカチプリーズ!!・゚・(っД`)・゚・

451 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/18 22:27 ID:XKuAreIY
みなさんの泣ける話を読んで涙しました・・・。

私も今は亡き祖父(母方)の話をしたいと思います。
祖父は定年するまでずっと小さな駅の駅員をしていました。
昔はかなり怖くて暴力も振るっていたそうですが、歳をとるにつれて丸くなっていったようです。
自分が休みの日などはいろいろ連れて行ったくれたり、一緒に散歩したりしました。
初めて新幹線に乗せてくれたのも祖父でした。
電車のことなら物知りで、あの電車はね〜・・みたいなのが口癖のようでした。
そんな祖父は意外に趣味も多種多様でした。ダンスに音楽鑑賞、花や木を育てたりもしていました。
うちの父とのビールを飲みながらの野球観戦が好きだったようです。
父を見て育つことも多かったのですが、そんな祖父を見て育っていったのも事実でした。

しかし、私が歳をとるとほとんど祖父との会話もなく、祖母、祖父の実家に帰るのがいやで、
留守番して会いに行かないこともしばしばありました。
そんな日がずっと繰り返されて、私も高校を卒業して、都会での一人暮らしをすることになりました。

つづく・・・

452 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/18 22:48 ID:XKuAreIY
>>451

続きです。

都会での生活にも慣れだして、都会生活が染み付いてきた夏の日、
親には帰ってこないの?とかいろいろ聞かれましたが、都会生活が気に入っていたので、
その年の夏は実家に帰りませんでした。
今思えば、このときにでも帰っていれば少しはよかったのかもしれません・・・。

冬になり、冬ぐらいは帰っておこうと、実家へ帰宅しました。
そのときに母が、祖父たちのいる里へ2泊ほどして行こうという話になったので、
ひさびさに顔を見せておこうと思い、里へ帰ることにしました。

その時に初めて母に知らされました・・・祖父は体調を崩し、がんになってしまいました。
私は驚きながらも、早く会っておこうと思いつつ、里へ帰宅・・・。
そのときに見た祖父の顔が凄くやきつきました。
やせ細って、以前のような威厳みたいなのを感じることが出来なくなっていたのです。
ほんとに家にいて大丈夫なの?ってぐらいの変化にはほんとにびっくりでした。

このとき、祖父は元気なそぶりを見せ、祖母も驚いていました。
いつもはご飯など食べない(がんになってから)祖父が私たちの前では、一生懸命に口にするのです。

さらに、私と父がビールを飲んでいると、私も飲もうかなと祖父が止めるのも聞かないで、
一緒にビールを口にしました。男三人で飲むビール・・・これが最初で最後でした。


453 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/18 22:50 ID:XKuAreIY
>>452

続き最後です。




冬もあけ、私もまた都会生活に戻ったある日、母からの電話・・・祖父の危篤の知らせでした。
あんなに元気なそぶりを見せていた祖父・・・やっぱり無理してたのかな・・・って思いました。
そう考えると、あの日、祖父と会話した事を思い出しました。

それは私の都会生活の話でした。頑張ってるのか?とか久々に二人で話しました。
最後に帰り際、手を振って別れたときの祖父の顔はやせ細った顔がさらにやせ細って見えました・・。

思えば、自分の余命を知ってもなお、私たちに心配させまいと、元気なそぶりをわざと、
見せていたのかもしれません・・・。


その後、まもなくして祖父はなくなりました・・。
男三人で飲んだビールのこと、そして祖父と俺、頑張る!って約束したこと・・わすれません。

おじいちゃんありがとう。

454 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/18 22:58 ID:a4ZHlTO7
俺が幼稚園児が小学生低学年のころ。
そのころの俺は(今もだが)恐竜が大好きで大好きで、
恐竜図鑑を色々買ってもらった。
いろんな種類あったし、何冊もあったし、一冊が結構な厚みがあるのに
母親は俺のためにカタカナ、漢字をひらがなに直して図鑑に書いてくれてた。

今までそんなに深くは考えなかったが、改めてここに書いてみると軽く涙が。

455 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/19 00:44 ID:7rMQim7Y
今たまたま物置を整理していたら兄の作文をみつけた。
ずっと仲悪いまま今に至って仲良く遊んだことよりも喧嘩ばかりの思い出しかないんだけど
『「いもうとができた3さい」ぼくにいもうとができました。
おじいちゃんとおばあちゃんが病院に行きました。
おかあさんが、きてもいいってゆったけどはずかしくっていけなかった。』
というのでホロリとした。
小さい頃については「ぼくはみんなのにんきものでした」とか三人家族の幸せな絵が
描かれていたり、なんだかその地位を奪ってしまったようで申し訳ない気持ちになった。



456 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/19 10:18 ID:NWJzFDFu
今でもそうなのですが、私は「いらない子」と言われ育ってきました。
もちろん直で言われるのもあったのですが、陰でこそこそ言ってるのが多いので、
正直そっちの方がしんどいです。
しかし事実、私は望まれて生まれた訳でなく、出来ちゃったから生まれた訳で、
それに昔から体が弱く今までたくさんの費用をかけてもらいました。
だから親には文句は言えませんし、感謝の気持ちもあります。
それにもう4,5歳の頃から言われてきたので、多少慣れた部分もあります。
今は昔と違って「死ね」と言われても泣くようなことはありませんでした。
しかしこの前祖母と一緒にアルバムを見ていた時、
祖母が「これがあんたの生まれた時の写真とよ」と言い、写真を見せてきました。
母と父が嬉しそうに赤ちゃんを抱いている写真でした。
母も父も何も語ってくれないので、そんな写真があるなんて驚きでした。
少なくともそのときは私が生まれてきて、喜んでくれたと思え、涙がぼろぼろこぼれました。
もう一度ゆっくり時間をかけて、家族と向き合っていこうと思いました。

457 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/19 13:38 ID:9KM1B+Fk
>>456
貴方はとても優しい人ですね。
そんな事を言われてもそれでも両親を慕っている。
貴方のような人に心から幸せになってもらいたい。
顔も名前も知らない人ですが、心から貴方の幸福を願います。

458 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/19 14:58 ID:0ijHsVk2
>>456
無理しないで、逃げるって方法もあるからねー

459 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/19 17:41 ID:2qIAYklM
>>456みたいなの読むと
いい子に育つか否かって
育て方とか環境とか関係ない様にも思えるけど
稀なだけか。
いい子過ぎてホローリきたよ。

460 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/19 22:27 ID:8xvUxo4C
私が幼稚園の頃、母がパートの仕事を始めた。
幼稚園は近かったが、母は少し残業になってしまい私を定刻に迎えに行けなかった。
慌てた母が自宅の方に先に見に行ってみると、まだ肌寒い冬の日に玄関の物置の脇に
うずくまっていた私を見て「ああ、しまった!」と思い、パートの時間を短縮したらしい。
私はその話を聞いたときふと、「ここなら暖ったかい」と玄関脇にうずくまった
セピアな幼児期の記憶がよみがえり、なんだか不憫な気がしてほろりときた。

思い出してホローリくる自分の思い出・・・?


461 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/19 22:52 ID:yP1ouTkS
ホロリより、哀しいんだけど、昨年私が結婚し、ようやく母たちも
最後の大仕事を終えた感じになっていた。
その母が知り合いと食事しにいった時、
「もう○○(私)を送り出しちゃったし、いつ死んでもいいかな」
と言ったらしい。
お金に対してルーズすぎた父に苦労し、ずっと働き続けてきた母の
本当の休息は「死」なのかと思うと悔しくて哀しくてたまらなくなって
しまった。まだ孫を見せてない、主婦トークしようよ、まだまだ
知らないことだらけだよ、必死になってそんなこと言わないでと
言う私の目は涙でいっぱいになってた。
もうそんなこと言わなくなったけど、やっぱり母が受けた苦労は
母は働ける体さえあればなんとかなるさーなんて笑顔でいってる
裏は崖っぷちにいて耐えるのに必死だったんだね。
結婚して初めて母の背負った苦労の重さに気づきました。
だから親孝行します。もっともっと。

462 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/20 00:20 ID:WW9pksXR
>>461
.*・゚(つд`)゚.*。お母さんのような
素敵なお母さんになってください。

463 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/20 00:39 ID:PXDHcwxh
うちのママは心配性で、一人暮らしの私にしょっちゅう電話かけてくる。
「元気?」「変わりない?」「ちゃんと食べてる?」
その度に「用事がないんだったら電話してこないでよ!」と、
イライラいしてしまうダメな私。
心配して言ってくれてるんだって分かってるよ。
この前も「今月、色々あって生活苦しいでしょ。お金送ろうか?」って。
思わず「いらない!ちゃんとやってるんだからっ」って電話切っちゃった…。

ごめん、ごめんよママ…。
でも、私も自立していかなきゃ、親離れしてかなきゃって思うから、
辛い気持ちで電話を切るんだ。
愛情表現の下手なママン、いつもありがとう。そしてごめん…。
いつかママもパパもいなくなっちゃうんだな・・・。゜゜(´□`。)°゜。
精神的に親離れ出来ていないから、すぐに泣けてくる。
でも、今は帰れない。

464 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/20 10:17 ID:gzB1/30V
うちはビンボでした(笑
よくうちの母は私に、「お前は借金で育ったんだ」と笑いながら言います。
事実、毎月のミルク代が払えず、父の給料が入ると次の朝お金を
握り締めて、開店前の薬局に行き借金を返す。そのまま(ミルクを
買うお金が無いので)また借金してミルクを買う。
そんな感じで私を育ててくれたそうです。

そんなこんなで、私たち家族も何とか借家から持ち家に引越しができ、
その挨拶に行った時のこと、そこ(薬局)の親父さんが
「あんたよくがんばたったね!」
といって餞別をくれたそうです。
いまだに、「借金した相手から餞別もらったのはあたしだけだ!」
と胸を張っています・・・。

そんな強い母が、私は大好きです。
母さん、あなたが私の母さんでよかたーよ。

すみません。ぜんぜんホローリじゃないですね・・。

逝ってきます。

465 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/20 11:32 ID:DV8/k5Fx
つい3〜4日前の話です。おじいちゃんが肺の病気で死んじゃいました。
いっぱい泣いて涙も枯れたころ、おじいちゃんの妹さんから話を聞きました。

「あんた(僕のこと)が小学校2年の時ににね、おじいさんと車に
乗ってる時に『止めてー!』って叫んだんだって。それでおじいさんが
『どうしたんや?』って聞いたらあんたが『じいちゃんにタバコを買ってやる』
って言って一番高いタバコを買ってあげたんだって」

神棚にはいつもおじいちゃんの大事にしてたタバコ(ラッキーストライク)
の空箱がありました。おじいちゃんは僕が小学校2年の時に買ってあげた
タバコの箱を後生大事に持っててくれたんです。11年もの間、取っておいて
くれたおじいちゃん。そんなに高い買い物じゃなかったのに、本当にうれしそうな
顔をしてた。。。いつもタバコをしぶーい顔でふかしながら畑で野菜を作ってた
おじいちゃん。思い出が洪水になって押し寄せてきて涙が止まりませんでした。

僕はタバコを吸いませんが、ポケットには280円のラッキーストライク
が入ってます。タバコの煙は臭いけど、おじいちゃんの思い出が一緒に
ふわふわ浮いてるような感じがするから嫌いじゃないなー。

ありがとう、おじいちゃん。またお墓に線香代わりのタバコ持っていくよ。

466 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/20 11:42 ID:XGWrRv9V
おじいちゃん、きっとこれ読んで嬉し泣きしてると思うよ。
私も泣いてしまった。
可愛いお孫さんだ。

467 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/20 16:30 ID:d4UjRwED
。・゚・(つД⊂)・゚・。

468 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/20 19:48 ID:r+FPdmEn
リアル消防の時、母を亡くした。ガンにおかされ、3年間ほど入院・退院を繰り返した。
父は仕事が非常に忙しく、家事一切は自然と漏れの担当になっていた。
今の屁垂れな漏れからは想像もできないくらい、しっかりとした消防で、
母の入院中は、見舞いと家事、母の自宅療養中は、母の看護と家事と
とても忙しい毎日だった。
母の「○○ちゃん、偉いね。上手だね」という言葉を聞くのが嬉しくて、
料理に洗濯に掃除に一層発奮する、そんな子供だった。

母が自宅療養中、よくお粥を作っては母は食べてくれた(本当は、ガンで胃を切除
してたから、食べられる状態ではなく、食べたあとにひそかにモドしてたっぽい)が、
ここでホローリくるのは当然なので、今回は父の話。
仕事が忙しく、毎日残業ばかり、顔を会わせるのは週末くらいの父だったが、晩御飯だけは
家で毎晩食べてくれていたっぽい。今にして思うと、毎日消防が包丁・火を扱ってひとりで
料理をするという無謀な状態だったんだが、料理本を見てはいろんな料理を漏れは作った。
父用に置いておくと、翌朝起きた時には、ちゃんと平らげられてた。
どちらかと言うと、無口な方で、そんな漏れの生活について触れることはなかったけど、
ちゃんと漏れが作ったご飯を食べてくれていた父に、今更ながら愛を感じ、あらためてホローリ。

やがて母が亡くなったが、父は漏れの前では一切涙を見せなかった。
母は生前、10歳の年齢差を乗り越え、大恋愛の末結婚したことを嬉しそうに話してくれた
ことがあった。父も母のことが相当好きだったようだ。
きっと泣き叫びたかったに違いないだろうに、そんなそぶりは見せなかった。
この時の父の心境を推し量ることは漏れには不可能。
それから、漏れが高校を卒業、大学進学により上京するまで、漏れが作った食事を父が食べる、
そんな毎日が淡々と続いた。

亡くなった母が、漏れのことどう思ってくれてたのか?今は知るスベもない。
父は、どう思ってくれてたのか?恥ずかしくて本人に聞けない。

469 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/20 23:28 ID:lxU5l23X
>>465-468
良い、話でつ。
つらいでつ。」
別れ、愛、永遠、人生のテーマです。


470 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/21 00:28 ID:85kxyYUs
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471 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/21 00:31 ID:85kxyYUs
半年前に、親父が死んだ。
体が悪くて入院してたものの、死ぬとは微塵も思ってなくて、ほんとに唐突な別れだった。

仕事中に不意に携帯がなり、「お父さん、危ないって・・・」っていう姉の力ない声に、
頭が真っ白になった。一目散に病院に向かった。病室に入ると、親父は意識が朦朧とした状態
だった。呼びかけても、返事もない。

生前、俺は親父とよく喧嘩した。晩年は、ろくに会話もなかった。入院直前にも、怒鳴りあいの
大喧嘩をした。だから、ろくに見舞いにも行かなかった。それを母にとがめられても。だって、
死ぬとは微塵も思ってなかったから。またすぐに帰ってくると思ってたから。
こんな事になるって予め知ってたら、もっと違った接し方ができたのに。
どうしようもない馬鹿息子だ俺は・・・

なんとなく、そんなような事を思いながら呆然と親父を見つめていたら、親戚の誰かが、親父に
こう声をかけた。
「○○(俺の名前)、来たよ。分かる?」
そしたら、それまで朦朧としてた親父が、ゆっくり目を開いて、こっちを見た。俺の名前に反応
したのか。そして、振り絞るように、こう言った。
「自分の子どもが分からんはずないだろ!」

それからほどなく、酸素マスクをあてがわれ、声を出すこともできなくなった。そして、意識も
なくなり、数時間後、逝ってしまった。

結局それが、最後に聞いた親父の肉声だった。
べつに、何か意味のあることを言われたわけじゃない。昔ながらの頑固ジジイだった親父らしい、
ぶっきらぼうないい方だった。でも、ろくに孝行もできないどころか、喧嘩ばかりしてた、こんな
馬鹿息子でも、ちゃんと気にかけてくれてたんだなと思うと、嬉しい気持ちと申し訳ない気持ちが
混じりあった、なんとも言い難い気持ちで一杯で、思い出すと、今でも涙が止まらなくなる。

472 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/21 00:32 ID:57U5h/Dq
うちの奥さん去年の今ごろ亡くなった。原因は交通事故。

丁度一年くらい前なんだけど、死ぬちょっと前に暑い日があって
どーしてもかき氷の機械が欲しいと言ったので近所のディスカウント
に買いに行った。1000円以下の安いモノなんだけど、すげぇ喜んで
いた。友達にも報告していた。給与が安いからこの程度のモノしか
買ってやれなかったけど、それでも喜んでいた。

俺の休日に一緒に作って食べよう!と張り切っていた。かけるシロップも
色々な種類すると張り切っていた。専業主婦だから平日勝手に食べれば良い
のに、一緒に食べるんだと言っていた。
ある日、俺が休日出勤になってしまった日、交通事故にあってそのまま帰らなく
なってしまった。

冷蔵庫にはそれ用の氷が出来ていて、シロップも俺の好きなもの(メロン)のみ
が購入されていた。夕食の準備もキチンとしてあった。メニューは俺の好きな
ものばかりだった。休日出勤お疲れ様といやな顔ひとつしなかったなぁ・・・。
食後のデザートにかき氷でも食べようとしていたのか?

給与が安くて休日出勤がやたら多くて帰宅時間も遅いのに文句も言わずに
食事の仕度してどんな時間になっても待っててくれて、かき氷の機械だって
あんなに喜んでくれたのに、結局一度も使わないまま。

あいつも俺なんかと結婚しなければもうちょっとマシな生活が出来た
だろうなぁ・・・後悔しているんだろうな・・・と思うが、いつも
笑顔だった事だけが嬉しい様な辛い様な。

473 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/21 00:40 ID:IA/1mkI0
>>472
泣けた・・・・。
奥さんきっとあなたが大好きだったんだと思う。
だからすごく幸せだったんだよ。
どうか幸せだった思い出を大切に、これからの人生
生きていってください。

474 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/21 02:03 ID:v04MvMWV
>>472
本当にお互い幸せだったのですね。
いつも笑顔だったってのがその証拠ではないかと。
473の言うとうり、奥さん貴方の事大好きだったんですよ。
一人の女性をそこまで幸せにしたのですから
自信を持って奥さんの分まで生きてください。

475 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/21 03:31 ID:SSANc55V
母が嫌いでした。
小学校の頃、母の入った新興宗教がきっかけになっていじめられてました。
お風呂に入るときアザだらけの身体を見て「やりたい人にはやらせておけばいい」
といいました。当時担当だった先生は新卒の若い女の先生で授業中教室の隅で
殴られ蹴られている私を見てもいじめっこ達が怖くて止めてくれませんでした。
「私あのときPTA会長やっててね、先生からあんたのいじめについて相談
されてあんたは強いから大丈夫よって励ましてあげたの」と私が中学になったとき
教えてくれました。ありがとママン。

父が胃ガンになって入院。余命半年と宣告され一時退院。元気な頃は普通にしてたのに
病気になったとたん父が若い頃にした浮気を責め食事もろくに作ってくれなくなった。
再入院した時もたまに病院に来てもよその患者さんの見舞客とお話ばかりしていた。
もっと父のそばにいてあげて、と言ったら「猫がいるからそんなに来れない」と。は?

父の葬儀の間中、私達家族は誰も泣かなかった。涙なんかもう出なかった。
でも男の人たちが棺を抱えて運び始めた瞬間、母がすごい声で泣き叫んだ。
初めて聞いた嗚咽って。折曲がった背中がとても小さかった。

それからの母は普通だった。友達と飲み明かしたり私にご飯作ってくれたり。
父が亡くなってもうすぐ1年という頃母も突然亡くなりました。
仲良くみえなかったけど、実は仲良かったのかもねと親戚は笑いました。
私達も思わず笑いました。

あれから2年。私も母になったよ。私が赤ちゃんの時、母はどうしてくれていたんだろう。
やっぱりクンクン匂いを嗅いだり1日中だっこしてくれたりしたんだろうか。
聞きたい事がいっぱいあるのに話したいことがいっぱいあるのに父も母もいない。
あと4年2人とも生きていてくれたら娘をだっこしてもらえたのに。



476 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/21 11:06 ID:VwtEEml2
このスレ読むと、毎日ウルウルしてしまう。
その瞬間は、「あー!まともになれた」って思うよ。

良スレ! ありがとう!皆さん


477 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/21 15:35 ID:WQ3J18lm
普段はいつも元気で明るくて、人に弱音を吐いたりすることのなかった
知り合いがひどく落ち込んでいたため、先日一緒に飲みに行った。

父親が癌で亡くなった、と聞かされた。
「でもね。本当にショックだったのは、そのことじゃなかったんだ。」
彼女は続けた。

「私の母親と父親は、実は結婚してなくて、愛人関係だったらしいんだ。」

彼女の父親は、平日は家におらず、週末だけ彼女の母と彼女が住む家に
顔を出していたらしい。
土地関係の仕事をしていて、母親と彼女の生活費および学費など、お金は
十分に出してもらっていたそうだ。

幼い頃は、特に疑問を感じることはなかったという。
「単身赴任」というような説明を親がしていたのかもしれない。
高校生になって、何度か「何か変だ…」と感じ取っても、母親に
問い質すことは出来ない空気があったそうだ。

そして、父親が亡くなった、という連絡を受けたさいに、母親から
事実を聞かされたと話していた。

父親には別に婚姻関係に基づいた家族があり、そちらの人から
訃報が届いたらしい。

478 :477:03/06/21 15:37 ID:WQ3J18lm
つづき・・

私は、仕事で辛いときも、いつも笑顔を絶やさない明るい彼女のことを
以前から尊敬していたが、今回のことでその思いを一層強くした。

彼女は、父親と母親への恨み言を、一言も口にしなかった。

私は、父親と母親は結婚しているし、両親とも健全だ。
実家に戻れば、ボダ気質の父が理不尽な理由で怒鳴り散らし、物を
投げ、挙句の果てに手を挙げる。
母はいつもおどおどと生気のない目をしている。
子供が父に正論を述べようものなら、むしろ母が必死な顔をして止めに入る。

友人に相談しても「まだあんたの反抗期が終わってないんじゃないの?」
といった的外れのリアクションしか返ってこず、自分一人でどろどろと
不満を抱え込んでいた。

それが、すーっと消えてなっていくのがわかった。
全然たいした事ない、私なんて全然たいした事ない、と心底思った。

彼女には、事実を知ったときにそれを話し合える相手がもういないのだ。
なのに、彼女はあんなにも前向きだ。まっすぐだ。

私も変わろう、と思った。
父親がボダだからなんだ。母親が共依存だからなんだ。
彼らは生きている。生きているからこそ、喧嘩も出来るし文句も言える。
本当に、生きているからこそなんだ、と思った。

479 :477:03/06/21 15:43 ID:lSCerpKA
ホロリ、な話ではないのかも。スマソ
自分の中で、葛藤が解消されて親への情を素直に受け入れることが
できたきっかけなので、同じように親との関係に苦しむ人が見て
何か感じるものがあれば・・と思って書きました。
でも、やっぱりメンヘル板のほうがよかったかもですね・・。反省。

480 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/21 16:15 ID:v04MvMWV
>>477
そんなことないですよ〜。
素直な子をみて、それをちゃんと素直だと言える貴方も
また素直なのではないでしょうか。
美しいものをみて、それを美しいと感じないのは心が病んでる
っていうじゃないですか。
ただ、友達は選んだほうがいいかも
貴方の家庭の話を聞いて「反抗期」って言うその人の人間性が恐ろしい。

481 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/21 16:59 ID:VDyD+msX
>>480
ありがとうございます。
その知り合いが、あくまで前向きに自分の人生を生きていこうと
する姿に、とても心を打たれました。私も、親や過去に縛られて
ないで、しっかりと自分の人生を生きなくちゃ、と。

「反抗期」と言った友達はもっと普通に愛情を受けて育った子で、
きっと、私の話を聞いたときは自分の身に引き寄せて考えることが
できなかったんだろうなと思います。
でも、他にも価値観が違うところがたくさんあったので、今はもう
友達づきあいはない人ですけどね(w

スレ違い気味かな?って思ったけど、そんな私の投稿にレスして
くださる>>480さんも素直な方です。
ホントにありがd。


482 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/22 00:03 ID:zjJBUfTY
ほんとに最近聞いた話なんだけど、
私が保育園生の時、母と父が喧嘩して、母が
数日の間、家を出ていったらしい。
当時、私は髪が長く、毎日髪を母親に結んだり編んだりしてもらっていた。

でも、母が家を出ていた時、代わりに父が私の髪を三つ編みしてくれて
いたらしい。
父の手は、男ならではの太くて、がっちりしている手なので、
きっと慣れてなくて大変だっただろうな。と思いました。
なんだか早く孫の顔見せてあげたくなってきた・・・。

483 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/22 09:53 ID:6+flRQzP
ほんと良いスレだね・・こんなに泣いたの久々かも。

たいした事じゃないんだけども、
俺が高2くらいの頃かな、オカンが『腸閉塞』って病気で入院して。
死に関わる程の病気じゃないんだけど、腸を詰まらせいる原因が癌かもしれないっていう可能性もあり、検査してもなかなか結果はでないで
ずっと宙ぶらりんな状態が何ヶ月も続いてさ。

うちのオカンは、何かありゃ口うるさく文句を言い、かといえば自分は友達と
喋り捲ったり遊びまわったりで家事もさぼったり典型的なうざったいオバハンだった。

そんなオカンが、初めての入院だったり検査の結果もわからないでオヤジや先生相手に発狂したりで不安も相当だったらしい。
そんな精神状態にも関わらずオカンは、見舞いに来た俺に気を使って
「ごめんね・・・」って悲しそうな表情で俺に言った。

よくわからんけど、そんなオカン見たくなくって
いつもの自由奔放なうるさいオカンに戻って欲しくって
涙がボロボロでた。
命に関わる程の病気じゃないのに、もう高校生だし親の前で気恥ずかしいし、
男なのに情けないって思いつつも涙が止まらんかった。

なんであの時泣いたのかひとり立ちした今ならわかる気がする。
自分が気付かなかった親の俺への愛情に無意識に気付いたんだろうな。

結局何事もなく退院して今も元通り元気にやってるんだけど
このスレを見て当時の気持ちを思い出したよ。皆様ありがとう。

そんで、オカン、親父いっつも苦労かけてごめんな。
本当にありがとう。孝行目一杯できるまで長生きしろよ。


484 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/22 22:30 ID:oBb8UrXz
上げちゃいます、もう上げちゃいます!
さっきから泣いてばかり。

485 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/23 21:16 ID:leAHEGkn
みんな飾らない言葉で書いてるから、胸にダイレクトに来る。 
良スレ。age!

486 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/23 21:22 ID:bsP6a/bD
物心ついた頃から小学校入学までの頃を思い出すとホロリとすることある。

487 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/24 00:32 ID:KtJy8k4M
私が幼い頃から両親は自営業で忙しく、また末っ子のため、
両親と出掛けたりした想い出は上二人に比べ極端に少ない。
そして二十歳を過ぎた今でも、やはり両親は毎日忙しくお店を切り盛りしている。
旅行なんてもってのほか、一日店を空けるのもやっとという中で
去年母と用事で静岡に出掛けた際、立ち寄った喫茶店。
母はコーヒー、私はケーキとミルクティー。
ラジオのFMが小さく流れている片田舎のひなびた店。
何を話すわけでもなくカウンターに座って、その時ラジオから流れてきた歌が
とても切なくて、今でも強烈に心に焼きついた風景になっている。

遠く翳る空から
たそがれが舞い降りる
ちっぽけな街に生まれ
人混みの中を生きる
数知れぬ人々の
魂に届くように

あと何回こうやって母と時間を過ごせるだろう。
きっとこの曲を聴く度に母と過ごした喫茶店でのひと時を思い出すだろうな。
最近は父と母が少しづつ老いていくのを感じる。
日一日を過ごすたびに別れが近づいているんだろう。
その時を受け入れられるように、一瞬一瞬を大切に過ごそう。
お父さん、お母さん、家族皆が笑って生きていけますように。


488 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/24 00:42 ID:6TLzfENL
酔ってますか

489 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/24 02:06 ID:s0e1/flR
両親が共働きついでに弟の喘息、祖母の病気やなんやかんやで自分は両親に迷惑かけちゃいけないと思ってた。
幼稚園終わって帰る先が預け先で、それすらコロコロ変わるのも当たり前だと受け入れた。たとえ一緒に遊べる
友人がいなくても。(幼稚園から帰っても戻る場所が変わるので近くの友人がいない)
独りで本を読んでれば文句を言われないし、現実から逃避できるのでずっと本を読んでいた。すると今度は
「ナントカさんちのナントカちゃん(自分の知らない人)は夕食の準備までして待ってるんだって。」と、幼稚園児に
母は嫌味を言った。

20過ぎてやっと自分の惨めさを自覚し、家を出た。ある日突然両親がニコニコとやってきた。
「一緒にご飯食べよう。」
自分の頭のなかで、就職の面接(午後から)についてきて「昼食に魚が食べたい」と魚が食えない
のに魚しかない食事場所に連れて行かれて何もたべられず、挙句に面接に落ちたら「せっかく連れて
行ってやったのに。」となじられたのを思い出した。
「どうせ食べられないものしかないとこに連れて行く気か!」と怒鳴ったら動揺していた。
夜になって泊まると言い出したとき、実家に客が来ると掃除が面倒で八つ当たりされていたので
「ビジネスホテルに行きゃいいじゃない。」と言ったら動揺していた。
朝方に母が朝食の準備をしている音で目が覚めた。心底うるさいと思った。
「ゆっくり寝かせてくれ!」と叫んだら「そんなに迷惑なら帰る。」と帰った。

正直、歓迎されると思ってあいつらが来たらしいというのに驚いた。
なのに、なぜか涙が止まらない。


490 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/24 02:26 ID:sV8N93sH
自分が、盲腸で検査入院してた時の話。

入院も二日目、そろそろヒマになっていたころ。
母がわざわざ見舞いにやってきた。
このとき母も風邪のウイルスが脊髄に入り、発見が遅ければ正直危なかったそうだ。
でももう調子もいいからと言ってやってきてくれたそうな。
そんな母は椅子に座りながら調子がどうだとか話していた。
電池が足りない事に気付き、自分は売店に行った。

しばらくして売店から戻ると、自分のベッドで寝てた。
「こんなに具合悪そうなのにわざわざ来させちまったな」って少し申し訳なくなった。
母の寝顔をみて、こんなに年をとってしまってたんだと驚いた。


今日このスレを見つけてホントに良かった。
涙が止まんないです。
自分も親孝行しないとなって心から思いました。
ありがとう。
皆さんに幸ありますように。

491 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/24 15:14 ID:mvW9iuwB
その頃俺は若かった。
大会社のサラリーマンを辞め独立して2年、仕事は順調、社員も増えた。
サラリーマン時代の専務秘書を妻にもらい、結婚して1年。
順風満帆、仕事の出来ない奴は男じゃないと思っていた。傲慢だった。
そんなある日、事務所で仕事をしていると、妊娠7ヶ月の妻が
「胎盤早期剥離」で病院へ担ぎ込まれたと電話が入った。
慌てて病院へ行くと、医師が「赤ちゃんはもうだめですが母体は何とか大丈夫です」と言う。
俺が病室へ行くと妻は「初めての赤ちゃんを産めなくてごめんね」と言って泣いた。
俺は妻に、また造ればいいさと慰め、出産は病気でもないからと再び仕事へ戻った。
その日は打ち合わせも多く入っていたし、納期が迫った仕事もあったからだ。
当時の俺は、家族よりも仕事の方が大切だった。
その日もいつものように帰宅が午前0時位になったので、ついに病院へは行かなかった。↓


492 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/24 15:16 ID:mvW9iuwB
翌朝、妻の病室を訪ねると、医師が「奥さんの出血が止まらず1500ccの輸血をしました。
亡くなった赤ちゃんは680gの男の子でした」と俺に告げた。
ショックだった。1500ccと言えば致死量に近い。妻の身体も心配だが、
性別や顔かたちもすでに判別できたであろう我が子の死に
(また造ればいい)等と軽く言い放ったことが俺を苦しめた。
事務所へ向かう車を運転しながら、俺は大人になって初めて泣いた。
どんな顔をした子だったのか、どんな性格の子だったのか、
この世に生まれて来られなかった子への申し訳なさに涙で前が見えなくなった。
2週間ほどで妻は退院したが、抱いているはずの赤ちゃんはなく、
買ってあったベビー用品は部屋の隅に積んだままだった。
ベビーカーを押す母子や小さい子供を連れた親子が羨ましく見えるようになった。
半年ほど経って妻がまた流産した。医師は「奥さんは受精卵が定着しにくい身体です」
と言う。妊娠初期は安静にしていないと流産するらしい。
俺たち夫婦は決心して、産婦人科では有名な大学病院の近くへ引っ越した。
検査してもらうと妻は「双角子宮」という構造で、子宮の形がハート型になっていると言う。
だからハート型の片側でしか胎児は大きくなれないのだ。↓


493 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/24 15:17 ID:mvW9iuwB
医師に言われた通り、妊娠初期と出産前それぞれ約2ヶ月間、妻は寝たきりになった。
しかし、どうしても子供が欲しいので、
仕事も縮小して事務所をたたみ、社員も再就職先を世話して辞めてもらった。
俺は自宅で一人仕事をしながら、安静にして寝ている妻の世話をするようになった。
そうした努力が報われたのか、その後二人の女の子を授かった。
予想通り、上の子は1950g、下の子は1760gという小さな赤ちゃんだった。
生まれて1ヶ月間は保育器なので、母乳を与えるのに俺は妻を1日数回、
大学病院まで車で送迎するようになった。

それ以来、俺は「仕事の代わりはあっても家族の代わりはない」と思うようになった。
今年、上の子が大学へ、下の子が高校へ入学した。
そうした区切りを迎えた今、時折思い出す。
生まれてこられなかった男の子も今年成人式なんだな、と。
傲慢だった俺への罰なのか、俺の人生ではついに男の子は授からなかった。
息子がいれば「俺も20歳になったから一緒に酒でも飲もうぜ」
と言っただろうと思いを馳せる51歳のオヤジの独り言である。★


494 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/24 15:46 ID:h+q2mUb1
一人っ子の俺に待望の女の子が出来たのは結婚6年目のことだった。
両親にとっても、待ち望んでいた初孫だった。
俺たち夫婦は共働きのため、娘がモノ心つく前から、
おじいちゃん子、おばあちゃん子だった。

今、思えば孫の成長だけが楽しみだったと思う両親も、
娘が小3の時に母、その翌年に父、と、他界した。

しかし、ウチの一人娘、実の親が言うのもナンだが、しっかりしている分、
大変ドライで、・・・双方の葬儀の際にも、涙ひとつ見せず、淡々としていた。
俺たち父母より沢山の思い出が詰まっているはずのおじいちゃん、おばちゃんのはずなのに、
しかし・・・・

たしか、父が死んで10日ほどたった頃だと思うが、
夜中にふと目を覚ますと、隣にいるはずの娘がいない。
(我々家族は2階の同じ部屋で寝ているのだが・・・)
最初はトイレだろうと考えたが、しばらくたっても来ないので、
そっと階段を下りて、居間を覗き込んだ。

すると居間の両親の仏壇と写真に向かって座っている娘がいた。
「何やってるんだろう」と様子を窺っていると、
娘は2階の俺たちに聞かれないよう、声を必死に押し殺しながら、泣いていた。
「おじい・・・・チャン・・・・・おばあ・・・ち・・」
声にならないこえで仏壇に話しかけながら、泣き続ける娘。

俺は見てはいけないものを見たような気がして、そっと2階へ戻った。

翌朝、多少顔が腫れてはいるが、相変わらずドライな娘はいつものように
ぶすっとした態度で登校していった。その後姿を見ていると走って追いかけて
ぎゅっと抱きしめてやりたい気分だった。

495 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/24 19:10 ID:TdtPCpN3
現在進行形の話ですけど、誰も死んだりとかしませんけど・・・

今週末結婚式をやるんですけど、兄が来ない。法事等一切出ない
人で、人前に出れる様な人間じゃないからと。

でもまさか妹の私の結婚式まで出ないと言うとは思わなかった。
私の両親は兄の肩を持ってと、言うか何と言うかで(兄は五体満足で
普通に働いているから何が人前に出れないのか分らない)
ただ、兄は出ないから、だけ言われた。説得はしなかったらしい。
いつもの事だけど。

昨日、それ聞いて彼と彼の家族等に申し訳なくて、情けなくて
大泣きしちゃった。彼、いや夫(すでに入籍済み、一緒に住んでいる)
に気づかれない様に泣いていた。もうどうする事も出来ないし、
分りきっていた事だけど、さすがにショックだった。

夫、気が付いていた。今日ちょっと前に我が家に電話して真相を聞いたらしい。
そして私の様子を話したらしい。兄は何とかならないものかと聞いたらしい。

で、まぁ真相も何も無いんだけど・・・。私の両親がビックリして私の所に
電話をしてきた。両親は何があったんだ、何言ったんだ、と怒り気味だった。

で、今、夫に電話した。仕方ないよ、気にするな、お前が悪いわけじゃ
ないんだから。こちらの方はちゃんと説明しておくから安心しろ、って。
本当に申し訳なくてまた泣いてしまいそうになった。

この人と結婚して良かったと思った。これからずっと大事にしようと思った。

それより結婚式が微妙に鬱。はぁぁぁぁ・・・・

496 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/24 20:18 ID:uEzRRkXH
ひそかにひそかに心配してたんだけど、プーをやめて就職活動中だった弟から
「内定でたよ」って電話がありました。
なんでもないことだけど、ホローリと嬉しかったです。

497 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/24 20:36 ID:YWqyKYTu
 確か、小学校2〜3年生の時。 
 俺の家は貧乏で、しかも父が早くに死んだ。 
 夏はいつも恒例の盆踊りがあって、すごく楽しみだったんだ、オフクロと
祭りに行くのが。 
 でも、オフクロは屋台で磯辺焼きを売るバイトを見つけてきて、行けなく
なった。 
 俺はふてくされ、友達を強引に誘って出店をウロウロしてた。親子で歩いている
奴らがうらやましくて仕方なかった。 
 オフクロの磯辺焼き屋を見つけた。わざとそこを避けて、大回りした。 
 祭りが終わり、オフクロが余った商品を持ってきても、絶対手をつけなかった。

 オフクロ、あの時は、本当、ごめん。 
 そして、未だに親孝行もできなくて、だめな俺で、ごめん。
 情けなくて涙が出てくる…

498 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/24 21:38 ID:sV8N93sH
このスレ、本になんねえかなぁ。
こんなに泣いたの久しぶりだって。

499 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/25 00:42 ID:pv9EGKfh
なんで本にする必要があるの?
ここに来れば、いつでもいくらでも心に感動が与えられる。
本として物語が完結してしまっているようなものじゃなく、
その物語を語る人たちがリアルタイムで参加しているスレ。
これがネットの良いところ。

500 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/25 01:02 ID:VmYXOaVJ
ノロケって全然ホローリしないんだけど。

501 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/25 01:38 ID:E74fTKuX
最近離婚しちまった・・・
何かつれーなー チビは元気だろうか
しょうもない親でスマン みんなのご両親みたくなれるだろうか
スレ違いでスマソ

502 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/25 01:58 ID:IoN0aU/X
中1ぐらいのことだったかな?
「今日、お母さん、お給料日だったし、たまには外食しようか!」
仕事から帰った母が言った。
「別に、いいけど」 俺はぶっきらぼうに答えたけど、本当はすごくうれしかった。
「外食」といっても、俺の町には、古びた食堂が1件あるだけだ。

それでも、母と2人で山道を降りながら、はやる気持ちを抑えきれなかった。
「かつ丼にしようかな? カレーもイイかな!」
「カレーはこの前作ったじゃない」
他愛もない会話をしながら30分ほどの道のりを歩いた。
やっと、着いたのに薄情にも食堂は定休日。
がっくりして、来た道をまた戻った。

家に着き、母は急いでご飯を炊き、握り飯を作ってくれた。
「ごめんなー、お母さん、仕事の帰りにちゃんと見とけば良かったのにね。」
しきりに俺に謝る母。
そう言えば、小5の頃、父が自殺した時も、母は父方の親戚にしきりに頭を下げていた。

「お母さんは悪くないって」あの時に一番言いたかったせりふだ。
当時の父の精神状態の異常ぶりは、子供の俺でもはっきりとわかったくらいだもん。
母はよく耐えてたと思う。なのに、まるで自分が殺したみたいに言われ、
つらかっただろうな。

その日の夜、本当はなんだか久しぶりに、一緒のふとんで眠りたかった。
でも、中学生の俺はどうしても言えなかった。
あの時のおにぎりの味、40歳になった今でも覚えている。
母は4年前に死んだ。

503 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/25 11:44 ID:cAP2Gcvu
>>498 禿同  本になれば(・∀・)イイ!! ホローリを手元に残したい

504 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/25 14:34 ID:xLB0Tnim
本の話はやめてくれ。
スレが荒れる。
本にしたいなら自分でまとめて勝手に手元に置いてくれ。
頼むから、スレを荒らさせない為にもこれ以上、本の話は
出さないで欲しい。
せっかくの良いスレなんだから。


505 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/25 14:38 ID:y+UkVdxs
>498
一部なら本になってるよ。

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506 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/25 21:02 ID:Jvss/EAe
去年12月入籍した。
区役所から実家に電話したら父が出て
「これからは旦那さんを立てなきゃダメだぞ」と
優しく言ってくれた。
それから2週間後、正月になり、世間が賑わっている時
父は祖父の元に旅立った。
58才だった。



507 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/25 21:04 ID:6HWMyjve
 
           __,,,,_
            /´      ̄`ヽ,
            / 〃  _,ァ---‐一ヘヽ
         i  /´       リ}      
          |   〉.   -‐   '''ー {!  
          |   |   ‐ー  くー |      
           ヤヽリ ´゚  ,r "_,,>、 ゚'}
         ヽ_」     ト‐=‐ァ' !
          ゝ i、   ` `二´' 丿
              r|、` '' ー--‐f´
         _/ | \    /|\_
       / ̄/  | /`又´\|  |  ̄\
皇太子様がこのスレに御興味を持たれたようです。 


508 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/25 22:37 ID:sKCwIw0k
うちの父は昔気質の頑固親父な上にちょっとボダ入ってて、ちょっとでも意に沿わないことがあるといつも
大声で怒鳴り散らし手を挙げるような人でした。
家族はとにかくいつも父にびくびくしていました。

小学2年の頃、クラスで「匂い玉」が流行ってました。
ビーズ位の大きさのつぶつぶ状のゴムに、フローラルとかフルーツとかの香りがつけてあるやつです。
友達と見せ合いっこや交換などして、大事に使い古しのカンペンにしまっていました。

ある日、学校から帰ると、私が大事にしているマイ匂い玉コレクションを、父が何やらいじっているのが
見えました。
居間に置きっぱなしにしていたのでそのことを叱られるのだと思い、私はドアの陰で身を硬くしました。
よく見ると、父はしきりに手を口元に運んでいます。
匂っているにしては何か様子がおかしい、と思ってさらに凝視すると、父は匂い玉を食べていました。

とっさに居間に飛び込んで
「お、お父さん!食べちゃ駄目だよ!!」
と叫ぶと、父はびっくりしてこっちを振り返りました。
そのときの、ピンクのつぶつぶのたくさん入った口をぽかんと開けて呆気に取られていた顔は
今でも忘れられません。
聞くと、イチゴのおいしそうな匂いで食べ物と勘違いしてしまったとのことなのですが。

まあそれだけなんですが、その様子が、普段の父とあまりにかけ離れていて愚かで無防備で、
小2ながらも父がとても小さな存在に見えてしまった一瞬でした。
お父さん、紛らわしいものを置きっぱなしにしていてごめんなさい。



509 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/26 11:34 ID:csj3G6c9
うちはこのスレの皆さんのような両親との感動話はないし
どちらも今もピンピン生きてます。

それでもやっぱり思います。
いつまでもいつまでもいつまでも元気でいてください。
それと親不孝な息子で本当にごめんなさい。

夏休みに入ったら必ず帰ります。

510 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/26 15:20 ID:8tCeULki
>>508
なんか……すげぇ切ないな

511 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/26 16:05 ID:VZ3iP5Js
age

512 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/26 16:34 ID:3/6PD+Ic
4歳の頃、祖父が死んだ。葬式に出て出官の時に「これからどこにいくの?」と
訊ねた私に「おじいちゃんを焼きに行くんだよ」と父。何の事だかさっぱりわからず
寝てしまい。気が付くと家に。しばらくして「ご飯よ〜」と母。で、その時のメニュ
が豚の生姜焼き。急に感極まった父が泣きながら食っているので、その肉を間違いなく
おじいちゃんだと思って食べはじめた私。祖父が大好きだったので、私も泣きながら
「おじいちゃんおいしいね」と言うと父はさらに激しく泣き始めて、母が「おじいちゃん
みえるの?」と私に聞くので、目の前にある肉が祖父だと確信している私は「おじい
ちゃん目の前にあるよ」と答えると両親は二人で泣き出し、私も泣き出し、どうしようも
ないお馬鹿家族状態に。(豚の生姜焼きは祖父の大好物だったのをしるのは10何年後)
それから肉が我が家の食卓に上がると私は決まって「だれ?これだ〜れ?」と聞いた
そうだ。そのたび母は「だれじゃないでしょう・・・な〜にと聞きなさい」と小言。
本当に恥ずかしい話だが、小学4年位まで肉は全て人肉だと思っていた。なぜか
給食の肉?(南蛮鯨)はベトナム戦争の犠牲者だと思っていた。だから手を合わせて
いただきますと言うのだと思っていた。
- - - - - - - - - -



513 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/26 17:34 ID:XMjNs9CA
>>512
コメント書かないのなら下の線いらない

514 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/26 18:09 ID:INfg7PH8
名古屋の東山動物園でカンガルーを見ながら、瓶に入ったカルピスっぽい
飲み物を飲んだ。

帰りの車の中では「コアラ飼いたい」としきりに言う母。
母さん、若かったんだね。


515 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/26 20:51 ID:LPUfEFkZ
コピペだべ。

516 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/26 22:21 ID:j9hojEal
俺爺ちゃんの記憶も殆どないし(保育所の頃死去)
婆ちゃんの記憶は皆無だし(俺が生まれる10年前52歳で死去)

で母親から聞いた話
うちの母親は生まれた時に心臓の壁に穴が空いてたそうだ
今ならそんなに難病でもなく?手術ですぐに塞いでしまうそうなんだけど
生まれた当時今が55歳だから55年前
そんなに簡単な手術でもなく小さい頃から大学病院で入院生活
ずっとずっと病院で泣いて過ごしてたそうだ
で婆ちゃんは汽車で2時間半の道程を毎日毎日通ってきて一冊本を置いて帰っていく
帰ってから田圃やら畑やらの世話
爺ちゃんは毎日毎日仕事をしまくって深夜2時過ぎに仕事終えてその足で車かっ飛ばして病院へ
で母親の顔だけ見せてもらってそっと帰る
そんな生活を5年以上続けたそうだ
それでも手術費には足らなかったんだろうな
手術は実験と言う形で手術費は安くしてもらって無事成功

結局母親は婆ちゃんに何も親孝行してあげる事ができなかったって
よく嘆いてる
俺が無事にこの世に生まれてこれたのは祖父母がこれだけうちの母親に尽くしてくれたおかげ
どんなに夜勤連続で忙しくても毎年毎年実家へ帰って墓掃除と仏壇掃除は忘れない
母親は入院してた時にすごくある看護婦にお世話になったそうだ
それを聞いて母はよく俺と姉にこういった
「医療ってすごい大切なもの、いつかあなたたちが大人になったらそういう道に進んで欲しい」
俺は子供の頃けっ!きいてられるかよ!と思ってたが結局看護師の道へ
(さすがに医師だなんて進めるほどの頭も金もない)
姉も検査技師の道へ

いや全然泣ける話ではないんだけど
ふと最近業務におわれて人の事家族の事考えてない事あるかも…と
自分を引き締める為に書いてみた

517 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/26 22:49 ID:OTIbwqlq
>>516
>>435さんでつか?

518 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/26 23:32 ID:oM9eJZfn
オイラも最近おんなじ様な人いたなーと思ってた所で
初指摘でソースもちゃんと持って来た>>516は神。

519 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/27 00:54 ID:tXIGjog3
5年前に父が死んだ。
私が幼い頃から酒ばかり飲んでいて
酒を飲んでは若い奴と喧嘩して酒を飲んでは家で大声を出して大暴れ。
そんな父に会うのが嫌で私が中学生になる頃には
父に会わないように夜遅く帰るようになり社会人になる頃には
同じ屋根の下でももうほとんど顔を合わせる事もなくなっていた。

そんな時、私が長期出張することになり出発する日の寒い吹雪の朝。
私は迎えのタクシーを家で待っていた。めずらしく父も酒は飲んでいないようだ。
父が玄関の方にふと歩いていったがぜんぜん気にもとめなかった。
数分後、玄関のドアが開くと父が雪で真っ白になりながら
「おーいタクシー来たぞ〜」と私を呼んだ。・・どうやら外で薄いシャツ1枚で
タクシーが来るのを待っていてくれたらしい。
タクシーに乗り込むとき、「頑張ってこい」と一言。私も「うん」と一言。
荷物を車に積み込んでくれる手が冷たさで真っ赤になっていた。
そして、見えなくなるまで私を見送ってくれた。それが父との最後だった。

父は私が出張中に妹の高校の合格発表の日、合格祝いの祝杯をあげるために
すでにほろ酔いのくせに酒を買いに出て交通事故に巻き込まれてしまった。

でも、今まで嫌っていた父との最後がしらふだったことが私の何よりの救いだ。
最後まで父らしい死に方だなーと思う。
そういえば幼い頃はやさしかったかなと思い出してしまった。
 

520 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/27 00:57 ID:nyv/LCT9
大好きだった祖母が亡くなって3年目の夏が来る。
3年前の夏、わたしは大学の短期留学プログラムに参加していた。
たった1ヶ月半という短い期間だったけど。
祖母は亡くなる数年前から、すこし痴呆が出ていた。
私のことを母と間違えることもよくあった。
正直うざかったときもある。
「そんな遠いとこ行って、わてが死んだらどうすんねん・・・」
出発前に突然言われた言葉。
「なにあほな事言うてんねん。ばーちゃんが死ぬわけないやん」

留学が始まって1週間目の日曜日、私はばーちゃんの家に電話した。
私の家では、毎週日曜日にはばーちゃんの家に行く習慣があったから。
母と話していたが、切る前にどうしてもばーちゃんの声が聞きたくなった。
「もしもし、ばーちゃん。○○やで。元気してる?もうすぐ帰るから」
「へぇ、元気やさかい。あんたも元気でな。はよ帰っておいでや」

とてもしっかりとした口調だった。痴呆だなんて思わないくらい。
1ヶ月半の留学を終え、家に戻り、食事をとっていると母が泣き出した。
祖母が亡くなったという。
電話で話した3時間後に・・・。
誰もが信じられない出来事だった。
おばあちゃん、ごめんね。
いまでも信じられないよ。
お土産のマフラーもって冬になったらドライブ行こうと思ったのに。
車椅子だと寒いもんね・・・。
おばあちゃん、ごめんね。
おばあちゃん、大好きだよ。
おばあちゃん、ごめんね。

もうすぐ3年目の夏がくる・・・

521 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/27 12:02 ID:IOmBglFv
>大好きだった祖母が亡くなって3年目の夏が来る。
から始まって

>おばあちゃん、ごめんね。
>おばあちゃん、大好きだよ。
>おばあちゃん、ごめんね。
>もうすぐ3年目の夏がくる・・・
で終了。

ここでポエマーにならんでくれ…。
普通にさり気なく書かれた中に家族の情感が溢れてるからホローリなのに
「泣かせよう」って演出されたら醒めるし萎える。

522 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/27 13:45 ID:Ane9s8JU
自分が大学生、妹がまだ中学生のとき父が亡くなりました。
父が亡くなってから暫らく経ち、私は社会人に、妹も高校生になった頃、
何気にテーブルの上に、妹の宿題であろう
「私の父について」
という作文が置いてあった。何気に目を落とすと
400字詰めの作文用紙に、
「私の父は、私が中学のときになくなりました。だから
あまり父の記憶はありません。」
とだけ書いてあった。そのときになって初めて、大学生になるまで
自分に父親がいたことの有難味、そして中学生で父を無くした
妹のつらさを思い、涙が止まらなかった。

そんな妹も、今では立派な小姑です(涙


523 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/27 13:51 ID:efkWJLnj
>521
禿同。

524 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/27 17:54 ID:LeV3fvEn
家を買って、これからって時に妻の病気が発覚
それから2年近くの入院生活で、なかなか家には帰ってこれなかった妻が、
今月の10日に癌で亡くなった。

仕事と病院の往復で、息子の事をなかなかかまってやれず、
「お父さん、今日は早く帰って来るの?」「一緒にお風呂入れる?」
休日も病院と家の往復ばっかで、何処にも遊びに連れて行ってなかった。

妻が一時退院した時、テレビでトトロをやっていて、
「うちと一緒だね」その言葉に妻と私は顔を見合わせ、
「早く元気になって帰って来るから、お父さんの言う事聞きなさいよ」と、
いつも息子の事を気にしてた妻

亡くなってから一週間は、バタバタといろんな事に追われ、想い出に耽る事すら出来なかった。
最近になって少しずつ、妻と出会ってからの日々が懐かしくボーっとしてる事が多くなった。
昨日、息子とお風呂に入ってる時、「白い服着た人が、うつむいて座ってたよ」
その事を聞いた時、息子の事が心配で妻が見てるんだなって思ったら、涙が・・・。
勝ち気な妻だったが、いつも明るく、人見知りしない性格で誰にでも好かれ、
そんな妻が私の自慢でもあり好きだった、今でも・・・。
2週間過ぎたけど、玄関から「ただいまー!」って笑って帰って来そうで、
病室行ったらベットで寝ていそうで、妻の死が信じられない。

好きなのに・・こんなに・・・愛してる

息子と2人で待ってるからね






525 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/27 18:46 ID:Zawa9ap3


>>こんなに・・・愛してる


( ´,_ゝ`)プッ

526 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/27 18:59 ID:X+7tYJci
>>624
自分が経験したシチュエーションとまったく同じだ。自分は息子のほうだが。
無責任な気休めを言ってあげることはできないよ・・・。
ぐすん。


527 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/27 19:06 ID:DrASwz4H
間違えた・・・。鬱。
>>524だたーよ。
スマソ。
まだみぬ>>624もがんがれ!w

528 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/27 19:12 ID:iJLK8z0R
あのさ、泣かせようとしてる文章で書くのは正直うざい。

529 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/27 21:46 ID:e9c+rxGb
亡くした人の思い出を書いてるうちにクサクなるのは理解できなくも無い。
感情が高ぶってきちゃうからな。
でもグッとくるのは淡々と書かれたものだね。

530 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/27 21:53 ID:kdUSgZYS
とりあえず>>521には禿同

531 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/27 22:39 ID:S3DelW9L
では、おまいらの思う淡々と書かれた秀作レスを教えておくれ。
漏れの場合、part1の24のひそかなファソでつ。

532 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/27 22:50 ID:9WVQ0Suv
過去スレ見れないので他スレにコピペされてた(というか俺がした)のを逆輸入。


216 名前:水先案名無い人 投稿日:03/06/05 14:12 ID:Fcs5Auz/
結婚式当日。
私は、穏やかで優しいこの人と一生共に生きていくんだ、と感傷的になっていた。
夫は「僕は気の効いた言葉や演出は苦手だから恋人としては不満だったかもしれないが
平凡でも幸せな毎日を守っていく自信は有るから」と言った。

結婚生活は1年2ヵ月。
交通事故で逝った夫は言葉どおりの優しい日々の記憶と、お腹に子供を残した。
夫を思い出すと結婚式を思い出す。
あの時「恋人としても満点だった」と言ってあげればよかったなあ。


533 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/27 23:20 ID:C/8WxkTj
まあ、一応淡々としてるが・・・

534 :74:03/06/28 00:42 ID:C2i90pqN
私には2歳年上の姉がいた。小さいときから姉のあとばかりついてまわり、勉強、
スポーツ何でもできる姉は私の自慢だった。私が中学のとき、その姉が病気になり
入院した。闘病中母や父は毎日病院に行っていたため、私は家で祖父母と過ごして
いた。姉の病気は大したことないと伝えられていたため、毎日病院で寝泊りしている母と遅くまで
病院に毎日行っている父を姉に取られた気がしてとてもさみしかった。

その姉が病気になって2年後に亡くなり、私の心はぽっかりと大きな穴があいて
しまった。病気が重いと知らされていなかったため、知っていればもっともっと
姉にお見舞いにも通って思い出たくさん作ったのに、と考えて毎日後悔していた。
友達が姉妹の話をするのがとてもうらやましかった。「兄弟いる?」との質問が
とてもつらかった。

姉の亡き後、母や父から一人っ子になってしまった私に対しての期待が大きすぎて
素直になることができず、毎日けんかばかりしていた。一度大きなけんかの時
「お姉ちゃんじゃなくてあんたが死ねばよかったのに」とまで言われ、どうしても
許せなくて一層母との壁が厚くなった。
姉は本当に優しくて頭も良くて才能もあって、私は大して頭もよくなく取り柄が
なかったから心の中で「私が死ねばよかったのに」とは思っていたが
まさか母にそのことを言われるとは思ってもいなかったから・・・

あれから10年。結婚して子供が産まれ今3ヶ月。やっと親のありがたみがわかった。
自分の子を亡くすことがどれだけ悲しいことか。我が子とはこれほど愛しいものとは
...。あの時もっと母に優しくしてあげればよかったと後悔の嵐。
子供が産まれてからは母とは今までのことがうそのように仲良くなれたような気がする。
これからは孫の顔を見せにちょくちょく通い、精一杯今までできなかった親孝行して
あげよう。お姉ちゃんの分まで。

535 :534:03/06/28 00:44 ID:C2i90pqN
ごめんなさい。私74じゃないのに間違えて名前欄入力してしまいました。

536 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/28 00:53 ID:lFLZTLc5
私には自慢のお爺ちゃんがいます。
昔爺ちゃんはソ連に捕まっていたらしいです。
シベリア出兵のことなのですが、爺ちゃんは毎日何キロも歩かされ酷い肉体労働をさせられてきたそうです。
毎日知り合いが死んでいくのが当たり前と爺ちゃんは語っていたそうです。
ある日爺ちゃんは怪我をしていた見ず知らずの人を、
荷物と一緒に抱えて何キロも歩いた事があったらしいです。
その人はなんとか助かって、爺ちゃんと同じように日本に無事帰ってきました。
未だにその人から何十年も経ってるのに、爺ちゃんへの感謝の手紙が届きます。
爺ちゃんが命をかけた事がどれだけその人へ影響を与えたかが本当に判ります。
そんな凄い爺ちゃんが大好きで、誇りに思っています。

実際には爺ちゃんとはなんも関係がなくて同じ時間を過ごす事はなかったけど、
爺ちゃんが生きていたお陰で、凄く自分は強くなれた。
へこたれたとき、いつも爺ちゃんの武勇伝を聞いて自分を励ましています。

しかし爺ちゃんと話したいこといっぱいあるのになぁ。
よかったら長生きして欲しかったな。

537 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/28 01:00 ID:1e9FG5+o
>>536
うちのじいちゃんと凄く似てる。
じいちゃんは今のミャンマー、当時のビルマに戦争に行った。

長生きして欲しかったなぁ・・・

538 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/28 01:05 ID:+wWZS31W
オイラも爺ちゃん婆ちゃん一人も会った事ないよう。
親が勘当された、とかじゃなくて死んだとか再婚したから会えないとか色々なんだけど。
お爺ちゃんお婆ちゃんってどんなのか知りたかった。

539 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/28 02:49 ID:rvqjs+I7
>>536
細かいことだけどシベリア抑留だよね。
シベリア出兵とはぜんぜん違うわな。

540 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/28 08:42 ID:XYGZfof/
 十数年前、高校卒業し専門学校に行く事にした。家が大嫌いで早く出たかった。
本当は一人暮しをしたかったが、家は貧乏だったので寮に入れられた。

一方、友人やいとこはドラマに出てくるような一人暮しを満喫しており凄くうらやましくて、
それに比べると、自分の寮生活はカッコ悪く思えて恥ずかしく、寮の友達も出来ず
他の寮生が楽しそうに部屋を行き来しているのを見るのと、孤独感がこみ上げ、
自分も他の人と同じように一人暮しをしたい!という思いが益々強くなった。

そして入寮3日目に実家に電話した。父が出た。
父親は小さい頃からよく私を殴る人でとても恐い存在でした。
意を決して「もう寮は嫌だ」と言うと父は「寂しいだろうけど我慢しろ」と言う。
私は「我慢できない。寮は嫌!一人で住みたい」と泣いて訴えた。
いつもは頭ごなしに怒鳴る父が、電話の向こうで泣いていた。
「家を離れて寂しいだろうけど、我慢しろ…。でもどうしても我慢が出来なくなったら
いつでも帰って来い。」と泣きながら言った。
私は(冗談じゃないよ。一人暮しがしたいんだよ!仕方ないか…)と思いながら電話を切った。

最近になって酔っ払った父が、「あの時はお前が可哀相で可哀相でなぁ…。寂しい思いをしてると
思ったらたまらなかった…。どうしてもしんどくなったらいつでも帰って来い。」
と言っていた。

今になってあの時の父の気持ちがとても嬉しかった。気づくのが遅くてごめんなさい。


今になってやっと父の気持ちがありがたく思えた。






541 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/28 12:16 ID:e7LGv09p
私の母方の祖母は私とは血が繋がっていない。
母は小さい頃に事情は良く知りませんが祖母のところに里子に出されたのだそうだ。
母から聞いた話ですと「おまえは私を養う為に貰われて来たのだ」と言われ続けてきたのだそうで、血の繋
がらない祖母は結婚した当初から父母と同居をしていたそうだ。
祖母は私には優しくしてくれ、幼稚園に迎えに来てくれたりもした。
私は祖母が幼稚園に迎えに来てくれるのが楽しみだった。
何故なら祖母は私が欲しいと言うもの(といってもちょっとしたお菓子などだったが)を買い与えてくれたり
してくれたからだ。
だが母親は「おやつとか買い与えなりしないでください」とか喧嘩になったりして、正直母親が嫌いだった
りもした。

「祖母が危篤だ」という連絡が入ったのは、私が仕事中の事だった。
当時の私は、とある店の店長で、立場上営業時間内に早ひけするという事がしにくく、祖母が病床にあ
る事は知ってはいたが滅多に実家に帰る事はしていなかった。
ましてや電話があった日はクリスマス目前のかきいれ時、上司にも相談したがやはり営業時間終了迄
店を離れる事は出来なかった。
私が実家に帰ると私以外の家族は祖母の周りに集まっていた。
祖母はまだ息があり「ばあちゃん、漏れだよ」と声をかけると目をうっすらと開き、微かに頷いたかのよう
に見えた。
私は「危篤だと聞いていたが、未だ意識があるじゃないか」と思い、夕食を済ませていなかったので用
意されていた弁当を食べる為に別室に移動した。
容態が安定してホッとした空気が家の中を支配していた。
親父も食事を取る為に部屋を移動してきて、漏れの仕事の話だとか、他愛のない話をしていた矢先に
祖母が息を引き取った。

漏れが実家に帰ってから10分も経過していなかった。
母は、祖母の亡骸の傍で泣き崩れていた。
血の繋がらない親の面倒を見なければならない事を運命づけられた母の思いは私には想像もつか
ないが、小さかった頃から嫌いだった母の事が少しだけ好きになった。



542 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/28 14:36 ID:UdB8y9RY
>>540
いまどき家でご臨終か?
それに、しろーとがなんで危篤とか容態が安定とかわかるんだ?

543 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/28 14:41 ID:OkQud66e
>>542
なんだか的外れなつっこみだねぇ。

544 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/28 17:06 ID:dT5N409/
プッ
ま、あれだな。
どう考えてもお母さんの方が可哀相だな。
子供だから仕方ないけど、息子にも味方になってもらえないなんて・・・。

545 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/28 19:03 ID:FXBSnH6L
以前のことではなく、今日のこと。

おばあちゃんが入院した・・・。
何か病気ってわけじゃないけど、腰が痛かったらしい。
通院で大丈夫だったんだけどその病院が遠いから入院することになってしまった。
おばあちゃん子の漏れとしては凄く悲しい。・゚・(つД`)・゚・。

546 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/28 22:58 ID:9/r8/jXs
母方のばあちゃんは私が幼稚園の時に亡くなった。
盆正月に母の実家に帰ると、
「よう来た、よう来た。」と喜んで、当時ほとんど寝たきりだったのだが
かなり強い力で私の手を握って離さなかった。
そろそろいいだろうと離れようとしても握り締めた手をなかなか離してくれなかった。

数年後、まだ死というものがわからない頃にばあちゃんの葬式に出た。
一日目はなにがなんだかわからなくて普通に遊んでいたが、
次の日に母の号泣するさまを見て、わけのわかないまますごく悲しくなって
一日中泣きつづけた。

書いていたらもうなくなってしまった叔父や叔母ら、やさしかった親戚の
事をいろいろ思い出してしまってもう、書けない。書ききれない。


547 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/29 05:11 ID:frjxHDAm
だからお前ら売れないんだよ

548 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/29 23:38 ID:xMIX4afr
最近、無駄に叩いたり煽ったりしてる連中が増えて、いやな空気になってきたな。
アレか、「死んでしまった〜」にも同じようなヤツらが出てたけど、
スレを本にして売るとかいってた連中? 無視されたからスレ荒らしてんのか?

549 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/29 23:48 ID:Jb8IPAT0
なんか最近、つまらんこと言ってる粘着がいるな。目障りだ。

550 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/29 23:51 ID:Jb8IPAT0
>548
すまん、リロードせず、かぶってしまった…。

551 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/30 10:11 ID:v1MVm6o0
先日 じいちゃんが氏にますた
じいちゃんは口が悪く
「つまんねー書き込みしてんじゃね−」
「ageるなsageろ」
「終了−」
「おまえのような椰子は逝ってよしだ」
等が口癖ですた。
特に漏れがスレを勃てたときは非道くて
「なに>>1とかになってんだ。一族の恥だ。逝ってよし」
とまで言われ、以来口をきかない儘東京に出て来てしまいますた。
その後の漏れは荒んだヒキーコになり、連夜のようにスレを荒らし、糞スレを勃てたりもすますた。
じいちゃんが氏んだ、と連絡があったときも、感傷めいた気持ちは一切なかったです。
親が「葬式来なかったら仕送りやめるぞゴルア」と脅すんで仕方なく逝っただけの事ですた。
棺桶の中で花に囲まれたじいちゃんは何だかちっちゃく見えますた。
これが漏れに悪態をついていたじいちゃんなノカ?氏んだっていうのもネタなんじゃねーか、何かの
悪い冗談だろ、おい。そんな気持ちがぐるぐると漏れの頭の中を回ってますた。
じいちゃんの棺桶が霊柩車に乗せられ、火葬場に運ばれ、骨になっても漏れには実感が沸かなか
ったし泣いたりもしませんですた。
葬儀も終わり、実家に帰るとじいちゃんの遺品がじいちゃんの部屋に並べられていますた。
その中に「>>1へ」と書かれた風呂敷があるのを漏れはハケーンしますた。
これは漏れ宛の遺産だ。もしかしたら1億くらい入ってるノカ?
じいちゃんもやるじゃんとか思いながら風呂敷をあけると何枚ものCD-ROMが入っていますた。
漏れはそれを持ち帰り、そのうちの一枚をパソコンで再生してみますた。
それは2chのログでした。
なんでじいちゃんが2chのログなんか持ってるんだ?
そう思いながら読むと、そのログは、昔漏れがはじめて勃てたスレの最初の文章ですた。
その頃の漏れの文章は今以上に拙く、とても読むに耐えるものではなかったし、自分が>>1でな
かったらアオるかスルーして終了していたって確信出来るものですた。

でも、驚いたのはそれだけではなかったんです。

(続く)

552 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/30 10:17 ID:v1MVm6o0
(続き)
漏れは別のCD−ROMも開いてみますた。
そこには今から何十年も前からの2chのログが!
そこには伝説として語られている数々の名スレ、良スレがきちんと
整理されて保管されていますた。
その時漏れはすべてを理解すますた。
じいちゃんは若い頃から2chを愛していたんだ。
だから漏れに悪態をついていたんだ。

ごめんよ、じいちゃん。
これからは良スレ勃てるから。
そして良スレを無意味にアオったりもしないから。

漏れは、天国にいるじいちゃんにそっと手を合わせた。

2065年、夏。ここにカキコしている椰子の孫から。




553 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/30 15:11 ID:PqIlmPJc
45点

554 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/30 21:52 ID:ow+K/9pO
>>541
>「ばあちゃん、漏れだよ」
がツボにハマった(w

555 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/30 22:38 ID:WJ8IGrwH
私の家は結構古くて、私の部屋の壁は木目調の板壁なんだけど、子供の頃
その壁の木目が人の顔に見えたりしてすごく怖かった。
だからうちの父に「壁紙貼っていいでしょ?○○ちゃんちは白くてきれいな壁だからうらやましいよ!」
と言うと「家も壁も痛むから絶対ダメだ」と猛反対された。
そんなある日、親戚が遊びに来ていた時うちの父がお酒を飲んでてちょっと酔っていた時に
「子供部屋の壁なんか・・・娘なんかどうせ結婚したら出てっちゃうんだから・・・」
と寂しそうに言いました。
それで父の本当の気持ちがわかりました。
私はまだ結婚する相手もいないけど、将来結婚してもこの家で同居するつもりです。
そんな父が建てた大切な家だからこれからも大事に住みたいと思います。

556 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/30 22:54 ID:qS6tn35y
漏れ、小さい頃におかんに死なれ、親父の手ひとつで育てられた。
就職のため実家を離れたため、今では親父と漏れは離れて暮らしている。
親父も年をとり、会社を定年退職したが、それまでのキャリアを生かせる仕事を見つけ、
再就職した。が、いろいろあり、鬱にかかって辞めざるを得なくなってしまった。
もともとプライドの高い親父は、漏れには鬱のことをなかなか打ち明けてくれなかった。
ただ「もう仕事はできない」と言うだけだった。
それなのに、最近ではめっきり年も取り、鬱を打ち明けるばかりでなく、「この先、もう
長くない」などと口走るようになってきた。

今だから言えるが、漏れも、仕事であまりにもストレスを溜めすぎて、鬱にかかったことがあった。
今まで育ててくれた親父に愚痴をこぼすのも憚られ、「仕事辞めたい」とも言い出せなかった。
また、人一倍負けず嫌いだったんで、誰にも打ち明けず(除く医者)、治療して復活した。

その経験もあって、鬱の人に気休めで「頑張れ」と言ってはいけないことを漏れは知っていた。
おとんに何と声をかけて良いものやら、わからなかった。
ただ、鬱は薬を飲んで治療すれば治ることを知って欲しくて、つい自分の話をしてしまった。
もう泣かれたね・・・。
「お前にそんなに辛い思いさせてるとは思わなかった」って。
親に気兼ねする子供がどこの世界にいるんだ、と半分怒りながら、一緒に号泣してくれた。
親父も病気で辛いはずなのに、こと子供のこととなると、こんなに豹変するものなのかと思って、
泣けて泣けて仕方なかった・・・。

それを境に、親父は前向きに鬱治療に取り組むようになったし、弱音も吐かなくなった。
ここでは声を大にして言いたい。「親父、頑張れ!!」

557 :おさかなくわえた名無しさん:03/06/30 23:05 ID:/fKK3Vit
555,556,いい話だね。。。
ぽろりと来ちゃったよ。
幸せを祈ってます。。。

558 :おさかなくわえた名無しさん:03/07/01 01:56 ID:F6Wjkd/6
>>555,556
お父さん頑張れ。できる範囲でのんびりやっていけばいつか治るさ!

559 :おさかなくわえた名無しさん:03/07/01 02:37 ID:gxi/yH8r
皆さんみたいに全然ホローリじゃないんですが・・・

何年か前から父母の誕生日に、自分で稼いだお金(といっても1万円だけど)
をプレゼント出来るようになりました。
母は毎年大喜びで、父は「いつも悪いねー」と冗談ぽく受け取る。
「何を買おうかな」なんて言いつつ、仏壇には私のあげた1万円の入った
封筒が何ヶ月もあげてあります。勿体無くて使えないんだそうだ。
毎年同じように喜んでくれて「大人になったねえ」なんて言われると
照れ臭いと同時に何か切なくなって1人で泣いてしまいます。
来年もプレゼントするから元気でいてね!


560 :おさかなくわえた名無しさん:03/07/01 09:47 ID:b4mZCIIi
ほんのりホローリでいいんだよ。

561 :おさかなくわえた名無しさん:03/07/01 12:04 ID:7eHwzVSQ
>>559
あなたが結婚するときのために
使わずにとってあると思われ。

562 :おさかなくわえた名無しさん:03/07/01 20:00 ID:4zTkLmHF
>>556
泣きまつた・゚・(っД`)・゚・

丁度今日仲良かった婆ちゃんが死んだから、余計このスレ泣けてくるよ。

563 :おさかなくわえた名無しさん:03/07/01 20:04 ID:2Z8RID4Y
俺も・・・。
がんがれ>>556のパパ

564 :おさかなくわえた名無しさん:03/07/01 21:31 ID:rB5SnLbe
>>556
親父さん、マターリがんがれ!

565 :おさかなくわえた名無しさん:03/07/01 22:08 ID:wOluHVZ3
坂東孝信て、誰や、どんな奴や、はっきり書いて来い

566 :おさかなくわえた名無しさん:03/07/01 23:03 ID:3vfygirn
おまいらのせいで、いくら涙があっても足りない…

567 :おさかなくわえた名無しさん:03/07/02 00:55 ID:kP4kL3er
母が仕事の予定を書き込む専用の小さなカレンダーがあるんだけど、
今日見たら7月のとある日付に何か書いてあるので見たら、
その日は私が高校生の時病気で亡くなった母方のおばあちゃんの誕生日で、
妹の字で小さく「○○おばあちゃんお誕生日おめでとう!」
もう亡くなってだいぶたつのに・・・。
それ考えてすごい泣けました。

568 :おさかなくわえた名無しさん:03/07/02 01:48 ID:lu6O5EEZ
涙が止まらないよ

569 :おさかなくわえた名無しさん:03/07/02 09:39 ID:h2Fsu0M1
高校の時の同級生の話だからこんなとこで言っていいもんかわかんないけど、
うちの高校は入学してからすぐゴールデンウィークあたりに研修旅行みたいのに
行かされるんだけど(二泊三日で)研修旅行に行ってる間にその友達の家族が
みんな交通事故で死んでしまったらしい。残ったのはそいつとその兄貴だけ。
聞いた話だと研修中に旅行に出かけたそいつの家族は旅行から帰る時での
事故だったらしい。うちの学校はスポーツ学校でオレもそいつもスポーツ推薦での
入学だったから学校はもちろん部活もまったく休めなかった。
部活に出なければもちろんクビだったし。みんなはあいつは学校辞めると思ってた
らしいけど、そいつはその後も毎日通っていた。
曰く、「今辞めたら親父になんて言っていいかわからない」らしい。
そいつの親父は元プロ野球の選手

570 :おさかなくわえた名無しさん:03/07/03 02:08 ID:YBvu4/ZC
(´Д⊂)

571 :おさかなくわえた名無しさん:03/07/03 06:16 ID:B+9vVx3E
>>567
ちょっと異義かも知れないけど、
「なぜ葬儀などで死んだ日を節目にするのか分からない。
 その人がこの世から居なくなった日でなくて、この世に生を受けた誕生日こそ
 節目にするのに相応しい日なのではないか。」
っつう言葉を思い出したよ。
その時は嘲笑ってたんだが、読むたびに「確かにそうかな…」とも思えてしまう。

572 :おさかなくわえた名無しさん:03/07/03 09:33 ID:As+2gKof
亀レス頻発=みんなが真剣に読んでる証拠
(´Д⊂)ウワアァァァン
ここのみんな最高だぁ・・・。


573 :おさかなくわえた名無しさん:03/07/03 14:09 ID:RWBhjpUl
背が高く体格のいい一番上の元ヤンキーの姉が鬱病の頃、
末っ子の私はその姉からボコボコにされることが時々あった。
両親は不仲でほとんど家に居ないし、
居ても相談なんてできる状態じゃなかった。
あるときたまたま家に居た一歳上の兄が
ボコボコにされている私を助けてくれた。
姉より体格のいい兄に「何やってんだ!!」と姉は押さえ付けられ
やっと私は逃げ出せた。
それからしばらくして姉は入院。
私が台所でボーっとテレビを見ていると、
兄が近所の当たり付き自販機で
「3回連続で当たったんだ。お前も飲むかと思って」と
ニコニコしながら缶のミルクティをテーブルに
ゴトゴトと置いた。なんかさ、嬉しかったよ。

この兄、結構しょーもないことしていて
父や姉(鬱は完治)からちょっと悪く言われてるんだけど、
根本的原因は両親と姉にあると私は思ってるし、
私は兄ちゃんの味方だ。

574 :おさかなくわえた名無しさん:03/07/03 20:30 ID:cICbLz7E
なんか嬉しかった話、ちっちゃいことだけどいいよね。
そういうのって、なんか忘れられないんだよね。

575 :おさかなくわえた名無しさん:03/07/03 20:45 ID:83TsjoTL
>>556
良い話でつ。
これからは、二人の男として、仲良くやってくれ!
沁みる話を、有難う。

576 :おさかなくわえた名無しさん:03/07/03 22:16 ID:Jz+WCSw2
別に昔のことではなく、今日思ったこと。
今うちのおばあちゃんが入院してる。
ま、それは簡単なもので、すぐ退院できるんだけど
以前おじいちゃんが入院したときにも同じことを言われ、
結局おじいちゃんがガンだって知ったのは死んでからだった。
それまでは風邪をこじらせたって聞いてたのにさ。

おばあちゃんは今腰が痛くて入院してるし、今日病院いったら元気だったからそんなことは無いだろうけど、
おじいちゃんの事を思い出したらちょっと泣けた。
おじいちゃん、死なないで、昔の話をもっと聞かせて欲しかった。
「戦争行って犬が食えりゃ幸せだったぞ〜」
「じいちゃんは仲間の死体の上を歩いて帰ってきたんだ。」
「戦争に行く前はばあちゃんが大好きで、〜」
もうちょっと聞かせて欲しかったな〜。

余談だけど、おばあちゃんがおじいちゃんの事を話すときは凄く誇らしげでうらやましい。
長生きしてくれよ!

577 :556:03/07/04 00:03 ID:b/aHs5om
温かい反応がこんなにあるとは思わなかった。みんな、ありがとう・・・。
よくよく見たら、読みづらい文章だったね。ごめん。

うちは父方も母方もガン家系で、父方の祖父母、母方の祖父は、それぞれガンを患って、
漏れが生まれる前にすでに鬼籍に入った。
おかんは32歳の若さで発ガンし、4年後、漏れが8歳の時に亡くなり、
ばぁちゃんも後を追うように死んだ。
以来、父一人、子一人。
そんな環境で育った漏れを、親父は不憫に思っているらしい。
そんなことないのに・・・。
漏れがこうして今生きていられるのは、親父がいたからこそなのに。

漏れ、もう少しで32歳に手が届きそう。おかんが発病した「32歳」。
こんなオサーンでも、親父にとっては、いつまでも子供。
ことあるごとに「身体を大事にしろ」と言うし、漏れがガンになることを恐れている。
だからこそ、>>556の話は、なおさらこたえたらしい。
これ以上、親父に心配かけちゃいけないんだ、と思った。

578 :おさかなくわえた名無しさん:03/07/04 08:23 ID:wESYQlTl
いやでも、心配かけないように!ってがんばりすぎちゃうと、ウツになっちゃうものだから
がんばりすぎないでね。
お互いに思いやられているんだろうなあとシミジミ感じました。ホローリ

579 :おさかなくわえた名無しさん:03/07/04 21:46 ID:OmONysRt
。・゚・(ノД`)・゚・。
ホローリage

580 :おさかなくわえた名無しさん:03/07/05 03:46 ID:iiCmGdrM
皆の話しに号泣
涙でディスプレイが…。・゚・(ノД`)・゚・。

子供の頃のことを思い出しました。

子供のころ、オレ(幼稚園)と弟(まだ1歳くらい)が母親の実家に預けられた。
季節は夏。
夜に花火をした。
ところが、オレがあまりにバカな行動をして、足に火傷してしまった。
自分でも「あーやっちゃった」って感じだったんだが、冷静でいた自分とは裏腹に、実家にいた親戚中が大騒ぎ。
とにかく冷やそうって話しになった。
その時、曾ばあちゃんが味噌を持って来て
「ほれ、これを塗りな。火傷には味噌がいい」
って言った。しかし、皆は
「そんなの塗ったってダメだって! 余計に悪くしちゃうよ!」
「おばあちゃんは、いいからあっちいってて!」
子供のオレから見ても、ちょっと言い方キツイんじゃないの?って感じで言った。
その時の曾ばあちゃん、凄くションボリしてた。
その後、オレが火傷をしたことを母親に連絡。曾ばあちゃんが
「すまないことをした。まったく申し訳ないことをした。一生残るキズを付けた」
って、可愛そうなくらい誤ってた。
あの時の曾ばあちゃんの後姿が小さく見えた。

曾ばあちゃんは14年前に92歳で往生した。
火傷の痕は残ってしまったけど、見るたびに思い出す。
おばぁちゃん、ごめんなさい。おばぁちゃん何もは悪くないよ。だから誤らないで! って言いたかった。
そして数ヶ月前、火傷には味噌が効くとTV番組で見た。
味噌はやっぱり火傷にいいんだね。おばぁちゃんは間違ってなかったよ!

581 :おさかなくわえた名無しさん:03/07/05 04:39 ID:l1DVXY5d
曾おばあちゃんも
良いお孫さんを持って幸せだったことでしょう


582 :580:03/07/05 05:43 ID:iiCmGdrM
もう一つ思い出した。

親父は昔から無口。
中卒で会社に就職してるため、平日は人一倍仕事を頑張り、夜遅く帰ってきて、朝早く仕事に出かけた。
田舎なので人付き合いが大変なのだが、交流を深めるため休日は地元の行事に参加していた。
当然、子供の頃から会話が殆どなかった。
正直、親父のことが嫌いだった。

20になった誕生日。
夕食の時に、母親が言った。
「お父さんね、お前が生まれた時の新聞大事にとってあるんだよ。新聞沢山買ってきてね、ビックリしたよ。後で見せてもらいな」
親父は何も言わずに自室へ。
暫くしたら、黄ばんだ新聞をいくつも持って来て、黙って差し出した。
二人で新聞読みました。

泣かなかったけど、心で泣いた。
何不自由なく育つことができたのは、親父が何も言わずに頑張ってくれたお蔭だ。
親父ありがとう。
子供の頃、愛情を肌で実感できなくて嫌いだった。でも愛されていたんだな。

酔っ払った親父が言った言葉。
「孫の顔を見せるのが親孝行だと思う」
早く孫の顔を見せてやりたい。
その前にケコーンしないといけないわけだが・・・。親父もう少し待ってくれ。

よく考えてみたら、一回もプレゼントもしたことないし、感謝の気持ちも言ったこと無かったな・・・。
照れくさいが、何かの折りにプレゼントでもするか。

583 :おさかなくわえた名無しさん:03/07/05 12:45 ID:FxAtwMIn
おばあちゃんの話好きだ。
自分はあんまりおばあちゃんの思い出ないのでな。

584 :おさかなくわえた名無しさん:03/07/05 22:21 ID:WZkrSAnp
嗚呼 泣いちゃうよ・・・・

585 :おさかなくわえた名無しさん:03/07/05 22:51 ID:LpA6c0ZB
>580
思い出に水を差してすまんが、火傷に味噌は間違ってるよ!!
火傷の程度にもよるかもしれないけど、酷い火傷には絶対ダメだ。
育児板の体験談でも、火傷に味噌とか、すりおろしたジャガイモとか
をお祖母ちゃんに塗られて酷くなって医者に怒られたりしたとか、
塗られる寸前で阻止して、医者でその話をしたら医者からも塗らなくて
良かったと言われたとか、そんな話はいっぱい落ちてる。
火傷は冷水で冷やして、病院へGO!!

でも、ホローリ話をありがとう。

586 :おさかなくわえた名無しさん:03/07/05 23:28 ID:vIt9FgrE
私の母は生まれた時から苦労していた。
実母を2歳の時亡くし、そのご後妻がきた。
24歳で結婚、すぐ私ができたが血液型の問題で堕胎しろと医師に言われた。
障害児が生まれると脅かしてきた産科もあったらしい。しかし母は私を
生んだ。私は障害などまったくなかった。その後また妊娠したが父が浪費家
で借金を作りあげてたので生むことができず、ここで初めて堕胎。それに
より二度と子供の産めない体になった。
また、障害児ではなかったが実母が肺結核で亡くなっているため、孫にあたる
わたしにも肺に影が見られ、毎朝大学病院まで通った。満員電車
だと私にも、そして働く人にも迷惑がかかるからって朝5時に家を出て。
父はというと闇金融からお金を借り、母はやくざに囲まれて返済の話し合いをした
こともあった。母は内職を掛け持ち、家計を支えたが限界がある。
とうとう夜逃げした。離婚も考えたが、私が父とも一緒にいたいとの言葉で
父についていくことを決意。関西のほうへ逃げるようにして向かった。



587 :おさかなくわえた名無しさん:03/07/05 23:33 ID:6/ReZmNA
3年前、高専に通っていたんだが、専門的な授業にうんざりして退学した。
親は当然反対したが、「大学に入るから」といって無理やり自主退学。
しかしながら志望大学にはことごとく落ち、短大へ。
親からはそれからの2年間、口を開けば学歴のこと、「お前は駄目人間だ」
など・・・。
今年の4月、ようやく国立大学に編入することができた。
久しぶりに実家に帰り、家族で酒をのんだとき、親父が涙目で
「学歴ばかり気にして、お前の気持ちを考えていなかった。本当にすまん」
といわれた。
俺のほうこそ、期待させておいて、期待を裏切って申し訳なかったと
おもってるよ。やっと、5年ぶりくらいに「家族」に戻れたような気がする。
親父、お盆にはまた帰るから、また一緒に酒飲もうな。

588 :つづき。:03/07/05 23:34 ID:vIt9FgrE
関西で父はかわり、必死に働くようになった。関西で過ごした8年は
家族にとって本当にいい時だった。喧嘩もした。でも母は楽しそうだった。
私が高校を卒業すると同時に東京へ戻った。(もともと東京にいました)
祖母の介護をするために。血はつながらないけど、育ててもらった恩
があるからという理由でした。実子はちょっと性格に癖のある祖母の
面倒なんてまっぴらと言い、金銭面のみ援助してくれました。
しかし母の介護はそれは頑張っていたと思うけど、祖母の親戚が来た
時、母の弟、妹たちに「○○(母)がいじめる」とウソをつき、泣き
崩れるということをされました。母はいつしかノイローゼになりました。
結局、祖母は入院することになり、母もだいぶ楽になりましたが、
祖母が死ぬまでずっと母は「育ててやったのに、なんて娘だ」と言われ
続けてきました。母は、家族を犠牲にしてまで介護したのに。
その後、マザコンだった弟に祖母が死んだのは母となぜか妹のせいだと
言い、絶縁状をつきつけてきました。弟は、なんにもしなかったのに。
祖母を騙してすでに亡くなっていた祖父の遺産を母たちに内緒でもらい
受けてたのに。

589 :おさかなくわえた名無しさん:03/07/05 23:39 ID:lISGA3zB
588さん、せっかくのホローリ話なのにすまんが、
文章がわかりにくいよ。
主語をはっきりさせるなどしてくれると嬉しいのだが・・

590 :最後です。:03/07/05 23:42 ID:vIt9FgrE
母は必死に頑張ってきたのにそれを裏切る人たちばかり。
父がかわってくれたのが唯一の救い。そんな人生でも母は明るく
「なんとかなるよー」と笑顔をたやさない人でした。
私も学校を中退したり転職繰り返したり鬱病になったり、母には迷惑
かけてきたけど、励ましてくれました。
その私も昨年結婚しました。式で手紙を読みました。母の苦労、父の
苦労も私は見てきました。それでも家族のため、明るく頑張ってきた
感謝の言葉をしたためました。母は隠していたつもりだったようですが
「あなたに苦労かけさせたね」と号泣しました。
母の苦労に比べたら、たいしたことありません。母って偉大です。
些細な親孝行しかできないけど、めいっぱいしてあげたい。
「いい人生だった」と言ってもらうために。
文章へたくそですみません。長くてすみませんでした。

591 :すみません。:03/07/05 23:44 ID:vIt9FgrE
589さん、私も書いてるうちに感情移入してしまいわけがわからなくな
ってしまいました。ごめんなさい。気をつけます。

592 :おさかなくわえた名無しさん:03/07/06 20:28 ID:++Wtjatv
>>286の話に感動した。
そして>>358のレスを見てもっと感動した

593 :おさかなくわえた名無しさん:03/07/06 23:08 ID:rFMrF4sY
2ちゃんでこういう板がある事を今初めて知りました。
涙が止まらない話しが多くてとっても感動しました。
板違いかもしれませんが、驚くほど感動したので
あえてココで言わせてください。
ありがとう。

594 :おさかなくわえた名無しさん:03/07/06 23:20 ID:w+6+hp/Q
おじいちゃん大好きっ子だった私。
バレンタインにはいつもチョコレートをあげていたけど
お返しをくれることはなかったおじいちゃんが
ある年のホワイトデーにでんろくのピーナツチョコをくれた。
珍しいと思っていたら数ヶ月後ガンで死んだ。
私が悲しむからっておばあちゃんとかに
私には教えないようにと言ってたらしい。
それ以来でんろくのピーナツチョコを見ると
おじいちゃんを思い出してしみじみ・・・

595 :おさかなくわえた名無しさん:03/07/07 14:18 ID:9l8JywtN
オバチャン、ありがとね
血も繋がってないのに、昼間仕事してる母の変わりに私を預かってくれて、生後直ぐに
脱臼した私の足が治るようにマッサージしてくれてた話、
母からは殆ど聞いたことなかったし、母は脱臼してたのがどっちかも忘れてるくらいなのに。。。
私が凄く痛がっても、心を鬼にしてマッサージしてくれたからこそ、普通に歩けるんだね
歩くのも、走るのも人より遅い私だけど、こうして色んな所に散歩にいける事を感謝しています
いや、もし、あのまま足を引きずるようになっていたとしても、おばちゃんに出会ったことが
私の2番目の宝物。
一番目はダンナだよ。だってその方がオバチャン喜んでくれるの知ってるもん♪

596 :おさかなくわえた名無しさん:03/07/07 14:26 ID:zcG1OVmV
中学生の頃、料理をしていて指を切ってしまった。
けっこう深い傷で、血がすごくあふれてきた。
友達と一緒にいた兄はすぐに銀行に向かいお金をおろし、
弟は泣きじゃくる私の腕を心臓より下にしないように、血で汚れるのもかまわずに
つかんで持ち上げていてくれた。
病院に行って、縫ったのは八針。けっこうな傷だった。
兄の友達は、今でも私に会うと、おまえらいまだに仲いいな〜と云ってくれる。
親が不仲で不在がちだった私たちにとって、
兄弟という絆だけが確かなものだった。
今はそれぞれ結婚して子供たちもいて、
でもあと十年くらいしたら兄妹弟だけで温泉でも行けたらなあと思っている。
あのときの傷は消えないけど、見るたびに頑張ろうという気持ちになるんだ。

597 :おさかなくわえた名無しさん:03/07/07 14:44 ID:NFauj50R
>>596
しっかりしたお兄さんだねー。
兄ちゃんいくつのとき?

598 :おさかなくわえた名無しさん:03/07/07 14:48 ID:zcG1OVmV
>>597
兄が中二、私が中一、弟が小4のときのできごとです。

599 :おさかなくわえた名無しさん:03/07/07 20:29 ID:i723G/Hs
弟もしっかりしてるんでないかい。エライ!
うちの兄と弟も見習ってほしいもんです。

600 :おさかなくわえた名無しさん:03/07/07 21:44 ID:2w0xNP2Z
600gets


601 :おさかなくわえた名無しさん:03/07/08 10:41 ID:ID7ctegU
>>596
>親が不仲で不在がちだった私たちにとって、
>兄弟という絆だけが確かなものだった。

なんかわかる。
うちも両親不仲で、一つ上のお兄ちゃんだけが頼りだった。
成人した今でも仲(いいし、誰よりも話が合う。
普段は照れて言えないけど、お兄ちゃんには感謝してるヽ(´ー`)ノ

602 :おさかなくわえた名無しさん:03/07/09 00:17 ID:PRYyqi26
近々結婚する予定んですが、最近、些細なことを思い出しては泣いてしまいます。

アルバムの中で見た、生まれたての自分を抱っこしてくれている母。
歩き出した私の手を引いてくれている、おじいちゃんとおばあちゃん。
それをカメラのファインダー越しに見てくれていたであろう、父。

どんくさいから運動会は嫌いだったのに、それでもそんな私を見に、
仕事の合間を縫って、朝からいっぱいのお弁当を持って来てくれた母。

1浪の末、第1志望の大学に受かった時には、自分以上に喜んでくれた両親。

「結婚したい」と彼を連れて行ったら、涙を流して喜んで「娘をよろしく」と彼に頭を下げてくれた父。

・・・そんなことを思い出すと、悲しい訳じゃないのに、涙が止まりません。
いっぱい反抗もしたのに、喧嘩もしたはずなのに、怒られたのに、
そんな嫌な記憶は何1つ思い出すことなく、幸せな"家族"の記憶ばかりが蘇って、
涙がぼろぼろ落ちて来てしまうんです・・・

お父さん、お母さん、暖かい家庭で育ててくれて、ありがとう。
今度は私が彼と2人で、暖かい家庭を作ることが、最高の親孝行だよね。
じいちゃん、ばあちゃん、絶対に曾孫を抱いてもらうんだからね、長生きしてくれなきゃ嫌だよ。

まとまらなくて、駄文で長文でごめんなさい。

603 :603:03/07/09 02:03 ID:ZGErzOVY
ここにいる皆さん
ボクも共感できます。ボクは6年前、小5の時に兄弟2人を亡くしました。
元々生まれつき心臓が弱かった妹はあまり長く生きられないと言われてましたが
それでも別れは突然やって来ました。
妹が死ぬ前日には2人で公園に出かけたほどです。

平成9年8月11日、真夏の暑い日でした。妹はそれまで入退院を繰り返しててろくに遊べない状態でしたが
手術も成功し、その日に限って体調が非常に良かったため
ボクが外に連れ出してあげることにしました。
その日、外は雲ひとつない青空でした。
「○○(妹の名前)は心臓が弱いんだから無理させないで」
「血友病も持ってるんだから転ばないように気をつけて」
「日射病にもかかったら大変だから帽子も忘れずに」
「何かあってからでは遅いから」
などとさんざん親に言い聞かされて家を出た記憶があります。
そして公園に着いてみると、いつもとは違って誰も遊んでおらずガランとしてました。
その日は特に暑くて気温が34度もあったため、暑がって誰も遊びたがらなかったんでしょう。
とりあえずボクと妹は石段に腰を下ろして、ボクが
「あれはすべり台だよ」とか「セミが鳴いてるね」などと言った
外の世界の出来事を教えていました。(公園に行っても別段やることが無かったので)
そして喉が乾いたので缶ジュースを買って飲んで、それからしばらくして帰りました。
その夜、風呂から上がった時に母にこう言われました。
「○○はお兄ちゃんに遊びに連れていってもらえてとっても楽しかったって言ってたよ」
そして「仕事で忙しいお母さんとお父さんの代わりに今まで○○を守ってくれてありがとう」って。
その時僕は、「これからも守るよ。何があっても」と言いました。
その時母が少し悲しげな表情をしたこと、今でも忘れられません。
結局その日妹はよほどボクに好感を示したのか、ボクと一緒に寝たいって言ってきました。
それとも…何気なしに気づいていたのかもしれません。それで離れたくないって…。


604 :603:03/07/09 02:04 ID:ZGErzOVY
平成9年8月12日、午前9時20分。
この日は前日とまるで違って、どしゃ降りの大雨でした。
雨の音と同時に誰かがボクを起こす声が聞こえました。
そして目を開けるとばあちゃんの姿がまず映りました。
起こされるなり真っ先に「早く準備して病院むかうから」と言われました。
何が何だかわからないまま着替えだけして顔も洗わずばあちゃんと病院まで行きました。
病院に着いたときすでに母と父は到着していました。そしてボクに一言。
「○○が…もうダメらしい」
ボクは始め2人が何を言っているのか理解できませんでした。
「ダメって…どうダメなん?」
「だから…もう、長くないらしいんよ…。」
「長くないって…まさか死ぬとか?」
ボクの質問に両親はただ頷いていました。母の顔には線になった涙が垂れていました。
「そんなアホな!手術成功したんやろ?昨日まで元気やったのに何で!?」
「…とにかく病室まで行こう」
そう言ってボクは妹のいる病室に連れて行かれました。
その間両親に何を聞いても無言のままでした。
そして病室に着いてみると、心電計のピッ…ピッ…という音が鳴り響いていました。
突然母が声をあげて啜り泣き、
「もうお別れなんやから生きてるうちに手を握ってあげな」
と言いました。僕はまだ混乱していましたが言われるままに寝ている妹の手を握ってあげました。
(ホントに死ぬん?今だってすごい苦しいんとちゃうん?アカン、頼むから頑張って)
そう願い続けていましたが時間は無情なものでした。
5分も経たないうちに心電計は平らになりました。ピ〜という連続した一音が響くのみ。
「10時13分…ご臨終です」という医者の一言を決して忘れることはありません。


605 :603:03/07/09 02:04 ID:ZGErzOVY
母は子供のように泣き崩れて、父はすっかり動転して一目散に病室から飛び出していきました。
ボクはというと、妹の手を握ったまま呆然と立って母の背を見ているばかり。
僅か3歳と3ヶ月の妹が、もう決して笑うことのなくなった瞬間でした。
そしてしばらくすると、親戚の人達がたくさん集まってきて母も病室を離れました。
ボクはその場から動くこともできませんでした。
ただ青白く冷めた妹の顔を見ると、それまで沸いて来なかった感情が突然こみ上げてきました。
ボクは固くなった妹の体を抱きしめて、思い切り泣きました。
「ホンマに死んでしもたんか!?何で○○が死なんとあかんのや!!」
当時小学5年生のボクにとってはじめての家族の死。
それもよりによって最愛の妹を亡くした悲しみはとても耐えられないモノでした。

それからのことは詳しく覚えていません。
通夜も葬式もやったはずなのに、なぜか四十九日までの記憶がどうしても思い出せないのです。
ただ…そんな折にも2度目の悪夢はやってきました。


606 :603:03/07/09 02:04 ID:ZGErzOVY
平成9年10月2日。この日学校から帰ってみると、またばあちゃんに病院に行くように言われました。
今度は何なんだと思って訊いてみると、母が流産したという話でした。
実はこの時母は妊娠していたのですが、妹の死のショックが原因で
予定より2ヶ月も早い早産となってしまったようです。
それもその子供まで心臓に欠陥を持っていたらしく、
早産の衝撃に心臓が耐えられなかったために死んで産まれてきました。
あとで聞いた話ですが、弟だったようです。これが2回目の兄弟との別れです。
妹が死んで以来、ボクはずっと次に産まれてくる新しい命を楽しみにしていました。
また好きな家族ができるんだ、一緒に遊べるんだと思っていました。
ところが結果は流産でした。これは母や父以上に、ボクがショックを受けました。
この日は部屋に閉じこもって電気も付けずにぼんやりとしていた記憶があります。


607 :603:03/07/09 02:04 ID:ZGErzOVY

情けないことですが、その日からボクはおかしくなりました。
学校でもすぐにキレたり問題を起こしたりしていました。
それが原因でいじめられっ子になり、今でも嫌な思いをすることがあります。
それでもこの思いは6年間、誰にも打ち明けることができずにいました。
辛いというのもありますが何より、この話を他人に聞かせることで
「情けない奴だ」と思われるのが恐かったからです。
結局は情けない自分なのに…。そう思って悩んだ挙句、胸の中にしまい込むことにしました。
ですが、こうやって僕と同じような境遇の人に出会えたことだし
僕の募りに募った思いを聞いてほしいと思ってここに投稿した次第です。
これがボクが無くしたモノです。ですが思い出まで捨てたつもりはありません。
妹の世話をしたこと、弟の誕生を期待し想像したことなど
何があろうと生涯忘れまいと思いました。

>>1さん。お母様のことさぞ辛いでしょうけど
いつまでもあなたの心の中に、お母様との思い出をしまっておいてください。
そして好きな時に蓋を開ければいいじゃないですか。
誰からも忘れられることが、死んだ人は一番悲しいのですよ。

どうせもう会えないのなら…
せめてその人のことを想うことくらい、
許してもらえるでしょう…。


608 :おさかなくわえた名無しさん:03/07/09 02:15 ID:7tYyZMuM
>>908
なぜ行かないほうがいいのかという理由ばかり考えちゃうんだよね。

609 :おさかなくわえた名無しさん:03/07/09 02:16 ID:7tYyZMuM
誤爆した。すまん。

610 :おさかなくわえた名無しさん:03/07/09 03:01 ID:b4ZZuEtN
>603
情けない奴でも、情けない事でも無いですよ。
この話をして、あなたに「情けない奴」なんて言うヤツがいたら、その
人こそ、人として間違っています。そんなヤツ、捨てていいです。
辛かったね。まだ小学生だったのに。胸の中に仕舞い込むのは自分の
心にも良くないよ。現実で友達に打ち明けるのが怖いのなら、ネット
上で、家族を病気で亡くした人が集まってるサイトがあるし、そこが
自分の体験を書き込んでもいい所なら、同じような体験をした人を
相手に、自分の身に起こった事を書き込むと良いと思うよ。
同じ立場の人がいるなら、安心出来るでしょう? 
今まで、あまり泣かない様に頑張ってきたんじゃないですか?
辛い時、悲しい時や思い出した時、泣いてもいいんだよ。
人は、泣く事によって、心のバランスを保っているんだよ。
あなたは十分頑張ってきたよ。 

611 :おさかなくわえた名無しさん:03/07/09 04:02 ID:pRGWbhQd
>>603
>妹は血友病も持っているから
女性は血友病にはならないよ、男性だけだよ。
もしかして・・・ネタ?

612 :603:03/07/09 04:09 ID:2NEuTqPj
>>610
こんなにも長い文での励まし、ありがとうございます。
ここを見ている方々には、こういうことがあったんだと
聞いていただけることができて何よりです。
しかし現実ではやはり喋りにくい…というか
無駄に喋るようなものでもないと思って抑えてたんですが
これから先、何でも分かち合える人になら全てを話せます。
この前の保健の授業で、先生に「何人兄弟?」と聞かれました。
でも答えられませんでした。
今生きている2人(一応弟が1人います)と答えるべきか。
共に生きた3人と答えるべきか。
それともボクの兄弟として存在した4人と答えるべきか。
保健の授業なんだから親が何人生んだのかということが重要になってくるわけで
そう考えると4人と答えるべきだったのですが
そうすると周りの人から「ウソツキ、あいつは2人兄弟のはずなのに」と思われそうで
その度にいちいち説明するのも気が引けるので結果答えませんでした。
家庭の事情、とくに兄弟関係には突っ込んでほしくないと言いました。
しかし心ではまた情けない自分を見るだけ…。
おかしくなっていた時も、そうならないこと自体が不可能でしたから
どうしようもなかったのですけど、馬鹿なことをしてしまいました…。

613 :603:03/07/09 04:09 ID:2NEuTqPj
そんなこんなで6年の歳月が経ちました。
しかし妹と過ごした日々の思い出は少しも薄れていません。
現に>>603-607の文で、日付や時間、状況などを
つい昨日のことであるかのように鮮明に思い出せたのが証拠です。
5月8日は妹の誕生日でした。今年のその日、両親は仕事でしたからボクは1人で墓参りに行ってきました。
故人の誕生日を祝うなんて変だと言われるでしょうが、僕の中ではまだ3歳のかわいい子供なんです。
自分が1つずつ歳を重ねていくのを喜ぶのが悪いわけがないのですから。
それができないようになっても祝いだけは続けたいから。毎年行事のように行ってます。
4人目の弟の誕生日である10月2日には、墓が無いので寺にお参りに行きます。
あとは命日にも忘れずに。これから先死ぬまでこの習慣は続いていくでしょう。
彼らが僕の兄弟として存在していた証は不変の真理ですから。

>>611
ひょっとしたら病名を間違えたかもしれません。血が止まらなくなる病気です。
決してネタじゃありませんので。

614 :603:03/07/09 04:10 ID:2NEuTqPj
あ、それと>>607の文の後半は取り消しておいてください(汗)誤爆しました。

615 :おさかなくわえた名無しさん:03/07/09 04:11 ID:mx2CfRYA
このスレの>>77に神が現れますた         
http://human.2ch.net/test/read.cgi/honobono/1056770458/l50      

77 :ほんわか名無しさん :03/07/07 07:07
                         *
 7月7日7時7分に         。    。o
 77ゲットォォォォォォ!!     *   *
  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄   *  ゚  。。 *
      ∧∧☆   )  +    。  ・
   ⊂(゚Д゚⊂⌒`つ * 。
         ̄ ̄      *  。゚  +
         キラキラリーーーーン

616 :おさかなくわえた名無しさん:03/07/09 04:38 ID:QjFVxK/K
>>611
通常はあなたの仰るとおりですが、女性の方もごく僅か
ながらいるそうですよ。

ttp://www.bayer.co.jp/byl/hemophilia/03/10.html

617 :おさかなくわえた名無しさん:03/07/09 06:59 ID:kV45G2rs
>>611
>>616さんのおっしゃるように、女性でも血友病患者はいますよ。
遺伝病で、原因の遺伝子は性染色体X上にあるので、
男性はその遺伝子を持っているX1つだけで血友病になるのに対し、
女性は2つないと病気にならないだけなのです。
だから、血友病の女性は男性に比べると割合が少ないのです。
(だから、603さんは血友病遺伝子を持っていないことになります)
赤緑色盲も同様です。

618 :おさかなくわえた名無しさん:03/07/09 16:11 ID:meOzvgtB
このスレすごく好きだ。

ただ、、、
>>603
高校生にしては文章がしっかりしている。
詳細なディテールといい、ちょっと疑惑が。

こんな良スレなのに疑ってスマソ。
だが、良スレゆえに、ネタだと嫌なんで。

もし本当なら、心から謝る。そして心から君を応援する。

619 :おさかなくわえた名無しさん:03/07/09 21:35 ID:VZvqcd1w
文章力は高校生くらいから進歩しないような気がするよ。
読みやすくて、しかもいい話をありがとう。

620 :おさかなくわえた名無しさん:03/07/09 22:47 ID:ixj5vYnU
>>603>>612
あなたの心の中に(自分も含めて)4人の兄弟がいるならば、胸を張って「4人」って答えればいいよ。
素晴らしいお兄ちゃんじゃないか。きっと妹さんも弟さんもあなたを見守ってくれているよ。
 

621 :おさかなくわえた名無しさん:03/07/13 18:47 ID:RmWYijtT
ageさせて

622 :おさかなくわえた名無しさん:03/07/13 20:56 ID:Vv8ImuNM
亀レスであれだが、>>556に泣きますた。
俺ってのほほんと生きてきたんだなとちょっと反省した。

623 :おさかなくわえた名無しさん:03/07/13 23:32 ID:839LKFxI
何か・・・思い出した

あれは、幼稚園くらいの時だったか・・・
お盆に、初めて母方の婆ちゃん家に親抜きで泊まることになったのね。
従兄弟たちも来ていて、昼間は近くの神社ですっげぇ遊んださぁ・・・

明日も「忍者ごっこ」をしようってことで、すげぇ楽しくてさぁ、
その夜は、従兄弟たちと雑魚寝さぁ・・・

でもなぁ、何故か目が覚めちまうんだよ。何か、寂しいのか、悲しいのか。
婆ちゃん家に着く直前に母と行った喫茶店のこととか何故か思い出されてさぁ
何故か泣いてんのよ、ずーっと泣けてくるの
おかしいなぁ、明日も楽しいはずなのになぁ

そんで、もうどーしようもなくて、隣で寝てる婆ちゃん起こしたわけよ
多分0:00は過ぎててさぁ
今思うとすげぇ迷惑

そんでも、ウチの母は来てくれたね、車で40分くらいか・・・
母に連れられて、実家に帰ってやっと寝れたわけさ
何か、安心した

まぁ、次の年からは、ちゃんと「お泊り」できたけどね

いやまぁ、なんてことない話なんだけどね
このスレ読んでてさ、自分にとっての家族を考えてたら、思い出した

いやぁ、自分は随分とマシな暮らししてるのかなぁ

624 :おさかなくわえた名無しさん:03/07/14 00:28 ID:Nd+k0pEe
そういえば、最近、母親から言われるんだよ

「こっちの方に転勤てきへんの?」
とか
「今度、市役所の採用試験があるみたいやよ」
とか

何だ・・・実家に帰ってきて欲しいのか・・・

でも、なかなかウマいこといかんのよ、仕事ってのは

625 :おさかなくわえた名無しさん:03/07/14 07:54 ID:pE0t9Gvf
上の兄弟のアルバムはそれぞれ3冊くらいあるのに
自分のアルバムは「○○ちゃんのアルバム」と表紙にかいてあるのに
一枚も写真が入ってない一冊のみ。
兄弟のアルバムに入ってる写真の隅っこに写ってる
いかにも脇役な自分の存在を見ると泣ける。

626 :おさかなくわえた名無しさん:03/07/14 22:47 ID:UDzXYLQv
>>625
親は悪気ないんだろうけど・・泣けちゃうね

627 :山崎 渉:03/07/15 12:22 ID:6Q50LIW9

 __∧_∧_
 |(  ^^ )| <寝るぽ(^^)
 |\⌒⌒⌒\
 \ |⌒⌒⌒~|         山崎渉
   ~ ̄ ̄ ̄ ̄

628 :おさかなくわえた名無しさん:03/07/15 23:21 ID:tcZ0IbCL
良スレage

629 :おさかなくわえた名無しさん:03/07/16 03:57 ID:zNlQtUnL
皆さんいい家族持ってますね。
私は殺してやりたい家族しかいないので
羨ましいです。

630 :おさかなくわえた名無しさん:03/07/16 11:49 ID:fcR19xHW
東京に出てきて一人暮らしして
自由が嬉しくて、干渉されない生活が嬉しくて
ホームシックにかかったことは一回も無かった。
一人行動が好きだから・・・と、友達も作らず
その事をたまの電話で隠さず母に伝えていた。

心配したかなぁ・・・
帰る気全然無かったけど
盆にでも帰ってみるか・・・

631 :おさかなくわえた名無しさん:03/07/16 23:22 ID:gD7ut1Ex
衝動的に書いてみた文だから、所々支離滅裂なとこあると思うんで、先に謝っておきます。

結婚してからは殆どあうこともなかった姉と二人だけで飲んだ席でのこと。旦那はどうだとか、
育児の辛さだとかの報告を聞いてるうちに、自然と死んだ兄のことを二人して話し合ってた。
兄は兄弟では一番上だった。何か特技ががあったわけでもないし周りからの印象も薄かったが、
俺たちにとっては彼以上はいないって言えるほど印象深い人間だった。
兄は頭が頗る良かった(成績云々じゃなくて考え方とか)んだが、
それ以上に繊細というか、鋭敏な感受性を持ってた。
そのせいで傷ついたりしていたんだってことは、俺も姉も当時から気付いてた。
というか、そのことに気付いてたのは俺たちくらいだった。
後で知ったんだが、兄はあえて俺たち以外には自分のそういうところを悟らせないように
していたらしい。それは自分の内面が人一倍理解され辛いことを理解していたからそうした
らしいんだが、同時に赤の他人にさえ理解した風を装われるほど簡単な人間でありたくない
からだ、とも告白していた。実際、俺たちも兄のことをきちんと語れるようになったのは
兄が死んだ後だった。それくらい複雑な人だった。
俺たちはというと、姉も俺もそんな兄を尊敬しつつも怖がっていたと思う。なんでかて言うと、
俺が中学の頃にいじめられたことがあって、それを知った兄は俺をいじめたやつらを
問答無用で暴行した。ナイフまで持ち出して。そんときは近くにいた人が止めに入ってくれ
たから収まったけど、放っておいたらあれは本当に刺していたと思う。
事実、後で兄と話したとき「俺はお前らを守る為ならなんでもする」と言い放ってた。

632 :おさかなくわえた名無しさん:03/07/16 23:25 ID:gD7ut1Ex
兄は18のときに死んだ。自殺だった。自分の部屋で首吊ってる姿は冗談みたいだった。
周囲の反応はある意味予想通りとも思えるほどあっけなかった。兄の置手紙を読んでいな
かったら、もしかしたら俺たちもそんな感じに諦めてしまったかもsれない。
所謂遺書になるその置手紙は、かなり長いし俺たち以外には誰にも見せないでくれと
書かれていたので、内容をそのままここに書くことはしないけど、俺が理解できたことを
紹介するとこんな感じだった。兄は、自分が死んだのは誰のせいでもなく、自分に問題がある。
自分は若くして老人になってしまったのだと。頭の堅い、生産することをしない、
ただ他に対して求めるばかりの馬鹿としか言いようの無い存在になってしまった。
それは自分が今まで嫌悪してきた存在そのもので、このままで居続けることは苦痛だ。
だが、それだけで生きることを止めてしまうのは逃げている気がするので、今日まで
足掻いてきたのだ。希望はあったらしい。兄曰く俺たちはそれぞれ素晴らしい人間だ。
姉はしっかりしており、快活な女性だ。それは自分にとって大切なものと
そうでないものを認識しており、自分に自信を持っているからだと。
俺は兄弟一優しくて、強い人間らしい。自分が傷つくことを恐れないで、
常に誰かのことを気遣ってしまう。そういう人間こそ、本当に強いのだと。
姉は少し自分(兄のこと)に似てしまったところがあるが、それでも彼女は一人は勿論、
他人と共に生きていくことを苦としない点で自分よりずっと優秀だ。
俺のことは…もう本当に憧れていたようで、俺が今後幸せであることを生前から祈ってやまなかったらしい。
そんな風に分析した俺たちのことを(この分析は当っていることに兄の慧眼を誇らずにいられないです)
兄はやがて指標にして生きることを続けたようだ。勿論誰かになることは無理だという
ことは兄も分っていたので、兄なりに新しい可能性を模索していたらしい。
やがて答えが行き詰まった。何度新しい答えを出して見ても、それらは全て今まで
作り上げてきた「自分」を越えることはできなかったらしい。
自分という人間の限界を感じ、そんな自分に絶えかねたのでは。
(兄が自分というものを何より大切にする人間であることを知っていた俺の考えですが)

633 :おさかなくわえた名無しさん:03/07/16 23:27 ID:gD7ut1Ex
俺が兄の手紙から感じ取れたことは、そんな感じです。読み終えた後、俺も姉も泣いてました。
姉は途中から既にぽろぽろと零してて、母が死んだときの比じゃないでした。
兄が言ってくれた俺たちの良いところってあれ、兄自身にも当てはまるってこと、
兄は気付いていたのか聞きたかったです。
葬式も、俺たちに多大な迷惑を掛けてしまって本当にすまないということで、
しなくても良いとさえ書いていましたが、身内だけでもという(というより、
他の人間は呼びたくなかった)ことで執り行いました。親戚の誰かが自殺の原因が
不透明なことに対して「よく分らない子だったからね」などと言っているのを聞いたときには、
形振り構わず殴り飛ばしてやりたい衝動にかられました(結局、姉に諭されて抑えました)。
同時に、兄が俺達以外の人間に対して取っていた態度の意味が痛いほど良く分りました。
そうして兄が死んでから数年が経った今ですが、今でも兄のことは俺達にとって一つの謎です。
兄はどんな人間だったのか、何故死を選んだのか。やはりどこかで俺たちは思い違いをしてる
んじゃないかと、その日も延々と話し合いました。ただ、一つだけ確かだったことは、
兄が心から俺たち姉弟を愛していたんだということでした。嬉しくもあり、何より悲しかったです。

長文ですいません。冒頭でも言いましたが、見苦しい点が多々あると思われます。

634 :おさかなくわえた名無しさん:03/07/16 23:53 ID:/Ee6rxsm
そんなに謝るなよ!
余計にホローリするじゃねえか

635 :おさかなくわえた名無しさん:03/07/17 00:30 ID:vKmly8Eo
感想など言えないくらい、胸が苦しいよ。。

636 :おさかなくわえた名無しさん:03/07/17 00:32 ID:KjPOSg+x
泣けるんだろうけど、長文は読む気になれん・・・

637 :おさかなくわえた名無しさん:03/07/17 15:18 ID:tFuB1vcj
(・∀・)?




638 :おさかなくわえた名無しさん:03/07/22 00:02 ID:kqc/VY2d
保守sage

639 :おさかなくわえた名無しさん:03/07/22 01:28 ID:8PhhFPwE
>>617
ということは>603の父は確実に血友病か。
なんでそれに触れないのさ。
>603の父は妹の父とは別の人なのか?

640 :おさかなくわえた名無しさん:03/07/22 09:47 ID:jxMZ1mg9
>>639
話題は妹のことであって父のことではないからだろ?
なんで、そんな穿った見方しかできないんだろうと思うと悲しくなる。
>>631-633のお兄さんを見習って欲しいと思う。

641 :おさかなくわえた名無しさん:03/07/22 23:33 ID:kqc/VY2d
>>639

君は馬鹿かね?

じゃあ、血友病の人の親族はみんな血友病だとでも言うのか?

メンデルの法則は勉強したか?血友病遺伝子は劣性だからね。
ちゃんとお勉強してから書き込むんですよ。
夏休みの宿題はちゃんとやらなきゃだめだぞ。
それから、ここは30台以上板だから、本当は君の来るところではないですよ。

ちなみに血友病患者の三分の一は新規もしくは突然変異による発症だよ。

642 :641:03/07/22 23:34 ID:kqc/VY2d
ごめん
ここは生活板だった。

失敗失敗。

643 :おさかなくわえた名無しさん:03/07/23 00:34 ID:7xYaQuMC
新しいホローリを期待してあげてみます

644 :おさかなくわえた名無しさん:03/07/23 11:00 ID:1ujnFZRh
>>641
639じゃないけどメンデルの法則なら、男の血友病患者と違って、
女の血友病患者の男親は血友病じゃないの?
母XX + 父XY =XXのどっちにも因子がないと発病しないでしょ?
劣性なのに発病してるんでしょ?

突然変異って結構多いのは知らなかったけど、
>>603のところは2人も死んでるのだからやっぱり遺伝じゃないのかな?
疑ってるのじゃなく、603は自分の体のことにも関わるのだから、
よく調べおいた方がいいと思うのだけど・・・・

645 :なまえをいれてください:03/07/23 14:15 ID:Inw/D3xB
ハッキリ言ってアメリカなどの多民族国家では黒人の方がアジア人よりもずっと立場は上だよ。
貧弱で弱弱しく、アグレッシブさに欠け、醜いアジア人は黒人のストレス解消のいい的。
黒人は有名スポーツ選手、ミュージシャンを多数輩出してるし、アジア人はかなり彼らに見下されている。
(黒人は白人には頭があがらないため日系料理天などの日本人店員相手に威張り散らしてストレス解消する。
また、日本女はすぐヤラせてくれる肉便器としてとおっている。
「○ドルでどうだ?(俺を買え)」と逆売春を持ちかける黒人男性も多い。)
彼らの見ていないところでこそこそ陰口しか叩けない日本人は滑稽。

646 :おさかなくわえた名無しさん:03/07/24 01:23 ID:tWYMWOxh
このコピペすらも良いタイミングと思えてしまうほど、スレ違いな話が続いております。

647 :おさかなくわえた名無しさん:03/07/24 10:08 ID:tM3mUIdn
うん。ごめん。あげた私がバカだった。
sageつつホローリを期待することにします。

648 :644:03/07/25 04:12 ID:Cx2Tuqw8
ホローリさせてくれた人がホローリしてるだけじゃなく、
自分の家族のちゃんとした病名や状態を知っておいた方がいいのじゃないかと
心配するのはスレちがいなんでつか、そうでつか・・・

649 :おさかなくわえた名無しさん:03/07/26 09:07 ID:E77o3QQq
そうですよ。

650 :おさかなくわえた名無しさん:03/07/27 14:43 ID:oHaRIyYV
それは医者の仕事です。

651 :おさかなくわえた名無しさん:03/07/30 23:49 ID:+2DGj/RS
また落ちちまいそうだなー

652 :おさかなくわえた名無しさん:03/07/31 10:09 ID:YV43GCHm
このスレが落ちるのイクナイage

653 :おさかなくわえた名無しさん:03/07/31 10:19 ID:Vc1FzEoD
実家が港町で蟹が取れるので、季節になると度々母が蟹を送ってきてくれていた。
ある日、母に「蟹は身を取るのが面倒でねー」と何気なく言ったのだが、その後送ってきて
くれた蟹は、見事にほぐした後の蟹の身パックだった。
驚いて母に電話してみると、「ほぐすのが大変だっていうから、一晩かけてほぐしちゃったよ(w」と笑っていた。
その電話で「その荷物の新聞紙にいいものが張り付いているから、ちゃんと見てね!」とも言われた。
良く新聞紙を見てみると、張り付いた一万円札が…。

いつも娘のウケを狙う母親だった。荷物に空瓶入れてタイトルが「○○(田舎の名前)の空気♪」とか、
留守番電話に入れる最後の言葉は「バイナラ」だったり…。

去年母が亡くなって、こういう凄い些細な馬鹿思い出が、私の中でホローリとくる思い出に変化した。

654 :おさかなくわえた名無しさん:03/07/31 11:21 ID:3zszO+fX
落ちない様に。

655 :おさかなくわえた名無しさん:03/07/31 11:26 ID:62Jumr/y
さっきこのスレ見つけてざっと見た。んで俺の感想

愛ゆえに人は悲しまねばならぬ!愛ゆえに人は苦しまねばならぬ!ならば、愛など要らぬ(´・ω・`)
涙出るわ

泣くのやだから筋トレしてくる

656 :おさかなくわえた名無しさん:03/07/31 11:41 ID:0bHzpk8o
>>655
 でも、私、あなたの事が大好きだよ。
 だから、元気出してね。

657 :おさかなくわえた名無しさん:03/08/01 00:44 ID:n50Tl1xk
あたしが小さい頃にお母さんに書いた手紙を
ケースに入れて大事に取っていた。
あたしなんて書いたことも忘れてたのに。。
部屋に戻って泣いた・゚・(つД`)・゚・

658 :おさかなくわえた名無しさん:03/08/01 01:05 ID:uaqL3BBa
>653
いいかーちゃんじゃねえか。
泣けるよ(´Д⊂

659 :おさかなくわえた名無しさん:03/08/01 01:18 ID:QgxCy888
>>653
うちのママンはゆでたまごに顔書いて送ってきたよ。
653たんのママンもうちのママンもいいママン(*´∀`)

660 :おさかなくわえた名無しさん:03/08/04 07:26 ID:bcsXh8Ww
久々のageついでに

PCを始めたかーちゃんからの初めてのメール。原文まま↓
---------------------
タイトル:テストです

こんにちわ
これはテストです。
これからよろしくお願いします。
---------------------
帰省したとき、3時間イライラしっぱなしでメールの送り方を教え込んだあと、
練習に何か送ってみろと言ったら俺の隣でPCの画面隠しつつ何か打ってるんで
一応かーちゃんに背を向けてテレビ見てた。
んで20分後に俺の携帯に届いたのがこれ。
何でも何時間でも教えてやるよと思った。(本当にものすごくイラつくけど)
んで、実家から帰ってきて読み返すと、またホロリときた。もちろんメールは保存した。

661 :おさかなくわえた名無しさん:03/08/04 08:35 ID:VGfWrKbu
>>660
良いねー!
お母さんもいいけど660さんの
いらつきながらも母への愛がある文!
素敵!

662 :おさかなくわえた名無しさん:03/08/04 08:58 ID:AUHfvb1U
>>653
(*´д`*)

663 :おさかなくわえた名無しさん:03/08/04 12:24 ID:YrP+ZDNH
なんかもう最近いやなことが続いてたんだけど、
ここ初めて見て涙出た。
いいスレだ。


664 :おさかなくわえた名無しさん:03/08/04 16:16 ID:mS/hLP3l
なんて、いいスレなんだろう。
当方23歳の大学生。今日、これから母と祖父と祖母のいる実家に帰ります。現在4年で無事就職も決まりました。

目一杯に感謝してこよう。床に額を擦りつけて感謝してきます。

665 :おさかなくわえた名無しさん:03/08/04 20:19 ID:5WdpDHYV
去年の夏から、私は病気になって、会社も休んで自宅療養することになった。
今思い出しても凄まじい状態で、生き地獄と言っても過言ではない。
苦痛もすごかったけど、見た目が醜くなるのに耐えられなかった私は、しょっちゅう泣いてた。
そんな私をいつも励まして、身の回りのことを嫌な顔一つ見せずにやってくれた両親。
でも、そんな両親に対してさえ、私は「両親はこの苦痛を感じないんだからうらやましい」なんて思ってた。

ある時、遠距離恋愛してた彼氏と電話中、「もう嫌。死んだ方がまし」と言ってしまった。
それに対して彼氏は、
「お前が死んだら悲しむ人、たくさんいるよ。俺も悲しい。それに、お前の両親がどんな気持ちになると思う?」
それから、「病気で、治らなくて本当に死んでしまう人だっているんだよ。お前のは、治るんだからね。軽々しく死ぬなんて言うな。」
それを聞いて自分が恥ずかしくなったものの、やっぱり「他人に私の気持ちは分からない」なんて思ってた。

続く

666 :665:03/08/04 20:20 ID:5WdpDHYV
続き

それから数ヵ月後。
大分体も良くなってきて死ななくて良かったな、なんて思えるようになってきた頃。
彼氏のお母さnが亡くなった。癌だった。
彼氏が、お母さんの病気のことを知ったのは秋頃だと言ってた。ちょうど、私と上の会話を電話でした頃だった。
「治らない病気の人もいる」、それは彼自身のお母さんのことだったんだな、と気づいた。
彼のお母さんとは私も仲良くさせてもらっていたんだけど、彼は私が余計なことを考えないように
何も言わなかったんだ、と言っていた。
自分の馬鹿さ加減に嫌気がさした私。何て甘ったれだったんだろう・・・。
そんな私に彼は、「俺は大丈夫だよ。母親は俺が泣くことより幸せになることを望んでいるだろうから。
だから、俺は明るく幸せに生きてくよ。お前も、親孝行しろよ。したいと思ったときにはできなくなるかもしれないんだから」
泣きました。

弱くて、自分の病気に甘えていた私。本当に馬鹿だったと思う。
その後、両親に話しました。「私、もう甘えない。頑張って体治すことに全力投球する。本当に、ありがとね。
私死ななくて良かった。生きていて良かったよ。」
そうしたら母が、「あなたも辛いだろうけど、見ている方もすごく辛かったのよ。
代われるなら代わってあげたいって、何度も思った。一緒にがんばろうね。」と言ってくれた。
二人で泣いてしまいました。

両親からもらったこの体、病気だろうと何だろうと生きていて良かった、と本当に思う。
早く治して、思いっきり親孝行するようにがんばります。
両親、彼氏に心からありがとう。




667 :おさかなくわえた名無しさん:03/08/04 22:57 ID:GjTaoU7Q
>>665-666

♪ ガンガレ!! ♪♪ ガンガレ!! ♪♪ ガンガレ!! ♪
      ∧∧       ∧∧       ∧∧
     (゚ー゚ )       (゚ー゚ )       (゚ー゚ )
 ((( ;;"~;;;"~゛;;)  ((( ;;"~;;;"~゛;;)  ((( ;;"~;;;"~゛;;)
  . ミ;,,_,ミ;,,_,,;ミ      ミ;,,_,ミ;,,_,,;ミ      ミ;,,_,ミ;,,_,,;ミ

   ガンバレ♪      ガンバレ♪     ガンバレ♪
      .∧∧        ∧∧       ∧∧
      ( ゚ー゚)       ( ゚ー゚)       ( ゚ー゚)
    (;;"~゛;;;~゛;; )))  (;;"~゛;;;~゛;; )))  (;;"~゛;;;~゛;; )))
    . ミ;,,_,,;ミ,_,,;ミ    .ミ;,,_,,;ミ,_,,;ミ    .ミ;,,_,,;ミ,_,,;ミ


668 :おさかなくわえた名無しさん:03/08/05 01:07 ID:xJtTfcZ9
私は地方の高校を卒業して東京の大学に進学しました。実家は小売業をしていて、父と母が2人で自宅横の店を経営していた。兄弟は4人居て
俺を含めて2人が大学に在学し、下の妹と弟は高3と中2だった。今思えば、とんでもなく金がかかる時期だったはずでした。
その頃は気にしてもいなかったけど。

大学2年の冬休みに帰省をした時に母へ、「友達にスキー旅行誘われてるから道具代とツアー代のお金ちょうだい。」と15万円ほど小遣いとしてもらった。
翌日から3泊4日でスキーに出掛けて4日後に帰宅した。帰宅したのは夕飯前の時間だったけど私は旅行疲れで寝てしまった。目が覚めたのは、よる11時過ぎだった。
腹が減って目が覚めた。居間に行っても妹がテレビを見ているだけで、晩飯を作って欲しい母は居なかった。どこにいるのか聞くと店に居るとのことだった。
こんな時間まで何をしているのかと見に行くことにした。お腹も空いたし。店に入っていくと、母は床にしゃがんで一心不乱に商品を並べていて私が入ってきたことに
気づきませんでした。じーっと後姿を見ていて、はっとして涙がこぼれてしまいました。母の手は埃で薄汚れ、着ていたズボンもセーターも毛玉だらけだし何年も着て
いてよれよれでした。
自分は全然お金を使わないで、息子の学校や遊びのお金をいやな顔ひとつせずくれてたなんて。こんな時間まで仕事して。小学校の頃は、母に対して朝起きるの遅いし
家の中が掃除しきれてなくて、散らかってていやだなと思っていた。店が忙しかったからしょうがなかったのだが。
でもこんな姿見てしまったら、今までなんとわがままに過ごしていたのかと悔やみました。母に「もう遅いで明日にしたら」というと「あ、起きたの?ご飯食べて
無いでしょ。ここ寒いし、後で作ったるで部屋で待っとって。」と言われた。また涙が滲んできたので悟られないように後ろを向いて戻りながら「ん、わかった」と
歩いて部屋に戻った。

今、36歳で妻、一男一女の父。親の有難みが一番わかる。「これからがんがんお返ししていくからな」





669 :おさかなくわえた名無しさん:03/08/05 10:53 ID:bMMrkkA2
>>668
いいお母さんだね。なんかうちの母と似てる・・・
ママに会いに帰りたくなったよー(/_;)

670 :おさかなくわえた名無しさん:03/08/05 15:41 ID:AH0mSqac
>668
15万って・・・多すぎない?ちょっとびっくりしたよ。

671 :556:03/08/05 23:38 ID:Ahc9Z+9R
ひざびさに書くよ。

おかんが若くして死んだのは、前にも書いた通り。
「子供に忘れられてしまっては、母親があまりにも可哀相」と親父は思っていた節があり、
おかんが死んでも、「誕生日」と「母の日」を祝うのが恒例行事だった。
(そんなことしなくても、子供が母親を忘れるはずないんだけどね・・・w)
お祝いと言っても、特別なことをする訳ではなく、母の日だとカーネーションを買ってきて、
飾っていた。当然、我が家は「白いカーネーション」。

ある日、図工の課題として、「好きな花」の絵を描くことになった。
漏れは、迷うことなく「白いカーネーション」を描いたんだが、級友達に「カーネンションは赤い。白い
カーネーションなんておかしい」と言われた。
すぐに先生が事情を察知して、「カーネーションには赤いのだけではなくて、白いのもあるのよ」と
フォローしてくれ、それ以上大きな「事件」には発展しなかった。

当然、級友達に悪気はなく、先生のフォローを当時の漏れも理解していなかった。
赤のカーネンションと白のカーネーションの違いを理解するには、みんなあまりにも子供だった。
消防だから仕方ないんだけどね。
赤と白の違いを知って以降、この「事件」を思い出すとちょっと切なくなる。

672 :おさかなくわえた名無しさん:03/08/10 08:34 ID:mKs63Spx
5才くらいの時、私が行っていた幼稚園には週に何回か放課後に音楽教室の先生が来てエレクトーン教室があって、
友達も何人か習っていたので私も習いたくて親に頼んだら「うちにエレクトーンがない、
どうせ長続きしない」などと反対されて習わせてもらえなかった。
でも私が小学校に上がった時、妹が同じように「エレクトーン習いたい!」と言ったら
エレクトーンまで買ってやり、母がレッスンについて行ったため学校から帰っても家に誰もいなかった。
時々近所のおばさんの家で預かってもらってたけど、そういつもいつもというわけにないかず、
「私もエレクトーン習いたかったのに・・・」と家で一人で泣いていた。
私はいつも玄関からではなく庭から入るんだけど、ある日学校から帰ると
いつもは誰もいなくて閉まっているはずの部屋のカーテンが開いてて、
隣の和室も窓が開けられてて網戸になっている、でも車がないので母も妹もいるはずがない。
よく見るといつも出入りする居間の窓の前におばあちゃんの靴が!!
私はうれしくなって「おばあちゃーん!」と家の中に駆け込むとおばあちゃんが笑顔で

「おかえり」

おばあちゃんは私に内緒で家に遊びに来てくれていました。
いつもは母が買っておいたパンやカップラーメンがテーブルの上に置いてあるだけでしたが、
おばあちゃんは余ったパンの耳を油で揚げて砂糖をまぶしたのをおやつに作ってくれました。
どんな高価な物よりもうれしくておいしかった。
そして私に「○○(妹)はエレクトーンなんかすぐ飽きちゃうんだから見ててごらん
もうすぐ“もう行かなーい”って言い出すよ、その点○子ちゃん(私)はなんでも長続きするからおばあちゃんうれしいな」
その一言で私がどんなにラクになったか。
おばあちゃんとは生前同居はできなかったけど、生まれ変わったら絶対一緒に住んで恩返ししたいです。
おばあちゃんありがとう。


673 :おさかなくわえた名無しさん:03/08/10 09:50 ID:Pc6fmJA8
おばあちゃん、ありがとう。ヨカタネ
でも、お母さんはどうしてそんなあからさまな差別をしたんでしょうかね・・・。

674 :おさかなくわえた名無しさん:03/08/10 11:28 ID:IzmW+A7P
やべえ、年寄りの子供に対する励ましって無条件で泣けるな。
ここが漏れの泣きのツボだったか。

675 :おさかなくわえた名無しさん:03/08/10 12:57 ID:wSNVaQp1
.・.(ノД`).・.ウエーン!

676 :おさかなくわえた名無しさん:03/08/10 13:11 ID:1DHNTSOV
ホロリとくる思い出か…探してみたがないな…かなしー

677 :おさかなくわえた名無しさん:03/08/10 14:26 ID:xwt0S3fj
私が小学2年生の時、同居していた母方の祖母が脳溢血で亡くなった。
生前の祖母は、痴呆症で自分が誰かわからなくても、私をとても可愛がってくれていた。
私が4人兄弟の末っ子のせいか、何時でも何でも他の兄弟よりも優先してくれて、
隣市の市立病院に入院していたときも、「○○(私)が心配〜」と勝手に病院から抜け出してしまうほどだった。

ところが当時の私は、痴呆症でおもらし等をする祖母のことが嫌いで、亡くなった時も全然悲しくなかった。
むしろ、深夜の訃報に伯父と一緒に病院にかけつけた時、亡き祖母の傍らで泣きじゃくる母を見て、
「なんで泣いているんだろう」と不思議に思ったくらいだった。
多分まだ「死」というものを理解出来ていなかったのだと思う。

それから何年も経って中学生になったとき、偶然、押入れの中から祖母の遺品を見つけてしまった。
祖母の愛用していた櫛やデザイン性の全くない金の指輪、それから黒い手帳・・・。
手帳をめくると、そこには毎日の出来事を1〜2行に記した祖母の日記があった。

「今日は○○、元気がない。一緒に遊ぶ友達がいなかったみたいだ。」
「今日は○○に好物のいちごをかった。早く熱が下がりますように。」
「○○〜」「○○〜」「○○〜」・・・
どのページを見ても私の名前ばかりだったが、手帳の中頃から祖母に異変が起きていた。

「○○のかわいいみる しあわせ このごろ 手あまり うごかない」
「てが おもうように  うごかな  こまた
「らりる る れ  れ   ○…   ○…   ○…

手帳の最後の文字は、私の名前だった。
最後の最後まで、私の名前を必死に思い出そうとしていた祖母。
…なんでもっと優しくしてあげなかったんだろう…
もう祖母には会えないなんて、今頃気づいても遅いのに。
ごめんね、ごめんね、おばあちゃん。

678 :おさかなくわえた名無しさん:03/08/11 08:18 ID:D7NUlzsc
気づいてあげられただけよかったよ。

679 :おさかなくわえた名無しさん:03/08/12 03:10 ID:h2hCRyZ2
655の台詞「愛ゆえに(以下略」の元ネタが
北斗の拳であることに誰も突っ込まないところに
ホローリときたのは漏れだけでつか…

ついでに保守揚げしとこう

680 :おさかなくわえた名無しさん:03/08/12 03:40 ID:35ffyUpe
>漏れは、迷うことなく「白いカーネーション」を描いたんだが

.・.(ノД`).・.

681 :おさかなくわえた名無しさん:03/08/12 20:51 ID:0u/Kxpmy
>>671
ホローリというより、切なくなるな・・・。(ノД`)シクシク

682 :おさかなくわえた名無しさん:03/08/13 02:22 ID:ar9Tdhd7
自分が中3の受験生の時、本当に勉強しなくて
成績とかオール2ですごい馬鹿だったんですよ。
そんで毎日、夜に出歩いてすごく祖母とかに心配かけて。
ある日ね、いつもより馬鹿騒ぎして家に帰ると。
母がスーツ姿で寝てたんです。

その後に初めて、祖母から聞いたんですよ。
母は深夜も、レジのバイトをして働いてるって。
それで疲れているから、よくその格好のまま寝て、すぐ仕事に行くんだよって。
で、もっと詳しく聞かされました。
母は、俺の父の借金を返すために毎日、俺が小3の時に離婚した日から働いてるって
小さい頃、よく父が母を殴っていたのを見ていてそれが原因だと思ってたけど
他にこんな理由があったんだって、祖母が全部言ってくれました。
母は俺に心配をかけさせないよう、働いてる事は言わなかったらしい。
それを聞いた時、いままで言ってくれなかった事や父の事、
母に言ってきた暴言を思い出し、なにより祖母の真剣な表情に祖母の前で泣き崩れました。
そして母が起きるの待ち、

母に謝りました。今までの事を、そしてなんどもなんども
ありがとうって言いました。
母は「あんたとお婆ちゃんを支えて、あんたの成長した姿を見るのがもう私の生きがいなんや、
だから顔あげ、親に頭さげるもんやない。しっかり頑張り、それで充分や」って言ってくれました
俺はこの日、家族がいかに大事なのかと学び、すごく生き方が変わりました。
親がいかに子を大切にして、育てて貰った恩を大切にしなければならないのかという事を。

長文スマソ。誰かに大切さが伝わったら幸いです。


683 :おさかなくわえた名無しさん:03/08/13 05:07 ID:YktE33mZ
伝わったぞ。
オール1ならもっとよかったぞ。

684 :おさかなくわえた名無しさん:03/08/13 21:47 ID:NUeuCw2v
>>682
読んだぞ。母は偉いな!
聞こえたよ、あなたの思い。
涙がツゥーッときた。

685 :おさかなくわえた名無しさん:03/08/14 16:57 ID:QTH7dWfc
そのあとちょっとは勉強するようになったんだろうな。

686 :おさかなくわえた名無しさん:03/08/15 11:22 ID:6MKtu2ub
そりゃ、言わずもがなだろ。

687 :おさかなくわえた名無しさん:03/08/17 23:14 ID:RR8wPUyJ
良スレage

688 :おさかなくわえた名無しさん:03/08/18 22:40 ID:nBKcHqIY
皆さんの様に感動的な話ではないのですが、書きたくなってしまいました。

私が小学2年生位の時だと思います。
両親が何かの用で、一日家を空けたことがあるんです。
夕方には高校生の従姉妹が来てくれる予定になってたんですが、その前に小腹が空いてしまって、
2つ上の姉に駄々をこねたんです。
そうしたら姉が
「玉子のラーメン作ってあげる。」
と言って、普段立ったことも無い台所に立ちました。
普段母が作ってるラーメンは、半熟目玉焼きを作ってからラーメンの上に乗せていたので、玉子の形が残った
変な言い方をすれば 月見ラーメン でした。

しばらくして姉が、
「出来たんだけど・・・」
と、申し訳なさそうな言い方でラーメンを持って来ました。
ラーメンを見てみると、玉子がぐちゃぐちゃ。
茹でながら直接玉子を入れたんでしょうね。
「無理して食べなくてもいいよ。」「ごめんね。」
って姉は言ったけど、凄く美味しかったように憶えてます。
それと、何だか凄く嬉しかったなぁ。

長文&つまんない話ですみませんでした。

689 :おさかなくわえた名無しさん:03/08/19 09:29 ID:gPHN7lrx
時々つまんない話だけど、って卑下してる人がいるけども、わしはそういう話で
十分ホローリしてるんじゃー!

690 :おさかなくわえた名無しさん:03/08/21 22:49 ID:zwa/m+G+
>>688
日常の中のやさしい思い出だね。いいお話ありがとう。


数年前、県外で下宿していた私が大学を卒業するとき。
父と母から別々にメールが来た。

両親は一緒に旅行に行くくらいで仲は悪くないけど、父の無口から、
家の中ではあんまり会話は無かった。

それなのに二人から同じ日にメールが来た。
二通とも、
 「これからの人生、幸せになるように祈っています」
と書いてあった。

幸せになるように、今日もがんばります。

691 :おさかなくわえた名無しさん:03/08/22 21:12 ID:FZ1do67w
「火垂るの墓」が始まりました。

やばいです。

692 :おさかなくわえた名無しさん:03/08/23 01:51 ID:enQMG2Vj
精神的・肉体的にきつい時期に、
ばあちゃんとこへ学校さぼり
遊びにいった。
横になりゴロゴロしていると
突然、涙が出てきた。
それを見たばあちゃんは何も
言うことはなかったが、母に
「あの子が泣いていた!。どうしてなの?
あの子が泣くのを見るのはつらい!」
と、大泣きしながら話したらしい。
いつも、気丈にしており、
幼い時は、毎日の様に鉄拳をくらわす程
強かった人が、私の事で泣いたとは・・・。
正直、話聞いてつらかったでず。

693 :おさかなくわえた名無しさん:03/08/23 02:19 ID:enQMG2Vj
精神的・肉体的にきつい時期に、
ばあちゃんとこへ学校さぼり
遊びにいった。
横になりゴロゴロしていると
突然、涙が出てきた。
それを見たばあちゃんは何も
言うことはなかったが、母に
「あの子が泣いていた!。どうしてなの?
あの子が泣くのを見るのはつらい!」
と、大泣きしながら話したらしい。
いつも、気丈にしており、
幼い時は、毎日の様に鉄拳をくらわす程
強かった人が、私の事で泣いたとは・・・。
正直、話聞いてつらかったでず。

694 :おさかなくわえた名無しさん:03/08/23 09:09 ID:nJ9LKMCc
ばあちゃんの話はやばい。ばあちゃん元気か?孝行してやってくれ。

695 :おさかなくわえた名無しさん:03/08/23 11:00 ID:3H40uFDf
とある大会社の社長が急死して、遺族は遺産相続とか跡継ぎとかの問題でもめていた。
そんな骨肉の争いもいろいろ片付いてきた中、社長室にある一つの金庫が開かない。
かなり大事な書類が入ってるのだろうと、弁護士や会社の重役、
社長の息子や娘達親族が集まって、業者を呼び金庫をこじ開けた。
中に入っていた物は、ぼろぼろの野球のグローブと100点の答案のテストや
手編みのマフラー。他にもガラクタみたいなものが入ってたけど、
まぁそれは全部社長の子供達にとっては父との思い出深い品の数々だったそうだ。
その場に居たみんなが言葉も無く涙を流していたのだった。

自分の話じゃなくて(恐縮)、何かで見たか聞いたかした話なんだけど、
思い出すとホローリくる話。

696 :おさかなくわえた名無しさん:03/08/23 11:16 ID:PoU6djLL
小学生の頃家で鶏を飼っていた。
ある日、父が珍しく張り切って「よし!今日は俺がメシを作ってやる」と言い出し、おもむろに鶏を〆て料理を始めた。
私はショックのあまり、父を罵った。「お父さんの馬鹿!ひどい!!そんなの絶対食べないから!!」
 出来上がった鶏肉の煮物には結局一度も手をつけなかった。父は何も言わず、一人でそれを食べていた。
その数年後、父はガンで他界した。

今になってあの時の淋しそうな父の姿を思い出し、何であの時食べてあげなかったんだろう、「おいしいよ」って
言ってあげなかったんだろう・・と後悔。

697 :おさかなくわえた名無しさん:03/08/23 14:03 ID:+ro2HBqX
>>696

微妙ですね。
その時に戻れたとしても 「おいしいよ」 とは言えないような予感。


698 :696:03/08/23 16:20 ID:PoU6djLL
>>697
そうですね。正直今同じことされても、難しいかもしんないです。
ただ、当時家の田舎では鶏を食料として飼うのは珍しくなかったんで父にとってはむしろごちそうを作って
喜んでもらえると思ったんでしょう。
いつもはすぐ怒鳴ったり殴ったりする父が、私に非難されても何も言い返さないで俯いてました。
食べる事はできなくてもせめてもう少し傷つけない言い方できんかったかな、と思うのです。
 

699 :おさかなくわえた名無しさん:03/08/23 20:56 ID:XQ971rIn
>>698
「ありがとう」でいいんだよ。
その気持ち、お父様にきっと伝わっていると思うよ。

700 :_:03/08/24 01:44 ID:RvzrY60f
私の両親は私が中学生のときに離婚し母と一緒に暮らしてました。といっても私自身は
父のところにも年に2,3回は顔を出すこともできる状況でした。離れている分父は
私に優しく、もともと楽天家だった父とは仲がよかったのですが、母は結構厳しい人で、
ちょうど反抗期だった私はしょっちゅうケンカをしていました

高校(県内トップの進学校)に進学した私はますます母に対して反抗的な態度をとり、彼氏の家に
泊まって家にはなかなか帰らなくなりました。当然、成績は底辺。大学も進学せず、専門学校に入学するため
上京したのだが、1年で中退。どうしようもない娘でした。

そんな私が何を思ったのか留学を決意し、今海外にいます。今年の6月に休みがあったので
母の元へ帰りました。もともと酒飲みな母と私。家でたわいのない話をしながら飲んでいると
とつぜん母が

“ごめんね。お母さんのせいで、○○の人生を遠回りさせて”
と涙声で言い始めました。母は母なりに私がこの年(28歳)になるまで適当に
生きていたことが自分のせいだと思い込み、私に謝るのです。
私も思わず涙ぐみ
“何行ってるの。ママのせいなんかじゃないよ。自分がやったことなんだし。
でも今がんばってるんだから。娘に謝ったりしないでよ”と。

毎日朝から晩まで私を育てるために働いてくれた母。荷物を送るように頼むと、
私の好きなものをたくさん送ってくれて、ビールまで送ってくれた母。

ママの娘で本当によかったよ





701 :おさかなくわえた名無しさん:03/08/24 17:30 ID:rti3WaV8
>655
新世紀創造宣言!!!俺は魔人界王!!!
俺も同感っす! 涙出るわ!晩飯かってくる

702 :おさかなくわえた名無しさん:03/08/28 02:10 ID:NkHmkzoz
母の葬式の時、祖母(母の実母)は「親が子供を送ってはいけないんだよ」と言って、
斎場から火葬場への車に決して乗ろうとしなかった。
俺は子供ながらにも疑問に感じ、「何で?何で?」と泣きながら何度も聞いた。
でも、無駄だった。

祖母は、お嬢様育ちで、おっとりした鷹揚な人だった。
それに対して、母は、所謂「いらち」で、ヒステリックなタイプだった。
母は、祖母のやることなすことにイライラしどうしだったし、
祖母は、母の監視・小言を持て余していた。
よく喧嘩もしていた。

母が息を引き取った時も、通夜・葬式でも、祖母はまったく涙を流さなかった。
だから、この時も、「ママのこと、そんなに嫌い?おばあちゃん、冷たいよ」と思った。

でも、見てしまった。
火葬場から帰って来た時、祖母は母の遺品(というより、入院中の荷物)を整理しながら、
家の中で、一人泣いていた。
当たり前なんだけど、祖母にとって母は娘だった。

あとで聞いた話だが、
子供の俺のことを思うと、俺の前では泣いてはいけないと思った、と祖母は言った。
今でも、「親が子供を送ってはいけない」という決まりがあるのかどうか、
定かなことは知らない。

703 :おさかなくわえた名無しさん:03/08/28 18:50 ID:GxGQWTXC
親が子供を送れない。これ、あるな。
そういう場面、残念ながら2回遭遇したよ。
1.親より早く死ぬ子は親不孝
2.親より子を早く死なせた
とか聞いた様な気がする。兄弟が骨壷抱いて火葬場へ。
両親は泣きながら自宅前で霊柩車を見送る。
亡くなった本人の友人である俺は切なくその情景を見守る。

俺のおかんもめちゃめちゃいらちやで。
でも、歳食ってきて最近キレがなくなってきたな。
普通のばーちゃんっぽい。

704 :おさかなくわえた名無しさん:03/08/30 13:30 ID:GQL1H1nE
小学校の時、おとんが入院。
見舞いには行かせてもらえなかった。
1ケ月ほどしてから、初めて見舞いに行った。
顔がまっ黄色でびっくりしたけど、なにぶん私はガキだったので
そういう病気もあるんだなぁ、と思っただけ。
2日後、おとん死亡。

後になって聞いた話:
「病気の顔を見られたくない」という理由で、私を見舞いに来させなかった。
でも突然「○○に会いたい」と言い出した。それで私も見舞いに行けた。
その夜、簡易ベッドで寝てたおかんに対して
(当時、家族が泊まり込んで世話をするのは普通のことでした>お若い方へ)
「これまで長い間ありがとうございました〜云々」と敬語で長々とお礼を述べ始めたそうな。

ガンであることも、助からないことも告知されてなかったのに
それでも自分の死期って自分でわかるものなんだろうか。
ほろーり来ると同時に、ちょっと恐い。

705 :おさかなくわえた名無しさん:03/09/02 20:59 ID:AIVpBSgQ
hosyuage

706 :おさかなくわえた名無しさん:03/09/04 03:48 ID:ALOrXhYp
僕が幼稚園の時、祖父が癌で入院した。

近所に住んでいる事もあり、幼稚園が終わるとお見舞い
に行くのが僕と母の日課だった。
帰り際、いつも決まって握手をし「僕のエネルギーあげる。」
と言い別れる。その時、祖父は決まってにっこりと微笑み僕の
手を握り返す。


ある日、父が会社帰りに病院へ。丁度僕達とは入れ違いに
なり、少し急いで病室へと急いだ。
祖父の病室から、何だかすすり泣きが聞こえる…
そこには普段気丈に振舞っていた祖父が泣いていたという。
父がどうしたと聞くと、何も知らない僕が自分の身を案じ
毎日毎日助かる望みの薄い自分に対し、何も知らずに励ます
行為がとても辛いのだという。


それからしばらくして、祖父は逝った。
最後は壮絶だったと、幼心に記憶している。


じいちゃん…あれから20年だね。今じゃ僕は酒も飲むし、
タバコも吸う。免許も取ったし、去年就職もしたよ。
じいちゃんの作ってくれたイスね、まだ使ってるんだよ。



祖母と食事をして、何だか思い出しちゃった。


長文ごめん

707 :おさかなくわえた名無しさん:03/09/04 03:53 ID:DXHfaGun
このスレも本になるといいな〜。
たとえお金目当てでも、2chにはいつもお世話になってるからいい。

708 :おさかなくわえた名無しさん:03/09/04 16:18 ID:Ok6d1eJ1
本にする話は快く思われないので荒れる原因。思っても書き込まないのが吉。
第一、本出て儲かるのは2chじゃなく出版社とか編著者だろう。

709 :おさかなくわえた名無しさん:03/09/07 06:08 ID:TD9120so
思わずじっくり読んでしまってこんな時間…。


そして吐き捨てのように自分の話。ゴメソ
私は昔から人見知りが激しくて他人の顔色ばかり伺っていて、
神経すり減らしてばっかの暗い子供だったんだけど、
突然張り詰めてた糸が切れたみたいにして学校に通えなくなった。
寄りによって高校三年の春。もうちょっとって時だったけど、精神的に限界来てた。

その頃の家は大変な時期で、
父親は会社で最も激務な部署の部長職で鬱入りかけてて、
じいちゃんは痴呆が進んで、それが原因でばあちゃんも落ち込んだ挙句に鬱入って、
そして私は不登校でそりゃもう真っ暗闇だった。
そんな時に家族を必死で支えてたのが、うちの母親だった。
父親の愚痴を聞き、ばあちゃんを励ましながらじいちゃんの介護をして、
私が毎晩、高校に行けないけど辞めるのは怖いと泣き叫ぶのを諌めて話を聞いてくれた。

高校の出席日数が足りなくなって留年が既に決まっていた時期も、
母親はそれを私に告げずに、先生たちにも留年の事実を私に教えないようにと
手紙を書いて頼んでくれたと随分後になって知った。(その頃は保健室登校してた)
高校を辞めることを躊躇していた私が、
きちんと自主退学の道を選び取るまで待って欲しいと言ってくれたらしい。
学校側から留年や退学を勧められて辞めざるを得なくなるよりも、
自分で選択した方が、後々になって後悔がないだろうからって。
当時の先生たちに会うと、お前のお母さんは凄い人だから大事にしろといつも言われる。


710 :おさかなくわえた名無しさん:03/09/07 06:09 ID:TD9120so
不登校で半ヒキーだった頃には、父親やらばあちゃんやらに随分と酷い事を言われたけど、
それでも母親が助けてくれたお陰で、今はそれなりに仲良くなってる。
父親は今は少し楽な部署に移れて、少しはマターリできてるし
ばあちゃんも、やっとじいちゃんの痴呆の現状を受け止められるようになって
母親と二人三脚で介護してる。
私は高校辞めて、予備校ふらふら通って大検取ったり受験勉強してる間に
沢山の事があって環境が一気に変わって、今はひとり暮らしして大学通ってる。

この前に実家へ帰ったんだけど、
家族みんなで食卓囲んでご飯を食べてて、その時は何とも思わなかったんだけど
後でここまで来るのに4年かかったんだなと思ったら何だか泣けた。
家庭崩壊ギリギリだった頃は、普通にみんなでご飯食べて笑えるなんて想像できなかった。
あの頃に母親が家族を支えてくれなかったら、どうなってたんだろうと思う。

今は、自分本当に出来るだけ毎日楽しく幸せに生きようと思ってる。
有難い事に、うちの母親はそれが一番の親孝行だって言ってくれてるので。

711 :おさかなくわえた名無しさん:03/09/07 06:10 ID:TD9120so
長いので分けたのですが長すぎ…
スレ汚ししてしまって申し訳ないです、逝ってきます…。

712 :おさかなくわえた名無しさん:03/09/07 12:51 ID:VK0q2MzP
小さい頃はなんかよく、家族での食事中に「うちは貧乏だから・・・」なんてよく言ってしまっていたけれど、
それってよく考えてみると、働いてくれている父に対して「収入が少ない」って言ってるようなもんだなぁって思いました。

お父さんごめん・・・。

713 :おさかなくわえた名無しさん:03/09/07 21:37 ID:K8Kc0Hug
>>709-711
いい話だ。
お母さん偉いね。大切にね。

714 :おさかなくわえた名無しさん:03/09/11 01:30 ID:o4QwppSY
私が結婚する年に祖母が肺がんでこの世を去った。
入院したが、治療も特に出来ないので(末期だった)しばらく自宅療養だった。
幼馴染がお見舞いに来た時、その子も結婚が控えていたので
祖母は「お祝いに千円あげるね」なんて言っていた。
保育園からのつきあいで、遊ぶ時もおやつを食べるのもいつも一緒だった。
祖母にしてみれば、同じ孫で、小さい子供のままなんだね、って皆で笑った。

そのうち自宅療養では無理があり、再入院となった。
仕事帰りによるのが日課になった。
少しずつ弱って、寝てる時間が長くなった頃、ようやく婚約指輪ができた。
勇んで病室に行くと、偶然起きていたので、
おばぁちゃんの見てる前で旦那に左手の薬指にはめてもらった。
「よかったね・・」って言いつつ、また眠りについた。

715 :714:03/09/11 01:47 ID:o4QwppSY
どんどん弱っていくのが目に見えている頃、
いつものように仕事帰りに病室へ寄ると母が付き添い起きていて
ずっとしていた左手の金の指輪を私に・・・と・・・

それは子供の時の約束・・・「いつかちょうだいね」
欲しかった、でも欲しくない気もした。
でもちゃんとお礼が言えた。「ありがとう」って。

それからおばぁちゃんは危篤状態になった。
ずっと頑張ってくれた。心残りがないくらい家族に看病させてくれた。
・・亡くなった時は、泣きたくなかった。
お葬式に幼馴染が来た。泣いていた。我慢できなかった。
抱き合って泣いた。

あれから4年。
形見の指輪は少し溶かして結婚指輪に使いました。
これでいつも一緒だね。子供もじき2歳です。
遺影を見て笑っているので、きっとそこで見守ってくれてるんだね。
病室で泣かなかったせいか、今でも思い出すたび涙がでます。

おばぁちゃんに私の子供の頃からの夢って話してあったかなぁ?
「おばぁちゃんみたいな可愛いおばぁちゃんになる」
だよ。・・・なれるといいな。
ずっと見守っててね。

716 :おさかなくわえた名無しさん:03/09/12 12:00 ID:29zN2F8B
乳首萌!

717 :おさかなくわえた名無しさん:03/09/14 22:24 ID:UqeFmK9k
今日、お母さんが突然実家から一人暮らししている私のところへ遊びにきた。
お父さんと喧嘩して家にいたくないから、と言っていた。
ごはん食べて、色々買い物して、一緒に居酒屋で他愛もない話をして、お母さんは新幹線で帰っていった。

新幹線に乗る際、お母さんはあっさり「じゃあね」と言って帰っていった。

ただそれだけなのに、なんだかとても涙があふれた。

母の日、何もあげれなくてごめん。
今日も、「お母さん貯金おろしてきたから秋物買いなさい」と言って色々買ってくれてありがとう。

人見知りが激しくてバイトが続かない私だけど、バイトしてお金ためて今度遊びにきたら何かプレゼントしよう。


つまらなくてスマソ

718 :おさかなくわえた名無しさん:03/09/17 00:52 ID:PiEgJ5qa
>>717
あーー、わかるよぅ。
なんかすっごく切なくなるよね。お互い親孝行ガンガロウね!

719 :おさかなくわえた名無しさん:03/09/22 16:59 ID:WrJ53kXh
..・ヾ(。><)シ ぎょぇぇぇ

720 :おさかなくわえた名無しさん:03/09/22 21:01 ID:OorjhAb+
21才の時に帰省して、姉と一緒にテレビを見ていた。
両親は仕事。脚の弱くなっていた祖母は、デイサービスの車に乗って「今日は○○会だから」
とか言って楽しそうに出ていった。

突然電話がきた。祖母がデイサービスの施設で転んだと。
あわてて姉とと病院へ向かう。医者には、弱っていた背骨がダメになった、
寝たきりになります、と言われた。

姉とばあちゃんと、医療タクシーみたいので自宅に帰った。
おむつをデイサービスの人がしてくれていた。おむつも少し置いていってくれた。
異臭に気が付いた。診察が長かったからか。
おむつ替えなくちゃいけない、と思った。でも、できない!
だって、共稼ぎの両親にかわって私を見ていてくれたばあちゃんだ。
今朝は元気だったばあちゃんだ。

21才にもなってパニックになっている私に、姉は言った。
「大丈夫だよ私がやるから。心配しないで。そうだ、ばあちゃんに牛乳持ってきて」と
姉は私を部屋から追い出した。

その時、バカな私はホッとした。そして単純に思った。「お姉ちゃんってすごい!」と。
でも今思えば、姉だって初めての経験。どんなにか心細かったろう。
ただ、私が最初にパニックになったから姉は腹をくくるしかなかったのだ。

思えば、何度も姉には助けられた。
小学校の卒業式、仕事で両親が出れないことで駄々をこねたら、
学校を休んで卒業式に出てくれた姉。
「歯医者に行くお金がない」と言うと、バイト代から送金してくれた姉。
本当に、バカな妹でごめんなさい。
もう私も大人だから、心配しなくていいよ。
これからも仲良くしようね。またばあちゃんの見舞いに行こう。


721 :おさかなくわえた名無しさん:03/09/26 18:31 ID:GxA6a3uK
>>720
世間知らずのDQNになっていくのかどうかの非常に大きな
分岐点はこういう経験をし、こういうことを心の底から感じた
ことがあるかどうかだと思う。
こういうことを言える人間は放っておいても普通にいい母親
になり、幸せな人生を歩むだろう。
あんたの姉さんに今度何かあった時、今度はあんたが助ける
番だな。しっかりやれや。
あと、ばあちゃんの見舞いには行けるだけ行ってやれ。
喜んでくれるはず。

722 :@:03/09/27 03:12 ID:abPvBman
仕事(フリーランスで仕事してます)は絶好調なのに、どうしてもどうしても気分が晴れない。
というより、ますます落ち込んでいく。
休みもまったくなかったですし、余裕がなかったんですね。
小さなことでずうっと泣き続けたり、
電車に乗るのも、道を歩いてるときに通るバイクの音でさえ
怖くて不安でどうしようもなかった。
20で今の仕事について、周りは当然かなり年上ばかり。
なのに、慣れない仕事でもフリーでやっている以上、
どんどん責任は私に覆いかぶさってくる。じゃんじゃん下が追ってくる。
今思うとかなりストレスがたまっていたのでしょう。
それと、私にはトラウマがあって、
それを思い出すとすごく胸が苦しくなったりしていたのですが(病院いったらパニック障害でした)
みんながきっとこういう辛い部分を抱えて生きているのに、
どうして自分には出来ないのっ!
自分はなーんにももできなくて、運だけで今の仕事についてるようなもので、
有難いことなのになのに、どうして重荷に感じるの?!
ってもうとにもかくにも鬱だったわけです。

723 :A:03/09/27 03:13 ID:abPvBman
そんな中、一人暮らしをはじめました(それまでは友達と住んでいたのです)
一人暮らしをして2日め、どうしても涙が止まらなくて、友達ではなく、
なぜか真っ先に母親に電話をしてしまったのです。
「どうしてわかってくれないの!」「なんでこんなに辛いの」「どうしてみんなできてるのにあたしだけなの」
とそこまで至った経緯、理由もいわず、ただ泣き叫ぶだけの私に、
「がんばりすぎたんだよ」
と母が一言。
「●●●(私)はがんばったよ。もうそろそろ休憩してもいいんじゃない?
人生長いんだもの。ちょっとくらい一休みしたっていいでしょう。」
と。
それを聞いたとたんに脱力して、また涙が止まらなくて。
さらに、
「ここは●●●(私)の家だよ。
だからいつでも帰ってきていいんだよ」と。

なぜかすっごく安心して、また泣き続けてた。
親は今の仕事をあまり(というかすごく)いいと思っていなくて、
それでいっぱい困らせたり、迷惑をかけたり(もちろん若い頃も)
だったのに。親の思い通りにはさっぱり育ってない私にも無償の愛をくれるのだと。

母のその一言ですごく救われたし、
思い切って仕事を数ヶ月休むことを決めました。
あと数日したら仕事をやめて、東京のアパートを引き払って
しばらく実家に戻ります。
あの一言がなかったらますます私は荒んで行く一方だったと思うし、
踏み切らせてくれたことに、言葉では言い表せないくらい感謝してます。


駄文&長文すいません。
あとスレ違いだったらすいません。

724 :おさかなくわえた名無しさん:03/09/27 13:26 ID:+ZpyPzay
>>723
俺もフリーだから、その気持ちはすっげーわかる。
やっぱり親から「いつでも帰ってきなさい」って言われたことで、
すごく安心して仕事が出来るようになった覚えが。

きっと何もできなくなったら、俺も東京を出て田舎に帰るんだろうな……。

725 :おさかなくわえた名無しさん:03/09/28 08:55 ID:Lpf/uNlH
良スレage 上げ揚げ!!

726 :1/2:03/09/29 00:28 ID:+lpbx65Q
去年の春、弟が原因不明の病で入院した。

最初の病院では「一生治らない病気だ。」と言われたそうだ。
職場にいた私に父が電話をくれた。電話の向こうでは泣いている母の声が聞こえた。
頭が真っ白になり、その後どうやって家まで帰り着いたのか覚えていない。

あきらめられなかった父は別の病院に弟を連れて行った。
前の病院からカルテを回してもらって即検査という運びになったのだが、
担当医がたまたま空いたベッドに弟をねじ込んでくれ、即日入院になった。
弟はそのころ体力的に限界状態になっていたらしく、通院は無理だったようだ。

私はその週末に弟の見舞いに行った。
入院したといっても病気の原因は分からず、毎日検査が続いていた。
入院前に自宅で2ヶ月以上寝込んでいたのだが、その頃と変わらず毎日高熱を出し、
顔も体もげっそりとやつれていた。関節のいたるところに水がたまり、満足に歩くことも出来ない。
土気色の顔、ぶるぶると震える手。食欲はまったくなく、苦しそうに横たわる弟がいた。
釣りとタバコとパチンコが好きな、私の知っている元気な弟の姿はそこにはなかった。
それでも苦しくてたまらないはずの弟は、私に心配をかけまいとして強がりを言っていた。



727 :2/2:03/09/29 00:29 ID:+lpbx65Q
面会時間が終わり、両親と病室を出てから涙が止まらなくなった。
「代われるものなら代わってやりたい。」なんていう台詞はお話の中だけのことだと思っていたが、
本当に代わってやりたかった。なんで弟がこんな目にあわなきゃならんのか理解できなかった。
弟を永遠に失ってしまうんじゃないかと、怖くてたまらなかった。

その日実家に戻ると、テレビの上に釣り上げた魚をぶら下げた元気な弟の写真が飾ってあった。
母が、「また、この写真みたいに元気になれる日が来るのかな」と、ポツリとこぼした。
たまらなくなった。二人で号泣した。横で父も真っ赤な眼をしていた。

それから2ヵ月後、幸いにも弟は退院することができた。
病気は一生モノの特定疾患の一種だったが、最初の病院で言われたようなものではなかった。
いつ再発するかは不明だが、薬さえ飲んでいればとりあえず日常生活に支障はないらしい。
まだまだ安心できないながらもひとまずは落ち着き、自宅療養することになった。

その後、いろいろ忙しく実家には帰れなかった。
弟の経過が気がかりだったが、電話を入れることくらいしか出来ないまま時間がすぎてしまった。

今年の夏、実家に帰ると真っ黒に日焼けした弟がいた。
数日前に釣りに行ったと言い、どのくらいの魚を釣り上げたかを楽しそうに語っていた。
テレビの上にはまだ、あの写真が飾ってあった。それと弟を見比べ、心の底からホッとした。
横では母がうれしそうに笑っていた。
元気で生きているって、それだけでものすごく親孝行だと思った。

弟が元気になって、本当によかった。

728 :おさかなくわえた名無しさん:03/09/29 05:21 ID:5KSsHOh3
>>726-727
弟が元気になって本当によかった(*´∀`)


729 :おさかなくわえた名無しさん:03/09/29 09:08 ID:mVyfQh1L
良かった。話の流れからするとダメだと思ってた。

730 :おさかなくわえた名無しさん:03/09/29 13:27 ID:il6LYbLk
で病名はなんだったのか?
SLE?

731 :726:03/09/29 22:28 ID:MTvLvQPJ
>>728-729
サンクスコ ⊃ДT)

>>730
サルコイドーシスという病気らしいが、弟の症状はこの病気ではまれだそうな。
普通は熱と関節の症状はでないらしい。だから病名がわかるのが遅れたみたいだ。
治る人もいるんだが、ひどい症状が出た人は再発しやすいらしいとのこと。
投薬も続いてるしまだまだ気は抜けないわけだが、とりあえず今は安定してるよ。

最初の病院では膠原病だといわれた。
それを聞いただけでもかなりショッキングだったが、(膠原病の方スマソ)
何がひどいって医者の「もう一生ものです。助かりませんよ。」的な発言がひどかった。
家族はわらにもすがる思いでいるというのに、その言い方はあんまりだろう、という感じ。
マジでお先真っ暗な気分になって、心配しすぎで気が付くと勝手に泣いてる自分が怖かったよ(ニガワラ)

まあ、そもそもあの病院は評判の悪い病院だったわけだが、
実家から一番近い総合病院だからどうしても行っちゃうんだよね。
そういや私も検査でわけわかんないこと言われたことあるし、某市立病院逝ってよし。

発言がスレ違い気味になってきた。退散します。すんません。

732 :おさかなくわえた名無しさん:03/10/03 11:21 ID:1SIZbHQy
がんがれ

733 :おさかなくわえた名無しさん:03/10/06 00:56 ID:Q6zKEnII
泣けるスレだ…。
私は高校生です、最近あった話を。

先月母と2人で旅行へ行きました。
私はすこし機嫌が悪く、母からしたら面白くなさそうに見えたと思います。
それでも母は「○○(私の名前)と行けて楽しかったなぁ」と言っていました。

それから数日後、母が乳癌だと医者に言われ、3週間後手術することになりました。

そして入院までの残りの3週間はなるべく母と過ごしました。
夕方近所を一緒に散歩したり、一緒にご飯を作ったり。
その散歩の最中に私が「高校で勉強についていけてないんだー、もう勉強嫌になったよ。」
と言ったら、母は「頑張ろう、お母さんも病気と頑張って闘うから、ね?」と言ってくれました。
急に寒くなった日薄着で出かけたら、メールで「寒くないかい?」と心配してくれました。
朝から貧血で倒れたけど学校へ行った日、具合良くなったよとメールを送ったら
「良かった、本当に良かった。」と喜んでくれました。

そして入院する前日、
「もうお前は何でも自分でできるし、お母さんが入院しても大丈夫だね。
お父さんのこと、助けてあげてね。本当に○○を生んでよかったよ。」と母は言いました。
私が「私もお母さんの子に生まれてよかった。」と言うと
「お母さん、お前が結婚して子供生まれるまでは生きていたいな。
そうなるように、手術頑張るからね。
この前○○と旅行に行けてよかったよ。また一緒に行こうね。」と言いました。
涙が止まりませんでした。
こんなにも母が自分を愛していてくれていること、今頃実感しました。
本当にお母さんの子に生まれて良かったよ、お母さんありがとう。

そして先日入院し、手術しました。
手術は成功、今のところ順調に回復しています。

下手な文章、長文、失礼しました。

734 :おさかなくわえた名無しさん:03/10/06 07:20 ID:a0fOLWnA
>>733
患者の気分がガンを消す効果って、ホントにあるんだよ。
お母さんを精一杯励ましてあげて。
ガンは、術後の薬物治療が一番辛いところだからね。
頑張って応援してあげて。

735 :おさかなくわえた名無しさん:03/10/06 10:50 ID:rpUKE0uQ
>>733
良かった・・・お母さん助かって良かったね。
うちもお父さん癌になってもう末期だったんだけど最後に家族で旅行行ったよ。
お父さん、楽しんでくれたかなぁ。もう聞くことも出来ないや。
>>733、お母さん大事にね。

736 :おさかなくわえた名無しさん:03/10/06 14:36 ID:dAPXo6bX
思い出ではないのですが、最近頻繁に夜電話してくる父。

私が家を出て、姉が結婚して実家には父と母の2人。
母は買い物やお食事会やらで家を空けることがおおく、
父はぽつんと1人で家にいるようだ。

電話に出ると、
「父ちゃんだけどさー、いまビール飲んでんだけど、これはうまくないな!」
「やせちゃって50キロになっちゃったよ。」
とか妙にハイテンションでどーでもいいような話をしてくる。
まただよ…と思いつつ適当に話をあわせ、適当に電話切っちゃうけど
このスレ読んでいたらきちんと相手してあげようと思いました。

737 :おさかなくわえた名無しさん:03/10/06 15:34 ID:Ap2YyiZN
思春期に死にたくなる衝動に駆られるのは割りとよくある話だと思います。
私も思春期に色々あり死にたくなる衝動に駆られる時がありました。
進学の為、寄宿舎生活をしていて両親とは離れて暮らしていた私は、そういう
時に両親に電話して「今、自分が死んだらこの両親は嘆き悲しむ」と思って死にたくなる
衝動を抑えていました。
ある時、電話口で母に「もしも私が死んだら母さんは悲しいかなぁ?」と聞いてみたら
母は涙ぐんだ声で「お前が死んだら母さん悲しくて死んじゃう」と言ってくれました。
本当に心からの言葉だった。
あれから、何かあった時にはいつも母さんのこの言葉を思い出す。
母さんは去年死んじゃったけど、母さんの愛は今もこの胸にしっかり生きています。
ありがとう。

738 :733:03/10/06 19:59 ID:Q6zKEnII
>>734-735
ありがとうございます。
母をこれからも支えていきたいです。
本当、親って大切ですね。

739 :おさかなくわえた名無しさん:03/10/07 12:26 ID:jo6IYNjN
>>736
ハッとした。
私の父親も、最近意味もなく電話かけてきてることに気が付いて。
「メシは喰ってるか、欲しいものは無いか、元気にしてるか」
そういえば、母親の方が、夕方からパートで出ていることが多いなと。
忙しいからサッサと切り上げちゃうけど、今度はゆっくり会話しよう。

740 :おさかなくわえた名無しさん:03/10/08 20:47 ID:LuqLeMaG
年の離れた末の妹。
自分は大学進学で上京したため、一緒に暮らした時期が短くて
妹というよりは親戚のような感覚でいた。

先日久々に会って話をしたところ
妹が小さかった頃に、大雪が降り
一緒に雪ダルマを作ったことを
「すごく嬉しかった、楽しかった」と話してくれた。
ちゃんと思い出を作ってやれてたんだ、とホロリときた。
ちとスレ違いでスマヌ。

741 :740:03/10/08 20:51 ID:LuqLeMaG
ちなみに妹は既に成人し、金髪でマルメン吸っとる…。

742 :おさかなくわえた名無しさん:03/10/09 00:13 ID:Mb7/TBC2
それは私が高校生の時。
隣県に住む母方の祖父が癌になって入院したと聞いた。
うちはあまり親戚との交流が無く、
いちばんはっきりと残っている祖父との思い出は、幼少の頃森の中で作業をしている姿。
祖母の葬式に出た後に、「これでジュースでも飲め」と千円をくれた。

母親は隔週のペースでお見舞いに行っていた。
隣県といえども車で往復6時間弱かかるので、なかなか家族全員で行くことができなかったが
ゴールデンウィークを使って皆でお見舞いに行くことにした。
「もう癌が全身に転移しており、もう自分が誰かもわからないのよ」と母は言っていた。
「癌だって気付かれないように、明るく振舞うんだぞ」と父に言われた。
久しぶりに見る祖父は、なんだか変な顔色で、そしてとてもちいさく見えた。
口をぽかんとあけて、世話をする母を見ていた。

「おとうちゃん。ほら、子供らが来てくれたよ」
祖父と目が合った。
そして‥祖父は「おおおー」と泣いた。
思わず自分も涙が出そうになったが、必死でこらえて明るく振舞った。
母は「何を泣いとるんね」と笑っていた。
やさしく介護をする母の姿はとても綺麗だったことを覚えている。

それから1,2ヶ月経った頃、祖父は死んだ。
葬式の最中は、「ああ、ほんとに死んだんだな。あまり話したことが無いからよくわかんないや」としか思えなかったが
祖父の棺にお花を入れて、安らかな顔を見た瞬間
急にあの時の祖父の涙が思い出されて、すごく泣けてきた。
一人でわあわあ泣いてると、母がハンカチをくれた。


ほんと特に交流が無かったんだけど、身内ってだけで死ってこんなに辛いものだとは知らなかった。
同居している(父方の)祖父母が居なくなるなんて考えられない。
できるだけ、長生きしてね。

743 :おさかなくわえた名無しさん:03/10/09 12:55 ID:Y8vPoUu4
>>742
単なる長生き祈願だけじゃなく、
長生きした人が病気や年齢には勝てずに辛いとき、
きちんとお世話をしている人の美しさを知った話なのが(・∀・)イイ!

お母さんを見習って、まだ身近にいる人のために何が出来るか考えて、これから頑張れよ!

744 :おさかなくわえた名無しさん:03/10/09 13:20 ID:irr8ZYO4
子供の頃ファミコンばっかりやってたら
親にファミ吉(きち)ってあだ名をつけられた。

ファミコンきち○いの略らしい。

745 :おさかなくわえた名無しさん:03/10/09 22:26 ID:/x7nU6hu
ファミコン製造中止スレ(ニュー速?)から転載されたレスを思い出した。
どこに転載されていたのかは忘れたけど・・・。ここの過去スレだっけな?
あれは泣いた。ママンのハンドクリーム(涙)

746 :おさかなくわえた名無しさん:03/10/11 14:47 ID:Sml3Uu7o
ほろりというほどでもないけど。

あれは就職して1年くらい経った頃。
めずらしく残業もなく、予定もなかったので会社からまっすぐに帰宅した日。
玄関をあけて靴を脱いでいると、暑かったせいか、居間のドアが開け放されていて
父と母の話し声が聞こえた。
突如耳に入ってきた言葉。
「ねぇ父さん。」
「ん?」
「いつかは本当に、毎日毎日こうして二人りきりで晩ご飯食べる日が来るんだろうね。」
「・・・・・うーん。そうだなぁ。今は朝帰りでも帰ってくるからな。」
「いつかは出ていったまま帰ってこなくなるんだね。」
「それが成長だからなぁ。」
「嫁のもらい手がないのもこまるしね(笑」
「寂しいモンだなぁ」
会話の間に、二人の声がちょっとづつくぐもって、鼻をすする音が混じっていた。
そのまま「ただいまーっ」て入って行くことができなくて、
そっと玄関を出て、近所のマクドナルドで1時間くらい時間をつぶして帰った。
二人とも「早かったね」というだけで、もう普通通りだった。

今。二人は電車で1時間掛かるところで仲良く暮らしている。
毎日二人きりのごはんを食べている。

私は、あの会話を聞いた6年後に結婚。
そして今傍らには9ヶ月になる娘がいる。
私たち夫婦は今のところ『二人きりの夕食』が懐かしいくらいだけれど、
いつかは、やっぱりそれが寂しいと思うようになるんだろう。

長文スマソ



747 :おさかなくわえた名無しさん:03/10/12 13:12 ID:fVjNG8Mm
親の情はしっとり系だと、いつ思い出してもホローリだなぁ。

748 :おさかなくわえた名無しさん:03/10/12 13:27 ID:455e4VQM
>>746
充分ホローリでした。・゚・(ノД`)・゚・。

749 :おさかなくわえた名無しさん:03/10/12 14:04 ID:aHENr+46
俺は小学生低学年の頃まで大阪の父方のじいちゃんばあちゃんと住んでた。
大阪と奈良の境目くらいにある田舎だった。
小3の時にじいちゃんが死んで、親父が東京に単身赴任してたのもあって
四年から東京に引っ越してきた。ばあちゃんは大阪に残ったままだった。
それからしばらくは夏休みとかの休みを利用して大阪に帰ったりしてたが
中学高校となるにつれて帰ることも無くなっていった。
二年前、大学二年の夏休みにやることも無くなったのでお盆に帰ることにした。
母方のばあちゃんちは天王寺にあるので田舎になんか行く気のない
遊ぶとこが欲しかった俺は母方の実家でブラブラと街にでたりして時間潰してた。
すると父親から
「(父方の)おばあちゃんを病院に連れていくとき阿倍野通るから
 ちょいとおばあちゃんに顔だけでもみせたれ」
と言われたので正直めんどくせーなとか思いながらも
父親と待ち合わせた場所で待ってた。
しばらくしたらばあちゃんを乗せた父親の車がやってきた。
その車にのって小学生の時ぶりにばあちゃんを見た。
なんだかこんな小さかったっけ?とか思った。
ばあちゃんと何話していいかわかんないので俺は適当に返事だけを打ってた。
するとばあちゃんが
「○○(俺)ちゃんが小学校の時、学校の授業でバスに乗ってどっか行く時、
 偶然おばあちゃんバスに乗り合わせたやろ?あんとき○○ちゃんおばあちゃんに
 座席譲ってくれたやろ?おばあちゃんあれ嬉しくてなぁ、今でも覚えてるわ」
と俺の忘れてた昔の話を話し出した。一瞬で泣きそうになった。
やばい泣くと思ったから親父に「この辺でとめてくれ」と言って車を降りることにした。
泣きそうになってる俺に気づいたかどうかは判らないが親父は何もいわず下ろしてくれた。
それからどうやって家に帰ったか思い出せないがばあちゃんに対する申し訳なさでいっぱいだったのは覚えてる。
今もまだばあちゃんは生きている。でもそれっきりあってはいない。


750 :おさかなくわえた名無しさん:03/10/13 20:30 ID:ugW2VF2K
>>749
頼む! また会いに行って、楽しい想い出をたくさん作ってくれ!。・゚・(ノД`)・゚・。

751 :おさかなくわえた名無しさん:03/10/13 20:48 ID:eS0vx5Wa
>749
帰省できる時は帰省して
何か手土産でも持って元気な顔を
おばあちゃんに見せてあげなはれ。
会話がなくってもいい、
相槌打つだけでもいい、
「おばあちゃんの顔見にきたよ」と行くだけで
あなたはどんな大金を積んでもできないことを
おばあちゃんにしてあげることができるんだよ。
冬休みにはいってあげな。

752 :おさかなくわえた名無しさん:03/10/14 16:03 ID:DoYU0d/s
>>749 うんうん、綺麗な絵葉書にひとこと「元気か?」でも
きっとすごーく喜ぶよ。
絵葉書書くとこ少ないから送んなよ。

753 :おさかなくわえた名無しさん:03/10/16 23:13 ID:4O3IM5t1
ageる

754 :おさかなくわえた名無しさん:03/10/16 23:16 ID:U2ZIfytK
            __
    _____(   ()
    | ∧_∧  |  ̄ ̄
   /\( ´Д`) |  皆さん良い夢を・・・
   //\\    つ
  //  \\_ ヽ |
  //    //(_)|
  \\  //    |
   \\// ̄ ̄ ̄
     \/


755 :おさかなくわえた名無しさん:03/10/17 08:48 ID:edRx4lch
家の父はちょとドキュソでさ
ナメなんとか星でフリなんとかって奴と喧嘩してたんだけど
仲間がやられて怒りまくちゃって怒りのあまり金髪になちゃって
オラの理性があるうちに早く帰れっとか言ってんの
俺は先に地球に帰りました 父が心配です。

756 :おさかなくわえた名無しさん:03/10/17 14:57 ID:VvvtkiEI
はい次。

757 :556:03/10/17 20:32 ID:7p36FCmT
何度もスレ汚し、すまん・・・。

いつのまにか親父が痴呆になっていて、進行していることがわかった。
何で今の今まで気づいてやれなかったんだろう。
この前会った時に、一瞬漏れが誰かわからなかったみたい。ショックだった。

漏れのもとに呼び寄せて一緒に暮らそうと言っても、住み慣れた土地・家を
離れたくないと言ってる。
かと言って、今すぐ自分が仕事辞めて、実家に戻る踏ん切りもつかない。
週末に、また親父と話し合って来るつもりだけど、すぐに結論が出せないと思う。

あぁ、動揺してるな、漏れ。混乱してる・・・。
スレ違いなのは分かってるんだけど、書かずにはいられない。

758 :おさかなくわえた名無しさん:03/10/18 01:31 ID:Rf96Xlyv
>>757
何度でも書き込んで、何度でも心落ち着かせるんだよ。
待ってるぜ。

759 :おさかなくわえた名無しさん:03/10/18 02:32 ID:qY6ruDOw
私はもう二十歳過ぎなのに持病があって働けない状態です。
両親と妹と実家で一緒に暮らしているのですが両親が私を気遣って
いろいろしてくれるのが嬉しい反面悲しい。
いつも家にいる私、洗濯したりお皿洗ったりお米研ぐくらいしか手伝いしてないのに
「ありがとね、助かっちゃったよ。」と言ってくれる母。
私が「働けなくて稼ぎもなくてごめんね」と言うと
「何言ってんだ、いつも家で留守番しててくれるから安心して仕事行けるよ」と言ってくれる父。
「お姉ちゃん何か買ってくるものない?」と言ってくれる妹。
そんな私は家でのネットが日課なんですがある時PCが壊れてしまった時、
高価なものなのに父が「インターネットで友達とメールしたり楽しいんだろ?できないと不自由だ」
と言って新しいPCを買ってくれました。
年に数回だけど友達と出かける時に母は「これ持っていきなさい」と1万円を渡してくれます。
断っても「いいから、アンタが出かけるのは久しぶりなんだから楽しんできてね」
お金がないのに最近無理して「たまには外で食べるのもいいよね」と外食に頻繁に誘ってくれます。
親に苦労や心配ばかりかけてしまっている自分が悲しくて涙が止まりません!
早く働いて稼いで親孝行したいです。

760 :おさかなくわえた名無しさん:03/10/18 14:01 ID:ms0XM57q
がんがれー!(´∀`)

761 :おさかなくわえた名無しさん:03/10/19 00:18 ID:AiCXGWCa
>>759
2ちゃんやって悪口かいてる暇あるのに持病の自称メンヘルですか
おめでてーな
家族も今はいいけど年取ったらうんざりだろ

762 :おさかなくわえた名無しさん:03/10/19 13:49 ID:ebb80vFS
>761
心からお前のような人間は染んで欲しい。
唾棄すべき下郎だ。
いいか、本当に、ここにお前の誌を願っている人間が居る。

>759
がんばってくれ。
世の中、アンタみたいに頑張ってる人は多いよ。
負けないでおくれ。
でも、アンタの存在は親御さんや友達に勇気やチカラを与えてるんだよ。
みんな、アンタが大好きだから頑張ってるんだ。
胸はって生きておくれ。

763 :おさかなくわえた名無しさん:03/10/19 18:59 ID:j4j6Hcod
はて?俺も読んで気分が悪くなったクチだが?かまって欲しいの見え見えじゃん。
多少なりとも親の懐気にしてんならこんな時間に書き込んでんじゃねーよ。
つーか、とっとと寝てろっての。電気代の無駄。

764 :おさかなくわえた名無しさん:03/10/19 22:36 ID:i5Idkr1g
なつかしいなあ。このスレまだ残ってたんだ。
それだけでは何なので、小ネタを披露します。

俺が小学生の頃、親父はすごく怖い存在だった。
そんな親父がある休日に、「たまには一緒に外に出ようか」と。
俺は正直、「(゚Д゚)ハァ?」な感じだったんだけど、逆らうわけにも行かず、
お供しました。細かいことはよく覚えてないんだけど、帰りがけに近所の
喫茶店でイチゴのシェークを飲ませてもらったことだけは今でも脳裏に
焼き付いてます。

その喫茶店も区画整理で今はありませんが、幸いにも親父は健在。
今まで色々あったけど、せいぜい親孝行しているつもりです。

765 :おさかなくわえた名無しさん:03/10/19 23:15 ID:vtgalbs/
うちの坊主がまだ四歳くらいのとき、近くの幼稚園にある綺麗な模様の
滑り台に興味をもったらしく、いつも近くを通るとしばらく動かずに外から
眺めていた。
幼稚園に入ったら滑れるよといつもなだめていたのだが、念願の幼稚園に
入ってすぐに肺炎で旅立ってしまった。
あれからもう三年経つが、ステレオの上にある園児服姿の写真を見るたびに、
なぜかいつも金網にしがみついて滑り台を見ていた姿が思い出されてならない。

他にも沢山思い出があるはずなのに・・・なぜだろう・・・


766 :おさかなくわえた名無しさん:03/10/20 00:09 ID:ylTF6JUg
>765
妻も子もいない独男ですが、
お子さんが滑り台を見つめている姿を想像して、
胸が苦しくなりました。
甥っ子・姪っ子とダブったのかな・・・

月並みですが、お子さんのご冥福をお祈りします。

767 :おさかなくわえた名無しさん:03/10/20 00:55 ID:/x+L3gyS
数年前に妻に先立たれました。
残業の多い職種で泊まりで仕事も多い。
ある日この位の時間(25時位)に帰宅する事になり、妻が駅まで車で
迎えにきてくれる事になっていた。最寄駅まではもう電車が
なくなっているので、ちょっと遠くの駅まで。
いつも悪いな、と思いつつも甘えてしまっていた。タクシーで帰れば
良かったのだが、妻は駐車場に行く途中通り魔に殺されました。
当時はニュースにもなったのですが、もう数年前の話。周囲の人たちは
再婚しろとか色々言います。が、遅くなると電話を入れると、お疲れ様
体大丈夫?等々自分の心配ばかりしてくれていた。夕食が無駄になる事
も多かったし、休日の予定がキャンセルになる事も多かったのだが文句
なんぞ一切言わなかった。
安心しきって甘えきっていた所でこんな事になってしまった。
妊娠したみたい、なんて報告聞いたばかりだったし、来週は病院に行く
なんて言っていた。今でも帰宅すると、家に電話すると妻が居そうな気
がしてならない。勿論誰も電話には出ないし誰も待っていない。

768 :おさかなくわえた名無しさん:03/10/20 16:48 ID:D+KOaklG
>767
月並みな事しか掛けなくて申し訳ないけど
あなたの奥さんは、あなたと暮らせて本当に幸せだったのだろうと思うよ。
私も旦那の送り迎えをするけど
それはそれでコミュニケーションであって、嫌じゃないよ。
あなたが奥さんを思う分、奥さんがあなたに寄り添ってくれてるんだと思うよ。
それだけ思ってあげられるあなたも、まだ辛いかもしれないけど
奥さんが彼方の心を再婚に向けるまでそうやっててもいいんじゃないのかな。

769 :おさかなくわえた名無しさん:03/10/20 19:42 ID:yKYbrps0
>>767
。・゚・(ノД`)・゚・。

770 :おさかなくわえた名無しさん:03/10/20 22:24 ID:H7DAfxZu
>>767
。・゚・(ノД`)・゚・。


771 :おさかなくわえた名無しさん:03/10/20 22:27 ID:MfR+Psui
>>765>>767
悲しすぎる

772 :おさかなくわえた名無しさん:03/10/23 09:27 ID:6wogp75Z
>494
いい娘だなぁ〜。いい話だよ。アリガト!

773 :おさかなくわえた名無しさん:03/10/23 12:31 ID:EjzNdZWC
酒と泪と男と女

774 :おさかなくわえた名無しさん:03/10/23 12:40 ID:fD0VR404
UEEEEEN

775 :おさかなくわえた名無しさん:03/10/23 14:23 ID:6wogp75Z
>759
お前は自分にできる事を精一杯すればそれで良い。
父も母もお前が家にいてくれる事が嬉しいんだ。卑屈になるな。
家族に感謝して明るく振舞え。健康を取り戻すためにできる事は
やってみろ。家族はきっと応援してくれる。

俺の子供(22歳)は脳性麻痺で全介護だ。でも俺たちを見て笑って
くれる。喜んでくれる。俺は娘が可愛くて仕方がない。俺はこの娘
がいるから一生懸命働ける。この娘がいるから楽しいんだよ。

776 :おさかなくわえた名無しさん:03/10/23 20:13 ID:n0jRjVzn
>>767
本当にうまく言えませんが、女性としての立場から。

奥さんは本当に幸せな毎日だったと思いますよ。
毎日夜遅く帰ってくる旦那を疑いもせずに迎えに来てくれる、というのは、
本当に仕事で遅くなってるって心から思えるって事でしょ。

それって、心から愛されてる実感がないと、なかなか思えるものではないんですよ。
どっかで疑心暗鬼になってしまうもんだと思うのね。
今ごろ天国でお子さんと2人でがんばって暮らしてらっしゃると思います。
子育ては大変だけど、愛する旦那との子供だから、がんばれるんだよ。

777 :おさかなくわえた名無しさん:03/10/24 14:26 ID:rNKcKsNL
ガキの頃から俺のことを可愛がってくれた祖父が病気で入院した
当時中学生だった俺はその病気が重いものだと知っていたにも関わらず
「部活があるから」とか「友達と約束があるから」と言い訳して
祖父のお見舞いに顔を出すことをあまりしなかった
そんな俺でもたまに顔出すと本当に嬉しそうな顔で出迎えてくれた祖父
「また旅行に連れて行ってやるからな」と言ってくれた祖父
その一週間後に帰らぬ人となってしまった祖父
今でも何故あの時もっと祖父と接しなかったのだろうと本当に悔やんでいる
仏壇の前で申し訳なく思いながら線香を添えるとあの時と同じ顔で笑っている祖父の遺影

バカな孫でゴメンなじいちゃん。大好きだったよ。

778 :おさかなくわえた名無しさん:03/10/24 22:32 ID:4Ofrv7ED
私は4年前に妻に先立たれました。結婚3年目。1歳になったばかりの娘を残して。
彼女が亡くなって2〜3か月は、どこに行ったんだろうと家の中をウロウロする自分の姿がありました。
正直、信じられなかった。嘘だろ?夢なんだろう?って。
健康だった妻が、子供の1歳の誕生日を迎えたあたりから妙に疲れた、と言うようになりました。
その頃は私もそんなに深刻には考えていませんでした。一日中子供の世話してるから、
疲れが溜まってるんだよ、俺が休みの日くらい寝てなよと。
本当に今考えると、その時何故もっと彼女の事を心配してやらなかったのか。

ある日の未明、ただならぬ呻き声に私は目を覚ましました。
妻が頭をかきむしりながら、頭が割れそうに痛いと激しく呻いています。
どうしたの?頭痛薬でも飲もうか?と聞いたら、あれ?あれ?目が見えない?と言い始めました。
さすがにこれは尋常ではないと判断した私は、迷わず救急車を呼びました。
これから先の記憶は曖昧なものでしかありません。
あちこちたらい回しにされた挙げ句に聞かされた病名は、「急性骨髄性白血病」。
かのK−1のアンディ・フグ選手の命を奪った病気とでも言えば分かり易いでしょうか。
何にせよ、私たちにとっては悪夢の宣告でした。


779 :おさかなくわえた名無しさん:03/10/24 22:33 ID:4Ofrv7ED
どういう事なのか?妻はついこの間まで元気だったではないか?と医者を問いつめました。
医者曰く、この病気は進行が急激で、見た目には健常な人と区別が付かない場合も多いと、
そして、状況は非常に切迫していて、ここまで進行している以上、完治は難しいと。
縋るように助かるんですよね?と問いかけましたが、答えは「難しい」。
死ぬ?あいつが死ぬ?なんだよそれ?

しかし、完全に取り乱した私と比べ、妻は冷静でした。
苦しい息づかいの中から、先に逝く事になると思う。ゴメンね。申し訳ないけど、子供の事よろしくね。
お願いだから私が死んでも悲しまないでね。好きな人と結婚して子供も生んだ。もう悔いはないよ。
喜んでね。こんなに幸せだったんだから、喜んでね。お願いだから喜んでね。
堪え切れずに病室で大泣きしました。大泣きどころじゃなく、慟哭でした。何でそんなに潔いんだよ。
子供を残して悔いがないなんて嘘吐くな!幸せになんかしてないよ!
その翌日、彼女は息を引き取りました。

あれからの4年間、約束通り私は泣く事はしませんでした。実際の所、猿と大して変わらない赤ん坊を
残され、泣いている場合でもありませんでしたが。
娘は5歳になりました。いたずらをして叱られると眉毛の上がポコッと窪みます。私が妻にワガママを
言って困らせた時、同じように眉毛の上が窪んでいました。おかげで彼女の事を忘れる日はありません。

767さん。あなたの書き込みを見て物凄く心が動かされました。
今までこんな事書き込むことなんてなかった。泣きながら書き込む私の姿を見て娘が変な顔してます。
ダラダラ長文申し訳ありません。

780 :おさかなくわえた名無しさん:03/10/27 14:45 ID:Mw2YZuHp
。・°°・(>_<)・°°・。
何も言うな。
もう良いよ。


781 :おさかなくわえた名無しさん:03/10/27 16:10 ID:SXyAItjJ
>>779 あなたが居たから逝けたのでしょう。
お子さんとももっと一緒に居たかっただろうし、生長した姿も見たかったことでしょう。
でも、あなたが居たから「あとはお願いね」って安らかに逝けたのではないでしょうか。
あなたを心底愛していたのでしょうね。
お子さんとあなたを思う気持ちだけは生きつづけていると思う。
779さん、いままでお辛かったでしょうね。
よく頑張ってお子さん育てたと思う。でも、もう泣いてもいい。

私が死んだら・・・別れたダンナも行方不明だし、子どもは施設にいくしかないんだろうなぁ。
そしたら死んでも死にきれないや。

782 :おさかなくわえた名無しさん:03/10/27 21:30 ID:E7o9+qN9
>779
奥さん、本当に幸せだったんだよ。
子供が成長するのは見たい、あなたと子供ともっと一緒に過ごしたかっただろうけど
自分の愛したあなたが、必ず子供を立派に育て上げると信じられたから
迷うことなく死を受け入れ、お子さんを託したんだね・・・・。

育児は大変だし、最愛の奥さんを突然亡くされたあなたの痛手も大きいし、
辛い時期をお過ごしだったでしょうね。
でも泣いてもいいと思います。
泣いて少しでも気持ちが楽になれたら泣いたらいい。

私ももし突然死を宣告されても、あなたの奥さんのように
気丈に受け入れられるかどうかはわかりません。
それほどあなたの奥さんは立派な方です。
その奥さんに彼方は愛されたのですから、あなたも立派な方です。

泣くだけ泣いたら、また明日に向かって頑張れます。
だってあなたには立派な奥さんが見守ってくださるんですものね。

私も死ぬ時には旦那や子供に「ありがとう」と言って死にたいです。
そのために毎日充実するよう頑張ります。
あなたもぼちぼち進みましょう、お子さんと奥さんのためにね。

783 :おさかなくわえた名無しさん:03/10/27 23:46 ID:4VabW6M2
神奈川県在住778さんからの投稿でした。
それではご機嫌なナンバーを聴いて元気を出してください。
リジャパンで「明日があるさ」

784 : :03/10/28 02:01 ID:afCXguHM
俺の親父、一昨年自殺した。
建築会社経営してたけどこの不況で立ち行かなくなってな。
家とかは俺の母親名義だったから母親はまだその家に住んでるけど、
俺は東京で一人暮らしして社会人送ってるし、姉が独りいて結婚して
旦那と結構上手くやってる。
で、去年の1周期だったっけ。
一昨年は母方の祖母(一緒に住んでた)も亡くなっちゃったから
親父と祖母の1周期を一緒にやったんだよね。
で親戚とか集まってさ、正直ありがてぇやらうぜぇやら。
そんな複雑な心境だった。
なにせ仏壇の目の前でデカイイビキかいて寝ちゃってる奴とかいたしな。

そんな中でふと母親がビール持ってきた。
5個のコップと一緒に。
親父と祖母が生前好きだったビール。
俺も姉も母親もビールが苦手だったけどその時はホント旨く感じたよ。
ビール仏壇に上げて親父が好きだったタバコを一緒に添えて。
久し振りに、本当に久し振りに家族揃った気がした。
不謹慎かもしれないけど楽しかった。
傍で転がってる親戚とかもう普通にシカトで楽しかった。

またそんな日が来ればと思う。

785 :おさかなくわえた名無しさん:03/10/29 14:05 ID:/TAAheAl
>>784 辛い亡くなり方だったね。
お母さまを大事にしてあげてください。
若い人と違って、思い出ばかりを追うと可哀想だから。

786 :おさかなくわえた名無しさん:03/10/31 04:48 ID:p0wVbhod
俺は、父方のばあちゃんには三回しか会ったことがない。
一度目、二度目はすげえ子供の頃だったから、ほとんど覚えてない。

大学受験の時、俺は大阪の大学を受験するため、
在阪のばあちゃんの家に泊まらせてもらった。
駅まで迎えに来てくれたばあちゃんは、130センチくらい。めちゃ小柄。
俺が当時175センチだったから、本当に「大人と子供」くらいの差があった(年齢逆だけど)。

ばあちゃんの家までの道の途中、横断歩道で止まった。
信号が青に変わり、さあ渉ろうかという瞬間、
赤で止まった車と俺との間にばあちゃんは飛び込み、
左手で俺をかばいつつ右手を車に向かって高く上げた。
「○ちゃん、今のうちや。早よ渡り!」

繰り返すが、当時俺175センチ。18歳。ばあちゃん130センチ。古希は超えてた。

翌朝の朝ごはんは、ばあちゃんが買っといてくれた王将のチャーハンと餃子。
二人前ずつあるのに、ばあちゃんは手をつけない。
「ばあちゃんも食べなよ」と言うと、「あては後で食べるからええねん」
と頑なに手をつけず、俺が無理やり二人前食うのをニコニコして見てた。

結局大阪の大学には落ち、その後ばあちゃんに会うことはなかった。

787 :おさかなくわえた名無しさん:03/10/31 04:48 ID:p0wVbhod

ばあちゃんが死んだ、と親から聞かされたのはそれから7、8年してからだ。
三度しか会ったことはないし、「フーン」と思っただけだった。
遠かったので葬式は両親だけが行った。

その日も普通に出勤し、外回りの最中さぼってゲーセンに入った。
麻雀ゲームをやっていたら、なぜか急に大学受験のときの事を思い出した。

泊めてもらった日、「目覚ましかけてるから起こさなくていいよ」と言ったのに、
翌朝心配してタイマーより一時間も早く起こしてくれた。
コタツの上に置いた俺の眼鏡と自分の眼鏡を間違えてかけていて、
「全然見えへんと思ててん、ハハハ」と笑っていた。
俺が手を引いてあげなきゃいけないのに、逆に車からかばってくれた。

麻雀ゲームやりながらボロボロ泣いた。

実は、遺族と創○学会と役所が三つ巴でモメてて、
いまだにばあちゃんの墓は立っていない。
墓が出来たら必ず墓参りに行く。
王将のチャーハンと餃子持って行くから、今度は一緒に食べような。

788 :おさかなくわえた名無しさん:03/10/31 23:19 ID:2jIcpQrn
母がゴキブリを追い詰めてローリング形式(?)のふすまの下に隠れているの
を知らずに思いっきりふすまを滑らしたらゴシャグチャブチャとものすごい音と共に
ゴキブリは死にました。
母はさすがに度肝を抜かれて「ごめんね、ごめんね」と言いながらゴキブリを
供養していた思い出。

789 :おさかなくわえた名無しさん:03/10/31 23:33 ID:v9VKAJgh
>>788
スレ違いで台無し

790 :おさかなくわえた名無しさん:03/11/03 06:52 ID:L20UH5Q3
僕が高校生のときお母さんが具合悪くて病院に行った
はじめは肝炎だって言われたけど
2週間くらい入院しても直らないから
血液の病気かもしれないって医者に言われた
精密検査をすることになって、きっと大丈夫って言う気持ちと
もしかしたらって言う気持ちがあった
不安になって図書室で病気の本で色々調べてみると
血液の病気って危険な病気しかないことがわかった
精密検査の日はちょうど模試があって、全然集中できなかった
家に帰ると、親戚のおばさんから電話があった
ドキドキしながら電話に出ると
「お母さん白血病だったよ」

僕たち兄弟は「お母さんしんじゃうんじゃねーのー?」って
冗談っぽく言ってたが、心臓はバクバクいってた、
布団に入ると涙がこみ上げてきた、お母さん死なないでってずっと祈ってた
朝目が覚めると、夢と現実がわからなくなっていた
きっと夢だったんだって勝手に思い込んでたんだけど
やっぱりゆめじゃなかったんだ



791 :続き:03/11/03 07:01 ID:L20UH5Q3
お母さんは1年くらい入退院を繰り返してた
なんとなく元気そうだったので、見舞いに行かない日々が続いた
自分の受験も重なり1ヶ月ほど見舞いに行かなかった
また退院して家に帰ってくるんだから別に行かなくてもいいやって思ってた
お母さんが入院してるので、料理は兄弟で協力して作った




792 :おさかなくわえた名無しさん:03/11/03 07:06 ID:JrNZmIsT
どうやら欝みたい。ベゲタミン飲んで死にたい、マジで

793 :続き:03/11/03 07:09 ID:L20UH5Q3
節分の日に僕はカレーを作った
隠し味にといれたソースとしょうゆが多すぎて
ちょっとしょっぱいカレーになってしまった
そしてお父さんと兄と妹ががかえってくるのをまってた
しばらくすると電話が鳴った、お父さんだった
お父さんの声は震えていた、僕はまさか...っておもった
「お母さんがもうだめなんだ、今すぐ病院に来い」
って1度も泣いたことのないお父さんが泣きながらいった
ぼくは冷静を装った
妹が塾に行っていたので迎えに行った
お父さんは妹にはまだいえなかったらしい



794 :続き:03/11/03 07:19 ID:L20UH5Q3
病院に着いたらお母さんはもう喋れる状態じゃなかった
妹はしばらくしたらよくなるとおもっている
もう助からないんだなんて、僕の口からはいえなかった
しばらくして母は息を引き取りました

兄弟みんなわんわんなきました
お父さんも泣きながら親戚に電話してた

親孝行できなかったことを本当に後悔してる
反抗期には母に手をだしたこともあった
本当にごめんなさい

僕は母を焼き場に連れて行くときこっそり手紙を書いて棺おけに入れた
色々な想いや約束を書いた、

けどその約束も5年たった今じゃほとんど忘れていて
色々な決意も実行できないままだ
時々母のことを思い出して、何も約束を守れてない自分がいやになる
本当に嫌になる
母の死のことを忘れてるのがいやになる
僕の寿命半分上げるからもっと生きてよ...
お母さん、もう二度と会えないんだね


795 :おさかなくわえた名無しさん:03/11/03 07:22 ID:L20UH5Q3
文章能力なくてすいません
長文になってしまってすいません


796 :おさかなくわえた名無しさん:03/11/03 09:22 ID:IYF2f2NN
これから少しずつ約束守っていけたらいいんだよ。
お父さんと兄弟を大切にね。

797 :726:03/11/03 14:25 ID:wepqG43+
やっと弟がよくなったと思ったら、今度はじいちゃんのガンが発覚。
肝臓、前立腺、骨がやられているとのこと。余命はいくばくもないらしい。

告知されて、本人はもうあきらめてしまっているらしい。
ばあちゃんに向かって「悔いはない」とか言っていたそうだ。

父はまだ見舞いには来るなと言う。
遠くに住んでいる私が急に顔見せに行ったら、
ますます動揺してしまうだろうという理由だそうな。

でも、じいちゃんはいつまで生きるんだよ。
暮れにはもう手遅れになっちゃってたりするんじゃないのか?

弟も落ち着いたから、今度二人で顔見せに行かなきゃなあとか
電話で話してた矢先だったのに、何で今なんだよ。

寿命なのかもしれないけど、あきらめないでよじいちゃん...

798 :726:03/11/03 14:26 ID:wepqG43+
ああ。ホロリの思い出でもなんでもないですね。
吐き捨ててしまってごめんなさい。
昨日聞いた話しなんでちょっとつらくて...

スレ違いスマソ。

799 :おさかなくわえた名無しさん:03/11/03 14:59 ID:K+FTT+tB
ここは、幸せだろうが辛かろうが、家族とのホロリ思い出ならなんだって語って良い場所だと思うよ……。

……幸せ。
……辛い。

一画違うだけなのに、切ない違いだね。

800 :おさかなくわえた名無しさん :03/11/04 02:57 ID:mxRo0jVp
>726
その気持ちわかる。俺も去年じいちゃんが死んだ。
3ヶ月入院して帰ってこなかった。病院でじいちゃんと始めていろんな話をした。
その時色々話しておいて本当によかったと今思ってる。

今のうちに、いろんな話して聞きたいことがあるなら聞き、伝えたいことがあるなら
伝えておいた方がいいと思う。死んだ人間には、もうなにも聞けないし、伝えられな
いから。

801 :おさかなくわえた名無しさん:03/11/06 10:41 ID:LCWc5mmP
小さい頃、ウチではいっぱい小鳥を飼っていた。
ジュウシマツ、カナリア・・・。

数年前何かの話をしていたら、母がイタズラっぽい顔で言った。
「ホントはね、あんたたちが学校に行ってるときうち中の窓を閉めて
鳥をぜ〜んぶ鳥かごから出して自由に遊ばせてたのよ。楽しかった。」

へ?
そんなことしてたの?今の私よりはずっと若かった当時の母・・・。
今は病院で管に繋がれて何の反応もない母の顔を見ながら
もっといろんなこと聞いてみたかったって思った。


802 :おさかなくわえた名無しさん:03/11/06 18:02 ID:hcaG3MM8
会社でこっそりこのスレ見たら、涙が出そうになったのでやめました・・・
自分が激しくおばあちゃん子なので、祖母関係のお話は一撃轟沈です。

両親との仲はあまりよろしくないので、こういうスレでの母親に
対する話を読むと、私にとって祖母は母親代わりなんだなあ、と
つくづく思います・・・。
・・・妙な自分語りしてスマン。

803 :おさかなくわえた名無しさん:03/11/08 00:19 ID:96rKM0EY
http://hv.ws37.arena.ne.jp/swf/mother.swf
お前らも母親を大事にしろよ・・・

804 :おさかなくわえた名無しさん:03/11/09 02:12 ID:8B6014Ng
先日、兄が事故で死んだ。
兄は口喧嘩も喧嘩も強くて、いつも俺をからかっていた。

そんな兄はガキの頃、例えば一つしか残っていない
ケーキなんかを俺と兄のどっちが食うかって状況になると
いつも決まってこう言っていた。
「じゃあ、お前、AかBか選べよ。
俺が頭の中で、当たりを決めるから」

俺がAを選ぶと、それは決まって当たりだった。
Bを選ぶと、それも決まって当たりだった。
思えば、一度も外れたことはなかった。
普段俺に偉ぶっているから、素直に譲るのが照れ臭かったのかもしれない。

いま俺の机の隅っこに置いてある3センチくらいのでっかいビー玉も
そうやって「当てた」ものだってことを昨日思い出した。

葬式でも意地張って泣かなかったのに、ぼろぼろ泣いた。

805 :おさかなくわえた名無しさん:03/11/09 07:35 ID:pGtLNA0q
>804
。・゚・(ノД`)・゚・。


806 :おさかなくわえた名無しさん:03/11/12 00:17 ID:3MK6j/So
790
いい奴だよ、あんた・・・

807 :おさかなくわえた名無しさん:03/11/13 15:07 ID:LQE6ktC9
長期留学に出る前、母と何気ない話をしていた。
私は小、中学のころいじめられてて、やっぱりまわりにも同じような子は
いたんだけど、その子たちの親が「行きたくなかったら学校なんか行かなくて
いいよ」と言われてるのに対して、どんなに辛い目にあっても、どんなに
傷つけられても母は嫌がる私を学校に行かせた。
「しんどいのはわかるけど、逃げるの?今ここで逃げたらあかん」
それが母が私を行かせる理由だった。
高校生になって、そんなこともなくなって、相変わらず友達は少なかったけど
楽しくやってた。
その時、何をどんな風に話していたのかは覚えていない。
でもその時私は母に何か言われたのに対し、つい言ってしまった。
「私はお母さんみたいな親には絶対ならんから。あん時辛かったのに、
学校行け行けって、わからんのにさ。自分の子どもには絶対お母さんとは違う
育て方するもん。」
そんなことこれっぽちも思ってなかった。
辛い中学校に行くことで、強くなったのも、人に対する思いやりが持てるように
なったのも全部母のおかげだった。
沈黙の後、母が泣き出した。
ひたすら自分を責めた、何てこと言ったんだって。

謝れないまま、私はその後日本を離れ、あと2ヶ月ほどで帰国する。
辛いとき、悲しいとき、愚痴を言うときでさえ母はすごく優しい。
母は私の尊敬する人だ。
いつか言えたらいいと思っている。
ごめんなさいと、そして母のような母親にいつかなりたいと。

808 :おさかなくわえた名無しさん:03/11/13 17:28 ID:KAFiyZ71
>>804
あたしも大好きなお兄ちゃんいるから考えたらすごい泣けた。
改めて大事にしようと思ったよ。ありがとう。

809 :おさかなくわえた名無しさん:03/11/13 17:45 ID:sxRCJcL+
804ホロリどころか号泣だよ....

810 :おさかなくわえた名無しさん:03/11/18 04:03 ID:M0YL6ggr
あぶねぇ…落ち寸前でしたよ。

811 :おさかなくわえた名無しさん:03/11/18 04:07 ID:XLWcuErq
落ちそうって事はむりやりあげなくても需要がないって事じゃないのか

812 :おさかなくわえた名無しさん:03/11/18 05:47 ID:WzL0rBV7
ここは素晴らしいインターネットですね

813 :おさかなくわえた名無しさん:03/11/19 06:14 ID:xF6sshdv
保守である

814 :おさかなくわえた名無しさん:03/11/21 12:41 ID:/1VFW+Kl
あんまり良い話じゃないけど。
こないだ母方の祖父が死んで、祖父母の家行って遺影用の写真探してたら
父と母の結婚写真が出てきた。父は、私が生まれて数ヶ月目に事故で死んでいて、
なぜか写真が残ってない(仏壇に遺影はあるけど白黒でぼやけてる)
「お父さんの顔はじめて見た」と言ったら母が泣き出して、理由を教えてくれた。

父の家は大きな家で、家の格が違いすぎると両家とも大反対&大喧嘩したのに
強行結婚したのね。5年後に父が死んで、私と母は無一文で父の家を追い出された。
母の実家は、出戻りは体裁が悪いと受け入れも援助も拒否。
「父の写真と形見をすべて焼いたら置いてやる」と要求。
いくら父家が嫌いだからってヒドイよね。母は亭主が死んだばかりでズタボロだったはずだし
私からも永遠に父の姿を奪うことになるんだし。
結局父の写っている写真は祖父母にすべて焼却され、結婚写真だけ偶然残った。
次に、祖父母は、再婚の邪魔になるからと、私を手放せと言った。
母は娘を連れて実家を出た。この時私1歳半。次に私が祖父母と会ったのは成人後。
仏壇の父の写真は、母がこっそり隠し持っていた写真を引き伸ばして飾っていたんだよ。
なにかしらわけがあるとは思ってたけど・・・祖父母も鬼だ・・・
当時の母の気持ちを思うと涙が出る。

でもって、私の父親、ものすごい男前だったんだよ。
切れ長の目の、背高くてスラッとしてて、優しそうな人だったの。
ダイエーの和田投手がすごい似てる。
「お前の父ちゃんは格好良かった。色男だった」と母が言うたび
うそつけーと思ってたが事実だった。25歳にして知る衝撃の真実w。
私は完全なる母似だと思ってたけど、口元と体型と生え際を父から受け継いでた。
(全部受け継いでたら伊藤美咲になってたかも。惜しい!)
生まれて初めて父親が私にもいるんだなあとしみじみ思った。
写真残ってて良かった。男前の父親で嬉しかった。

815 :おさかなくわえた名無しさん:03/11/22 14:01 ID:Dr+Qc8JX
>>814
これからお母さんと一緒に、お父さんへの想いを育て行けるといいね!
ぜんぜん遅くないさ。
しかしお母さんの想いと、あなたの想いでホロリとさせられるだけに、
両家の祖父母への怒りが止まらないよ……。
父方の家とはもう縁が切れてるのかなぁ。その方が良いのかなぁ。
なんで、昔の人は体裁を取り繕うのに必死なんだろう……。

816 :おさかなくわえた名無しさん:03/11/23 01:03 ID:oOFbfSse
>>814

滅茶苦茶いい話だと思いますが・・・。
あなたのお母さんの、強さには脱帽です

817 :おさかなくわえた名無しさん:03/11/25 19:36 ID:5neQQMEI
保守

818 :おさかなくわえた名無しさん:03/11/26 23:23 ID:noY9gTYd
あげ

819 :おさかなくわえた名無しさん:03/11/27 00:15 ID:4/vVIpE3
漏れはじいちゃんに死なれた事があった。三年前だが。
漏れはかなりばあちゃんっ子ならぬじいちゃんっ子だった。
ガキの頃とか、よく遊んでたし一緒に寝た事も多々ある。
が、ある日じいちゃんがガン宣告を受けたんだよ。
それも・・心臓の三分の二が機能していない状態だったらしい。
だけど、その時は一年足らずで退院した。
んで、その数年後にまた発作が起きて救急車を呼んで、そのまま入院した。
こんどは、二度と家に帰っては来なかった。
ある日お見舞いに行ったら思いのほか元気そうだった。それでじいちゃんが冗談めかして
「○○(漏れの名前と妹の名前)に会いたくて帰ってきた」と言ってた。
それ聞いた時はなんとなく笑って流したんだけど、帰る時にじいちゃんが「また来てくれよ。寂しいんだから」
とも言った。
その次の日、学校で授業受けてたら先生が「○○、ちょっと」と言ってて、漏れはとりあえず行った。
先生が、「おじいちゃんの容態が悪くなったらしい」と教えてくれて、迎えに来てた親父の車にのって病院に
向かったんだ。
車の中で母が携帯で「うん・・もう、だめなんだって。家族が対面したら、機械止めるって」と喋ってた。
そして病院に着いて、じいちゃんに会いにいった。そしたら、心電図が平坦な線を描き続けていた。
当時リア消だった漏れにもそれの意味するものは解った。
そして、じいちゃんは冷たくなっていた。
もう、じいちゃんと遊ぶ事はできない。もう、一緒の布団で寝ることもできないんだ。

今も、思い出して泣きながら書いている。悲しみは、年月では解消されないものなのかな。

820 :おさかなくわえた名無しさん:03/11/28 14:04 ID:XBO/R3S3
3年前に小学生でこの時間に2ちゃんて…(゚Д゚#)

821 :おさかなくわえた名無しさん:03/11/28 14:29 ID:pSECty9z
>>820
同意。

822 :おさかなくわえた名無しさん:03/12/02 23:53 ID:62yhQt0b
保全

823 :おさかなくわえた名無しさん:03/12/05 22:09 ID:bvCDC/lp
去年の夏に自動車事故に巻き込まれて嫁さんを亡くした。
生まれて初めて強く実感した絶望と喪失感に気が狂いそうになったが、
まだ歯も生え揃っていない一人娘を大事に立派に育て上げる事が唯一
俺のできる事であり、義務であり、嫁さんの望んでいる事だと思い、そして
何より俺の生きる理由なので、「引き取ります。」と申し出てくれた嫁さんの
御両親に頭を下げて辞退してもらった。
俺は三人で暮らしていたマンションを引き払い、実家に戻り、両親に育児の
サポートをして暮らす事になった。

娘は夜泣きが酷い性質で、結構な音量で真夜中に火が付いた様に泣き出す。
それは嫁がいなくなってしまう前からの事だったが、俺にはどうしても母親を
恋しがって泣いている様にしか見えず、情けない事に俺まで一緒によく泣いて
いた。娘が不憫だったし、俺も嫁さんが恋しかった。
娘のぱっちりした二重目蓋や、両頬のエクボが嫁さんソックリで、俺は娘の笑顔に
癒されると同時に悲しみを覚えて随分と泣いた。

その度に“父親”なんて聞いて呆れる程に未熟で弱かった俺の横っ面をぶん殴って
「××(娘)の為にも、○○さん(嫁さん)じゃなくてお前が死ねば良かったんだ。」
「○○さんと××が可哀想だ。」
と、泣きながら叱責してくれた親父と、必死で涙を堪えた引き攣った笑顔で娘の相手を
してくれたお袋には感謝してもし尽くせない。
一丁前に自立したつもりになっていたものの、一皮向けば幼い娘並に子供だった俺に
“父親”になる術を叩き込んでくれた(今でも現在進行形ですね)両親を、俺は尊敬の
念を抱かずにはいられない。


一年と約半年経って、娘を笑顔で抱き締められるのは両親のお陰です。
嫁さんの遺影に笑って「行ってきます」と「ただいま。」を言えるのも両親のお陰です。
俺はそれでもたまーにまだ泣いてしまうし、娘もまだまだ手もかかるし、これからも色々と
迷惑かけるけど、俺が“良い父親”になる事が親孝行にも繋がる事になると思う。

これからも、精一杯努力して、ここの皆さんの親御さんの様な、立派な親になろう。

824 :おさかなくわえた名無しさん:03/12/05 22:10 ID:bvCDC/lp
それと、しつこくてスマソですが、もう一つ。思い出というより、つい先日の事。

妊娠中の嫁さんの趣味は赤ん坊用の毛糸のセーター、ベスト、帽子、手袋etc...
手先が器用とは言えなかった嫁さんが『オイオイそんなに必要かよ』って程の
マニュアル本を買ってきて、不器用なりに色々と必死に作ってた。
俺が仕事から帰ってくるなり、嫁さんは笑いながら「今日はここまで進んだよ!」って
俺に成果を自慢してた。

子供の成長はあっという間で、今年の冬には既にサイズが合わなくて使えない。
俺は残念に思いながらも大事にそれを箪笥に保管しておいた。
なのに、昨日の夜、俺が会社から帰ると、娘が嫁さん手作りのチョッキと靴下を履いていた。
ビックリしたよ。だって、まるでキツキツになっちゃっていたのに。

どうやら、親父が俺に内緒でそれらを持ってデパートを回り全く同色の毛糸を買ってきて、
お袋が嫁さん手作りの衣服に手を加えて、サイズが合うように補修してくれていた。
照れ臭そうに話してくれて、必死で涙を耐える俺の顔に戸惑ったらしく
「余計な事してごめんね。」と謝られ、娘に向かって
「××ちゃんもママの手作りの着てたいもんねー。」と話しかけて、意味がわかる筈もないのに
きゃっきゃと娘が笑うので、俺は堪え切れずたまらず泣いた。
嬉しくて鼻水垂らして泣きながら笑った。
両親の、孫・義理の娘・息子に対する深い愛情というものを改めて実感して、嗚咽までした。

親の笑顔は幼い子供にも伝染すると良く言うが、それは本当の事で、娘も更に笑った。
泣いていようが心の底からの笑顔は本当に子供にもうつる。
両親までもらい泣き笑いをして、昨日の夜は切ないながらにも、温かな夜を過ごせた。
改めて、深く頑張ろうと思えた。

俺は娘を、元気で明るく思いやりのある優しい女の子に育つように、全力を尽くします。


長文&乱文スマソ。

825 :おさかなくわえた名無しさん:03/12/05 22:17 ID:mRYKVkhx
父ちゃん・・・。

826 :おさかなくわえた名無しさん:03/12/05 22:19 ID:K9VAODom
しんで

827 :おさかなくわえた名無しさん:03/12/05 22:52 ID:oiFYzDXA
823>本当にイイ家族だね。
所で、再婚考えたりしてるの?

828 :おさかなくわえた名無しさん:03/12/05 23:19 ID:UdBkfayU
二度目の嫁に愛娘が虐待されないように見張ってください。
うち継母でさ。ものすご二重人格だった。
他人がいるときは菩薩、二人っきりのときは夜叉
一番父ちゃんがだまされてた。ていうか一番父ちゃんが変わってしまった!!
どんなに言っても誰も信じてくれないから小学校四年生で陰気な無口な女レッテル自分ではっつけるしかなかった。
整理になったときの継母の侮蔑の表情は忘れられない。
大学行かせて貰いたかったな。賢い妹に学費は使うことに決まってるって言われたよ。
二十歳で家でたけど誰も悲しがってくれなかった。

お母ちゃんが生きてたときは幸せだったな。

829 :おさかなくわえた名無しさん:03/12/05 23:33 ID:PnFKg43G
>>823あなたの嫁さんは本当に良い
だんなさんに巡り会えて幸せだったと思います

830 :823:03/12/06 00:31 ID:sUJYD1YC
>>827
ありがとう。俺には勿体ないくらいの家族だと思ってる。大事にします。
先の事を断言するのはガキっぽいかもしれないけど、娘の事しか考えられないし
再婚は全く考えてない。女性に目を向けるより、子供服を物色してた方が楽しいんですよ。
そんで嫁さんが、やっぱり俺にとっては最高の女だしね。馬鹿だから、いなくなって強く実感
してるよ。
ただ、母親がいない事で娘には引け目を感じさせるかもしれない。
それは一生かけて償うつもりです。

>>828
他人の俺達の事まで心配してくれてありがとう。
俺は若輩者で未熟だけど、一人の父親として泣けました。
その優しさは、きっと本当のお母さんから受け継いでいるんだろうね。理不尽な不遇を体験
しても、優しさを持っているあたなはいつか幸せな家族に巡り合えると思う。頑張って下さい。

>>829
ありがとう。救われた気分になる。てゆか、俺こそ勿体ないくらいの嫁さんで幸せでした。
今度は俺が忘れ形見の娘を幸せにします。

831 :おさかなくわえた名無しさん:03/12/06 06:33 ID:6eXVf+hN
>>830
> そんで嫁さんが、やっぱり俺にとっては最高の女だしね。
これ娘に言ってあげて。

> ただ、母親がいない事で娘には引け目を感じさせるかもしれない。
> それは一生かけて償うつもりです。

償う必要はなーい!
堂々と、娘を愛して育てる!一生懸命育てる!それだけでいいよ。
あのさ、片親で寂しい思いをさせるから可哀想だ、償わなければ、
みたいな思いで育てると、子供も片親な自分に引け目感じて育つよ。
「ああ、私は母親いなくて可哀想な子供なんだ」って思っちゃう。
だから償うとかそんな事考えないでいい。
まあ、女の子だと、初潮の頃は大変だと思うけど・・。
お父さんがんばれ。

私は母子家庭出身の814ですが、自分は父親居なくて
苦労したことも嫌な思いもしたことない、苦労したのは母親のみ、
と断言できるんだけど(だって離婚も増えて今どき片親珍しくないからねえ)
全く同じ境遇の幼なじみは、「お前は可哀想な子」って育てられちゃったんで
「片親はハンディキャップだ!不幸だ!」って言い切っちゃう子になっちゃった。
25過ぎて親元離れて独り立ちしても、まだコレ言ってるからね。

愛されて育つ子供はそれだけで十分幸せさ。
片親でも血が繋がってなくても、それはかわらんよ。

832 :827:03/12/06 11:22 ID:piHiLS82
よかった。その言葉が聞きたかった。

833 :おさかなくわえた名無しさん:03/12/07 01:56 ID:5WzCLB/r
>>823
奥さんのご冥福をお祈りします。
いい父親、いい祖父母に囲まれ、娘さんは幸せだよ。頑張れ。

834 :あいーん:03/12/07 19:10 ID:A+DNKqZ3
あいーん

835 :おさかなくわえた名無しさん:03/12/08 00:14 ID:2z8l8iVc
本当に何気ないことなんだけど。
某大型スーパーのおもちゃ売り場の近くでバイトをしていると、一日の間に
家族連れをたくさん見かけます。
今の時期はクリスマスシーズンということもあって、クリスマスプレゼントを
何にしようか迷っているお父さんや、ラジコンの実演に夢中になっている男の子など。
そしておもちゃを買ってもらって飛び跳ねて喜んでいる子ども達を見ていて、つい
自分が子どもの頃のクリスマスを思い出してしまいました。
私は小学校の3年生くらいまでサンタさんを信じていて…お母さんが「サンタさんに
聞こえるように欲しいプレゼントを空に向かって言ってごらん」なんて言ってたなぁ…
なんて。
何だか急に懐かしくなって、涙が出そうになりました。

836 :おさかなくわえた名無しさん:03/12/09 03:07 ID:kb0pI9lj
何気ない話ですが、ある日自分が仕事で東京に行かないといけない時があり
自分の親父がもう8年くらい東京に単身赴任していている(自分は実家に住む 実家は3年前に建てた新築一軒家)ので一泊泊めさせて
もらうことになった、それまで親父がどんな暮らしかはまったく知らず、
あまり関心はなかった。そして東京に着いて、初めて来たのでまったく右も左わからず
わざわざ途中の駅まで迎えに来てもらった、そして「ここだ」といって
親父のマンションに案内された。生活感がなく8年も住んでいたんかいと言いたくなるような4畳半くらいの部屋にテーブルとぽつんと
置いてあったギター、そしてきれい手馴れた感じ干されてあった洗たく物
を見て初めて泣きそうになった、そして会話もなく、すぐに布団についた
俺は毎日この部屋で一人で飯食ったり、寝たり、酒飲んでる親父を
想像して泣いてしまった。そんで真っ暗の中親父に「何で親父って仕事しているの?」「何で今まで続けてるの?」
って聞いたそしたら親父が「何でって それが正しいと思うからだよ 何馬鹿いってんだ」っていわれた。
そしてまた泣いた・・・







837 :おさかなくわえた名無しさん:03/12/10 21:43 ID:rfky7cig
中学生の頃、喘息を患っていた。
人生で最も多感で傲岸で無知だったあの頃、
「生まれてこなけりゃ良かった」とさえ思ってた。

元々無口な上、転勤、単身赴任続きの父とは会話がなかった。
幼い頃遊んでもらった記憶もあまり無く、愛されていないと思ってた。
発作の度に背中をさすってくれる母親に対して
「どうして健康に生んでくれなかった」と恨んだ事さえあった。

ある日どうしようもないほどの発作に襲われた。
「救急車呼ぶ?呼ぶ?」と半ばパニックの母の問いかけに
辛うじて首を縦に動かすことしかできないほどだった。

部屋が空いてないとのことでその日はICUに泊まる旨を母から聞いた。
ほどなくして父が駆けつけた。ひどく狼狽している様子が看て取れた。
「喘息たって死ぬような病気じゃないしオロオロすんなよ。
みっともねーな、馬鹿かこいつら?」って思ってた。

ごめんなさい。今ようやく気がつきました。
オレ、本当に死にかけてたんだな。
「部屋が空いてないからICU」なんておかしいよ、母さん。
毎日深夜帰宅だったのにあんな夕方にどうやって来たんだよ、父さん。

本当にごめんなさい。
ダメ息子だけど生んでくれて有難う。
ボーナス貰ったら何か美味しいものでも食べに行こう。

838 :おさかなくわえた名無しさん:03/12/10 22:43 ID:gHkHzTNn
気が付いて本当によかったね。
美味しいものたっぷりごちそうしてあげてください。

839 :おさかなくわえた名無しさん:03/12/11 10:22 ID:VmsP6e9S
厨房の頃の話。
母親が出かけるからって言うんで、ばあちゃんが私たち孫のごはんを作ってくれた。
ばあちゃんは料理が凄く下手で、とくにさんまの塩焼きが生こげで、
私たちはばあちゃんが背中を向けた隙に食べ物をぜんぶゴミ箱に捨てた。
ばあちゃん気づいてたと思う。皿に骨がないんだもん。
そしてばあちゃんが「農業倉庫に忘れ物をした」と自転車で出かけたので、私たちは文句いいながらお菓子を食べた。
大人がいないのをいいことにテレビ大音量でかけてさ。
 
だから気づかなかった。ばあちゃんが家の近くで車にはねられたことも、
パトカーがきた事も、救急車がきた事も。
いまでもさんまの塩焼き見ると、ばあちゃんのことを思い出す。
魚苦手だけど、さんまの塩焼きだけはきれいに食べるようになった。

840 :おさかなくわえた名無しさん:03/12/11 20:04 ID:d+3UUv+c
>>836
あ……なんか、なんか切ない……。

841 :おさかなくわえた名無しさん:03/12/12 19:12 ID:WQYkL27g

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842 :おさかなくわえた名無しさん:03/12/12 20:22 ID:4OWj6b4p
婆チャンドウナッタノ!?>839

843 :839:03/12/12 20:36 ID:QgKo5Gwd
ばあちゃんその事故で亡くなりました。
私たち孫にはお棺の中も見せてもらえませんでした゚.゚.(ノД`)゚.゚

844 :842:03/12/12 23:06 ID:4OWj6b4p
婆チャン!…テメー何ヤッテンダヨバカヤロ…
836>ナイタ

845 :おさかなくわえた名無しさん:03/12/13 10:30 ID:hj7Ku3by
836
親父かっこいい!

846 :おさかなくわえた名無しさん:03/12/13 13:25 ID:LK4vQjCj
受験生で将来が不安になり勉強が手につかなくなった時。
お父さんにめちゃくそ怒られた。外見のことばっかり気にして馬鹿じゃないかと
思いっきり罵倒された。
いつも怖い父で怒鳴られ慣れてたけど完璧弱ってた私は生きることが辛くなり
自殺未遂してしまった。

翌日病室で目覚めた私を見て父が「生きてて良かった・・・」と号泣し始めた。
18年間生きてて父の涙を見たのはそれが初めて。
お父さんごめんね、もう二度と変なこと考えたりしないよ。

847 :おさかなくわえた名無しさん:03/12/13 14:49 ID:L1F+/ycS
846
ゆっくり歩いたらいいよ!

848 :おさかなくわえた名無しさん:03/12/13 14:51 ID:R04B8Nto
>>846

(つд`)。・。・。。イ`

849 :おさかなくわえた名無しさん:03/12/14 01:07 ID:OHL6DLdK
ばあちゃんが亡くなってもう8年になる。
病院の嫌いだったばあちゃんが親父に無理やり病院に連れてかれたとき、
その体は取り返しのつかないガンに蝕まれていた。

うちは両親が共働きだったため、自分ら兄弟を育ててくれたのはばあちゃんだった。
非常に強烈な人で、兄弟喧嘩とか言うことを聞かなかったりとか
そんなことをすればデカイ包丁を出してきて怒られた。
私はずいぶん長いこといじめられっ子だったのだけど、
ばあちゃんは延々私をつつきまわすいじめっ子の姿を認めた瞬間
即包丁をぶん回し5軒先までそいつを追っかけまわした。
家のツバメの巣にいたずらする小学生も例外なく包丁つきで怒られていた。
キティガイではなく正気だった。今そんなことすりゃまずヤバいと思う。

そんなばあちゃんの言動がおかしくなり始めたのが入院の前年。
そして入院し、退院することなく、ばあちゃんはいなくなった。
葬式も初七日も済んだころ、昔ばあちゃんに包丁で追いかけ回された奴に、聞かれた。
「お前んち、葬式だったろ。誰? 死んだの」
「ばあちゃん」
「えっ・・・あのばあちゃん? 死んだのか? なんで」
「・・・ガン」
「そうか・・・」
いじめっ子も絶句していた。享年77歳、まだ、早かったろう。
その晩、葬式のとき以上に、泣けた。

ばあちゃんが包丁と一緒に振りかざした正義感は間違いなく兄弟全員に受け継がれてる。
さすがに包丁振り回しまではしないけどさ。
盆に供えた白玉餅が一個なくなってたのは、ばあちゃん、あなたが食べましたか。
毎年たくさん作ってるじゃないか。一個といわず全部持ってけよ。
そんで、先に逝ったじいちゃんと一緒に食べろや。仲良く。

850 :おさかなくわえた名無しさん:03/12/14 04:13 ID:RvPYN/wG
うちの父は子供のしつけとかに厳しくて、長女の私は
小さい頃から何かと父に怒られていて父が嫌いだった。
父が泣いているのも見たことがなかった。
二十歳を過ぎた時、家で10年近く飼っていた犬が死んだ時
父は涙を浮かべていた。
そして数年前新しい犬を飼った時すごく反対されて
「もう生き物は飼うなって言っただろう!」
父は本当は死んだ時悲しいからとは言わなかったがそう思っていて辛かったんだと思う。
だけど新しい犬を飼い始めてから急に「こいつ(犬)かわいい顔してるよ・・・」
と涙ながらに語った。
そしてこの前、食事前に急に私に
「冷蔵庫の引き出し見たか?牛タン入ってただろう?○○(私)に食わせてやろうと思って、好きだろう?」
涙が止まらなかった。
親不孝でごめんね、これからもっと親孝行するね。

851 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

852 :おさかなくわえた名無しさん:03/12/15 18:04 ID:KoyUtOsD
みんなええ話や・・・。
個人的にじーちゃん、ばーちゃんネタで特に泣けてしまうのは
俺がばーちゃんに育てられたせいなんだろうな・・・。
>839はマジ泣きしました。

長生きしてくれじーちゃん、ばーちゃん。
年末には帰ります。

853 :おさかなくわえた名無しさん:03/12/15 19:18 ID:5RfjAI8R
いつもはあまり私に懐かない猫。
触ろうとしても嫌がって机や椅子の下に潜り込む。
正直あんまり好かれちゃ居ないんだろうと思った。

そんな猫が私が泣いているときに「どうしたの?」みたいな顔で顔を覗き込んでくる。
私が背を向けると正面に回りこんで泣いている顔に顔を近づけてくる。
犬じゃないから舐めはしなかったけど。
興味津々だったのだろうか。わんわん泣いているその姿が。
でも猫の気遣いみたいでちょっと嬉しかった。

只一つ言うとしたならそのとき実は
「エースをねらえ!」の宗方コーチの死ぬシーンで号泣してたなんてニャゴには言えない。

854 :おさかなくわえた名無しさん:03/12/17 23:09 ID:gJw7xbve
俺は父方のばあちゃんの事を良く知らない。

初めてあった時から、ばあちゃんは盲目で耳も悪く
ほとんど話をしたことがないからだ。
葬式の時まで、それらの障害は「老い」からきたものだと
ずっと思ってた。

でも、葬式のときに故人の経歴を説明する場面ではじめて、
ばあちゃんが21歳のときに失明した事を知った。

ちなみにうちのおやじは幼少の頃に親戚の家にあずけられそこで成人まで
過ごしたという。
おやじはそれを「実家が貧乏だったから」と説明していたが、
実際のところは母親が面倒を見きれなかったから、といったところだろう。

他にも色々俺の知らないことがあるかもしれないが、
昭和初期の田舎(東北)という差別バリバリの土地で、
盲目で結婚し子供を産んだばあちゃん。
おそらく俺以上にそのばあちゃんとのふれあいを持てなかったであろう
うちのおやじ。

なんか感慨深いものがあるが、今の俺には想像を絶する苦労が2人には
あったのだろう....。

泣ける話じゃなくてスマソ。

855 :おさかなくわえた名無しさん:03/12/18 09:22 ID:BpXIZHGD
祖母の50回忌を父の兄弟夫妻、その子供も集まって行った。
祖母は父が小学生の頃に亡くなった人で、私はあまり写真すら見た事がなかった。
父の家は旅館を営んでいて、みんな教育などにお金はかけてもらえたけど
母の不在というのはかなり辛かったものだろうと思う。

法事の後、皆で飲み食いしながらわいわい賑やかだったけど、
出てくる思い出話というのは、祖母は病弱でほとんど寝たきりだったこと、
なのに兄弟が6人もいて、面倒が見れなくなって泣く泣く末っ子を養子に出したことや、
長男だった父は、小学校の昼休みに、幼い妹の面倒を見るために
かなり距離があるのにもかかわらず家まで走って帰り、また学校に戻ることを繰り返した事だった。

孫もいる父にしてみれば、幼い自分に兄弟の面倒を見させられ、
母とろくに触れ合う事もなかったことで、随分と納得できない思いを抱えていたらしい。
普通なら躾てもらえたことすらも、結婚当初はできていなくて
母の父に怒られたり、母が注意したりすることも多かったそうだ。

でも幼い子供を残して逝く祖母はどうだったんだろうか、と今では母である私には
祖母の辛い気持ちを考えると涙が浮ぶ。
父の複雑な気も分からないではないけど、私と母は、祖母がどれほど辛かったかと
時折話する。
私の子供も祖母に見せたかったとも思う。
父は今すっかり孫ばかのおじじになりましたが、毎日忙しく楽しく過ごしてます。

つまらん話でスマソ。

856 :名無し:03/12/20 13:47 ID:ZprVra5q
あれは、高1の冬の時だった。俺には二つ上の兄がいて、兄は受験勉強の真っ最中だった。頭が良く、責任感もあり、かなり硬派な性格だった。小さい頃から俺は、兄にベタついて兄がそれを突っぱねるような感じだった。
その頃の家族は、仲は悪くはないが自分の事で手一杯で、兄をサポートできる状況ではなかった。
兄に異変が出始めたのはセンター試験の一週間ぐらい前からだった。学校から帰宅したかと思うと、ドサッとベッドに倒れたり、夜中にうなされたりし始めた。しかし、その頃の俺は、ノー天気で兄のそのような状況を親に話していなかった。

そして、センター当日。
事件が起きた。

857 :続き:03/12/20 14:26 ID:ZprVra5q

兄が壊れた。
端的にいうとそうだった。
センターが終わった後、ホテルでクラスのみんなの前で突然泣いたらしい。さらに、親が迎えにいっても「帰りたくない。」と、言い親が本人の要望で教会に連れていったらしい。
俺は信じられなかった。そんなバカな。あの兄がそんなことになるわけないと思った。
数ヶ月後、病院に入院していた兄が家に戻ってきていた。その姿をみて俺は愕然とした。目は虚ろで、時々、訳のわからないことを言ったり、目の前で十字を切ったりする、変わり果てた姿の兄のような人がそこにいた。
俺はいつの間にか泣いていた。なぜだかわからない、気がついたら目から涙がでていた。


858 :続き2:03/12/20 14:43 ID:ZprVra5q

その日の夕食、すき焼きを食べる前に俺が「円陣をやろう。」と言い、目の前に手を出した。なぜやろうと言いだしたかは覚えていない。その後、父親、母親、兄、ばあちゃんもすき焼きを囲んで手を出して「オーッ!」と言った。久しぶりに家族が一致団結した瞬間だった。
その後、兄は長い通院生活を経て、今年無事に就職が決定した。


859 :おさかなくわえた名無しさん:03/12/20 19:47 ID:VvexOIVk
858>
精神的にまいっちゃう人って、基本的に弱い人とか「逃げ」に
入る人だけだと思ってた。(気を悪くしたらごめん)
でも、お兄さんはそれでも自分の中で戦ってたんだね。やっぱり強い人だったんだな。
もちろん家族のバックアップもあったんだろうけど。
なんかあたりまえのことなのに、あらためて考えさせられたよ。

860 :858:03/12/21 01:45 ID:cnxB16OU
>>859
確かに、精神的に参る人はそうだよね。ただ兄の場合は、責任感が強すぎて、大学受験は失敗は許されないと自分を追いつめながら勉強していたらしい。その無理と今まで発散せず溜めたストレスが原因だと思う。
兄を誇りに思うのは、負のエネルギーを他人に向けずに自分に向けたことと、自殺を踏みとどまったこと。
特に後者。兄は、当時死に場所を実際に探したことがあるらしいが、なんとか教会に行きギリギリのとこで踏みとどまったらしい。今は、キリスト教には全然興味がないらしいが。
今は、兄が生きているから反省ができる。ただ、もし兄が死んでしまったら、反省ではすまず、家族全員が生きている間、背中に重い十字架を背負うことになっていただろう…

兄、生きてくれてありがとう。

861 :おさかなくわえた名無しさん:03/12/21 01:54 ID:8IGr9R0t
>>859
>精神的にまいっちゃう人って、基本的に弱い人とか「逃げ」に
>入る人だけだと思ってた。(気を悪くしたらごめん)
認識不足。誰にだってあり得ることなんだよ。

862 :859:03/12/21 02:14 ID:cnxB16OU
>>862
今思い出したが、兄が聞いた話では近い将来、精神の病はカゼなみにポピュラーな病気になるそうな。理由には色々あると思うが、今の時代の「形」だけの家族が増え続けば確実にそういう社会になる…

863 :長いので1:03/12/21 13:40 ID:OBGrfVcs
私は母の連れ子なので、父とは血が繋がっていない。
なので、何かあって注意されるたびに
「ああ、本当の娘じゃないから、つまらない事で頭にくるんだな」と思い
母を取られた、という気持ちもあって、父とは距離を置いていた。

親子になって10年経ち、私も20歳を過ぎ
彼氏との間に、結婚という話が持ち上がってきたので
ある夜、彼と二人で両親に話しをする事になった。

彼が両親に向かって「結婚したいんです。幸せにします」と言うと
母は涙を浮かべながら、頭を下げ「よろしくね」と言ったけど
父は黙ったままうつむいて何も言ってくれない。
『やっぱり、義理の娘だから、何も言ってくれないのかな…』
ちょっとガッカリした気持ちでいると



864 :長いので2:03/12/21 13:40 ID:OBGrfVcs
座っていた椅子が倒れそうな勢いで、突然父が立ち上がり
「こいつはワガママやし気が強い!でも、本当はめっちゃ思いやりがある子や!
だから…表面だけ見ないで、内面も見つめてやって欲しい。
子供の頃から苦労ばっかりしてるから、これからは幸せにしてやってくれ。」
そう言って、頭を下げてくれた。目は真っ赤に潤んでいた。

それを見て、私も今までの事を思い出して泣いてしまった。
義理の娘だから…、義理の父親だから…と勝手に被害者ぶって
父に真正面からぶつからなかった自分が恥ずかしかった。

父はちゃんと私を理解してくれていた。
一生懸命、私の父親になろうと努力してくれていた。
その事に目をそむけて、ヒドイ事ばかり思っていた自分が恥ずかしくて情けなかった。

それから、私と父は本当の親子になれたと思う。
私に子供が出来た時も、「俺もじいちゃんやな」と喜んでくれたし
出不精だったクセに、子供に会う為に仕事の帰りに家に寄るぐらい
子供の事を心底可愛がってくれている。


865 :おさかなくわえた名無しさん:03/12/21 13:42 ID:RBJovfMQ
>>859
861に同意。真面目すぎる人とかがなりやすい。すぐ逃げる人は簡単に逃げ道を
探せるのでかえって追い込まれる事は少なかったりするんだが。

866 :おさかなくわえた名無しさん:03/12/21 14:11 ID:7WfkZHzI
アーイ、ダディッツ!\(゚∀゚)/


867 :R242091.ppp.dion.ne.jp:03/12/22 06:56 ID:ch/33lq9
age

868 :おさかなくわえた名無しさん:03/12/22 22:03 ID:LWylUBbk
良い話age

869 :名無し:03/12/23 00:24 ID:EELW3AVY
2年前の2月、母方の祖父が死んだ。お正月にお年玉貰いに行った数日後に倒れた。
末期の胃ガンだった。自分は部活をやっていたので、見舞いにはしばらくの間行けなくて、母や兄が行っていた。そして、ようやく暇ができたので見舞いに行った。
病室は面会謝絶のいかにも最期を迎えるような部屋だった。病室に入って祖父に顔を見せるとニコッと笑ってくれた。自分が来てくれたのがとてもうれしかったらしい。
それからしばらく、見舞いに行く日々が続いた。

870 :続き:03/12/23 00:44 ID:EELW3AVY
そして、2月下旬。
祖父の容態が急変した。慌てて、病室に駆けつけると祖父は看護婦さんに心臓マッサージを受けていた。
母に、「○○(自分の名前)!じいちゃんに若いパワーを分けてやれ!」と、言われたので祖父の手を握った。
暖かかった。祖父はまだ生きていた。それだけが確認できて良かった。
その後、自分は居たたまれずに廊下に出て、黙って満月を眺めていた。祖父の死は兄から聞いた。

今でも、祖父のあの笑顔を思い出すと目頭が熱くなる。あれからもう2年か…


871 :おさかなくわえた名無しさん:03/12/26 01:11 ID:U9XtWpzE
今年のクリスマス、母にクリスマスプレゼントを貰った。何年ぶりだろう。
プレゼントと言っても現金5千円だけど。
昼食を食べているといきなり渡してきたので驚いた。
『これで最後だね、プレゼントも』と母は哀しそうに言った。
私は東京都内に就職が決まって来年早々この家を出て行く。
使い古された母から渡された5千円札に涙が出て思わず席を外した。
生まれてから20年間いっぱい迷惑かけたね、ごめんね。そしてありがとう。

これに自分で少し足してちゃんとした財布を買います。
昨日の出来事でスマソ

872 :フロム携帯:03/12/26 21:22 ID:rYgIeCTL
20歳の3月、彼の就職が決まった。当時は恋にどっぷりつかってて、電車で1時間の距離ですら我慢できず私は家を出て彼の所へ行こうと決めた。一緒に暮らすのは二人の高校時代からの夢だった。私は彼の事しか考えてなかった。
両親はあっさりしたもんで反対はされなかった。お互いの両親にもいつか結婚するつもりだと話していたし、そんなもんかと思った。ただ、早く仕事決めてちゃんと生活しろよって言われただけだった。


873 :フロム携帯:03/12/26 21:32 ID:rYgIeCTL
彼の住むアパートに向かう日の夜、終電に乗る私を心配してくれて母が駅まで車で送ってくれた。いつもと変わらず笑顔で別れた。
ガラガラの電車の中で母にメールを送った。ありがとう、幸せに暮らすから心配しないで、と。メールに慣れてない母からのメールはたどたどしくて、
なにさ いつかは親元からすだっていくのは わかってたけど寂しいよ泣けてくるよ 悲しくないのになみだがあふれてくるよ ずっと会えないわけじゃないのに おかしいね職探しがんばれ
って書いてあった。あったかい電車の中で、涙がとまらなかった。


874 :おさかなくわえた名無しさん:04/01/01 00:45 ID:OlAXxlgv
あけましておめでとう。
保守さげ

875 :おさかなくわえた名無しさん:04/01/02 02:10 ID:EEZWYRBl
私は四人兄弟の一番上だ。
数年前の中三で受験を控えた大晦日、両親が離婚をするしないの大喧嘩をした。
元々喧嘩の多い夫婦ではあったけれど、ここまで酷い喧嘩は初めてだった。
母は車で出て行き、父は自室に篭もってしまった。
だけどすぐにいつも通りになるだろうと、軽く思って紅白を見て笑っていた私を、弟が殴った。
それでも、私は笑いながら「どうせすぐ仲直るに決まってるじゃない。」とあしらった。
その時、リビングに父が入ってきた。
「お父さんとお母さんな、もう駄目かもしれん。
 お父さんだけになっても、お前等は全員育てるからな。
 大学にもやってやるからな。
 だけどお母さんがいないことはお父さんの責任や。ごめんな、ごめんな。」
いつもでは考えられないようなか細い父の声。
私はやっと事態の深刻さに気付いた。
父が、強い力で私の肩をつかみ、「ごめんな、ごめんな。」と、ずっと呟いていた。
父は泣いていた。後にも先にも初めて見る父の涙。
弟にも妹にも何も言わないけれど、私にだけ父は泣いた。

ここまで書いておいてなんだが、両親は結局離婚しなかった。
途中母にも相談をされた。
でも後に、母が浮気していた事を知った。
きっと双方の事は私が一番知っているだろう。
確かにこれが私達兄弟にとって一番いい形だろうけれど、
父は私たちのために離婚しなかった事は嫌でも分かる。
あの時のことを考えると、申し訳なくて仕様がなくなって、私は泣いてしまう。

私は、父に恥じない生き方をしたいと思う。
まだ父の半分も、生きていないけれど。

新年早々、長文スマソ。

876 :おさかなくわえた名無しさん:04/01/03 00:23 ID:4Dl69Yus
明けましておめでとう。

>>875
これだけを読むと全面的に母親が悪いような。
現在、その母親とあなたたちはうまくいっているの?

877 :おさかなくわえた名無しさん:04/01/03 19:14 ID:bnOJTQoL
>>875
アンタももう分別のある大人だと思うからあえて言うけど、
煙草やるヤツと浮気するヤツは無限大に言い訳を考えるからな。

クズは早いトコ縁切った方が良いと思うけど。

878 :おさかなくわえた名無しさん:04/01/03 22:08 ID:NmdZSROJ
>>877
禿同

いずれにしても、白黒つけた方がいいよ。
今はそれで良いかもしれないが、
根本は何一つ解決になってない。

879 :おさかなくわえた名無しさん:04/01/04 03:26 ID:ktlrTPH1
>>858
お前、すげーかっこいい

880 :おさかなくわえた名無しさん:04/01/04 13:37 ID:9VE1ks9S
ここにいるおばあちゃんっ子の皆さんに読んでほしい本。
児童書なのですが、『ぼくとカジババのめだまやき戦争』。
大人になってから読んでみて感動しました。

http://product.esbooks.co.jp/product/keyword/keyword?accd=19716931

881 :おさかなくわえた名無しさん:04/01/08 21:58 ID:YtJ/D0wh
今日、じいちゃんとばあちゃんにお年玉を貰う
無職の俺にとってはありがたいことだ
じいちゃんは
「早く就職せえよ」と言いながら一万五千円
ばあちゃんは
「まあ、急がんでええから」と言いながら一万円くれた
でも、何故今日貰ったんだろう
いつもじいちゃんとばあちゃんの家にいるから元旦に貰えるはずなのに・・・
と考えてるところで目が覚めた

そうだった。じいちゃんもばあちゃんももう亡くなってたんだった
だからお年玉も貰えないんだ
貰うときにふと感じた違和感はこれだったんだ

でも、ありがとう
大事に使うよ

882 :おさかなくわえた名無しさん:04/01/09 11:13 ID:PGH4l2xC
保守

883 :おさかなくわえた名無しさん:04/01/09 15:11 ID:53WECZjV
10年ほど昔、中1か中2の頃
初潮を迎えてからエロエロだった私
とにかくもう押さえがきかなくて、でもどうすればいいかわからなかった当時
私は近所の公園や森を探索してえっちな本を集め、部屋に隠しては夜中にハァハァ見て楽しんでいた
(今、思い出すと完全に病気だった)
しだいにエスカレートして自販機でビデオまで買う始末。もうね、(ry
しかしある日、その大量のブツを母親に見つかってしまった
もう、その時を思い出すとあJDjgあふGaGKn
ショックであんまり覚えてないけど私はしらばっくれた
とにかく知らないで突き通そう考えた
当時良い子だった私はその意見がまかり通り、そのブツの矛先がなんと2つ上の兄に向けられてしまった
もう大パニックで泣くしかない私
しかし兄はそのブツを自分の物だと言い出したらしい
こんな物を持って、しかも妹の部屋に隠すだなんてとこっぴどく叱られる兄
パニックで泣くしかない私
結局全て兄の物という形で決着がついた(みたい)
絶対後で兄に何か言われると思ってしばらくは兄から逃げ回っていたけど、最後まで何も言ってこず
普段と変わらない態度で私に接してくれた
当時は兄を殺して私も死のうと考えていたけれども、今思い出すと兄の優しさに涙が出そうになる
二十歳ぐらいの時に兄にその事を正直に告げたが兄はもう忘れていた(多分嘘)
ホントに優しいお兄様でした

下話ですまん、でもホントに感動したんだよ〜

884 :おさかなくわえた名無しさん:04/01/09 16:59 ID:rSXTWPz3
>>881
ええ話だ・・・。じいちゃん、ばああちゃんにいわれたとおり
ゆっくり頑張れYO!

885 :おさかなくわえた名無しさん:04/01/09 17:00 ID:rSXTWPz3
いけね・・・sageっと

886 :_:04/01/09 17:52 ID:92cQ0HBk
>>883
ごめん

>当時は兄を殺して私も死のうと考えていたけれども

のところでなぜか吹き出しちゃった。
優しいお兄さんですね

887 :おさかなくわえた名無しさん:04/01/10 05:43 ID:IQ8q/IES
>883
で、そのあとのエロエロな自分はどうなったのですか?


888 :おさかなくわえた名無しさん:04/01/10 19:06 ID:QusqaN5i
>>883
漢だ・・・・・お兄様・・・・・・。
素敵・・・・・・(泣)

889 :おさかなくわえた名無しさん:04/01/14 02:04 ID:MP20RHbc
年末に実家へ帰った。
実家に居るじいちゃんは痴呆なので、
もう多分私が誰なんだか分からないだろうなーと思いながらも、
顔を合わせた時に
「おじいちゃん、○○だや、帰って来たどー。分かるか?」って声掛けてみた。
「おう、分かる分かる」って答えが返って来たけど、まあ分かってないだろうなと思った。

それから年末年始を実家で過ごして、帰る時に
「おじいちゃん、あたし今から東京さ帰るからなぁ、春にまた来るからな」
と話しかけると、
「頑張って行って来いなぁ」と答えが返ってきた。涙ぐんでた。
普段は会話も滅多に噛み合わないのに。
自分は余り可愛がられてた記憶もないし、完璧に忘れられてると思ってた。
何だか嬉しいより先に切なくなったよ。

890 :おさかなくわえた名無しさん:04/01/15 20:53 ID:4RMEZfFB
うーん、今あった事なんだけどね。
今週の火曜日、親父がレントゲンとって何か変な影が映ってたんだって。
それで本人医者だから「俺胃癌かもしれない。」と思ったそう。
うちのおかんもそう思ったらしく離れて暮らす私に心配かけたくなくて黙ってたんだって。
毎日実家に電話してるんだけどそんな変わった様子がなくて自分は全然知らなかったけど
実家の方では皆が心配して酷く暗い雰囲気だったって。
「俺、もう酒飲まない。」
何より好きな酒を飲まないことにしたらしくポツリとそんな事を言ったらしい。
うちの親父は人間に弱いところ言えなかったらしくてうちの猫とっ捕まえてなんか弱気を吐いていたらしい。

でだ。
今日の昼に胃カメラやったんだけど潰瘍も何もなくて結局間違いだったらしい。
昼過ぎに実家に電話をかけてきて「間違いだったみたいだ。心配かけたな。」といってきた。
よかったな親父。まだまだ長生きしてくれよ。
いい親父とは言いがたいが貴方がいないと人生はちょこっとつまらなくなりそうだから。

更にオチ。
で、今日親父が何をしてるというと。
早速夕方からタクシーで夜の街に飲みに出かけたらしい。
てめぇこないだの断酒宣言は何だったんだよ!!!!!

891 :おさかなくわえた名無しさん:04/01/16 05:52 ID:OZi0toA4
>>890
うちの親父も胃ガンでザックリ切り取った直後は
「いや、もう、一生禁酒する」とか気弱になってたよ。
しかしそれから2年過ぎた今現在じゃ
「胃のサイズも元通りだ、腹が減る分は飲みに行くぞ!」とオレを誘う。
そんなもんさ(w

892 :おさかなくわえた名無しさん:04/01/16 06:52 ID:tNx1VYTO
>>890
猫たんに弱音吐いているお父様萌え♪

893 :おさかなくわえた名無しさん:04/01/16 22:48 ID:HOY9jr8a
ホローリでも何でもないが、会社の海外研修に行くことになった親父。
しかも55になって初の海外。不安でしょうがなかったようだ。

出発前の夜は枕元にパスポート、そして母の手を握りながら寝たんだと。

引退した今は夫婦そろって海外旅行三昧だ。

894 :別に鉄ヲタじゃないけど:04/01/16 22:55 ID:DIaacK7u
お父さんかわいいw

895 :おさかなくわえた名無しさん:04/01/16 22:56 ID:DIaacK7u
ああ、さっきのが残ったままだ… =■●_

896 :おさかなくわえた名無しさん:04/01/18 12:40 ID:F6PK/aPv
hosyu

897 :おさかなくわえた名無しさん:04/01/19 03:26 ID:hqC1Fc4/
この前父が「お前チキン好きだろ?」と言って私が大好きな有名店のチキンの照り焼きを買ってきた。
夕食の時出されて、私が食べていると母が「どう?有名店のだからおいしいでしょ〜?」と聞いたので
子供みたいに「うん!すごくおいしい〜♪」と言うと父と母は顔見合わせて2人で嬉しそうにニッコリ。
この両親の子供に生まれてきて本当によかったと思った。

898 :おさかなくわえた名無しさん:04/01/19 04:28 ID:RYxY5nXF
897を見て思い出した。
この間バイトから帰った夜11時杉、当然家族は夕食を終え居間にいたのは母だけだった。
飯をレンジで温め、家族が近所のトンカツ屋で買ってきたであろう総菜を食って自分はなにげなく
「これ牡蠣フライばっかだな」と言ったら
「お父さんはあんたはこれが好きだろうって言って買ってきたのよ」と母。

その日の飯はちょっとばかししょっぱかったゼィ(ノД`)

899 :おさかなくわえた名無しさん:04/01/19 06:27 ID:ee9ei9w2
いいないいな。
二人とも。>897、898
こういうレス読むと、世界は美しいって思うよ。

900 :おさかなくわえた名無しさん:04/01/19 07:06 ID:rnRlm8mW
愛こそが最高のスパイスということですか

901 :おさかなくわえた名無しさん:04/01/19 17:44 ID:QK4Y3n4q
どんなに美味なものでも、そこに愛がないものはホローリとしにくいものだからな。

902 :おさかなくわえた名無しさん:04/01/20 02:09 ID:DxRW3v/R
ワタシが子供を産んだ時
子供を抱っこした母が、目を潤ませて

「あ〜・・・、本当に今まで生きてて良かった。ありがとう」

と言ってくれた。
些細な出来事だけど、未だに思い出しては泣ける。

903 :おさかなくわえた名無しさん:04/01/20 07:57 ID:pLh7LLbY
3年前、俺の叔父さんの話。
叔父さんは以前から癌を患っていて、もうそのときには末期の状態で入院していた。
俺は親父と海外留学に旅立つ前日にお見舞いを兼ねて叔父さんに挨拶に行った。
正直、これが最後になるかもなと思ってた。
でも本人には癌である事、余命が少ない事は知らせてなかったので
ホントに挨拶に来た程度の軽い感じを装ってた。

伯父さんはすごく喜んでくれ、
しきりに「頑張れよ!!」といってくれてた。
でも体は痩せ細り、震える手でお茶を飲む姿を目の当たりにすると
叔父さんこそ頑張ってくれよと思ってた。
しばらく話をして、
「じゃ、帰るから・・」と言って席を立つと
「送って行くよ」と。
親父が「無理するな。休んでろ。」と言うと、
今まではか細い声で話していたのに
突然大きな声で、「兄貴は黙ってろ!!」
そしてゆっくりと元の声で「大丈夫。」と言った。
一歩一歩が物凄くゆっくりで、見てられないくらいに不安定だった。
でも、とうとう病院の玄関まで送ってくれた。
そして、もう一度「頑張れよ」と言った。
俺が玄関を出て、見えなくなるまでずーっとそこに立って見送ってくれてた。

叔父さんが亡くなったのは、俺が旅立ってから一週間後だった。
あの時の叔父さんの立っている姿が忘れられない。


904 :おさかなくわえた名無しさん:04/01/20 11:57 ID:YvIXIB9P
>903
なんつーか…キタ。

905 :_:04/01/20 16:56 ID:bsnVqi5n
>>903
自分の息子のように思っててくれたんですねぇ
私も伯母にまつわる話を思い出しました・・家族ってわけじゃないけど

24歳の時母親を亡くし、父とは随分昔に離婚していたため色々
後片付けのために故郷に一週間ほど滞在した時の話。
子供の頃以来会っていなかった父の兄の奥さん(私の伯母さん)と
外で待ち合わせしてお茶した。久しぶりに会ったけどそんなに
老けた感じでもなかった。少し話してから伯母さんが封筒を出した。
「高校生の間の三年間くらいはお年玉あげたかったから」って三万円入ってた。
当然伯母さんも知ってるだろうけど、16歳で高校中退して家を出されて以来
働いて一人で暮らしてたから、人からお年玉なんか貰うの中学生以来だった。
すごくびっくりしたし、なんか恥ずかしかったけど、あえてその時になって
わざわざぽち袋に入れて用意してきてくれた気持ちを思うと
涙をこらえて有難うって言うのが精一杯でした。


906 :おさかなくわえた名無しさん:04/01/20 22:01 ID:5C3nvrtu
>>903
俺も叔父や叔母には随分可愛がられてきたから、あなたの書き込みには
ぐっと来るものが・・・


907 :おさかなくわえた名無しさん:04/01/21 10:13 ID:Ju3u9OWB
私が幼稚園〜小学校時代、普通の親だったら「みんなが持ってるからってダメ!」
と言って買ってもらえなさそうな流行のおもちゃとかを何でも買ってくれたうちの親(特に母)
小学生の時は私の趣味に合わない洋服を勝手にたくさん買ってきて
「なんでこういうの買ってくるのよ!こんなダサイ服着てる子いないよ!」
「いいじゃないのこれでも、買ってあげたいのよ」
「もう勝手に買って来ないで!」
こんなケンカばかりしていた。
あとでおばあちゃん(母の母)に聞いた話、昔母が小さかった頃、
おじいちゃんもおばあちゃんも共働きで母は家に帰るといつも1人だった。
みんなが持ってる流行の物(母はブリキの金魚の如雨露が欲しかったらしい)も買ってもらえなかった。
年の離れたお兄さんがいるため、洋服はみんな男物のお下がりで我慢して、
女の子っぽいスカートなんかはかせてもらえなかった。
だから母はよく私に「あんたたちには何不自由なく買ってあげたいの」と
言っていた意味がやっとわかって泣いた。
それまで友達みんなは持っているのに自分だけ持ってなくて悔しい思いをしたこととかほとんどなかった。
友達に「うちの親○○欲しいから買って〜って頼むと買ってくれるんだ〜」
と自慢していたことを思い出して自分がなんてことしてたんだと恥ずかしくなった。
これからは親が不自由しないように精いっぱい恩返しの親孝行していこうと思いました。

908 :おさかなくわえた名無しさん:04/01/21 10:28 ID:x8fXqPYX
>>903
な、涙が・・・・

>>907
そう思える、あなたは偉い!お母さんを大事にね。

909 :おさかなくわえた名無しさん:04/01/21 21:50 ID:7Gv87PpH
みんなの話に泣いたよ.・.(ノД`).・.ウエーン!

910 :おさかなくわえた名無しさん:04/01/21 22:18 ID:eHCs0p/j
肺の病気で入院してた父親を見舞いに行ったとき、
「オレ、今度結婚することにした」って報告したら、
「そうか、おまえの選んだ人なら間違いないな」と喜んでくれた。
その後父親は元気になり、オレは結婚した。
でも、結婚したら性格の違いが表面化して喧嘩ばかり。
両親にもたまに愚痴をこぼしたりしちゃうんだけど、
オレが結婚して10年間、両親はただの一度もオレの嫁さんの悪口を言わない。
「おまえが選んだ人だから間違いない」ってずっと信頼してくれてるんだと思うから、
何とかオレも頑張ってます。

911 :おさかなくわえた名無しさん:04/01/21 22:44 ID:h1vQ2R0B
>>910
ガンガレ!両親の期待を裏切ったらアカン!
お前の選んだ嫁さんなんだろう?大丈夫さ!両親を、嫁さんを悲しませるなよ!

912 :sage:04/01/25 01:14 ID:WmYozIMC
俺が小学校4年の頃の話です。
運動会の練習で放課後も学校に残っていた。
そしたら、前も見えないほどの夕立。
母は心配して、車で学校に迎えに来てくれた。
そのとき、俺はなんだか恥ずかしくて「何で迎えにきたん!」と母に怒った。
今思い出すと胸が苦しいです。
本当は嬉しかったくせに、素直にありがとうと言えなかった。
ごめんな、お母さん。

913 :おさかなくわえた名無しさん:04/01/25 01:37 ID:qsgKawBZ
912さんの話しを読んで思い出した。

小学校2〜3年の頃かなぁ。
その頃から母親は仕事でいつも遅く、毎日家にいなかった。
授業参観のときもみんなが母親と一緒に帰るのを羨ましく
思ってた。

ある日授業が終わって帰ろうとすると雨が降って来た。
傘を持ってなかった私はまぁいいやと思って
1人てくてくと帰ろうと校庭を突っ切って校門に向かうと、
黄色の傘を持った母親が前から歩いて来た!
私は嬉しくて嬉しくて走り出して母親の元へ・・・。
「お母さんが迎えに来てくれた!」ってすごい嬉しかった。

914 :おさかなくわえた名無しさん:04/01/25 05:21 ID:l65xaynf
パーマン再放送みるとほろりとするな。
リアルでみていた頃は、むにゅむにゅポン!すると開くセットが
ほしかったり、あのトランシーバーバッジがほしいと思ったものだ。

しかしパーマンのママは優しいなぁ。惚れる。

915 :おさかなくわえた名無しさん:04/01/26 00:06 ID:hzyihHLF
914>>

みつおさん!!

916 :おさかなくわえた名無しさん:04/01/26 00:48 ID:uEN5g9ET
もう10年も前。普段私がピアノを弾いていても無関心な父が初めて「上手くなったな」と誉めてくれた。だけど父は次の日、急に亡くなってしまった。悲しかった。

917 :おさかなくわえた名無しさん:04/01/26 00:51 ID:n1BIv3E9
突然に停電が起きた時、一家総出で同じ部屋で団らんした。


918 :おさかなくわえた名無しさん:04/01/26 23:18 ID:kbT5qS9f
>>917
ソレだ!
ロクにメシの用意もできないぐらい真っ暗になったりしてさ。
なんか、そんな時に食べたお好み焼きだったりがメチャ記憶に残るんだよな!

919 :おさかなくわえた名無しさん:04/01/30 19:48 ID:drEzRorn
大学合格して、上京することが決まった後、しばらく基本的な料理の
方法を教わった。
母親から手作りの料理ノートをもらったときにはさすがに泣きそうになったよ。


920 :おさかなくわえた名無しさん:04/02/01 02:05 ID:jq5JmBC9
2 :名無しさん@明日があるさ :03/12/14 17:19
オレの思い出、語ってもいいかな

オレは小さい頃、家の事情でばあちゃんに預けられていた。
当初、見知らぬ土地に来て間もなく当然友達もいない。
いつしかオレはノートに、自分が考えたすごろくを書くのに夢中になっていた。
それをばあちゃんに見せては
「ここでモンスターが出るんだよ」
「ここに止まったら三回休み〜」
ばあちゃんはニコニコしながら、「ほうそうかい、そいつはすごいねぇ」と相づちを打ってくれる。
それが何故かすごく嬉しくて、何冊も何冊も書いていた。
やがてオレにも友達が出き、そんなこともせず友達と遊びまくってたころ
家の事情も解消され、自分の家に戻った。ばあちゃんは別れる時もニコニコしていて、
「おとうさん、おかあさんと一緒に暮らせるようになってよかったねぇ」と喜んでくれた。

先日、そのばあちゃんが死んだ。89歳の大往生だった。
遺品を整理していた母から、「あんたに」と一冊のノートをもらった。
開いてみると、そこにはばあちゃんが作ったすごろくが書かれてあった。
モンスターの絵らしき物が書かれていたり、何故かぬらりひょんとか
妖怪も混じっていたり。「ばあちゃん、よく作ったな」とちょっと苦笑していた。
最後のあがりのページを見た。「あがり」と達筆な字で書かれていた、その下に

「義弘(オレ)くんに友達がいっぱいできますように」

人前で、親の前で号泣したのはあれが初めてでした。
ばあちゃん、死に目に会えなくてごめんよ。そしてありがとう。


921 :おさかなくわえた名無しさん:04/02/01 14:57 ID:GelCbXnh
なんのスレだったか忘れたけど、
「バイトで一生懸命に貯めた金で、当初自分が欲しかった物を買わず、
 母ちゃんにハンドクリームを買ってやった云々」
の話って、どのスレか知ってる人いますか?
あれ、マジ泣きしたなぁ・・・。

922 :おさかなくわえた名無しさん:04/02/02 04:39 ID:0qzrutTz
>>921
↓これ?元スレがどこかはわかんない。

俺んち母子家庭で貧乏だったから、ファミコン買えなかったよ。。。
すっげーうらやましかったな、持ってる奴が。
俺が小6のときにクラスの給食費が無くなった時なんて、
「ファミコン持ってない奴が怪しい」なんて、真っ先に疑われたっけ。
貧乏の家になんか生まれてこなきゃよかった!って悪態ついたときの
母の悲しそうな目、今でも忘れないなぁ、、。
どーしても欲しくって、中学の時に新聞配達して金貯めた。
これでようやく遊べると思ったんだけど、ニチイのゲーム売り場の
前まで来て買うのやめた。そのかわりに小3の妹にアシックスの
ジャージを買ってやった。いままで俺のお下がりを折って着ていたから。
母にはハンドクリーム買ってやった。いっつも手が荒れてたから。
去年俺は結婚したんだけど、結婚式前日に母に大事そうに錆びた
ハンドクリームの缶を見せられた。
泣いたね、、。初めて言ったよ「生んでくれてありがとう」って。


923 :おさかなくわえた名無しさん:04/02/02 13:57 ID:W6aOvnhC
ちきしょー、泣いた・゚・(ノД`)・゚・

924 :おさかなくわえた名無しさん:04/02/02 15:20 ID:2EubHqle
亡くなったバーさん、ウチのムスメが小さい頃、ムスメの誕生日っていうと
張り切ってトコトコ歩いてプレゼント届に来てくれるのよ。
それがいっつもロースハム丸々一本とかなわけ。
幼かったムスメはハムなんかより可愛いシールとかノートのほうがいいんだけど
もう必ずロースハムとか蟹の缶詰なの。
それもいつものスーパーじゃなくて三越とかで買ってくる。
ムスメはいつも「えーっ・・・」(´・ω・‘)ショボーン だったけど

バーさんは幼い頃親に捨てられて、それはそれは苦労して育った人。
結婚してからもジーさんが何度も店をつぶしたりして苦労のしどおしで
だからこそ、ひ孫に美味しいもの=高級なものを食べさせたかったんだろう。
歩けばかなりの距離だったのに、ロースハム丸々一本を抱えて
ヨタヨタ歩いて来てくれたんだよ。

覚えてるかな…ムスメ。

925 :921:04/02/02 21:28 ID:dCnlsv/v
>922
そう、それ!ありがd
ニュー速の「ファミコン製造(発売?)停止」スレかな、確か。

926 :おさかなくわえた名無しさん:04/02/02 22:33 ID:iddtvCVO
俺は父に嫌われていると感じるようになって、小学校高学年ぐらいから
あまり口を利かなくなった。
でも父は俺を嫌っているわけではないことが最近分かってきた。

お父さん、寂しい思いをさせてごめん。
俺もお父さんを嫌ってるわけじゃないんだよ。
俺がお父さんと同じような仕事をしてるのは、お父さんの働く姿に憧れたから。
今の俺があるのは、あんたのお陰だとおもってる。
今度帰ったら、久しぶりに話をしよう。なんか照れくさいけど・・・。

927 :おさかなくわえた名無しさん:04/02/03 01:22 ID:X1KyOtZW
叔母よ。
去年の暑い夏の日、セミの声と一緒にあなたは逝ってしまいましたね。
あなたが若くして癌に侵されていると知った時、
私の母はただただ青い顔をして、病院の窓から見える美しい春の空を眺めていました。
叔母よ。
母はあなたが逝ってから少し心がおかしいのです。
祖母も祖父も、そして叔母までもが若くして癌で逝ってしまった今、
母は体の少しの異変で癌ではないかと気が狂うほど心配し、病院に通う日々を続けています。
叔母よ。
あなたが残していった高校生の息子は、この春高校を卒業します。
彼の卒業式には叔父と、私の母が出席する予定です。
卒業式には、あの時病室で眺めたのと同じ、美しい春の空が広がっているに違いありません。
叔母よ。
あなたが昔私の進学祝いにくれた時計、そのつもりはなかったのに、あなたの形見になってしまいました。
あの時計はあなたが逝ってもなお、時を刻み続けています。
叔母よ。
あなたの時間は止まってしまったが、あなたが残した者の時間は止まっていません。
私の時計は永遠に動き続けるでしょう。
毎日私の左腕から見守ってくれてありがとう。あなたの妹も、姪も、息子も元気です。

928 :おさかなくわえた名無しさん:04/02/03 01:46 ID:ps9mqi1/
小学生の頃、家に帰ると慌てて母が玄関に出てきて「しーっ!・・・お父さん夜勤明けで寝てるから、
外で遊んでなさい」そう言われて、その場でランドセルを預けて遊びに出ることがよくあった。

その後父もすこし歳を取って、夜勤をすることはなくなったが、私が寝ている間に家を出て、私が寝て
いる間に帰ってくる毎日だった。たまに真夜中トイレに目を覚ますと、父が居間で夕飯を食べていることが
あった。耳鳴りと、新聞をガサガサとめくる音しか聞こえない静かな居間で。父はよく働いていたと思う。

それからずいぶん経って俺も働くようになったわけだが、ある時期、毎晩日付が変わるまで残業、休日も
出勤でフラフラになっていたことがあった。そんな中、すこし休みが取れたので、フラリと実家へ寄った
ことがあった。そこで、普段それほど話をしない父から言われたこと、、、

「もし辛かったら会社を辞めてもいいんだ。体を壊してしまっては元も子もない。帰ってこい・・・」

あんなに働いていた父の口から出た言葉だけに、すこしこみ上げてくるものがあった。そして、どちらかと
いえば父は厳しいほうだったので、まったく予想外の、意外な言葉でもあった。そして父は、俺のサービス
残業についてこうも言った

「お前の仕事は、タダで買い叩かれるほど安いものではないはずだ。俺には判る。けしからん会社だ」

勝手に断定して怒り始めるあたり、やはり親というのは自分の子供に甘いものなんだなと思ったけれど、
正直、この言葉に関しては多少後ろめたい気持ちがあった。

その日は曖昧な返事をして受け流したけれど、帰ってから、父の過去の働きぶりと、実家での甘っちょろい
言葉とを考えているうちに、なんだか涙が出てきた。

929 :おさかなくわえた名無しさん:04/02/03 04:46 ID:5mkizm4x
小さな話ですが。

小さい頃、遠足や修学旅行に行って両親にお土産を買って帰っても、
ちっとも使ってくれなかった。
私は「嬉しくないんだ…」と思って悲しかった。
高校の修学旅行のお土産もやっぱり使ってもらえなくて、
「どうして使ってくれないのよ! 」と言ったら
「だって勿体無くて…」だって。
修学旅行のお土産代なんて、あんた達が出してるんじゃん…。

私が1人暮しをするのに家を出る時、母が私に数十万と手渡した。
私が「なんで!? いらないよ!」と言うと、
「お前が働いて稼いだ金だから遠慮するな」という。
母は、私が給料から生活費にと家に毎月入れていたお金に
一切手を付けずに貯金していたのだ。

そろそろ娘に甘えて欲しいと思う今日この頃。


930 :おさかなくわえた名無しさん:04/02/03 10:54 ID:Ak78s2R0
甘えてないわけじゃないのです。もったいなさすぎるだけなんです。
嬉しくて勿体無くて大事すぎて、使うに値する機会がないのです。
娘が立派になって稼いでくれた大事なお金なんて、
もったいなくて娘の大事な時くらいしか使えないのです。
自分の大切な娘から貰ったお金が、ふさわしい役立ち方(=娘の為)に使えて嬉しいのです。

931 :おさかなくわえた名無しさん:04/02/03 22:43 ID:V3p/+LVW
それは分かる。
でもこっちとしては、甘えて欲しいんだよ。

932 :おさかなくわえた名無しさん:04/02/04 04:43 ID:ICaL2Dr5
自分の子供に、同じようにしてあげるのが良い循環。
親の愛に対して、素直になりたまい。

933 :おさかなくわえた名無しさん:04/02/04 20:30 ID:SYSxp5v6
>>932
確かに仰るとおりなんですが、それでも親に何かしてあげたいと思うのも
子の気持ち。
特に俺はまだ独身な訳で・・・・

934 :おさかなくわえた名無しさん:04/02/05 17:48 ID:S2QPn/8I
独り身なら、なおさら親は「まだまだ面倒見てやらにゃ」と思ってるかと。
親孝行は、金品だけじゃないぞ〜。

935 :おさかなくわえた名無しさん:04/02/06 20:38 ID:B+xxM1iz
わかっちゃいるけど、これがなかなか(´-`).。oO(・・・・・・・・・)

936 :おさかなくわえた名無しさん:04/02/07 02:15 ID:zjc8HLzY
私は小学生のとき塾に通っていました。
塾の最中、雨が降ったらおばあちゃんが傘を持って歩いて迎えにきてくれたりしました。
何が原因かは忘れてしまいましたが、私は足を怪我をしてた時期があったんです。
そんなときにまで、おばあちゃんは歩いて私を迎えにきてくれました。
幼い私が「うち足けがしとるんに、ばーちゃん歩いて迎えにきても意味ないやろ」
と言うとおばあちゃんは「そうやったねぇ。おばーちゃんうっかりしとった」と言って笑うのでした。

時を経て、私は上京し、親元を離れて暮らすようになりました。
おばあちゃんは軽い痴呆にかかり、病院に入院しました。
私の母が「もうすぐ成人式やから、着物選んできたんや」とおばあちゃんに言うと、
しわしわの顔で「そうかぁ。楽しみやなぁ。成人式までばあちゃん生きれるといいなぁ」と言うんです。
私は堪えきれず、お手洗いに行くと言って、廊下で号泣しました。

おばあちゃんは昨年無事退院し、私の振袖姿をうれしそうに眺めていました。


おばあちゃん大好きだよ。反抗期にはいろいろ迷惑かけてごめんね。
春にはおばあちゃんがおいしいっていってくれたバームクーヘン買って帰るからね。
でも曾孫はもうちょっと待ってね。


長文、乱文失礼しました。


937 :おさかなくわえた名無しさん:04/02/08 21:06 ID:NWPKrQ4S
今30代なんだけど、この年末年始、久々に帰省して始めて気が付いた。
俺が小学生の頃、修学旅行で買ってきたお土産(湯飲み茶碗)を未だに
取って置いてくれてた。ちょっと泣けたよ。

938 :おさかなくわえた名無しさん:04/02/09 01:14 ID:qf8naNFm
小5の頃、俺の事を可愛がってくれていたおじいちゃんが家に遊びに来た時、
新品のちょっと高めの鉄製(だと思う)のシャーペンを俺にくれた。
その時の俺はたいしてシャーペンに興味を示さず、
そのままテーブルの上にシャーペンを置き去りにして
ゲームをやりに隣の部屋に行ってしまった。
一ヵ月後、おじいちゃんは突然死んでしまった。
あまりに突然だったのと当時まだガキだったせいもあってか
実感も沸かず悲しい気持ちにもならなかった。
その後シャーペンの事はすっかり忘れていたが、
中一になった頃何気にテーブルに置いてある小物入れをあさってたら
あの日貰ったシャーペンを見つけた。
シャーペンを見た瞬間おじいちゃんにシャーペンを貰ったあの日の事が鮮明に
頭に浮かんだ。俺がたいしてシャーペンに興味を示さなかったのを見て
どこか寂しそうな顔をしてたおじいちゃんの顔が浮かんだ。かなり後悔した。
次の日から俺はそのシャーペンを使い始めた。そのシャーペンだけを使い続けた。
中学を卒業する頃には、銀色に光ってたシャーペンも錆びてかなり茶色くなってた。

今ではそのシャーペンは使わずにずっと保管してあってすっかり忘れてたんだけど
このスレ見てたらふと思い出した。

939 :おさかなくわえた名無しさん:04/02/09 02:36 ID:QiGSwdn1
歳が二つしか離れてない弟。

小さい頃は、近所に同い年の子がいなかったからずっと一緒に遊んでた。
お姉ちゃん、弟って意識がなかったから(今もないけど)
「●●〜!!散歩行こう!」ってお互い呼び捨てで。

でも、弟が中学に入る頃になると反抗期がすごくなって、
それ以来弟は家族と全くしゃべらなくなった。
向こうも家族を嫌ってるようだし、
家族もDQN気味な弟を相手にしてない感じで。 
小さい頃はあんなに遊んだ私も、
弟とものすごい喧嘩して以来、ほんとにしゃべってない。

どうしようもないDQNで、高校も遅刻ばっかりで、免許取りたての癖にベンツに傷つけたり、彼女をコロコロ変えたり、
本気でDQN嫌いな私にとって、弟は私が嫌うべき人間の集大成な気がして、口も利きたくないのが本音。



でもね、やっぱりみんな心配なんだよ。
春から大学行って東京で一人暮らしなんでしょ。
お前が一人暮らしなんてできんのかよ。
周りの友達全員が高校辞めちゃってフラフラ遊んでる中、
意思の弱いお前がよく高校三年間通えたね。それだけは偉いと思う。
つらいこともあるかもしんないけど、頑張れ。
お姉ちゃん、応援してるからね。


…口には絶対出さないけど。

940 :おさかなくわえた名無しさん:04/02/09 06:01 ID:cRGnBRfA
>>937
短くてもいいから、手紙渡してあげて。

941 :おさかなくわえた名無しさん:04/02/09 17:34 ID:F3/40p5W
>>939

うちのことかと思ったよ。うちの弟もまさにそんな感じ。
ただうちの弟は高校も中退しちゃったけど。。。

警察沙汰になったりいろんな問題起こしたりして、まじでふざけんな!
って思って殺したくなったりした。親のないてる姿散々見たから。

でもなんだかんだ心配。小さいころほんとにかわいかったな〜
女の子みたいな顔してたからよくあたしの服着せたりしたっけ。

942 :おさかなくわえた名無しさん:04/02/09 21:57 ID:SjIT5CjJ
>>935
親孝行
http://life3.2ch.net/test/read.cgi/kankon/1073916880/l50

943 :おさかなくわえた名無しさん:04/02/12 18:11 ID:fxnVSRnK
目が潤む…あげ

944 :おさかなくわえた名無しさん:04/02/15 00:46 ID:LFV5VUGd
去年の夏、甥が実家の納戸から古い木琴を探し出してきた。
私達兄弟が使っていたものだ。
それを父が直して甥が叩いて遊んでいた。
それにあわせ私の娘が、タンバリンを叩きながら躍る、
更に父が合わせハーモニカを吹く。
いつの間にか「おててつないで」の合奏。

冬には母が娘に「あやとり」を教えていた。
私はマフラーを編んでたのに、思いつきもしなかった。
4歳の子供に何度も何度もやり方を教えていた。
姉や妹の借金の肩代わりをして、孫におもちゃを買ってやることもできない
せめてできることはしようと思ってか、自分のできる精一杯の遊びを教えたのだろう。

ちょっとボケ始めてきた祖母も、行けば訳の分からない子供たちの話相手を
ニコニコと聞きながら、笑っている。
不自由な足を動かし、私にお茶や、お菓子を出してもてなそうとしてくれる。


実家の両親は、未だに諍いが絶えない。
祖母は何もできずに、争う声がやむのを
イヤホーンを付けTVを見て待っているらしい。
そう思うと、悲しくて切なくなってくる。
子供たちと接してる時のように
穏やかにしていて欲しいと、いつも帰り道泣けてくる。


945 :おさかなくわえた名無しさん:04/02/18 22:26 ID:1Yj2gwxL
>>927
。・゚・(ノД`)・゚・。


946 :おさかなくわえた名無しさん:04/02/19 13:58 ID:gSJXBp+5
>>920
めっちゃ泣いた(ノд`)〜〜
そのノート一生の宝物だね
ばあちゃんのぬらりひょんを見てみたい


947 :おさかなくわえた名無しさん:04/02/22 00:52 ID:gqsx7BQZ
全然泣ける様な話で無くて申し訳無いのだけど。

俺が20になった年のある日の夜、兄と二人で酒を飲んだんだ。
まぁたいした事は話して無かったんだけど、ふとしたきっかけで「俺は兄貴の劣化コピー見たいなもんだ」と言う様な事言ったんだ。
だって兄と俺は趣味がそっくりなのだが、どれをとっても兄の方が数段に上手いのだから。それに物事の考え方も似てるのだが俺の出した答えを更に煮詰めると兄の出す答えになる。
他にも上げれば切りが無いほど。正直コンプレックスなんだと。そう言う気持ちを全部吐き出す様に、でも淡々と話したんだ。
兄は俺が話切るまで黙って聞いてた。俺が話終わって酒を煽ると、兄は「俺は兄貴だからお前の手本になる様に、とは思ってた。良かれと思ってたんだけどな。スマン」と申し訳無さそうに言った。
正直、そんな風に謝られる何て思って無かった俺は「いや、兄貴が悪い訳じゃ無いんだし…悪いのは俺だから」なんて言ったんだけど、本当は情け無いやら恥ずかしいやらでなんか泣けてたよ。

いや、まぁそれだけの話なんだけどさ。

長い上にホロリじゃなくてゴメンナサイ

948 :947:04/02/22 00:58 ID:gqsx7BQZ
うひゃカキコんて見るとめっちゃ読み辛い。最低だ…。ゴメンナサイ、イッテキマス

949 :おさかなくわえた名無しさん:04/02/22 23:59 ID:mFq7uFi2
この間のことなので思い出、という訳ではないのだけど…。
私は自他とも認めるブラコン気味妹です。

金曜の晩に夜11時出発のバスで友達と旅行に行くことになったのだけど、
なんと旅行チケットを家に忘れてしまったのです。家にあることを確認する為に
兄ちゃんに電話したところ今すぐ持って来てくれるとのこと。
数分後に兄ちゃんから電話があって、ものすごく走った後の息づかいをしたまま
「今から電車乗るとこやけど、いちおう確認するけどこのチケットであってるな?」
と電話が。ところがそのチケットは少し前に別の友達と旅行に行ったときの
割引券の残骸だったんです。「まじでー!?」と言いながらまた走って取りに帰ってくれた兄ちゃんありがとう。
家について電話しながらあたしの部屋でチケットを必死に探してくれてありがとう。
通しナンバーさえ教えてくれたらどうにかするからいいよ、と言ったけど、
「もしそれであかんかったら大変やから」と、あたしのいる駅まで電車に乗って持ってきれくれてありがとう!
駅でぜーはー言いながらあたしを探してる兄ちゃんを見つけたとき、泣きそうになってしまいました。
「ほらよ、じゃあな。気をつけて行けよ」と一言残して、お礼を言わせる暇も作らず颯爽と戻っていった兄ちゃんは格好よかったぞ!
遅い時間だったのに。兄ちゃん次の日仕事だったのに。お酒飲んでたから車出せない状態だったのに…。

950 :おさかなくわえた名無しさん:04/02/23 00:00 ID:xGe0sPgb
昔から、うちの兄ちゃんてめちゃめちゃ優しいのではないか…と気付いてはいたけど、
そんな兄ちゃんがあまりに当たり前だったので、当然のように甘えてばかりでごめんね。

そんな兄も私の友達と4年間付き合った末、今年の6月に結婚して家を出て行ってしまいます。
チケットを持って友達(兄嫁になる友達とも共通の友人)の所に戻った時、
「兄ちゃん優しいー! …あんたどうすんの?
 兄ちゃんが結婚していなくなったら、これから誰があんたが困った時にこんな風に助けてくれんの?」
と言われ、今まで兄ちゃんがいなくなる事に実感がなくてなんとも思ってなかったのに、
急に実感が沸いてきて寂しくなってきて、だいぶ我慢したけど涙目になってしまいました。

兄ちゃん…、妹は今でも結婚することにちょっと拗ね気味なのに、
もしかしたら結婚式の時、祝福できないかもしれないよ。
でも決して兄ちゃんや友達の幸せを祈ってないわけじゃないぞ。
あたしの兄ちゃんでなくなることが寂しすぎるんだ…。

ちなみに旅行から戻った時、ビール6缶ケースを買って帰り、
「つまらないものですが・・・・」と正座しながら差し出すと、
兄ちゃんは「うむ。苦ししゅうないぞ」とおしゃっておられましたw


951 :おさかなくわえた名無しさん:04/02/23 00:10 ID:tW+NQs6g
ブラコンキモイ






嘘です羨ましいです・・・・

952 :おさかなくわえた名無しさん:04/02/23 09:19 ID:jczLs5F6
他人にとってはホローリでもなんでもないわな。

953 :おさかなくわえた名無しさん:04/02/23 21:31 ID:X9Ecu/2V
私は今週末に結婚式を控えている。2年前父を亡くし3人で悲しみを乗り越えてここまできた。
家族で食卓をかこむ日曜も最後かぁ、
としみじみ思って居間へいくと。。。
食卓に並んでいるのは私の好きなおかずばかり。
うれしさのあまり、「わぁ・・!」と言い出したとたん、
大粒の涙が流れてしまった。
見ると母も妹も泣いている。
「さっ、食べよ、おなかすいたなぁ!」
といつものように言う母をみて、
さらに泣いてしまった。
天国のパパ、見てる?
私達、家族になれてよかったね。
バージンロードはママと歩くんよ。

954 :おさかなくわえた名無しさん:04/02/23 22:31 ID:N0+4wLzh
>953を読んだら「秋桜」の歌詞を思い出して、さらに泣いてしまった。
あほだな>漏れ

955 :おさかなくわえた名無しさん:04/02/23 23:10 ID:C5+i0T6R
名前:
E-mail: sage
内容:
ホローリというよりクスッって感じの話なんですが。
俺には3歳年下の妹がいます。まぁ兄と妹なんで、小さいときはともかく、ある程度の
年になると、興味の対象とかもかわっちゃって、あんまり話とかもしなくなってました。
妹が20歳位の時だったと思うんだけど、ある土曜日に、その頃つきあってた彼氏とい
っしょにディズニーランドだかに遊びに行って、午前様したときがあったんですわ。妹
は高卒で信用金庫に勤めてたんですが、それまで午前様なんてすることなかったんで、
両親共々心配して待ってたんです。で、やっと帰ってきたんだけど、両親は心配してい
た反動もあって、玄關先で大激怒。妹は小学生みたいに大泣きしちゃって。元々甘えん
坊で、泣き虫だったんですけど。で、ひとしきり怒ったら、両親は不機嫌なまま寢室へ
退場。で、この情况で、俺にどうしろと? と思って妹を見ると、顏をぐちゃぐちゃに
して泣いてる顏見ると注意しようと思ってた気分も消えて「遅くなるときは電話しなき
ゃだめじゃん。風呂わいてるから。明日の朝、ちゃんと謝れよ」って言ってました。ま
ぁ、自分が男で、午前様とか平気でしてたから、それほど妹が悪い亊したって気もなか
んだけど。
 結局、翌朝に両親に謝ったし、親も大激怒したのですっきりしたのか、その後は別に
なんてことなく、今まで同じだったんだけど。
 そんな妹も、今は2児のママです。2人とも女の子で、もう小学生になりました。妹
が遊びに来たときとかに、妹に怒られて(´・ω・`)ショボーンとなってる姪っ子を見ると、あ
の夜の妹の泣き顏を思い出して、心の中で「クスッ」と笑っている、変な兄貴の話でした。

956 :955:04/02/23 23:11 ID:C5+i0T6R
>>955
あう、変なヘッダがついてしまった。すみません、すみません。。。。。。。

957 :おさかなくわえた名無しさん:04/02/24 20:47 ID:eUZnpsPN
>>955
うちの妹もそんな感じだったな。
気持ちはわからないでもない。




958 :おさかなくわえた名無しさん:04/03/01 22:45 ID:MIj+MzEh
良スレあげ

959 :おさかなくわえた名無しさん:04/03/01 23:54 ID:LBMxiCo7
畜生・・俺はなんでこんな親不孝ばっかりしてんだ・・
来年絶対大学受かってやる・・俺は誓う

960 :おさかなくわえた名無しさん:04/03/02 13:42 ID:5rQnpqZB
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961 :おさかなくわえた名無しさん:04/03/02 15:39 ID:8QGd9H/H
父さん、ごめんなさい。
今日は命日だったのに、墓参り行けなくって・・・。(;;

962 :おさかなくわえた名無しさん:04/03/02 17:53 ID:9y6fYwIX
俺が高校1年生のとき、9つ離れた姉も一緒に実家に住んでいた。
ある日姉と些細なことから大喧嘩してしまい、俺は姉を殴って「お前なんかとは暮らしたくない!顔も見たくない!」などと言ってしまった。
その次の月から姉は本当に実家を出て近くで一人暮らしを始めた。
その後全く連絡もとらず、すれ違うこともなかったから姉の顔を全く見ることなく二年ほど過ごした。
自分が姉に悪いことをしたとは思ってはいたけど、別に姉から連絡を取ってくるわけでもないから、気にしてないのかと勝手に思い込み平気な顔で過ごしていた。

高校3年の夏、俺は脚を折って入院してしまった。すると入院中、何の連絡もなしに姉が病室にお見舞いきた。
俺が姉ちゃんに暴力を振るい、精神的にも傷つけてしまったのにもかかわらず心配そうに色々聞いてくれ、本を何冊か持ってきてくれた。
その時、いかに自分がガキで姉が大人だったのかを実感した。9つという年齢差があったため、俺は昔から姉に甘えまくっていた。
何をやらかしても姉なら許してくれると思って迷惑かけまくっていた。でもその度に姉は何も言わずに許してくれ、常に俺を心配してくれていた。
そして俺はその事実にこのお見舞いの時まで気付いていなかった。そんな自分が恥ずかしくてたまらなかった。
後から親に聞いた話だと、姉は一人暮らしを始めた後、俺のことを考えていたせいで、軽く鬱っぽくなり、円形脱毛症なった時期もあったらしい。
連絡は取りたかったが、顔も見たくないと言われたので、連絡する勇気がでなかったらしい。お見舞いも相当悩んだだろう、、、。

今では姉ちゃんもたまに実家に帰ってきて一緒に食事する機会も増え、これからまた関係を修復して行こうと思います。
ねえちゃん、、、ごめんなさい。そしてありがとう。





963 :おさかなくわえた名無しさん:04/03/02 18:26 ID:u4xFidhX
よかったよかった。
やりなおせるなら本当によかった。

964 :おさかなくわえた名無しさん:04/03/02 18:36 ID:4MexUc9o
いい姉だな!いい姉だ!
あーた、弟とは言え殴られたりしたらもう、自分でもびっくりするくらい
相手が怖くなる時があるから二度と殴るなよ!むしろ守ったりよ!

965 :おさかなくわえた名無しさん:04/03/03 01:54 ID:KFN93tkG
もう、だいぶ昔の話ですが、
そして、ホロリとくる話でもないですが
書かせてください。

当時、高校2年生だった私は、某ファストフードでアルバイトをしていました。
すごく田舎で、夜道が暗かった所為もあり、
(実際に変質者が出ることもしばしば)
バイトの日は、母に迎えにきてもらうことがお決まりになっていました。

母方の祖父は、病気で入院していました。
私のバイト先から病院が近かった所為もあり、迎えに来てもらった帰りに、
面会時間外にもかかわらず、よくお見舞いに行っていました。
祖父は、(正式な病名は覚えていませんが)
筋肉がどんどんなくなっていく病気だと聞かされていました。
私のバイト先の隣が、花屋さんだったので、お見舞いに行くたびに、
そこで花を買って、持っていっていました。
祖父は、その花を見ては、笑顔を浮かべてくれていました。
でも、私は、筋肉や脂肪がなくなってしまい、腕を動かすこともできない
祖父の状況をわかっていたので、無理に作ってくれた笑顔を見て
病室の外でひっそりなきました。

続く


966 :おさかなくわえた名無しさん:04/03/03 02:00 ID:KFN93tkG
みるみる痩せて、骨だけの状態になっていく祖父。
その祖父を毎日泊り込みで看病していた祖母。

祖父はしだいに、表情すら作れなくなりました。
私が持ってきた花を見ても、喜んでいることを表せない祖父は、
涙を流しました。
それが、私が見た、祖父の感情表現です。

数日後、バイトに入っていた私を、父が迎えにきてくれました。
『いつもはお母さんなのに、なんで今日はお父さんなんだろう?』と
思ったので、率直に聞いたら、
祖父が息をひきとったとのこと。

私は頭が真っ白になりました。

続く


967 :おさかなくわえた名無しさん:04/03/03 02:16 ID:KFN93tkG
病院に着いたら、母と祖母が、祖父のベッドにうつ伏せになり泣きくれていました。
弟がいるのですが、その弟は状況がのみこめていないようでした。

そして知らされた驚愕の事実。

『このまま管をつなげていれば、もう少し、長生きできたかもしれないが、おじいちゃんは、苦しい思いをするんだ。 
長生きといっても、あと、数週間ぐらいしかもたなかったらしいし、おじいちゃんの苦しみを、早く取り除いてあげる方が、おじいちゃんも楽だろう。
だから、生命維持装置をみんなで相談して、止めてもらったんだ』と。

次の瞬間、私は父をこぶしで殴っていました。
私は幼い子どもじゃない! 祖父の死を受け入れられない訳じゃない!
弟だって、中学生だった。
十分、理解できる年齢に達していた。
なのに、私がバイトをしている間に、『子どもたちには辛いだろうから』と
大人たちの判断だけで、私は祖父の死に目に会えなかった!!



968 :おさかなくわえた名無しさん:04/03/03 02:17 ID:KFN93tkG


病院の関係者に止められたので、それ以上、父に暴力で訴えることはなかったが、
しばらくは、家族の大人たちを罵り続けました。

勝手な妄想かもしれないが、祖父は動けなくとも、意思はあったはず。
私や、弟の顔を一目見てから逝きたかったはず、と。

それ以来、祖父の家を訪れるたびに、祖父が一番綺麗だと言ってくれたデンファレという花を持っていきます。
あの時の、表情をもたない涙を思い出します。

家族とは、その後、ちゃんと話し合って和解しましたが、この思い出は、私の中で、一生忘れることがないでしょう。

きっと、祖父は、空から私たち全員を見守ってくれていると信じ、
それだけを信じ、毎日頑張っています。

花屋でデンファレを見るたびに思い出すんです。


長くなって、しかも駄文で申し訳ないです。
ホロリとくる話でもないので、更にお詫び申し上げます。、



969 :おさかなくわえた名無しさん:04/03/03 09:48 ID:379By20g
>>965-968
素直に泣けました・・・

970 :おさかなくわえた名無しさん:04/03/03 13:11 ID:d1pmYDW1
>>965-968
考えさせられた・・・
俺はあえて祖父が逝く瞬間を見なかったから尚更・・・
親としては辛いその瞬間を見せたくなかったんだろう。
どっちの気持ちも痛いほどわかる・・・

971 :おさかなくわえた名無しさん:04/03/04 20:58 ID:4cxDSnRI
俺が中学生の頃、母方の祖父が亡くなったが通夜や葬式に参列させてもらえなかった。
当時受験シーズンだったので、その辺を考慮したのかもと当時俺なりに解釈していたんだが、
今から思えば、そういう悲しい場面に立ち会わせたくないという親なりの配慮だったのかも知れない。


972 :おさかなくわえた名無しさん:04/03/05 01:30 ID:S2QPn/8I
>>971
萩尾元都の『カタルシス(「イグアナの娘」収録)』を読んでいるので、つい考え込んでしまった……。

973 :971:04/03/05 22:14 ID:dweLNiAT
>>972
萩尾元都の『カタルシス(「イグアナの娘」収録)』ってどんな話なんですか?
お手透きの時で構いませんので、解説お願いします。

974 :おさかなくわえた名無しさん:04/03/10 16:51 ID:i6DhzXMI
>>973
遅くなってゴメンよぅ。
受験を控えた男子が、同じ大学を目指してた仲良しの女子の葬式に行けなかった話。
……というと、はしょりすぎなんだが。
ライバルが減っただの、葬式など行く必要はないだの、親がものごっつ指令を下すのさ。
なんつーか、ね。
「まだ○○○の葬式に行ってない……!」
てな感じで、二浪になりそな時期までもずっと引っ張ってる、思春期の少年の話。

975 :971:04/03/10 21:55 ID:SoeVeg5F
>>974
詳細サンクスです。今度探して読んでみます。
あと、重箱の隅つつきで済まないけど、「萩尾望都」ですよね?

976 :おさかなくわえた名無しさん:04/03/10 23:46 ID:BIXWza9p
  _, ._
( ゚_ゝ゚).。oO(……。)

977 :おさかなくわえた名無しさん:04/03/11 00:45 ID:B76BhAbb
誰か次スレたててください…

978 :スレ立て請負 ◆quZ9LG4B2E :04/03/11 13:13 ID:iHIkMO7L
次スレです。どうぞ。

思い出してホローリくる家族との思い出part5
http://life3.2ch.net/test/read.cgi/kankon/1078978322/l50


979 :おさかなくわえた名無しさん:04/03/12 10:06 ID:n2vz3Ce5
今気が付いたけど、このスレのシリーズが天寿を全うするのは初めてかもしれない

980 :おさかなくわえた名無しさん:04/03/12 15:34 ID:n2vz3Ce5
全うする前にdat逝きになりそうな悪寒…。

981 :おさかなくわえた名無しさん:04/03/12 22:14 ID:FTTizoOB
思い起こせば今を去ること1年と3ヶ月前、1が立てた【再度】思い出して
ホローリくる家族との思い出part4。
今宵ここに天寿を全う出来たのは、ひとえに「木印」「ヒッキー」「無職」
「低脳」と蔑まれながらも書き込んでくれた“おまいら”のお陰だ。
ありがとう“おまいら”。

【お断り】
“おまいら”の中に私は含まれません。


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